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回顧 二、



 水山朝葉はこうして、入学早々劣等生のラベルをデカデカ貼られたというわけ。


 しかし、そこはさすが家族一同で薦めただけある学校。救済措置も万全だった。


 新年度早々の中間テストは、学校側にとっては、生徒の学力レベルの把握でもあった。

 学力に不安があるとされた生徒には、授業外に予備プリントや補講、教師や専門家による授業進度のカウンセリングがマメに実施される。これは成績が安定するまで必須で、該当の生徒の大半は、例年夏休みが明けるころには追いつけるようになっているという。

 なんとも手厚い指導で、何が何でも生徒を文武両道にしてやるという強い気概と、信念と、サポートヂカラにあふれた学校であった。強い。


「でもそれって、この課題の量をこなせる人だけなんだなぁ~っ!」


 誰もいないのをいいことに、朝葉は声を落とさずぼやいて、頭を抱えた。

 何度も書いては消しを繰り返した藁半紙は黒ずんで、涙と手汗でしわしわになってしまっている。これだけじゃなくて、教科分十枚ずつ残っている。終わりが見えない。とくに数学と英語と理科。最終下校の十七時四十五分まであと一時間半弱。終わるわけがない。


 中学校校舎四階の三分の一を占める図書室の並びには、閲覧室のプレートをかけられた教室が四つほど並んでいる。

 本を読んだり、自習にいそしめるスペースで、各教室には全学年全教科分の参考書が置いてある。第一から第三の数字通り、なんとなーく学年別で使用していたりする教室だ。


 その一番端、他三つの教室より約半分小さい《第四閲覧室》に朝葉はいた。

 スペースの半分を書架で圧迫されて、椅子が数脚と長机が一台ポツンとあるだけの、別名『お救い小屋』とも呼ばれているその小部屋は、本当にヤバい成績の生徒のための部屋と生徒間では認識されている。教師からそこに呼び出されるということはつまり、そういうことなのだ。

 中間テストの結果が出てからこっち、放課後の朝葉はこの部屋に通い詰めている。


 べそべそ鼻をすすりながら、それでもシャープペンシルを動かそうとプリントに向かう。

 国語は終わらせられた。内容のほとんどが漢字と熟語の書き取りと意味の述懐だったので、とっつきやすく達成感があった。厄介なのが残りの教科で、知識不足と時間不足と正解率の低さに度々手が止まって、いっこうに進まない。


 新しい涙が鼻水とともに流れ出そうなところで、ガラリと扉が開く。教室と廊下の明度の差と涙で誰が来たのか認識できなかった。

 なに先生が来たのだろう、教えてもらえるかなと朝葉がぐしゃぐしゃの顔面を上げれば、はたしてそこにいたのは教師ではなく、一人の男子生徒だった。


「うわぁ」


 しかも失礼な。

 目をぱちくりさせていっそ無感動な声を上げた男子生徒。そりゃそう。号泣しながら積まれたプリントに取り掛かってる女子を見たら、朝葉だってそんな反応になる。第一声「うわぁ」は正当。失礼じゃなかった。


「前の廊下を通ったら、泣き声とうめき声がしたから、だれか中で倒れでもしてるのかと」


 しかも親切だった。


「泣いてもいたしうめいてもいたけど、病気じゃないれす……」

「とりあえず鼻かめば?」


 スラックスのポケットから未開封のティッシュを差し出す。訂正、とても親切な少年だった!

 朝葉のティッシュはすでに全滅していたので、ありがたく頂戴する。座したままはれぼったくなったまぶたで見上げれば、彼はまだティッシュを差し出した距離のままそこにいて、ずびずびの声で「ありがとう」と言えば、小さくうなずいた。


「ごめんだけど、だれ?」

「同級生だよ」

「えごめん、全然わかんなかった……」

「うん。おまえ、春からこっち授業中も休み時間もいっぱいいっぱいって感じだもんな」

「ぉあああああああ……」


 まさかの同級生からの認識に、へたくそなねこの鳴き声もどきを上げる。勉強に追われてクラスメイトとコミュニケーションをとれていない自覚があったので、心のやわい場所を針でつつかれたような心地になった。気にしているけど優先順位があげられない現状。こころがくるしい。


「雪森蒼也だよ」

「水山朝葉れす……ずっ」


 『み』と『ゆ』だったら出席番号は朝葉の後ろになる。一学期は出席番号順のまま席替えをしないという担任教師の通達があったので、席順は入学から変わっていない。

 授業中も授業前も周囲に目の行き届かない朝葉が気づけなかったのは、まぁ、「でしょうね」と納得しうるものがある。後ろの席から朝葉はさぞ見やすかったことだろう。


「毎日ここで補習してるの?」

「毎日じゃない……けど結果的?に毎日になってる……終わんないから……」

「? 解説がついてるだろう。出来なきゃそれ読んで、次に進めばいいのに」


 プリントと文房具が散乱する机上、裏返しになった一枚を視線で促しながらそう言われ、ぐ、っと息が詰まる。

 そう。補習で出されるプリントには、答えと解説が裏側に用意されている。

 わからなければそれを読めばいい。それはそう。でも。


「解説……読んでも、理解できない……」

「……………」


 理解できなきゃ意味がないのだ。

 わからない問題にぶち当たって、解説を読み、解読し、もう一回やる。スムースに頭に叩き込める手順。でも解説を解読できなきゃ意味がない。


 絶句、といったふうに無言になってしまった雪森にへらりと力なく笑う。もうわらうしかねえ。


「泣いても笑っても投げ出しても、ここでがんばらなけりゃいけないんだよね」


 でないと、家族の期待を裏切ってしまう。



 家族が朝葉の性質をさんざん心配してこの学校に放り込んだことは、惨憺たる中間テスト後のお説教でとくとく聞かされた。自覚するところがないわけではなかったので、そこまで心配をかけていたのかと、子ども心にショックだったのだ、これでも。

 なので、今の朝葉の目標は、この環境にしがみつく……もとい、落第せず高校まで進学してきちんと卒業することなのだ。しょっぱなからつまづいてしまってるけど。



 だから先が見えなくて泣いてもべそかいても、わからなくてもできてなくても、こうして課題に向きあっているってわけ。



 涙でしぼしぼする目元をすでにじっとりしているハンカチで拭って、手元のプリントに目を落とす。ひとつも進んじゃいない。

 人と話して少し気分が落ち着いたのか、わからないはわからないが、とにかく手を動かそうという気持ちにはなれた。泣いたせいかも知らん。

 勢いを付けるためにだみ声のうなりをあげる。


「あ゛あ゛―……どうして先生たちは物量で攻めてくるんだろう……」

「そりゃ、キチンと学んでほしいからだろう」

「うん?」


 返事があるとは思わなかったので、ひっくり返った声が朝葉の喉からもれた。

 あまりの朝葉のポンコツっぷりにドン引くか呆れるかしていると思われた雪森の方を向けば、馬鹿にするでも見下げるでもない静かな顔で、積まれた穴だらけの解答済みプリントの束を検分していた。いつの間に近づいたのか、朝葉にはわからなかった。


「勉強の習慣は最近から?」

「あ、はい。ここ受けるって決めてから、塾で」

「家庭学習の習慣はなし?」

「お恥ずかしながら……塾行くまで家で教科書開いたことなかったなそういえば……」

「完全塾頼みか」


 淡々と質してくるので朝葉もつい素直に答えてしまう。

 一通りプリントを流し見た雪森は、ひとつうなづいてシンとした目で朝葉に向き直り口を開いた。


「勉強の目的が違うんだ」

「はぇ?」


 深夜たまたま見たアニメの女の子キャラクターのような声が出た。思っていた方向とは違う向きから発せられた内容に、理解が追い付かなかったので。


「おまえが行っていた塾は、いわば受験のための勉強で、試験で良い点をとるためのポイントやテクニックを重点的に学ばせる。学校の勉強はそうじゃない。知識の蓄積、定着、習熟。この学校は特にそこに焦点を当ててる」

「ちくせき、ていちゃく、しゅうじゅく……」

「塾が悪いっていうんじゃない。試験の受け方にコツがあるのは確かだしな。でも、これから先、今の塾の勉強方法ではこの学校の勉強にはついていけないから、先生方ははじめに軌道修正しようとしているんだ、と思う」

「はぁ……」

「テストでいい点を取ることも大事だが、中身が残らなきゃ意味がない。一過性の知識は忘れやすい。確実に身にするためには、地味だが繰り返しが最も効果的で、最初が肝心。この学校の先生はそれをわかってるから、まずとにかく回数をこなさせて、知識の定着と学習の習慣をつけさせようととするんだ」

「はぁー……」


 なるほどね、なるほど、なる、ほ、ど……?

 頭の上にでっかい疑問符か浮かんでいるのが見えたように、雪森は説明口調をやわらげて肩を下げた。


「でもおまえは、何がわからないかもわからない状態だしなぁ」

「ぐぅ」


 お言葉の通り過ぎて顔の中心にぎゅっと力がこもる。くしゃみが出そうで出ないしわくちゃのパグの顔で反論もできずにいると、雪森は机の上のプリントをすべて集めてそのままスタスタと出入口へ向かった。

 同級生の突然の挙動に朝葉はぽかんと見送ってしまった。教室を出たところで振り向いてこくりと首をかしげる。


「何してるの、早くおいでよ」

「いや何してるのはこっちのセリフなんだが???」

「理解できない勉強に意味がある?」

「あがっ……」


 急に切れ味鋭くかえしてくるので二の句が継げなくなった。それを言っちゃあこの時間が無駄になっちまうんだよ。無駄にしないためにがんばってる最中で、でも理解が追い付けないからできなくて、できないなら結果的に時間の無駄で……? あれ合ってる???


 朝葉は、頭がパーンした。


 ただでさえ中学受験からようやく酷使され始めた頭。合格後の春からこっち、進度の早い授業に加えた追加課題であっぷあっぷと溺れがちで、そこにさらに『出来ない』というバイアスによって心情的にも多大な負荷がかかっていたものだから、それらが全部無駄かもしれないという可能性に脳みそは一時的に思考停止したのだった。


 急に動かなくなった朝葉をものともせず、森雪はマイペースに室内に戻って彼女の手を取ると、そのまま引っ張って歩き出す。

 なされるがままの朝葉がはっと気が付いたときには職員室の前で、制止の声を上げる前に森雪は中へ入っていった。朝葉の手を引っ張ったまま。






 情けない初邂逅。



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