8.ネイビルの執務室
投稿を間違えました…
修正の仕方が分からず手間取りました。
読んでくださった方、本当に申し訳ありません。
衛兵に連れていかれる聖騎士の背中が、遠く見えなくなった。
終わったのだと思うと急に疲れが押し寄せてきて、エシルは身体が重くて立っているのも辛い。思わずため息がもれると、なぜかこの場にとどまってくれたネイビルと目が合った。
「助けていただき、ありがとうございました」
感謝をこめて深々と頭を下げたエシルは、さっさと部屋に戻るつもりだった。そのままくるりと背を向けかけたのに、それはネイビルに阻止された。
「話がある」
部下に指示を出すようにそう言うと、ネイビルは後ろも見ずにすたすたと歩いていく。
ついてこいと言うことなのだろうが、正直言って限界だ。疲れ切った身体は、ついていくことを拒否している。
一瞬無視しようかとも思ったが、相手はエシルからすれば雲の上の存在である二大公爵家の当主。その上、現役聖騎士をいとも簡単に倒す力も持っている。おまけに命の恩人だ。ここは素直に従うべきだと、脳が冷静に判断した。
「人払いをしたので、飲み物は用意できない」
ネイビルの執務室に入るなり、そう言われた。
殺されかけたり、下手な三文芝居をして羞恥心で一杯になったり、身体は水分を欲しているけど、エシルの興味は今そこにはなかった。
どこにあるかって、この部屋にある。
こんな地味でけばけばしくない部屋を王城で見たのは、一回目も含めて初めてだ。羨ましすぎて、隅々まで見渡してしまう。
部屋には意味不明な金ぴかの置物もなければ、これでもかと原色を組み合わせて頭が痛くなるファブリックもない。必要最低限の物しか置かれていない、シンプルで落ち着いた部屋だ。もはや凶器とも言える、あれら全てを除したネイビルは尊敬に値する。
あの目立って仕方ない金色の装飾のない壁は、白い。ただ白いだけの、安心の白さだ。その白い壁には、こげ茶色の本棚がぎっしりと並んでいる。見ていると心が不安になるだけで、何が描かれているのか見当もつかない絵画はない。実に羨ましい。
他の家具と言えば、部屋の奥にあるネイビルの大きな執務机。その両脇ある一回り小さい机は、席を外した補佐官のものだ。
執務机とは逆の南側の窓に面した場所にあるのが、応接セットだ。こげ茶色の重そうなテーブルを挟んで、からし色をした三人掛けのソファーが向き合っていた。しつこいようだが、やけにリアルで巨大な芋虫みたいなひじ掛けではなくて羨ましい。
エシルとネイビルは、そのソファーで向かい合って座っている。
シンプルなアイボリーのカーテンから、差し込む日差しは柔らかい。金の装飾に陽の光が反射しない生活は、ここまで快適なのかと涙がでそうだ。
「随分と目に優しい部屋ですね」
思わず漏れたエシルの素直な感想に、ネイビルの険しい三白眼が少し開いた。
「不要なものは置かないことにしている」
「……そんなこと、言ってみたいものです」
またまた思わず本音が漏れ出してしまった。両手で口を押さえたところで、もう遅い。
叱責されると思ったが、ネイビルは何も言わない。いつも怒って見える無表情の強面顔が驚いているように思えて、エシルは首を傾げてしまった。
エシルの知るネイビルは、身体も態度もでかく威圧的で顔も怖い。あの鋭いアイスブルーの三白眼で見降ろされると、鷹から獲物と狙いをつけられた小動物の心境にさせられる。
目の下から顎まで伸びる太く長い三本の鉤爪の傷痕は、討伐の際に魔獣につけられたものだ。この距離で魔獣と戦えて命があるのはネイビルだけだと言われている。
全体に顔立ちとしては精悍な男前なのだが、冷たく恐ろしいという感想が先行する。素の顔が厳つい上に表情が変わらないし、何より笑わないせいだ。ネイビルの表情が緩むことはない。
エシルだって一回目では、評判の通り恐ろしい人物という印象しかない。こんな風に向き合って話をするのは今回が初めてだし、命令以外の言葉は聞いたことがなかった。
もちろん、さっきみたいに助けてもらったこともなければ、庇ってもらったこともない。かといって、理不尽な対応を取られたこともない。
ネイビルは誰に対しても同じ対応をしていた。
ダークブロンドの固そうな短い髪に手を置いて、ネイビルは「言いにくいな……」と呟いた。
眉間に入った皺は深く、不機嫌で怒っているようにしか見えない。しかし、エシルの様子をうかがうように向けられた目は、困り果てているように見える。
「言いにくいって、注意でしょうか? もしかして、『選定の儀』の初日のアイリーン様との件ですか?」
怒られることといえば、今のところそれくらいしか思いつかない。
「まさか……! 彼女に謝罪しろって話ですか? それなら先に、お断りしておきます。」
一回目のエシルなら、自分に非がない状況でもきっと謝った。
だが、謝ったところでどうなる?
教会からの嫌味や嫌がらせはもっと酷くなって、エシルは無抵抗を強いられる。それでは一回目と同じだ。同じ過ちを繰り返したら、ダンスールは助けられない。
「王家の言いなりになって、する必要のない我慢をするのはもうご免です」
ネイビルが最強なのは、さっき見た。二大公爵家としての権力も知っている。こんなことを言うのは、エシルだって座っているのに膝ががくがくと震えるほど怖い。だが、もう王家に屈するつもりはないのだから、二大公爵家だって同じだ。そう開き直った。
やけくそ気味に見返したネイビルは、ソファーから少し腰が浮くぐらい前のめりだった。
ネイビルはとにかく身体がでかいし、顔だって怖い。エシルの体感的には、目の前三センチに迫る強面に「そんな馬鹿なことを言うはずがないだろう!」と怒鳴り声に近い声を出されたも同然だ。
年頃の娘さんが直視したら、泣くだけで済めばいい方だ。九割は白目をむいて倒れている。それなのにエシルは自分でも意外なほどに冷静で、「えっ? 脅し?」とネイビル相手に堂々としたものだ。
焦るあまり怯えさせたと内心焦っていたネイビルは、そんなエシルの態度に目をこすって戸惑っていた。
あんまりにもけろっとしたエシルに、ネイビルの方が力が抜けてソファーに沈み込んだ。
「……エシル嬢と話すのは、騎士仲間と話しているみたいだ」
「…………」
騎士?
青灰色の軍服を着た自分を思い浮かべて、エシルは頭を振った。黒髪で、陰気で、女性としては背が高いけど、身体は細い。どこの角度から見ても、騎士らしい要素は一つも見つからない。ネイビルが言いたいことが、エシルには理解できない。
ポカンと口を開けているエシルを見て、ネイビルも本来の目的を思い出した。
背筋を伸ばしたネイビルは、猛禽類の目でエシルを見下ろした。部屋に緊張感が戻り、空気が冷え冷えとしたものに一転する。
「俺が精霊樹の森に行ったのも、執務室に来てもらったのも、エシル嬢に言っておきたいことがあったからだ」
一回目にこんな展開はなかったけど、どう前向きに見ても楽しい話ではない。机を挟んで向かい合った二人は、まるで裁判官と被告人だ。
「城に来てからずっと、逃亡を企てているな」
「…………」
ネイビルの言い方だと犯罪の匂いさえ感じられ、エシルは言葉に詰まった。ネイビルは疑問ではなく、断定した。確かな証拠に基づいているということだ。
この一週間のエシルの行動は、見張られていたのだろう。彼の中でエシルは犯罪者なのだ。
確かに思い当たる節だらけだけど、エシルにだって言い分はある。
エシルにこんな真似をさせているのは王家や二大公爵家なのに、一方的に犯罪者扱いは許せない! 自分たちのことを棚に上げすぎだ。エシルが犯罪者なら、自分たちは何だと言うのだ! 沸々と湧きだす怒りが、エシルの声を低くする。
「逃亡ではなく、ダンスールに会うために外出したかっただけです」
「従者候補は外出も禁じられている。ルールを犯して外に出ることは逃亡だ」
ネイビルは眉一つ動かさず、けんもほろろだ。
「ブールート様は、私のことを犯罪者だと言うのですね」
「はぁ? エシル嬢のことを犯罪者だなんて思っていない。愛し子が外出することは禁止されていると言っているだけだ」
「外に出ることが危険? 城にいる方が、私にはよっぽど危険だと思いませんか?」
ついさっき殺されかけたエシルに反論できる者などいない。
ネイビルは「論点をすり替えるな」と言いたいところだが、エシルの言葉を聞いて言葉を呑み込んだ。
「決まりを破ってもダンスールのところに行きたいのは、貴方たちが私に嘘ばかりつくからですよ」
ネイビルからの押しつぶすような圧力を突き破って、エシルは勢いよく立ち上がった。
「自分たちは人に罪をなすりつけても、脅迫しても許される。でも、私は……違う。どうせ息をしたって罪だと言って、ダンスールを手にかけるのでしょう! 私にしゃべられるのが怖いのなら、さっさと殺せばいい! 人質を取るなんて、犯罪者以下よ! 人でなし!」
三年前から抱え込んだ不満を爆発させるエシルを、ネイビルは三白眼を見開いて見上げた。エシルの話は、知らない単語が多すぎた。
「……確かに俺は、エシル嬢が罪をなすりつけられても見て見ぬ振りをした。だが、脅迫とは何だ? 人質って? 何のことか分からない」
珍しく混乱しているネイビルに対して、エシルから「今更?」とひどく冷たい声が吐き捨てられた。
「三年前です……。王家は自分たちの過ちを、私になすりつけた。それなのに、その事実を私が暴露するのではないかと勝手に怯えた。いい迷惑ですよ!」
エシルがその真実を叫んだところで、信じる者など誰もいない。王家はそれほどまでにエシルを貶めておきながら、勝手にエシルの暴露を恐れ卑劣な行為を重ねている。
「自分たちのしたことを棚に上げて、『余計なことをすれば、ダンスールの命はないと思え!』国王は、そう私を脅した!」
エシルが愛し子として城に行くことが決まり、ダンスールはコクタール家を解雇されるはずだった。が、王家に懐柔された愚かなコクタール家は、すぐに手のひらを返した。
「『邪悪な闇の精霊の愛し子』は何をしでかすか分からないと、陛下は仰っている! どうしてコクタール家が、お前ごときに足を引っ張られるのだ! どうしてお前みたいな出来損ないが、完璧な私たちの邪魔をする!」
エシルが闇の精霊の愛し子に選ばれた時点で、社交界でのコクタール家の評判は翳り始めていた。その上、王家からも弾かれたのであれば、美貌だけでは生きていけない。
国王から危険分子扱いをされ、コクタール家は怯えた。
「お前が命より大切な、ダンスールは解雇しない。人質として、我が家に置いておく。『余計なことをすれば、ダンスールの命はないと思え!』陛下からのお言葉だ。決して忘れるな!」
父親がそう怒鳴った時、母親がエシルの頬を叩いた。
家付き娘として大切にされてきた細腕の威力など、大したものではない。だが、大きな指輪がエシルの頬を裂いて、ぽたりと床に血が落ちた。
「穢れた血がついた指輪など気持ち悪い!」
母親が投げつけた指輪はエシルの額に当たった。血こそ出てこなかったが、頬の傷よりも痛い。
「その陰気で気持ち悪い目を、私に向けないで! どうしてこの私が『邪悪な闇の精霊の愛し子』なんかを生まないといけなかったの! お前のせいで苦しめられたのに、まだ足りないというの!」
家族からの仕打ちなんて、どうでもよかった。血のつながりで愛してもらえるなんて幻想は、エシルの中でとっくの昔に消え果てていた。
だからこそ、国王もダンスールを人質にしたのだ。
「だから私はどんな理不尽だって飲み込んで、何も言わずに我慢しましたよね?」
一回目のエシルは、そうやってダンスールの命を守ろうとした。とにかく耐える姿を見せれば、秘密を暴露しないと国王に伝わると思っていたからだ。
「私を殺すことは決まっているのだから、人質なんて不要よ。真実を知るダンスールの存在は、王家にとっても危険。手を出される前に逃げて欲しいと思うのは、当然です!」
エシルの怒りを真正面から受け止めたネイビルは、ソファーに沈み込むように背もたれに背中を預けた。天井を見上げたを顔を両手で覆うと、「あの、クソ国王がっ」と噛みしめた奥歯の奥から吐き捨てた。
ネイビルからほとばしる怒りが偽りだとは思えない。エシルが国王に脅されていたことを、ネイビルは知らなかったのかもしれない。
だからといって、簡単に信用してはいけない。何かを堪えるように。エシルはワンピースの裾を握り締めた。
「あの国王なら、脅迫だってやりかねない。それを見落としたのは、俺のミスだ。本当に申し訳ない」
エシルが「殺される!」と思うほどの速さでソファーから立ち上がったネイビルは、そう言って身体を二つに折り曲げて深々と頭を下げた。
呆然とするエシルの視線の先には、ネイビルのつむじがある。
何が起きたのか分からず、エシルがつむじから目を離せないでいると、ネイビルは身体を起こし「挽回させてくれ」と扉に向かった。誰かに何か指示を出しているようだ。
きっとエシルに関わる重大な話をしているはずなのに、意識がそっちに向かわない。エシルは目の前で起きたことが信じられず、未だにつむじがあった場所から目が離せない。
読んでいただき、ありがとうございました。




