いじめられっ子の母、視察
「女がいるわね」
と言っても我が夫に、ではない。自他共に認めるおしどり夫婦であり私たち夫婦はいつも円満だ。
「女がいるわね」
息子のことだ。
大学を機に千葉に行った息子と、年に数回しか会うことがない。家族なので、それで疎遠になるわけではないが、少々寂しい気がする。
年末年始ですら、御節を食べて2,3日するとそそくさと千葉に帰ってしまう。
他の家の話を聞けば、親が恋しいわけではないが、上げ膳据え膳の実家を、正月一杯満喫して帰るわよと言われた。
だらだらして寝て、出てきたご飯を食べて、沸かしてもらった風呂に入ってというのは1人暮らしでは望めない生活だ。
「息子の彼女…ねぇ…」
息子はもう20歳だ。
彼女がいておかしくはないし、むしろいて良かったと思う。
けれどどんな子か、気になるのが親心。
高校生の頃に付き合っていた相手がいたみたいだけど、その子とは長く続かなかったようだ。
振られたのか振ったのかは知らないけど。
2年も千葉には行っていない。息子の1人暮らしがきちんとやれているか気になることだし、視察に行こうと思って数日後、羽田着と同時に息子へ連絡した。
殆ど抜き打ち訪問だ。
朝、7時に電話をすると、息子は絶句した後
「今日は…講義があるから日中は家にいないけど…」
とそれだけを口にした。
それはむしろ抜き打ち視察としては好都合。
息子がいないうちにチェックしようと、懐かしい我が家に向かう。我が家と言ってもここに住んでいたのは大分昔になる。
町も記憶のものと様変わりしていて、懐かしいという感傷がない。
「うーん、部屋は合格ね。まぁまぁ、綺麗。慌てて片付けた感はあるけど」
キッチンに行くと立派なレンジ。
調理器具も必要最低限はあって、調味料もある程度揃っていた。冷蔵庫を見れば、使いかけの牛乳や、バター、卵のパックなど定番に加え、野菜もそれなりに入っていた。
「食生活も合格ね」
コンロに置かれた鍋を覗けば、カレーが入っていた。
温めて、味もチェック。
「うん、味もまぁまぁね。ただ…これ、息子が作ったのかしら」
カクカクした勿体無い皮のむき方は、息子作だけど、このカレーには擦りリンゴの隠し味が入っていた。
息子がわざわざリンゴを擦ってカレーに入れるとは考え辛い。
ベッドの下を探る。
出てきたのはアダルティな本ではなくて、料理の本、数冊。
しかも材料から良く分からない専門書だ。
「反応に困るわ」
エロ本が出てくれば、息子も年頃だしねとそっと戻すのだが。
料理本が出てきても、息子も年頃だしねとは思えない。
「決定的な証拠が出てきたわ」
机の上に置かれていた、有名なご当地ゆるキャラのストラップ。これはペアになって売られているもので、相手がいない人間が買うものではない。
まれにそういう人もいるかもしれないが。
息子が帰ってきたら詮索する事にして、買い物に行こう。視察だけでは可哀想だし、たまには母の手料理も振る舞うべきだわね。カレー食べちゃったし。
近年、都心のベットタウンと化したここ周辺は、急速な勢いで発展している。記憶の中の地図は頼りにならず、息子にスーパーの位置を聞いておくべきだったと後悔しながら家を出る。
マンションの入口付近で既に、どちら方向かきょろきょろしていると
「あれ?おばさん?」
と声をかけてきた子がいた。
「……こんにちは」
誰だか分からず、挨拶をしてみる。息子と同じくらいの年なので、恐らくそのつながりの顔見知りなのは間違いはないだろう。
しかし久しぶりです~っと懐かしそうに、嬉しそうに挨拶されると聞けない。
誰でしたっけ?って。
「今日は良い天気ね」
思いっきり社交辞令的な切り出しになった。その子は気にすることなく、そうですねーと雲がない青空を見て、目を細めた。
「散歩行こうと思って。今日は仕事ないからのんびりしようかと思ったんだけど、すっごい天気が良いから」
「そうなの。おばさんは、これからスーパーに買い物に行こうと思ったんだけど、場所が良く分からなくて」
「そっかー。昔あったスーパー潰れちゃって、その代わり駅前の大型ショッピングモールの中にスーパーあるよ」
「そうなのね~」
「よければ案内しましょうかー?迷惑じゃなければ」
「じゃお願いしようかしら」
了解です!と元気良く手を挙げる子。明るくて感じの良い子だわ。
あそこのカフェのケーキは美味しいとか、あそこのから揚げは他じゃ出せない味とか、あそこの雑貨は可愛くてプレゼントに最適だけど、自分用じゃちょっと悩む価格とか色々案内してくれた。
スーパーでの買い物も付き合ってくれて、どこに何があるか悩まないですんだ。
「ここのイタリアン、ランチ過ぎるとアフタヌーンティーメニューって言うのがあるの。プチケーキが3種類選べて、紅茶が付いて980円でお得だよー」
「へぇ」
良いながらショーケースを覗き込むと、宝石みたいに可愛いケーキが幾つも並んでいた。この中から3つ選べて、紅茶も付いて980円は確かに安い。
「じゃあ、寄って行く?案内してもらって、荷物も持ってもらってるし、おばさん奢るわ」
「え~…悪い気がする…」
「良いのよ。それにおばさんが食べてみたいの。美味しそうだから」
「え~…じゃあ、わーい」
「行きましょ」
遠慮してたけど、再度誘うと両手を挙げて喜んでいる。うん、畏まられるよりも楽で良いわね。
「美味しそうに食べるわね~。甘いもの好き?」
フォークを銜えながら、コクコクと頷く。奢り甲斐がある子だ。
「このプチケーキのスポンジの柔らかさとか見習いたい」
「あら、お菓子作るの?」
「うん、好きだし、仕事だし」
「………マコちゃん?」
「何?」
お菓子を作るのが仕事……お隣の鬼塚さんちの子!
鬼塚さんちのマコちゃんは、専門学校卒業した後、バイトしていたケーキ屋にそのまま就職したって聞いたわ。
あらまぁ~!随分と綺麗になって。
洸はマコちゃんを男の子だって思っていたようだけど、もちろん私たちは知っていた。洸がマコちゃんに泣かされて帰ってくるたびに、女の子にぼろくそに泣かされて情けないって思っていたわ。
「綺麗になったわねぇ~」
しみじみと呟くと、マコちゃんはそっかなぁ~ありがとうと照れたように笑った。髪の毛から指先まで手入れが行き届いてる。
きらきらとしてるまさに盛りの女の子って感じだ。
「マコちゃんはもう洸とは喧嘩とかしてないわよね?」
子供の頃はマコちゃんの圧勝だったが。体格差もあったし、マコちゃんは好戦的な性格で、息子は正反対だったし。
「喧嘩ー?はしないなぁ。……たまに洸が怒るくらい…それで私が謝る」
「え?逆じゃなくて?」
息子は好戦的とは程遠い性格だ。よく言えば温厚で、沸点が高い。その息子が怒る状況があまり思いつかない。
まして相手はあのマコちゃんだ。
「何が原因で?」
聞くとマコちゃんは気まずそうな顔をした。何か息子がかっと来るような、度を越したことをしているのかしら。
「この間は…。その…高校時代の友達に誘われて、飲み会行ったんだけど、知らない男の子たちもいてね」
「何人?」
「女の子が4人で、男の子も4人」
「それは合コンよ」
「……うん。それでお酒飲んだんだけど、2杯目で酔っちゃって。1杯目のカシスが思ったよりアルコールがきつくて、2杯目にウーロン茶頼んだけど、それも思ったよりアルコールが入ってたんだよね」
「そもそもウーロン茶にアルコールは入らないんじゃない?」
「うん。私もびっくりした。足元ふらふらするし、頭はくらくらするし、送るよって言ってくれた親切な人はいたんだけど」
「それは本当に親切な人なのかな?」
「どうしよって思って洸に電話。すぐに来てくれて、つれて帰ってくれた」
「……最初送るって言った人と、洸は揉めてなかった?」
「分かんない。洸を見た瞬間に、寝ちゃったから」
「……そう…」
「起きたら洸が怒ってた…正座で怒られた…すっごい痺れた…めちゃめちゃ怒られた」
今思い出しても恐怖だと身震いするマコちゃん。
何て危機感がない子だろう。しかも間近に迫っている危機に気付きすらしていない。
普通に考えれば、ウーロン茶にアルコールが入っていた時点で男の子、もしかしたら送ると言い出した子だけが計画したのかもしれないが、その可能性を疑うはずだ。
どうして親切な人という表現が出てくるのかしら。
「洸は空手の段を持ってるから一般人と喧嘩する事は禁止されているし、きっと話をしてお引取りを願ったのね」
「え?禁止されてるの?でも私、洸が絶対喧嘩素人って人を殴るの見たことあるけど」
「洸が?全く無抵抗の人を?」
「前触れもなくポカンって」
「本当に?理由はあるでしょ?」
息子は無差別に人を殴るようなならず者ではない。
「うん。私をストーカーしてた」
「…………………」
本当に大変だったのだろうか?と疑うほど軽く言われる。
もっと危機感を持ちなさい!と自分の娘でもないのに懇々と説教したくなる。
鬼塚さんは上が男の子だし、奥さんもいかにも男の子の母って感じだ。マコちゃんやお兄さんが問題を起こすたび
「うちのバカ息子2人が申し訳ありません」
って謝罪していた。
喧嘩するな、怪我するな、友達泣かすなって上のお兄さんと一緒に叱ってきたから、娘じゃなくて息子を持った気持ちになっているのかしら。
「でも洸と仲良くやってるみたいで安心したわ」
マコちゃんに洸は複雑な心境を持っていたみたいだけど、大人になったら昇華されたみたいね。
「仲良しだよ~洸から私の話、聞いてない?」
「うん、まぁ少し」
実は全く話題に出ない。鬼塚さんちのマコちゃん、元気だった?って聞いても元気だったで話は切り上げ。
たまに来る電話やメールにもマコちゃんの名前が洸の口から出てきたことはない。
マコちゃんの話だと洸と仲が良さそうだけど、どうして洸はマコちゃんの話をしないんだろう。
「悪口言ってない…?」
「それはないわよ」
そもそも話しに出てきてないのだから、悪口を言うはずもない。でもマコちゃんは安心したようにほっと胸を押さえた。
「洸はたまに何で怒ってるのか分からない時があるから、ちょっと心配だった」
「そうなの?洸が怒る時ってあまり想像がつかないわ」
「この間は、私のスカートが短すぎるって怒ってたよ」
「……………………」
「あと頻繁に男の子とメールすると怒る」
「……………………」
「男の子と出かけると本気で怒る」
「……………………」
マコちゃんが何気なく話す内容に、しばし沈黙する。
スカート丈で文句を言うって…男の子と仲良くすると怒るって…。
「マコちゃん…」
「ん?」
「マコちゃんはうちの息子とお付き合いしているのかしら」
「…あれ?それも洸、話してないの?」
「初耳だわ」
ベッドの下の料理本はマコちゃんのだったのね。でもそんなところに隠すって事は、マコちゃんのこと秘密にしたかったのかしら。
年頃の男の子が、親に彼女の話をべらべら言う方がおかしいかもしれないわね。
家で問い詰めても息子から聞きだせるのは、最低限かもしれないわ。でもマコちゃんなら教えてくれそう。
「マコちゃん、紅茶追加する?」
「良いの?」
「良いのよ。息子の彼女だし。話は長くなるわ」
マコちゃんは、照れもせずに息子との色々な話を聞かせてくれた。聞いていたこっちが恥ずかしくなってきたわ。
鈍感で天然なマコちゃんと付き合うまで、付き合ってからも息子の苦労が偲ばれる。
帰ってきたら、内緒にしていた仕返しにからかってやろうと思ってたけど、ほどほどにしてあげるわ。




