回顧 九、
新成人の皆様および読者の皆様、新年おめでとうございます。
今年も拙作を楽しんでいただければ幸いです。
今話、朝チュン程度の夜のにおわせが入ります。とばして次話にいっても平気です。
おおまかにまとめれば、酩酊して距離感誤った朝葉はぱくりといかれてしまいました。
「あ」
「あ」
プシューと扉が閉まって横を向いたら、今日見た顔がいた驚きに、朝葉も森雪も同じ顔をして見合わせた。
そのまま動き出した電車の慣性に酒の入った足は耐えられず、朝葉がよろめいたところをコートの腕をつかまれ支えられる。
「ありがとぉ……」
「ずいぶん飲んだんだな」
「うん、そう。森雪君は飲めた?」
「そこそこ楽しんでたよ」
「え、うそだ見かけるたびに違うお酒干してたのに??」
「そう言う水山さんはいろんな人にかまわれてたね」
静かに笑って、つかんだ腕を引いて空いた席に朝葉を押し出し自分も隣に座った森雪は、顔色も変えずしゃんと背筋を伸ばしていて、ついさっき二次会まで酒をたしなんでいたのが嘘のようだった。
成人の日の終電は、朝葉たちと似たような目的の新成人で人が多かった。空席を見つけられたのは運がいい。最寄り駅まで立っているのはしんどいなと思っていた朝葉は、スマートに着席できて素直によろこんだ。酒のおかげでいつもの倍ご陽気で、いつもの三倍あけっぴろげになっている。
「一次会、すれ違いざまにちょろっとあいさつできただけだったねぇ」
「なんとなく高三のクラスで固まっていたからね」
「ね。あのねぇ森雪君、私、ちゃんと大学生やれてるよ」
「自己申告? そうみたいだね」
「みんなねぇ、信じてくれないの。ひどくない?」
「ちょっと気持ちはわかるんだよなぁ」
「森雪君までそんなこと言う……」
えーんとわざとらしい泣き真似をすればくすくす笑う。在学中は見なかった笑い方に、朝葉は森雪もちゃんと酔っているのだとなんだかうれしくなった。
迷惑にならない程度の声でぽそぽそ会話が続く。
「きれいな飲み方していたね。誰かに教えてもらった?」
「うん、ゼミのねぇ、先輩が自称酒カスでねぇ。自分の目が届いてる範囲では未成年飲酒も強要も絶対許さん、酒は笑って飲んでこそ! て人でね。先輩が仕切る飲み会は安心安全だから」
「愉快な人だな」
「ゼミの人たちも面白い人たちでねぇ、みんな酒カス。教授も酒カス。だから飲み会楽しい」
「いい人に囲まれているようで何よりだよ」
「うん。初飲酒の席で、パッチテストから初心者おすすめのお酒からチェイサー挟むタイミングから、どこの学部のあいつは酒癖が悪いとか、トラブル防止に気を付けてなきゃいけないふるまいも教えてくれてぇ。限界を知るための宴では次の日死んだけど、二日酔いってしんどいってわかったから飲み過ぎない教訓にはなった」
「へぇ、今はどんな感じ? 酒量的には」
「ん~、明日しんどそーな感じ?」
「わぁ。飲みすぎだね。大丈夫?」
「だって楽しかったんだもーん」
「おれも水山さんがみんなにかまわれてるの、懐かしいなって思いながら見てたよ」
「お、見物料とろうかな」
「ぼったくりかな」
「そのお金でお酒を買おう。で、一緒に飲み直そう」
「まだ飲む気? 明日しんどいんでしょ?」
「だって森雪君とおしゃべりするの、ほんとにうれしいんだもん」
「……え」
「一次会でも二次会でもそんな話せなかったし。偶然とはいえこうしてお話しできてうれしいし楽しい~」
会いたかったよ、今がんばってるのを森雪君にきいてほしかったんだよ、とぽやぽやにこにこうふうふ笑う朝葉をまじまじと見、沈黙ののち森雪はふかーく息を吐き、困ったように相貌を崩した。学生時代この顔をよく見ていた朝葉は、当時の面影に懐かしさと親しみがよみがえってきて、ますます気が緩む。
電車の中はほどよく暖房が効いていて、揺られるリズムにあわせてとろとろと睡魔が忍び寄ってくる。眠らないよう必死な朝葉に森雪も会話で意識を保たせようとしてくれるのがわかった。
酔いのご陽気と眠気にまかせた高校生のころのような会話は朝葉の最寄り駅につくまで続いた。名残を惜しんでホームに降り立てば、するりと並ぶ影。え、と振り仰げば、森雪が隣に立って朝葉を見下ろしていた。同時に電車が出発するメロディが鳴る。
最終電車が出てしまった。
「……行っちゃったんですけど?」
「だね。水山さんポヤポヤして危ないから、家まで送るよ」
「ん? でも、最終??」
「歩いても帰れる距離だから大丈夫。行くよ」
「んんん? なら、いい、のか?? な???」
ふくろうのように首をかしげながら改札を出、促されるまま道案内し、一人暮らしをするアパートまでの道のりをえっちらおっちら歩く。
あれもこれもとすすめられるままちゃんぽんしたせいか、ここでいよいよ酔いがまわってきて、朝葉の足取りはあっちにふらふらこっちによろよろとおぼつかない。すごい、森雪君こうなることわかってたんかな、なんてぽやけた思考がよぎる。
「森雪君はなんでもおみとーし……」
「おい寝るな寝るな、目を開けろ。足を動かしてくれ」
千鳥足の朝葉の腕を引いて、ふわふわな説明を解読しながら歩く森雪は少しの呆れを目に宿しながら、しっかり朝葉を送り届けた。
学生が独り暮らしをするにはちょうどいい1Kの朝葉の城。振袖の着付けのために朝四時起きだったので、掃除もできていないがこのまま森雪を歩いて帰すのは忍びない。
「休んでってくれぇ……寝てってもいいよぉ。部屋のものは好きに使って好きに過ごしてくれぇ」
冬の冷たい夜気で保っていた朝葉の意識は家に着いたとたんとろけてしまって、今にも床で寝落ちしてしまいそうな様子だった。
なけなしの根性で踏ん張って部屋の暖房をつけ、コートを脱ぎ、玄関の扉を開けたまま動く気配のない森雪を振り返る。
ひょうひょうと凍て風が吹き込む暗がりの中、しん、とたたずむ森雪がいた。
「――誰にでもそういうこと言うの?」
「そういう……?」
「不用心じゃないかな。おれ、おとこだよ?」
「??? 存じておりますが」
「年単位で再会したおとこを、こんなに簡単に家に入れちゃ駄目なんじゃないかな」
「????? でも、森雪君だし」
「おれでもだよ」
大粒の霰のような冷たくかたい声は初めて聞いたように思えて、朝葉はぽかんと暗闇に切り取られた輪郭を見返した。
かたくなに玄関の外から入ろうとしない森雪は、でもそこから動こうとするでもない。あわいの上に立ち、何かを決めかねているような、かすかな戸惑いがあった。
が、そんな森雪のようすをべろんべろんの酔っ払いが繊細に察せるはずもない。
「なんでもいいから、入ってよ。そこじゃ寒いでしょ」
朝葉はよたよた数歩の距離を縮め、だらりと下がった森雪の腕をとり、引っ張った。それが合図となった。
一歩、部屋に踏みこんだ森雪は、朝葉から目を離さなかった。いつもしんと静まり返ったまなざしの奥にともった熱を朝葉が気づいたときには、朝葉の息は森雪に食べられ、言葉は呑み込まれた。
ずいぶん酒臭い人生初ちゅーだな、などと余裕こいていられたのはその時までで。
あれよあれよという間にベッドに寝かされた朝葉は、抑え込んでいるふうでもないのに抵抗できない体格差だとか、力の彼我に、森雪の言った「おれもおとこ」をまざまざと感じた。
そんな朝葉の様子をじっと観察していた森雪は、そこでまたとどまって、あぐねるように見下ろすばかりだった。
たぶんここで朝葉が「いやだ」と一言でも言えば、彼はすんなり上からどいて、いつもの表情で「こうならないよう気を付けるように」なんて忠告一つ残してそのまま出て行ってしまうのだろう。
それは嫌だな、と酒精にひたひたに浸かった頭が、自分を囲う森雪の腕にそうっと手を添わせる。かみ合った視線を外さずに、朝葉は小さく口を開いた。
「いいよ」
――流されたことは流されたのだ。酒と雰囲気に。
森雪ともう少し一緒にいたい、という理性より先んじた願望が口をついて体が動いた。
恐ろしさはなかった。朝葉の性知識は学校で習った保健体育と、酒の席で聞いた猥談程度だったのだが、そんな乏しい知識でもわかるくらいには、森雪の行為は丁寧だった。朝葉をよく見て、朝葉の嫌がるような真似はしなかった。ことさら饒舌になるでも、無口になるでもない。始まる前の躊躇は何だったのだというくらいいつもの通りで、でもほんの少しだけ、たのしそうだった。森雪の下でとろけたバターのようになった朝葉は、時折好奇心が勝って反撃したが主導権は握れず、結局なされるがまま堪能された。
あさまだき。残った酩酊と睡眠欲が混じった九割寝ぼけた頭が最後に記憶しているのは、朝葉の髪にさしこまれ毛づくろいでもするように梳かされた手のひらの厚さと、何ごとかつぶやかれたささやかな声。内容は覚えていないそれに「うん」と相槌を打ったこと。
そこで暗転。
昼過ぎに目が覚めた時には、もう森雪の姿はなかった。
書き置きも気配も何もなく、朝葉の体にだけ痕跡と、宿酔いの頭痛と吐き気を残して。
やっちまった朝葉の巻。
ちょっとずつちょっとずつかみ合ってしまったんですね。タイミングとか息とか気持ちとか諸々。
何か一つでもずれるないし外してれば、朝葉は三途の川で困ることはなかった。
酒をたしなみ始めの新成人の皆様も重々お気を付けください。酒の失敗は怖いですぞ(沈痛)