9.思い違い
昨日、この九話を間違って八話として投稿してしまいました……。
リニューアルされて初めて投稿したので、修正の仕方が分からず手間取りました。
大筋は変わらないのですが、多少修正しています。
リアルタイムで読んでくださっている方、本当に申し訳ありません。
二大公爵家の当主と言えば、国王と変わらない存在だ。そんな人が、窮屈そうにエシルに頭を下げて謝罪した。
普通の人に対してだってありえないことなのに、国公認のサンドバッグともいえるエシルに謝ったのだ。驚かないわけがない。
「…………えっと……、…………えっと……、国王の非を認めたってことでいいですか? 三年前に私に罪をなすりつけ『邪悪な闇の精霊の愛し子』にしたことと、今回の脅迫を……。私の作り話ではなく、真実だと思っているのですか?」
「当然そうだ。エシル嬢には辛い思いばかりさせた」
「!」
信じてくれたことは驚くが、単純に嬉しくて心の奥からじんわり温かさが広がる。そう思う反面で、何かの罠だから決して信じるなと冷静な警告が脳内に鳴り響く。相反するこの二つの気持ちだけで、エシルは爆発寸前だ。
いつだって冷静で、顔色一つ変えずに魔獣の首を飛ばす英雄。
仲間や国民を見捨てて、安全な場所に逃げた腰抜け。
精霊樹だけに忠誠を捧げた変人。
国王なんかに尻尾を振る腐った公爵。
ネイビルについて回る呼び名は色々あるけれど、目の前のネイビルにはそのどれも当てはまらない。
「俺の直属の部下に、ダンスールを保護するように指示を出した」
「えっ?」
「手紙を使わなかったのは、王城の使用人が信用できないからだな?」
「信用できないというか……。ただ単に私の頼みなど聞いてくれないだけです」
「そうか、そこもまた確認していなかった。重ねて申し訳ない。全てが十二分にあり得ることなのに、俺はその全てを見落とした……」
ネイビルの落胆ぶりは本物だが、だからといってやっぱり簡単に信用できない。
ネイビルは、二大公爵家の一人で王太子の側近だ。エシルが最も気をつけないといけない相手の一人だ。
「そんな怖い顔で睨まなくても、俺を信じてくれなんて言わない。ダンスールを助けるのは、エシル嬢への脅迫に気づけなかった罪滅ぼしだ」
「……監禁場所が、変わるだけなのでは?」
疑り深いだろうか? だが、王家はエシルを人間扱いしていない。いくら命の恩人であっても、ネイビルは王家の仲間だ。
「まぁ、そうだな……。俺がエシル嬢でもそう思う」
ネイビルは頬の傷跡に手を置いて、考えている。
「ダンスールは、俺の屋敷に保護する。二人の手紙を、俺が毎日届けるのはどうだ?」
「……毎日……?」
エシルとダンスールには、二人しか知らない暗号文字がある。それを使えば、読まれることはないし書き換えにも気づける。とても魅力的な提案ににやけそうな顔を、エシルは両手で隠した。
ネイビルを信用してはいけない。そんなことは考えるまでもなく分かっている。でも、エシルには助けを求められる相手がいない。自分の力だけでは、危機を伝えることさえできない。
ダンスールを助けたいのなら、何でもいいから機会を逃すべきではない。エシルの周りにはリスクしかないのに、今更何を恐れる?
「毎日の手紙は魅力的ですが……、諦めます。保護したら、ダンスールを国外に逃がしてもらいたいです」
「……そう簡単に国を出るとは思えない」
「今から手紙を書きます。そうすれば、気持ちが変わるかもしれない」
死に戻ったと言えば、もしかしたら……。希望を持つエシルに、ネイビルの表情は険しい。
「城に来る前にも、国を出るように言ったんだろう?」
エシルがうなずくより早く、「でも、拒否された」と言われてしまった。
「人質が逃げ出せば、エシル嬢に危険が及ぶからな」
ネイビルの言う通りだった。エシルがいくら怒っても泣き落としても、ダンスールは「せっかくだから、コクタール家に養ってもらうよ」と笑って譲らなかった。
コクタール家に冷遇されることも、同郷の飄々とした友達にも会えなくなることも分かっているのに……。ダンスールもエシルの命を選んだのだ。
「何としてもダンスールを助けてください! 私には差し出せるものが何もないですが、王家にされたことは絶対にしゃべりません! まだもっと必要なら、どんな罪をなすりつけられたって文句は言いません! 私が死ねば安心するのなら、それでも構わないです! だから、お願いします!」
今度はエシルが膝に額をこすりつけるように頭を下げた。
悔しいけれどエシルにできることは、頭を下げることと生贄として利用されることだけだ。
あまりの役立たずぶりに泣きそうだが、今は泣いている場合ではない。ダンスールの命がかかった正念場だ。エシルは全身にぐっと気合をこめたというのに、ネイビルにやすやすと身体を起こされてしまった。
無理やり顔を上げさせられた先には、ネイビルのアイスブルーの目があった。相変わらず冷たい三白眼だけど、どうしてか怖いとも冷酷とも思わなかった。
「最初に言っておく。俺は王家に忠誠など誓っていない。俺が守るのはクソ王家ではなく、精霊樹だけだ。そして、今からエシル嬢とダンスールも守ると決めた」
ネイビルの忠誠は精霊樹だけに向いている。
妙にしっくりとくる言葉に、エシルは目の前を覆っていたもやもやが晴れるほど腑に落ちた。
「エシル嬢は、これ以上自分を貶めるな! 決して命を簡単に手放すな! いいな!」
いつも以上に恐ろしい顔だが、エシルを心配しているのが分かる。分かるけど、エシルには受け入れられない。
エシルだって自分を貶めたいわけじゃないし、死を望んでいるわけではない。
それなのにエシルはいつだって勝手に貶められてきたし、勝手に殺された。
挙句の果てに、王家の仲間かもしれないネイビルの手を借りないとダンスールを助けられない。死に戻ったところで、エシルが出がらし令嬢で出来損ないなことに変わりはないのだ……。
「今後どうするかは、ダンスールの意見も聞いて考えよう。絶対に悪いようにはしない」
ネイビルは愛し子たちを、調査資料上でしか知らない。
資料によるとエシルは、大人しく従順な人間だったはずだ。そんなエシルが今、湧きおこる怒りをコントロールできず、必死に歯を食いしばって抑え込んでいる。
エシルがどんな目にあわされているか、ネイビルだって知ってはいた。だが、彼の中の優先順位にあがってくることはなかった。
言い訳にしかならないが、ネイビルが魔獣討伐の任を離れたのは一年前だ。この一年は精霊樹のことで特に忙殺されていた。国王と王太子の動向だって見張っていたが、たいしたことができるはずがないと馬鹿にしていたところもある。
最も国に翻弄されているエシルのことを見落とすなんて、軽んじていたとしか言えない。
ネイビルの怒りの対象は、国王や王太子ではない。自分だ。
「ダンスールだけじゃない。エシル嬢のことも助ける。失われたものだって、必ず取り戻す!」
「……貴方たちは……、いつも勝手なことばかり言いますね」
うんざりした顔でエシルに冷笑され、ネイビルは怯んだ。獰猛な魔獣にも真正面から突進していた男が、痩せた陰気な女に気圧されている。
「愛し子なんかになってしまったせいで、たった一つの希望を奪われました。大切な人を人質にされ脅されました。その上、国を滅ぼす極悪人と罵られながら、どこかの僻地に押し込められて、死ぬのを待つだけの人生を生きろと言う。貴方たちが私に望むことは、随分と傲慢な話だと思いませんか?」
魔獣に頬を抉られた時よりも、背筋が凍る。人の心を読むことより剣を使うことが楽だったネイビルでも、自分の失言に気づいた。
前髪の間からネイビルを睨みつけたエシルは、「もともと何も持っていませんから、失われたものも、取り戻すものもありません。ダンスールが無事でいてくれれば、それでいいんです」と吐き捨てた。たじろぐネイビルに、「ですから」と続ける。
「私が自分の命をどう使おうと勝手です。貴方の指図は受けたくありません」
エシルの声は静かで冷静なのに、全身から怒りと拒絶が感じ取れる。
「私が死ねば、ダンスールは私から解放される。私が死ねば、ダンスールはこの狂った国から出ていける」
心の叫びを淡々と声に出し、エシルは「どうせ死ぬなら、もう無駄死にはしたくない」と呟いた。
一度死んでから、ずっと頭にこびりついていた。
エシルが一回目のように殺されたのでは、国の秘密を知るダンスールは解放されない。人質という役割がなくなれば、必ず口を封じられる。
そんな未来は、エシルが望んだものではない。
「わたしにとって、ダンスールの役に立って死ぬことは、命を無駄にしていない。この国のためなんかに死んだように生きている方が、よっぽど命の無駄遣いです」
エシルが感情を露わに怒鳴り散らしていれば、ネイビルの気持ちも楽だった。
全てを諦めて淡々と語るエシルを見ているのは辛い。エシルをここまで追い詰めた原因の一端が自分であればなおさらだ。
ネイビルの右手が上がるのが視界に入り、反射的にエシルの身体がびくりと揺れた。
ネイビルの意見に反抗したから殴られるか? 叩かれるか? もう何でも来い! とギュッと目をつぶったエシルの頭に、ネイビルの大きな手が優しく触れた。
ポンポンとまるでぐずった子供を相手にするみたいに、陰気で恐ろしいと言われ続けた黒髪が撫でられた。
何が起きているのかついていけないけど、頭に温かい体温が伝わってくる。その温かさで、荒れ狂っていた心も凪いでいく。エシルは閉じていた目を薄っすらと開いて、ネイビルを見上げた。
目に映ったのは、強面だがとても優しい顔だった。……ような気がする。
「エシル嬢が死ねば解放されるなんて思う人間が、自ら進んで人質になるか?」
「…………」
背の高いネイビルに顔をのぞき込まれ、エシルはアイスブルーの目にのみ込まれた。
答えなんて分かり切っている。そんなことも分からずに空回りしていた自分に驚きすぎて、エシルの脳は活動を停止した……。
「エシル嬢が自分達のために死んでしまった後、ダンスールが国を出たとして、幸せになれると思うか? 彼はそんな薄情な人間なのか?」
「……………………」
ネイビルの声が、エシルの脳内にこだまする。それが心地悪くて、エシルはやっと自分の過ちを受け入れる気になれた。
「家族からも世間からも見捨てられた私を、大切に愛情深く育ててくれた人です。自分のために私が命を捨てたと知れば、私を軽蔑するでしょうね。そして、そんな選択をさせた自分を、ダンスールは決して許さない。解放どころか、一生私に囚われることになる……」
頭の上に置かれたままの手は、またポンポンとエシルを撫でる。懐かしくて、涙が出そうだ。今泣くのは子供みたいでみっともないから、エシルは奥歯に力をこめてネイビルを見上げた。
「ダンスールもよく、私の頭を撫でてくれました。これは、世の男性の基本行動なのですね。懐かしくて、落ち着きます」
「…………」
今度はネイビルがだんまりだ。心なしか、耳が赤い。
ダンスールとしか関わってこなかった上に、エシルは周りから敬遠されてきた。狭い世界にしかいたこことがなく、そんな日常がエシルの常識だ。
「私が死ねば、全てが丸く収まると思いたかったんです。自分の気持ちだけで、ダンスールの気持ちまで頭が回っていませんでした……。私は、また、逃げたんですね……」
一度死んだ。その衝撃が強すぎた。自分さえ死ねば、何もかもうまくいくと思い込んでしまった。そう思うことが、エシルには楽だった。
「ブールート様に文句を言うなんて、完全な八つ当たりです。本当に、申し訳ありませんでした」
エシルが頭を下げても、ネイビルは「気にしていない」と言って頭を撫で続けている。
自分でも柄じゃないと思うし、どうしてこんなことをしているのか分からないが、何となく止めれれない。
「生きていることを無駄だと思い、死ぬことに価値を見出すほどエシル嬢を追い込んだのは、王家や教会だけではない。見ないふりをした、俺も同罪だ」
精霊樹馬鹿とも呼ばれるネイビルに、まさかこんなことを言われるとはエシルは考えてもいなかった。
八つ当たりをした上に罪悪感まで埋め込んだとあれば、大問題じゃないか! エシルはとにかく焦った。
「……えっ? あの! 事の発端は、三年前です! 三年前はブールート家の当主はブールート様ではなくて、先代のブールート様で――」
「ややこしい、ネイビルと呼べ。騎士仲間は、みんなそう呼ぶ」
エシルは騎士じゃないし、そう言われてもとは思うが……、確かにややこしい。
「えっと、三年前……ネイビル様はブールート家の当主ではなく、聖騎士として魔獣討伐の任に就いておられました。そんな過酷な状況で城や私のことにまで気を配って欲しいなんて思ってもいません!」
「いや、俺が三年前に気づいていれば、こんなことにはなっていなかったはずだ。それに、少なくともここ一年のことに関しては俺に責任がある」
未だにエシルの頭にのっているネイビルの手が、別のことに気を取られて重くなった。エシルの身に起きた「こんなこと」と、ネイビルの言う「こんなこと」はきっと異なる。
ネイビルの手が重すぎて、エシルが少し身じろぎしてしまう。それで我に返ったネイビルは頭から手をどけ、今度こそじっとエシルを見た。
「『邪悪な闇の精霊の愛し子』自体が偽りだということも、エシルが罪をなすりつけられたことも、必ず公にする。もちろんそれで、全て取り戻せたなんて思わない。もっとエシルのことを知って、考えるつもりだ」
「……嬉しいお言葉ですが。ダンスールを助けていただければ、それで十分です。私のことは……、自分で何とかします」
まさか断られるとは思っていなかったネイビルは、珍しく口を開いたままぽっかんとしている。何度もエシルを見ては、やっぱりぽっかんとしている。
「自分でとは? どうやって? 具体的に策があるのか? 教えてくれ!」
矢継ぎ早に質問をされて、エシルは固まった。
エシルの優先事項は、ダンスールだ。策なんてあるどころか、自分のことはこのままでもいいと思っている。
「……えぇ……、まぁ、おいおいって感じでしょうか?」
エシルの考えを察知したネイビルの視線が痛くて、「まずはダンスールのことに集中します」とその場逃れの言葉を吐いた。が、ネイビルは容赦がない。
「それは俺が実行済みだ」
そう言われてしまえば、返す言葉もない。
一年と一週間かけてエシルが何もできなかったことを、ネイビルは数分で解決してしまった。
何も持たず、何もできない両手に視線を落とし、エシルはぐっと奥歯に力をこめた。
「人が一人でできることは限られている。周りと協力して臨むべきことも多い。それを見誤っては駄目だ」
「ですが……! 望んだこと全てを、お願いすることはできません」
「どうしてだ? 頼めばいいだろう?」
「対価として返せるものが、私には何もありません」
「協力と言っただろう? 協力は周りに押し付けるのとは違う。聖騎士のように、共に戦うことだ」
「私には協力できる能力もありません」
「そうだろうか?」
「そうです!」
生まれた時から存在を消された陰気で愚かな出来損ない。強がったところで一人では何もできず、ダンスールに頼るしかない。
それが幼い頃からコクタール家や周囲から埋め込まれたエシルの自己評価だ。
「ついさっき、自分を襲った聖騎士をコテンパンに叩きのめしたのはエシルだろう?」
「はぁっ?」
そんな声が出るのも、眉間に皺が寄るのも、仕方がない。
「何を言っているんですか? ネイビル様が蹴り飛ばして、両肩を外したんです。忘れてしまいましたか?」
呆れ果てるエシルに、ネイビルは「身体はな」と言ってのけた。
「俺が言っているのは、そういうことじゃない。あいつが絶対に認めたくない現実と無理やり向き合わせたのはエシルだってことだ」
「何の話ですか?」
ネイビルの言いたいことが、エシルには全く見えない。
だからなのか……、ネイビルはエシルが最も見たくないポーズを取った……。
両手を胸の前に突き出し、下半身は中腰で踏ん張っている。
確かにさっきエシルはこんなバカなことをしたが、魔獣討伐の英雄と呼ばれた強面の男がすることではない……。
「こうやって、あいつを呪っただろう?」
エシルから声にならない悲鳴が上がった。
読んでいただき、ありがとうございました。