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こちらQC課 今夜一杯分のお悩みを解決します  作者: 川奈あさ
1話 EC事業部と社内恋愛

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1/6

プロローグ

『会社での悩みはありませんか。今夜、一杯分の悩みを聞かせてください。あなたのお悩み、解決してみせます』


 そんなうさんくさいメールが届いたのは、私が退職する五日前だった。

 送り主は私が勤めているRO(アールオー)ホールディングスから。


「なーにが解決だよ。解決できないから辞めるんだよー」


 呟いた声は呂律が回っておらず、足元はふらふらする。一月の終わりの風は厳しく冷たいけれど、身体は火照っていた。

 今日は私の送別会だった。主役だからと何度も乾杯を繰り返しているうちに、酔いが回っていた。そこまで酒に弱い方ではないが、少し飲みすぎていたらしい。皆と別れるまでは誤魔化せる程度の酔いだったが、歩くごとに酔いが増す。


『心が癒される一杯を用意しています。

 営業時間:毎週火曜日 22時から

 場所:社員食堂

 どなたでもお気軽にお越しください』


 新卒入社してから三年。一度もこんなメールは届いたことがないというのに、退職五日前に届くというのも皮肉なものだ。アルコールも手伝ってふつふつと怒りがわいてくる。送迎会が開かれていたのは、本社の最寄り駅である丸の内だ。今いる場所から五分もすれば到着する。


「一言文句でも言ってやろかな。本社勤務じゃない私は社食なんてほとんど使ったことないもんね。福利厚生の一つのくせにー!」


 酔いから気が大きくなった私は、大股で本社ビルまで向かって行った。


 無事に社食に到着して――そこからのことを覚えていない。

 たくさん泣いた気がする。誰かが話を聞いてくれていた気がする。


「起きて」


 肩を叩かれて目を開けると、黒髪の男性が私をじろりと見ていた。


「え」

「営業時間はとっくに終了」


 はっと身体を起こすと、テーブルに突っ伏したまま眠ってしまっていたらしい。

 部屋の明るさからして、朝なのは間違いない。

 慌てて部屋を見回すと、部屋はかなり広く、白を基調とした部屋にホワイトウッドの机と椅子がいくつも並んでいる。大会議室……とも違う。フードコートのような提供カウンターもある。ということは、ここは……。


「社食?」


 そこで思い出した。酔っぱらってそのまま社食に行ったんだった!


「や……す、すみません……!」

「記憶ある?」


 椅子の前にしゃがみこんで、私を見上げるのは黒髪の男性。

 私より少し年齢が高く見えるその人は、肩にかかるくらいの髪の毛を一つに結び、ラフなシャツ姿で黒いチノパン。ミドリのエプロンをつけている。


「ええと……あまり」

「じゃあ説明しよう。丸岡(まるおか)(さち)さん、あなたはここで働くことになりました」

「え?」


 男性は余裕を含んだ笑みを口元に浮かべ、私の前の席に座った。


「丸岡幸。二十五歳。ROホールディングス・ブライダル事業部・関東支部・営業課。結婚式場エステールでブライダルプランナーとして勤務している」

「もしかしなくても、私が喋りました?」

「そうだね」


 男性は口元だけで笑った。よく見ると目鼻立ちは驚くほど整っていて、俳優でも通りそうな雰囲気がある。


「ここで働く、というのは……? 私は五日後には退職するんですが」

「うん。だから部署異動。昨日のうちに人事部に手配して、退職はなしにしてもらってるから」

「えぇ?」

「次の職も決まってないって泣いてたし」


 酔うと泣き上戸だよね、と学生時代の友人に言われていたことを思い出した。

 社会人になってからは無茶な酔い方はしていなかったというのに……やらかした。


「君は人を幸せにしたくて、ROに入社した。――だけど、職場のやり方に疑問を感じて、退職する」

「はい」


 本当に全部話してしまったらしい。観念して頷いた。


 私はROホールディングスに新卒入社した。


 ROホールディングスは「日常を、豊かに、特別に」という企業理念をもとに、ライフスタイルに関する多角経営を行っている大手企業だ。不動産、ファッションやライフスタイル系のEC事業、外食事業など様々な事業部があり、私が所属していたのはブライダル事業部だ。

 私は結婚式や花嫁に強い憧れを持っていて、「人生で一番幸せな一日を作りたい!」と、誰よりも夢と希望に満ちあふれて入社し、都内の式場でプランナーをしている。


 けれど、思い描いていたものとは違った。


 新郎新婦を幸せにしたい、と思っていたけれど、実際に課されるのはノルマ。売上。営業利益。新郎新婦にいかに高いオプションを売るか、そんなことばかり重視する業務にほとほと嫌気がさしていた。

 本当は仕事をやめたかったわけではない。結婚式の仕事は今でも大好きだ。

 けれど現実と理想のギャップに挟まれて、新郎新婦の前でうまく笑えなくなっていった。高額商品を勧めることができなくなるだけでなく、新郎新婦との打ち合わせ自体が難しくなってしまったのだ。


 上司は気遣ってくれて当面は事務仕事を任された。

 けれど、売り上げを入力しているだけでもうだめだった。


「人が良すぎるんだ」「心がきれいなんだね」「理想と夢は違うよ」


 働くには夢だけでは食っていけない。頭では理解していても、現実についていけない自分が苦しくて、辞めることにしたのだった。

 大手企業をやめるなんてもったいない。どのブライダル会社にいっても利益はついてまわるよ。そう言われたし、わかっている。


 私は、誰のことも幸せにできないかもしれない。そう思うと怖かった。


「――でもここなら、人を幸せにできる」


 私の心を見透かすように、男性はにやりと笑った。


「それにここで働けば、ROをやめなくてもいい」

「あの、食で人を幸せにするって意味ですよね。でも、私。恥ずかしながら料理はまったくできないんです」

「あはは。違うよ。社食で働いてほしいわけじゃない。俺のチームに入ってほしい」


 男性はエプロンのポケットから名刺入れを取り出した。

 差し出された名刺には『ROホールディングス コーポレート部門・戦略事業部 QC 有馬(ありま)(ぜん)』と記されている。


「コーポレート部門……」


 ROはひとつの事業部が子会社化できるほど大きい。彼は事業部に所属しているわけではなく、その上のコーポレート部門に所属している。つまりROの中でエリートと呼ばれる位置だ。

 そこに自分が入る? 意味がわからずまばたきを繰り返す。


「QCは今のところ俺だけ。人手が足りない。俺が欲しい人材は――お人よしで、人に警戒されないような、どこにでもいそうな社員」

「褒められてます?」

「うん、よく道とか聞かれるタイプだよね?」

「……それは、否定しません」


 自分で言うのもなんだけど、私は人畜無害な顔立ちをしている。丸岡という苗字が似合う丸顔で、まるっこいボブヘアで、丸くたれた瞳。かなり親しみやすい顔立ちだとは思うけど……。


「俺はちょうど君みたいな人材を求めてたし、君は職なし。ここでなら、人を幸せにするっていう目的も達成できる」


 と、言われても。事業内容がまったく想像がつかない。


「そもそもどんな部署なんですか。幸せにするっていうのは」

「君もメールを見てここにきたんでしょ? そこに書いてあった通り、ここは会社での悩みを解決する部署だよ」

「悩み、ですか」

「そ。ところで朝飯食べる?」

「朝!!!」


 食堂の時計を見あげると、六時半だった。やばい、遅刻する――と思ったけれど、今日は休みだった。

 朝だと言われてみれば、お腹もすいてくる、気がする。


「せっかく昨日来たのに、俺の一杯を食べずに寝たからね」


 ――今夜、一杯分の悩みを聞かせてください。

 そういえばメールにそんなことが書いてあった。


「ちょっと待ってて。すぐ用意するから」


 彼はキッチンに向かっていく。食堂はオープンキッチンになっていて、ステンレスの調理台が並んでいるのが見える。彼は手慣れた仕草で、大きな鍋に火をかける。昨夜には作ってあったのだろう。すぐに湯気と共に香りが立った。


 彼が運んできたのは、社食の薄オレンジのトレイにプラスチックの深皿。

 中に入っているのは、スープに見える。大きくカットされたキャベツとベーコンが主役のようだ。しっかりと焦げ目がつけられていて食欲をそそる見た目をしている。


「いただきます」


 彼は手を合わせると自分の分を食べ始めた。

 私も恐る恐るステンレスのスプーンを持つ。


 キャベツを一口放り込む。香ばしさを感じてすぐに舌で崩れていく。大きなベーコンはカリッと表面が焦げていて、噛み締めるごとに脂と旨みがじわじわと出てくる。隠れていたにんじんやたまねぎもじっくり煮込まれていて柔らかく甘い。


「味付けが優しい」

「バターで炒めて、少し塩を入れたくらいだよ」

「へええ、コンソメとか使ってないんですね」


 野菜の甘味と、肉の脂の旨みが溶けあい、シンプルなのに味わい深い。それになんだか懐かしい味がする。


「ふう」


 夢中で食べ終わると、彼はにやにやとこちらを見ていた。


「ご、ごちそうさまでした」

「おいしそうに食べてくれてなにより」

「そ、それにしても……! 〝一杯〟ってコーヒーかお酒かと思ったんですけど。〝お椀一杯〟ってことなんですね」


 気恥ずかしさから、早口で話題を変えてみる。


「コーヒーの豆とか、カクテルとかしらないし。夜食なら誰だって作れるだろ」

「そうですか……? 私は料理をしないのでわからないんですが。でも、悩み相談でお椀一杯ってちょっとイメージがつかなかったです」

「悩んでいる人間にはあったかいもの食わせたいからね」


 空になったお椀を見つめる。

 喉を滑り落ちてお腹に積もったあたたかさは、私を芯からあたためてくれていた。


「少しわかる気がします」

「じゃあ、働いてくれる気になった?」

「ま、待ってください! まだ全然概要が掴めてないんですけど!」

「まずはお試しってことで。来週火曜日の二十二時にここにきて」

「そんな適当に」


 薄く笑う彼の瞳は、朝の光に照らされて透き通って見える。


「やってみないとわかんないからね、何事も。マルもブライダル事業の勤務が残ってるでしょ。ひとまずそれ終わらせておいでよ」

「マルって……」

「え、コードネーム? 俺のことも善でいいよ」

「コードネームって……」

「さ、そろそろ出てってくれる? 片付けしないといけないから。社食の人が出勤してくる時間だし」


 善さんは、長い指を出入り口に向ける。優美な仕草だけど、帰れ、ということだ。

 なんてマイペースな人なんだ……!

 もう一言返したいけれど、善さんに社食を追い出されてしまった。

 こうしてよくわからないまま、私の新しい勤務先が決まったのだった。


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