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7.堕落の果て

本日二話目の投稿です。

 王妃が従者になってから二十年以上に渡り、精霊樹から言葉を与えられなかった。

三年前に最初で最後に与えられた言葉が、自分の後任となる従者候補の名前だ。唯一の言葉が引退勧告だなんて、一体何のために従者に選ばれたのか分からない。


 先代の従者が精霊樹から見離された理由は、当初は王妃が精霊樹との誓約を破ったのだと噂されていた。

 だが、ルーメ教が「従者は闇の精霊に堕落させられた」と言い始めた。

 真っ先に否定するはずの従者と国王が、なぜかルーメ教の策略めいた噂を否定しなかった。そのせいでルーメ教の主張が真実だと扱われるようになった。


 従者が精霊樹から言葉を与えられなかった二十数年が平穏だったのなら問題はなかったが、そうはいかない。他国の侵略もあれば、災害も起きた。その度に国は甚大な被害に襲われた。

 それでも最初の内は、表立って不満を露わにすることはなかった。精霊樹は今までだって、全ての危険を告げていたわけではないからだ。国王も国民も「こんなこともある」と悠長に構えていた。

 周囲がいよいよおかしいと感じ始めたのは、従者就任から二年が経ち最初に魔獣が発生した時だ。


 今までだったら瘴気が感じられた時点で精霊樹が花を咲かせ、魔獣発生場所を告げていた。その状態で従者と聖騎士が魔獣討伐に向かえば、被害は最小限に抑えられてきた。

 だが、明らかに違ったのだ……。

 城に報告が上がった時には魔獣は大量発生していたし、土地は腐臭が酷くて住めないほど瘴気で汚染されていた。精霊樹はいつまでたっても花を咲かせないし、従者に魔獣発生場所も告げない。こんな事態は、初めてだった……。


 浄化されない魔獣を相手にした聖騎士の命が奪われただけでなく、豊かな穀倉地帯だった土地も死んだ。国に不穏な空気が漂うようになったのは、その頃からだ。

 それでも人々は、従者を信じた。彼女のおかげで王位に就けた国王は、「精霊樹だって完璧ではない」と言い切った。


 しかし、それは始まりに過ぎなかった。

 ひびが入ったグラスが少しの衝撃であっけなく割れるように、この国も民の心も粉々に砕け散っていく。国がかつての輝きを失い、国民が絶望の淵に追い詰められるのはあっという間だった。


 精霊樹が花を咲かせないせいで、国はずっと魔獣の被害に悩まされている。大地が瘴気で穢されているせいで、農作物も育たないし、疫病も頻繁に発生する。その状況下で追い打ちをかけるように、幾度も災害が発生した。

 その全てが以前なら、精霊樹の力によって防げた被害だ。なのに、従者が役に立たないから、国が荒れ果てていく。

 困窮した国民は、従者や精霊樹や王家や二大公爵家への不満を募らせていった。


 精霊樹を守るはずの聖騎士も不満を募らせ、心をすり減らしていた。

 白い花によって浄化されていた時でさえ、魔獣討伐は命がけの危険な仕事だ。浄化され瘴気が消えても、魔獣は獰猛な動物より遥かに大きく強いのだ。浄化前の完全体である魔獣と戦うなんて正気の沙汰ではない。誇り高い聖騎士が、剣を捨てて逃げ出すほどだ。

 魔獣討伐の現場など、比喩ではなく地獄でしかない。


 終わりの見えない死と隣り合わせの不安は、国民や聖騎士の心を精霊樹から離すには十分だった。

 そうなると、支えを失った信仰心を取り戻そうと王家は必死になり、ルーメ教は行き場を失った信仰心を我が物にしようと躍起になった。

 己が権力を手に入れるためだけの熾烈な争いの生贄にされたのが、エシルだ。



「元聖騎士だったなら知っているだろう! 魔獣討伐のたびに、聖騎士(俺たち)精霊樹に祈り期待した。だが、祈りが届くことはなく、いつだって期待は裏切られる」


 その悲痛な叫びは虚しく響き、聖騎士の背後に伸びる黒い影の中に吸い込まれていく。


「精霊樹からの加護はなく、花は咲かず、仲間は死んでいく。頼みの綱のネイビルは、聖騎士(俺たち)を見捨て安全な場所に逃げた」

笑いながら「絶望したよ……」と言う聖騎士の目は、救いようがないほど濁っていた。

俯いた聖騎士が「それでも魔獣と戦えるのは、聖騎士(俺たち)だけだ。戦うしか道がない」と呟いた後に上げた顔は、一歩後ずさりたくなるほどの笑顔だった……。


「役に立たない従者も精霊樹も必要ない! この国に必要なのは、俺達を守り、力を与えてくださる光の精霊様だ! 教会の協力さえあれば、魔獣討伐だって怖くない! 光の精霊様から与えられる力で、俺がネイビル以上の勇者になれる!」


 聖騎士の目がらんらんと輝いたが、それが希望の光だとエシルには思えない。狂気を孕んだ異様な様子に、ぞわりと全身が総毛立ち身震いした。


「教会に光の精霊の力などない。絶望した聖騎士が教会に救いを求めるよう、奴らが仕組んだんだ」

「違う!」

 聖騎士は猛り狂った動物のように、唾をまき散らして叫んだ。

「かつては聖騎士だっとはいえ、所詮お前はブールート家の当主だ! そうやって現実から目を逸らし、王家と一緒に権力の座にしがみついていればいい。すぐに教会が蹴落としてやる!」


 王政といいながら、この国の政治は特殊だ。

 二大公爵家と呼ばれるブールート家とオランジーヌ家が、王家と変わらぬ力を持っていて、国民からの信頼も厚かった。

 ブールート家は精霊樹の守護者として、オランジーヌ家は内政のみならず外交も司り表と裏を使い分けて王家の手綱を引いている。


「二大公爵家だって、もうお終いだ。聖騎士を辞めたお前は裏切り者の腰抜けだし、オランジーヌ家だって従者になって均衡を破ろうとしている。国民が許すとでも思っているだとしたら、随分と間抜けな話だな」

 聖騎士は愉快に笑い声をあげた。


 聖騎士の言う通りだ。国民から向けられる目は、王家だけではなく二大公爵家にも冷たい。だからこそ、これを機とばかりに、ルーメ教は遂には精霊樹に成り代わろうとしているのだ。


「お前たち二大公爵家だって、従者だって、精霊樹だって役に立たない! 俺たち聖騎士を救うのは、光の精霊の愛し子様の祈りだ!」


 ルーメ教は劣悪で危険な魔獣討伐にアイリーンを始めとした聖女を連れて行き、祈りを捧げさせていた。

 危険を顧みずに魔獣討伐の場に同行し、聖騎士のため国のために祈りを捧げる美しい聖女たち。その姿に心を打たれた者は多く、あっという間に人々の新たな希望となった。


 精霊樹の守護を失ったと絶望していた国民は、「聖騎士を助け、浄化を行っているのは、光の精霊様だ。光の精霊様こそが、精霊樹に代わって国を護るに相応しい!」という教会の言葉を簡単に信じてしまった。

 国が荒れ、昨日まで一緒にいた者があっけなく命を落とす毎日だ。何かに縋ることを、咎めるなんて誰にもできない。


「お前に何を言っても無駄だと分かったが、人を殺すことが罪なことまで忘れたのか?」

 ネイビルの言葉に、男は心底驚いた顔をした。


「そいつは人ではない。『邪悪な闇の精霊の愛し子』だ! 光の精霊様の邪魔をする存在を消すのは、国のためだ! 俺たち聖騎士の仕事だ!」

 本人は至って正気のつもりで言っている。だからこそ、恐怖だ。


「俺たちの目に映るのは人間だけで、精霊を見ることはできない。そんな俺たちの目に見えているエシル嬢が、人でないはずがない! 何を教会に吹き込まれているか知らないが、いい加減に目を覚ませ!」

「うるさい! そいつはアイリーン様を手にかけようとした! そんな大罪人を生かしておけるか!」

「それは教会の勝手な言い分だ! 身に覚えのないことで周囲から責められ、お前から殺されかけたエシル嬢こそが被害者だ!」

 興奮が最高潮に達した聖騎士が、足で土を蹴り上げた。


「『邪悪な闇の精霊の愛し子』は、国を亡ぼす存在だぞ? 二大公爵家の一つがそんな奴の肩を持つ愚か者だから、この国は取り返しがつかないところまで堕ちてしまったんだ!」

「まだそんなこと言っているのか? 愛し子に特別な力なんてないと、どうして分からない? あの日だって、エシル嬢とアイリーン嬢はあれだけ離れていた。どうやってアイリーン嬢を失神させたというんだ?」


 キョトンとした聖騎士が、馬鹿にしたように口元を歪めて笑った。

「そいつは『邪悪な闇の精霊の愛し子』だぞ? 呪ったに決まっているだろう! 他に何があるというのだ」

 全く疑うことなくそう断言する男を見て、エシルは「呪い、ねぇ……」と冷めた声で呟く。


 愛し子が特別な能力などを持たないことは、今まで散々調べた上で出た公然の事実だ。

 だが、ルーメ教はその事実を決して認められない。

 光の精霊の愛し子は、特別な力で聖騎士に加護を与え瘴気の浄化をしている。そう主張しているからだ。

 加えて闇の精霊の愛し子も、特別な能力を持っていなくてはならない。そうじゃないとルーメ教の主張は成立しない。


 エシルは呪いの力で精霊樹の能力を使えなくしたり、光の精霊を害する存在でなければならない。その前提が崩れれば、ルーメ教が『邪悪な闇の精霊の愛し子』を攻撃する理由がなくなってしまい、非常に都合が悪い。


「こいつは、この国を滅ぼす者だ! こんな邪悪な存在を従者候補に選ぶなんて、精霊樹はもうまともではない!」

「闇の精霊が国を滅ぼすと勝手にきめつけたのはルーメ教だ。そんな根拠も証拠もない話で、精霊樹を冒涜するのは止めろ!」

「そんな愚かなことを言っているから、精霊樹も王家も二大公爵家も必要ないと国民から見離されるんだ! 国に必要なのは、光の精霊様だ!」


 聖騎士はエシルに勝ち誇った顔を向け、「お前など、闇の精霊と共に消し去ってやる!」と唾を吐いた。

その瞬間、エシルの中の何かがブツリと音を立てて切れた。



 何かをしている気配がして、激しく言い合っていた二人の視線がゆっくりとエシルに向けられた。かと思えば、見ていいものなのか分からずにさまよっている……。


「…………おい……。何を、している?」

 聖騎士は呆気にとられた顔で、少し気味が悪そうに……。いや、逆だ。ものすごく気味が悪そうに眉を顰め、少しだけ呆気に取られた感じ。そんな表情で、危険物を避けるようにエシルを見ていた。


 一方エシルは、至って真剣だ。

 眉間に深い皺を寄せて奥歯を食いしばって集めた全身の力を、聖騎士に向けてかざした両手にこめている。より力をこめるために踏ん張った下半身は中腰で、これ以上ないほど大地を踏みしめている。一生のうちで一度たりともする必要がない、この上なくみっともない体勢だ。

 どこから見ても、誰が見ても、頭がおかしくなったとしか思えない。


 エシルから返事のないことに苛立った聖騎士は「おい! だから、何をしている?」と声を荒げた。

「何って、貴方に向けて呪いを発動しています。邪魔をしないでもらえます?」

「…………」

「…………」


 絶句。という言葉がここまでぴったり合う場面に居合わせたことはない。男とネイビルは、恐怖に近い顔をエシルに向けた。


 それでもエシルは、力を放出し続ける。

 すると青い空に灰色の雲がかかり、ひやりとした風が吹き抜け――ない。

 青い空はよく澄んだままだし、春らしい麗らか暖かさも変わらない。爽やかな午後のひと時だ。

 当然だけど、聖騎士にも何の変化もない。

 それでもエシルは、力を放出し続ける……。


「……遂に……頭が狂ったか? お前に呪いの力など、あるはずがないだろう」


 不愉快極まりない顔で馬鹿にされてるというのに、なぜかエシルはホッと息をついた。

 身体から無用な力を抜くと、右手でスカートの皺を直した。いつも通り普通に立つと、珍しくにっこりと微笑んでみせた。


「その通りです。私には呪いの力などありません。ご存じの通り、精霊の愛し子に特別な力なんて、一切ありません!」


 身体を張った、この上ない皮肉だ。

 ネイビルが場違いにも噴き出しかけて身体を震わせている。そのせいで聖騎士が悔しそうに唇を噛む力がどんどん増して、血でも噴き出してきそうだ。


 エシルがこんなにも恥ずかしくて仕方のない奇行に打って出たのは、愛し子に特別な力がないと認めさせるためだ。

 希望通りの結果を得られて満足だが、それ以上に失われたものも多い……。


「私に特別な力などないと知っているから、殺そうなんて思えるのですよね? 私が至って普通の女だと知っているから、暴言の限りを尽くせるのですよね?」


 疑問形にはしているが、自分が犯した失態に気づいた聖騎士が、これ以上口を開くとはエシルも思っていない。

 ルーメ教にとって致命的な発言だが、どうせ最初から聖騎士のことなど切り捨てるつもりだ。この発言も含めて、知らぬ存ぜぬでかわすだけだ。


「貴方だけではないので、別に構いませんよ? この国の人間は、みんな貴方と同じです」


 案の定聖騎士は、エシルから視線を逸らした。聖騎士だけでなく、ネイビルも眉をピクリと動かして足元を見つめている。


「みんなが私を『邪悪な闇の精霊の愛し子』と言って、嘲り蔑み罵ります。でも、私のことを本当に『邪悪な闇の精霊の愛し子』なのだと思っていたら、呪われるのが怖くてそんな態度はとれないですよね? だって、私を怒らせたら国が滅ぼされるんですよ?」


 聖騎士は何も答えられず、唇が固く引き結ばれる。


「精霊の愛し子に特別な力なんてないと、みんな知っている。でも、それを認めてしまったら、縋っている教会の力が偽りになってしまう。自分たちを救ってくれるものが何もなくなってしまう。だから嘘に嘘を重ねて、身動きがとれなくなっている。違います?」


 穏やかに微笑むエシルと、真実を見ようとしない聖騎士の目が合うことはなかった。


読んでいただき、ありがとうございました。

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