愛しのコンシェルジュ
5年くらい先の近未来の話だと思っていただければ・・・。
「迷った・・・」
途轍もない絶望感と孤独にうちのめされ、私は嫌々その言葉を口にした。
右も左も見渡す限り広大な畑。
両脇を青々しい野菜に挟まれた狭い砂利道で、私は車を止めた。
真夏の昼間。灼熱の炎天下のせいか、人影はまったく見当たらない。見える範囲には、人家も無いようだ。
農道の一種なのだろう、砂利道には標識もなければ、Uターン出来そうな分岐もない。軽自動車同士ならギリギリ離合可能かも?という位の、なんとも心もとない幅員。ペーパードライバーに毛が生えた程度の運転スキルしかない私には、懸念材料でしかなかった。
しかしこれ以上進むと本当に戻れなくなる。
ガソリンの残量が不安になり、冷房はだいぶ前から切っていた。窓を全開にしていても、入ってくるのは体温とそう変わらない温度の空気だけ。暑さのせいなのか、緊張しているせいなのか、ハンドルを握る手はじっとりと汗ばんでいた。
私はため息をついて、助手席に置いたバックから、携帯電話を取り出した。
とっくに昼休憩が終わっているはずの彼氏に電話を掛けるのは気が引けたが、背に腹は替えられない。もしかしたら今日に限って休憩がずれ込んでいる可能性もなくもないし。そんな風に自分に言い訳をして、泣き出しそうな気分で発信を押した。
数回のコール音の後、衛が応答してくれた。
「みのり?なに?」
聞かなくてもわかる。仕事中だった。周囲を憚っていつもより小声で、そして少し迷惑そう。
「・・・ごめん。迷った。助けて」
「は?また?・・・今、どこ?」
「わかんない。分かったら、迷ってない。多分どっかの畑の中」
「お前なぁ・・・」
衛の呆れた声。
だよね。私のこういうSOSは、初犯ではない。私は重度の方向音痴だった。
「だから車にナビを付けろとあれほど言っただろ。そんな情報だけで一体俺にどうしろと」
分かってます。反省してます。次のボーナスで必ずナビ付けます。だから今!今助けて!
「・・ああ、思い出した。この間、みのりの携帯に使えそうなアプリ入れといたから、それ見て。悪い、部長が睨んでるから切る」
衛は更なる小声でそう告げると、私の返事を待たずに一方的に通話を切った。
わぁん!見捨てられた!!
我慢していた涙が一粒眦から零れ落ち、携帯の液晶画面を濡らした。
・・ん?携帯?
去り際の衛の言葉を思い出し、私は携帯を握りなおした。滴り落ちた水滴を拭き、ホーム画面を覗く。祈るような気持ちで見慣れないアプリを探し出し、白い雲のような形のアイコンをクリックする。
<執事アプリへようこそ>
画面に現れたのは、もこもこの白い羊毛に黒い地肌の、羊のキャラクターだった。黒い執事服を着て、人間の様に二足歩行している。
<私はこのアプリの説明役、貴女の執事です。どうぞコンシェルジュとお呼びください>
・・・成程。執事だから羊なのか。ベタな・・。ということは、さっきのアイコンも雲ではなくて羊毛だったのね。ええと、このキャラ既視感ありまくりなんだけど、これ、大丈夫なのかな・・・?
「わ、私、道に迷っていて・・・」
<成程。迷子ですね。早速ですが、みのり様、貴女の現在地はここです>
おお!
携帯に地図が表示された。私の現在地とおぼしき場所に、青い光が点滅している。
もはや著作権侵害キャラではないのかという疑問はどうでもいい。ナイス羊!いやコンシェルジュ!!
<目的地はどこでしょうか?>
「目的地・・・あの、行きたいのはとあるケーキ屋さんなんだけど、店名も住所もうろ覚えで・・・」
<そちらのお店に以前行かれた事はおありでしょうか?ここ最近の貴女の既往ルートはこちら、その中でケーキ屋というとこちらの3軒になりますが>
「あっこれ!確かこの2軒目のお店です!」
コンシェルジュがリストアップしてくれた写真から、見覚えのあるお店を見つけ、私は小躍りした。
<ではこれからそちらのお店までナビゲートさせて頂きます。ただ今、現在地に前方から大型車両が接近中ですので、車の発進をお勧めします>
「えっ、どうしよう。ここではUターン出来そうにもないし」
オロオロする私にコンシェルジュは羊特有の目を細めて微笑んだ。
<大丈夫です。バックで2車線の道路まで出られます。私が指示させて頂きますので、なんの心配もいりません。その後、ガソリン給油の為にスタンドにお寄りください>
コンシェルジュったら、もう、至れり尽くせりなんだけど!
その後私は無事農道を抜け出し、目的のケーキ屋さんに辿り着けた。そしてお目当てのケーキを買って家路へとついた。衛からは心配するメールが届いたが、アプリのお蔭で迷子は解消されたとだけ返信しておいた。
ドライブの間、コンシェルジュは最適な進路をナビゲートしつつ私の話し相手になってくれた。
「このケーキはね、前デートで食べて、衛が美味しいって言ってたやつなの。今日、実は衛の誕生日で、こっそり買って驚かそうって思ってたんだけど、道が分からなくなって家にも帰れないし、もう駄目だと諦めかけてたから、嬉しい・・・」
<ご希望のお品が入手出来てよろしかったですね。ですが、みのり様のそのお気持ちだけで門守様は充分お喜びになるのではないでしょうか。貴女の様な女性にそのように想われるとは、男冥利に尽きますよ>
衛本人にも言われたことのないような優しい言葉に、私の涙腺は崩壊した。
「そっ、そうかな?私、方向音痴だし、機械にも疎いし、なんかいつも衛に頼りっきりで、衛に迷惑かけてるなぁって・・。自分でも変わらなきゃって思ってるんだけど・・・それで今回思い切って一人でケーキ買いに来てみたんだけど、結局また迷って、衛は仕事中なのに電話したりして・・・」
<みのり様>
コンシェルジュはやんわりと私の愚痴を遮った。彼自身の羊毛のように柔らかく暖かい微笑みで。
<大丈夫です。みのり様はもう一歩を踏み出されておられます。大事なのは変わりたいという、そのお気持ちです。後は私がお手伝いさせて頂きます。私が常に貴女のお傍でお仕えします>
「コンシェルジュ・・・!」
私は感激のあまり携帯を抱きしめた。
「コンシェルジュ、有難う・・!私、頑張る!これからもずっとずっとよろしくね!!」
ああ、コンシェルジュに出会えて本当に良かった。
「お誕生日おめでとう、衛!!」
その夜、私は仕事終わりの衛を手料理でもてなした。コンシェルジュに検索してもらったお料理サイトを見ながら作った料理は、ここ最近で一番の出来栄え。更にデザートは苦労して手に入れたあのケーキ。衛に喜んでもらおうと、コンシェルジュと二人で頑張ったのだ。
「あ~なんだその・・・」
ケーキを食べながら衛がついと目線を逸らした。
「このケーキ、俺が前美味いって言った店のだろ。みのり、これ買うために迷子になったんだな。・・・電話、途中で切ったりして悪かった」
「ううん、いいの」
衛の言葉で私は報われた気分だった。照れ屋でぶっきらぼうだけど、衛はちゃんと気づいてくれるんだ。
「迷子になったお蔭でコンシェルジュにも会えたし。このアプリ入れてくれて有難うね、衛。私、これからも頑張るね!」
<良かったですね、みのり様>
「・・・ったく、人の誕生日に死ぬほど心配させておいて」
コンシェルジュと喜び合う私には、その衛の呟きは聞こえなかった。
「・・で、そのアプリ、いつになったら切るんだ?」
食事の後片付けをして、1時間後。なんだか機嫌悪いなあと思っていたら、ビール片手に衛がそんなことを言い始めた。ケーキ食べてた時はあんなに喜んでくれていたのに・・・衛、どうしたんだろう?
「え?切らないよ?だってコンシェルジュは私とずっと一緒なんだもん」
「いやいやそれ、ただのアプリだから!むしろ携帯ごと電源落としていいから!」
「衛、何言ってるの?そんなことしたらコンシェルジュが可哀想でしょ?」
「折角二人っきりなのに覗かれてるみたいで嫌なんだよ。大体そのアプリ、なんか胡散臭いだろ?みのり、それ、初期設定いじったか?俺なにもしてないぞ。GPSいつから起動されてたんだよ。個人情報もダダ漏れだろう、それ。執事というより、なんだかストーカーみたいじゃないか」
<そのような仰り様は聞き捨てなりませんね、門守様>
私の携帯から、コンシェルジュが抗議した。
<それならば門守様は如何でしょうか。いくら恋人とはいえ、他人の携帯に本人の承諾無しで勝手にアプリを入れる行為もどうかと思われますよ>
衛が飲み物を吹き出した。
「お、俺はみのりの方向音痴を心配して、だなあ・・・!!大体みのりは機械も不得手だから、こいつの携帯やパソコンは基本俺がカスタマイズしてメンテナンスもしてるんだよ!」
<おやおや、それではみのり様に信頼されているのをいいことに、門守様がメールや履歴を監視されていても分かりませんね。私をストーカー呼ばわりされるのも、ご自分に思い当たる節がおありだからではないと、はたして言い切れるのでしょうか>
「なんだとてめぇ・・・っ!!」
それからは衛とコンシェルジュの言い争いになってしまった。
なんでこんなことになっているのかさっぱり分からない。
衛が私の為に入れてくれたアプリと、どうして衛本人が喧嘩しているのだろう?
「みのりは俺が守るんだよ!」
<いえ、常に御守り申し上げるのはこの私です!>
ヒートアップしながら口論し続ける二人を見ながら、私の考えていた事と言えば・・・。
二人とも大好き。いつまでも一緒にいてね!!
誕生日なのに衛可哀想・・・。
執事の英訳はバトラーですが、あえてコンシェルジュにしてみました。
無理矢理出した感のある衛の苗字は、コンシェルジュの元の意味から名付けています。