青空を愛した人
空が青い。だとか、それでも地球は回っていると言った偉い人よりも昔からわかりきっている使い古されたフレーズだ。それがなぜか、俺の学生カバンに付せんに書かれて貼り付けてあった。そしてご丁寧なことに薄い青色の付せんに少し濃い青色のボールペンで書かれてある。
ベタつくような、ぬめりのある黒い光沢。その中に浮かぶ青に俺は滑稽さと、妙な寂しさを孕んでいた。
「バカか」
誰もいない教室に入る西日が髪の毛を焼いて脳みそまでとろけさせてしまったみたいだ。
きっと特別な意味なんて何もない。どうせ、いつもの悪ふざけなのだ。
そう思うのに。いや、信じているのに。俺は気づいたら教室を飛び出していた。
屋上へ。青い空なんかもう見えないけれど。
まだ、彼は待っていてくれるだろうか。
一週間前に、彼と俺は交際しているのがバレてしまった。しかも教室でキスをしていたところで、言い逃れはできるはずもなかった。
俺たちのことが学校中に広まって、あることないこと吹聴されきった頃に俺の転校が決まった。
担任から粗方のことは聞いていたのか、両親は何も聞いてくることはなく、ただ静かに転校届を差し出してきただけだった。あの目は間違いなく失望と嫌悪をもって俺を見ていた。
あの時、どうして彼は俺にされるがままに任せたのか。
その疑問は、コトが一応の段落をむかえで、ちゅうぶらりんにされたままだ。だって彼があんな場所で触れるのを許してくれたことは初めてだった。
それに、彼にまだ「ごめん」と突然の別れへの謝罪をしていな
い。
彼もきっと近いうちにこの学校を去るだろう。
その前に、はやく言わなければならない。聞かなくてはならない。早く。焦りは俺の中ですでに脅迫観念と言って良いほど大きくなっていた。そして、彼の好きな青空の下で伝えられないことだけを恨んだ。
息を切らして最後の階段を踏む。目の前のドアが異様に遠く感じて奥歯が、がたがた鳴った。
屋上には誰もいなかった。
そうだ、普通に考えれば当たり前だ。直接、家に行って伝えてしまえばいい。
酸欠の回らない頭でそう思い、脱力したそのとき。頭から血が一気に引いた。そして次に足下がガラガラ崩れ落ちる錯覚に捕らわれて、俺はその場に座り込んでしまった。
視界の端に青い付せんが揃えられた持ち主のいない靴に貼られているのを見つけたのだ。
彼のいたずらなのかもしれない。きっとそうだ。俺をそうやってからかって、どこかで見ている。彼はそういう人間だったのだ。
震える指でで付せんをつまんで、丁寧に開いた。
『好きでした。おさきに。 山谷朝仁』
ふらつく足でフェンスに寄りかかり、おそるおそる下を見た。
そこから、家に着くまでの記憶が俺にはない。
ただあるのは後悔だ。
どうして、どうして、最後に抱きしめてやれなかったのか。
どんな姿の彼も愛せると思っていたのに。気づいたときには自分の部屋のベッドに倒れていただなんて、情けない。
握りしめたままで痺れた右手をそっと開くとやわい痛みが手首までじわりと広がった。
『好きでした。おさきに』
ああ、やはり彼は、朝仁は待っていてはくれなかったのか。せっかちめ。
けれど、きっと追いついてみせる。まずは彼が青空に心を奪われて立ち尽くしていることに期待してみよう。