三途の川で、自分が契った相手が人でないと初めて知る女。
〇 あらすじ(まずこちらをお読みください)
「渡れない?」「さようでして」朝葉は死後、三途の川原の渡し舟で乗船拒否の憂き目にあう。きけば、『ハジメテのお相手に背負われて渡る』なんていう俗説に相当しているという。しかも相手が生者で人間じゃないとかで、まったくもってややこしい事態。この先何年、何百年になるかもわからない時間、三途の川原に留め置かれる羽目になる。こうなっちまったからにはしょうがねえ。しかし、自分が体を許したあの人は本当に人外だったのだろうか?少しずつ記憶を紐解いていく。
楽観的で流されやすい女とそんな彼女がしらないうちに唾つけた人ならざるモノの、手遅れ感満載、来世に期待茶話。
ゆっくり更新になると思います。よろしくお願いいたします。
反応をいただけたら作者が小躍りをしてよろこびます。よろしくお願いいたします。
「渡れない?」
「さようでして」
お役人は土気色の額に浮き出た大粒の汗をまっ白いハンカチでぬぐって告げた。
朝葉はぽけっと口を開けて、その言葉を咀嚼する。一、二、三。
「え、なんで?」
意味が分からなかった。
ここは、死後の世界の三口目。三途の川原の渡し場である。
水山朝葉は死んだ。三十代前半、早すぎる死だった。
坊さんの読経と家族の嘆きをバックコーラスに、気づいたら険しい山道をえっちらおっちら歩いていて、きれいな花畑を過ぎ、砂利石の川原にたどり着き、そこでここが彼の世――三途の川だと知ったのだ。
だって、『ようこそ! 三途の川原 渡し受付はアチラ』と書かれた巨大な看板がそびえていたので。フチを電飾でド派手に飾られた看板はビッカビッカに輝いて、遠目にも目立っていたので。
川に沿って歩いていけば、さびれた区役所のような趣の四角い建物に、どこからともなく現れた人? 魂たち? がぞろりぞろりと入っていく。
入り口の横にはすすけた木の板にヒョロヒョロの文字で『受付』と書かれた表札。朝葉も人の流れに乗って建物に入り、意外と広い中に驚き、銀行の窓口のようにずらりと並ぶ受付口にまた驚き、入り口で受け取った整理券に昨今は彼の世もシステマナイズされてんなぁ……と感心し、ぽけーっと順番を待ち。
ようやく呼ばれたと思ったら、受付のお役人に待ったをかけられた。
一人目のおねえさん「…………少々、お待ちください」
二人目のおばさま「……おまたs………しょう、しょうお待ち下さい。今、別の者を呼んで参りますので……」
三人目のおにいさん「あ、ああ~……ハイ。かしこまりました。少々お待ちください」
三人目が分厚い帳面を取り出しベラベラベラ! と高速で捲り、止めたページを指さしながら読み込む長いような時間。
――役人さん、交代するたび瘦せ細ってくなー不健康で親近感。
――黒スーツ黒ネクタイって喪服だよね。彼の世の制服?。
――でもあの法被はどういうセンスなんだろ? 『わたし うけつけ』ってなんでひらがな……あーこどももいるからか。かなしい。でも祭りの時の田舎の商工会議所のおっちゃん感出てて、まぬけでいいのかな。親しみやすさの演出?
そんなどうでもいいことをつらつらボケーっと考えているうちに、三人目のお役人はふぅーっと深いため息をつき、スラックスのポケットから角のそろったハンカチを出し、滲み始めた汗をふきふき「申し訳ありませんお待たせしました」と前置きしての、渡れない発言だったのだ。
受付で話すのもなんですので、と受付の奥、パーテーションで区切られた個別スペースに連れていかれる。頭に疑問符しか浮かばない朝葉。言いづらそうにあーえー唸るお役人が土気色の顔で「まずですねぇ……」と切り出す。
「死後の魂の行き場ってなぁ、おおよそ弔い方で方向が決まるんで。神葬祭なら祖霊として祀られ、キリスト式だったら審判の門へ、てな具合で」
「ふんふん」
「アナタ、水山朝葉さんは仏式で送られたので、ここ、三途の川までたどり着いた。ここまではよござんすか?」
「はあ」
「渡し賃も十分お持ちですし、アチラにお渡りいただくのに何ら過不足ないのですけども。そのぉ……あのですね~……」
お若いお嬢さんにこんなこと申し上げるの、昨今のコンプラ的にアウトなんですけどぉ、と視線をうろうろ汗をふきふき。二十五を越えてからお嬢さんなんて言われたことがなかった朝葉は、彼の世のお役人て人間的にいくつくらいなんだろ? なんて明後日なことを考えていた。ちゃんと聞きなさい。
「女性が三途の川を渡るとき、いわゆる『ハジメテのお相手に背負われる』なんて俗なオハナシ、ご存じありません?」
大戦ごろに流行った俗説なんですけどもぉ。語尾が次第に小さくなる。もちろん朝葉はご存じないので、首を傾け続きを促した。
「信仰されるということは、それだけ『力』になったりするもんでしてぇ。迷信が本当になっちゃったりとか、ママあったりするんですね。該当する迷信も人もあったりなかったりでして。今回の場合ホラ、女性のほうが先立ったり、お相手が成仏済みだったり、そもそも男の介錯なんぞ要らぬ! 船を出せ! ってお人も多いんで。昨今でしたら全体の五分でもいれば多いほうでしてぇ、ハイ。」
うちの母と姉は男なんぞタイプだなとぼんやり思いながら、お役人がつらつら語るところを考える。
まぁ、確かに。他人に己の極個人的な部分を知られているというのは恥ずかしいし、いい気持ちはしない。でも過去のことだし。もう死んでるし。今更という文字が脳裏にでっかく浮かんできたので気にはしない。
が、過去の行いが原因で立ち往生というのはちょっと、困る。大問題である。
「私の人生長くはなかったし、音信不通とはいえ森雪くん……彼が先に死んでるとかしてたらさすがに耳に入ったと思うし。そういう俗説があるのはそれはそれでいいのだわ。で? 私も船でいいんだけど、なんでここに留め置かれてるわけ? 聞いてると、結局その迷信は本人の自由意思っぽいけど、その辺は?」
「そぉ~なんですよ、自由意思。まさしくその通りでございまして。肉のくびきから解き放たれた魂は自由なハズなんです! ですがね、何事にも例外というものがございまして」
スン、とそれまでの情けない勢いをなくすお役人。表情がなくなるだけで、骸骨に皮張って目玉をはめ込んだような土気色の顔は異様な雰囲気になる。
「要は、魂に予約が入ってる状態、とでも申しましょうか。カミの供犠として供された魂や、二世の誓いをした男女なんかわかりやすいですかね? わかります?」
「わからん。つまり、どういうこと?」
「んん~、どう申しましょう……。生前から魂に唾つけられてた?」
「んん?」
「こう、ですね。こいつお~れの! ってなもんで、自分のものには名前を書きましょう的な? アナタの魂に所有印というか署名というかが、入ってる状態というかぁ?」
「んん~~~~~~???」
途中から真面目な空気をぶち壊す戯けた身振り手振りの説明に、つられて真面目に聞いていた朝葉も盛大に顔面を崩した。
「いや、これ、誰にでもできるわけじゃないんですよ~。摂理を変えるほどの強い思いか、お力のあるカミとかあやかしとか、そういうノでしか他人の魂に名を刻むなんてできないわけでして。ある意味レアですよぉ、レア!」
「いや、そんな人外が知り合いにいた記憶ないし、そもそも私の初めての相手は人間だから。私は人間以外の知り合いいないから」
「それがですねえ、あなたの契ったお相手、人ではないのですよ」
「は?」
は?
息が止まる。いや死んでいるから息はしてないのだが。
そんなわけないと一笑に附するには、三途の川原で乗船拒否なんていう意味不明で理解しがたい状況が許さない。嘘でしょ。まじか。あの人、人間じゃなかったの?
「マ、マ、稀によくあることです。こういうときは、お相手さんがサッサカ連れてってしまうのが多いんですけど、あなたの場合ここまで来ちゃったからには、そうじゃなかったということで。いやねぇ、魂に直接手を加えられちゃうとねぇ、こちらとしても対処がむつかしいというかぁ」
困っちゃいますよねぇ、なんてお役人は苦笑い。そのひきつった口元を見て、死後どこかぼんやりとしていた意識が、ここにきてふつふつと覚醒し、瞬間湯沸かし器のごとく沸騰した。かんしゃくを起こしたともいう。
「くっっっっっっそがぁ……あいつ、ドコのもんじゃぁ?! 教えろなさい!!!」
「あああぁ~っご無体はおよしになって~! ダメなんですよ~、今は彼ノ世も此ノ世も個人情報管理には過敏なんです~!」
安らかに彼の世にも行けんのか! と激昂のまま身を乗り出し胸ぐらつかんでガクガク揺さぶれば、ビブラートをきかせて抗弁するお役人。ごもっともだがお役所仕事の返答である。
マ、マ、マ、落ち着きなさって、とハンズアップで怒れる朝葉を鎮める手腕は手慣れている。手に込めていた力がふっと抜けた隙に、素早く距離をとるのもうまかった。お役人の手練れ具合に社畜の片鱗を見出した朝葉はなんだかちょっと共感してしまって、しょっぱい顔になる。まったく、彼の世も此の世も本当にせちがれえ。
「とにかくあなたは、お相手さんが彼ノ世にお迎えに来るまでここ、三途の川原で待機、という処置になります」
乱れた法被の衿をピッと直しながら、お役人は納得しがたい顔の朝葉に薄ら笑いを向ける。
「お相手さんが来るのが先か、あなたの魂が擦り切れてしまうのが先か。何十年、何百年になるかはわかりませんが……マ、マ、ご健闘をお祈り申し上げます」
こんなに聞きたくないお祈りの文言、就活以来だ。朝葉は気絶できるなら気絶したくなった。できなかったけど。
なにせもう死んでるので。
気の遠くなるような時間、三途の川で待ちぼうけ。