子分退化論(中編)
いやいや、まさかな。
聞き間違え、聞き間違え。俺の耳、やばし。
耳の穴をほじくりながら、店員さんを探して部屋の外へ出る。
「この部屋だよ、ゴル。堀川いるし」
「聞き間違えだろっ!」
いきなり大声で口を挟んできた俺に、女の子はびっくりした顔をしている。
その隣にいる男は、不審そうな目で俺を見たが、すぐに表情を和らげた。
「あれ?錦戸か?」
「あー!錦戸君かぁ。久しぶりだね~お誘いありがとう」
女の子が俺を見て懐かしそうに目を細めて笑った。
全体的に作りが小さいその子は俺の好みどんぴしゃり。笑顔が可愛いので、更にポイント追加。
俺の横をすり抜け、女の子が
「遅れました~」
と言いながら、楽しげに中に入って行く。
もしもし、部屋を間違えていませんか?いや、可愛い子は大歓迎だけど。
ところで何で、俺の名前知ってるの?もしかして君らエスパー?
「あー…信じられないかもしれないけど、鬼塚真琴。ほら…俺らいい思い出ないけど、当然覚えているだろ?ゴルゴンゾーラだよ」
えーと?
状況が飲み込めず固まる俺の肩をポンと叩き、中に入って行く男。
あの子もそうだけど、そもそもあんたも誰よ?
すぐに部屋の中から大絶叫が聞こえる。ぎゃーとかうぉーとか、バッシャーンとか。
最後の絶叫じゃないな、誰かお水のコップ、倒しただろ。
オーダーついでにお絞りも頼んでこよ。
嘘だろ~っ!とか信じられないっっー!とかガッシャーンとか。
おいおい、誰かコップまで割っただろ。
仕方がない、お絞りついでにチリトリも借りてこよ。
所用が多かったので、5分くらい掛かった。
「すぐに飲み物運んでくれるって…ってどうした?」
女の子とさっきの男をみんなが囲んでいる。あの女の子は女子に引っ張られ向かいの席に、男は野郎に引っ立てられ奥の席に追いやられている。
おい、お前らよせよ。おろおろしているだろ、かわいそうだろ。そっちの男はどうでも良いけど。むしろもっとやれーって感じだけど。
俺はイケメン&リア充、爆発大歓迎だから。むしろ着火したいくらいだから。
「一体どうして、そんな変わっちゃったの?」
「ちょっとー。可愛いんだけど。こんなビフォーアフターありえる?」
「いやいや、ゴルは昔から可愛かったよ。俺、実はゴルゴンのこと子供の頃からいいなぁって思ってたんだ」
「お前、嘘つくな。地響きがするから、ゴルゴンが来たらすぐに分かる。俺、ちょっと隠れて様子見るわってさっき言ってただろうが」
「パティシエ目指してるんだって?最初聞いた時はふーんって思ったけど、ゴルの作るスイーツって食べてみたい。今度さ、俺に作ってきてくれない?」
「何が、ふーんだよ。うげぇぇぇぇって食べてもいないのに吐いてたじゃん」
うーん、バカな俺でも流石に察した。
あのめちゃ可愛い女の子、ゴルゴンゾーラらしい。
信じがたいけど。でも世の中ミステリーで溢れているから。
それであのもみくちゃにされてる男は誰よ?
ゴルは質問攻めにされて、テーブルから身を乗り出さんばかりのテンションで話しかけられて、おろおろとあの男に傍に戻ろうとした。
それを受けて、あの男の方からゴルの傍に行こうとしたところで、野郎どもによってたかって押さえつけられている。
「ゴルは何でそんなに変わっちゃったの?ってか何が原因?」
「そりゃー女が変わる原因ってのは一つっきゃないでしょ。恋という名の心の病」
「良いね~恋。うわぁ、ゴルって髪の毛、サラサラに柔らかい」
「えー?本当?おーいい手触り」
ゴルの方も女たちに、もみくちゃにされていた。
同性ってのは良いよな。俺も触りたい。
「パティシエ目指してるんだって?もしかして好きになった男が甘いもの好きとかー?」
「きゃー聞きたい!聞きたい!そういう話」
「何でパティシエになろうと思ったの?」
「あーうん…それはちゃんときっかけがあって…」
「えー聞きたい!それってゴルが変わったのと関係ある?」
「あると言えば、あるような…」
わいわいしていた皆がゴルの話に注目した。それはそうだ、俺だってその話、気になる。
乱暴者で悪がきの頂点で、喧嘩も強かったゴルが、俺だってお付き合いを申し込みたいほど可愛くなった原因があるなら。
「あれは…小学校、卒業した後の春休みだったな。私は一人で公園に行って、砂場で落とし穴を作ってたんだ」
「落とし穴?もしかして、そこに恋の相手が…」
「落ちるとか?きゃー」
黙って聞け。続きを勝手に作って盛り上がるな。
中学に入ろうとする子供が、一人で落とし穴を作るという行為はどうなんだと思うが、それは置いておこう。
「スコップとか使ってかなり深く穴を掘って、その上に新聞を被せて凹まないように上から砂を慎重に被せて。かなり会心の出来だったと思う。誰かが引っかかるのを木の上から見ようと思って、登って身を潜めてたんだけど、座った枝が弱かったのかバキッって折れて、落下。その時に左足を捻ったのか、激痛が走って。もう痛くてびっくりして、泣きながら家に帰ろうとしたら落とし穴にズボっと落下。左足を庇ったせいか、右足にもっと激痛が。左足は捻挫だったんだけど、右足は複雑骨折」
しーんと沈黙が流れた。
盛り上がっていた女の子も、若干顔を引き攣らせて恐る恐る口を挟む。
「………その話…ちゃんと甘い話に繋がる?パティシエってのとゴルが可愛くなったっていう二つの意味で」
うん、みんなの気持ちは一つだ。
自業自得とは言え、何バカやってんだ?
一応繋がると答えて、ゴルが話を続ける。
「両足怪我をしちゃったから、歩けなくて車椅子。車椅子、スケボー代わりの良いものが手に入ったって、みんなで遊んでたらまた怪我して、右腕の骨にひびが入った」
「…何となく想像はつくけど、何して遊んでいたの?」
「歩道橋の上から車椅子に乗って滑り降りると言うジェットコースターゴッコ。前のめりに吹っ飛んで、咄嗟に手を突いたんだけど、足が使えない分手に負担が行っちゃって。勿論、両足も悪化したんだけど」
うん、みんなの気持ちは今も一つ。
とりあえず中学校入るまでは、ゴルはガキ大将ゴルゴンゾーラ様だったと。
「その内、中学校始まって。知らない子ばっかりなんだけど車椅子で、しかも利き腕使えないから仲間に入れなくて。登校でさえ、結構苦労した。授業の移動も体育の見学も。車椅子押してくれたり、授業中ノート取るの手伝ってくれたりしたのは、クラスの大人しい女の子たちだった」
うん、そうだな。ゴルが仲良くしていた、って言うかゴルの子分たちは乱暴者か俺みたいにチキンなやつだけだもんな。
弱体化したゴルに付き添うわけがない。
「動けなくて、遊べなくてクサクサしていたら、いつも手を貸してくれる女の子の一人が家に呼んでくれてね。その子のお母さんがクッキーを作ってくれた。私、焼きたてのクッキーを初めて食べた」