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6.闇の精霊の愛し子

よろしくお願いします。

本日一話目の投稿です。

 ふわふわとした白い雲が浮かぶ麗らかな青空に向かって、今日もエシルの舌打ちが響く。それと共に、隠す気のない中傷が投げつけられる。


「みっともない黒髪をさらして、灰色の服しか持っていないのかしら? 汚らしい」

「あの長い前髪で人前に出られるなんて気が知れない。陰気すぎて気持ち悪い」

「ドブネズミに場内をうろつかれるこっちの身になって欲しいよ。あぁ、さっさと駆除したい」


 エシルが進む道の真正面から言われているからって、エシルが引き返す義理はない。堂々と横をすり抜けようとすれば、女性は悲鳴を上げ、男性には突き飛ばされた。

 普通の令嬢なんかより頑丈なエシルだが、一週間も食事があれでは空腹で身体に力が入らない。あっけなく石畳にお尻をつくことになってしまった。


「地べたを這いずり回るのがお似合いね!」

「早く城から摘まみ出してやりたいよ」


 その言葉を掴みどるように立ち上がったエシルは、声の主である太って脂ぎった文官の前に立った。


「なら、今すぐ実行してください! 私を城から摘まみ出してください! ほら、早く!」


 藁にも縋る思いで本気でお願いしているのに、顔をしかめた男はエシルに肩をぶつけて去っていく。去り際には「気持ち悪い! 聖騎士に討伐されて城から出ていけ!」という捨て台詞も忘れずに……。

 倒れずに踏み止まったエシルは、男性文官の背中に向かって「城から摘まみ出せるんでしょう? だったら場所くらい教えてよ!」と声をかけるも、三人の文官は振り返ることなく去っていった。


 エシルにとっては必至のお願いでも、世間一般から見たら嫌味だ。そんなことが分からないエシルが、男性文官程度が王城を抜け出す術を知るはずがないと気づけるわけがない。

 愛し子を四人も抱えた王城は、通常よりも警備が厳重だ。怪盗でもスパイでも何でもないエシルが、この警備をかいくぐるのは随分と無理がある。


「けちけちしないで、教えてよ! 聖騎士に討伐されちゃったら、ダンスールに会えないじゃない! 大体、魔獣扱いって何なのよ!」


 石畳を蹴った足が痛くて、エシルはぐっと眉を寄せた。

 ダンスールに会うために、城から抜け出すと決めたエシルだが。されど王城。ここぞと思う場所には衛兵が立っていて、抜け出すことができない……。


「摘まみ出せる場所があるということは、私の捜索が足りてないってことよね。ダンスールの命がかかっているんだから、もっとしっかりしないと!」


 ぴしゃりと頬を叩いて気合を込めたエシルだが、本人が気づくことなく完全に迷走している……。

 どこかにあるはずの警備の穴を見つけるためにエシルは白亜の城に足を向け、塔にある時計を見上げた。顔をこわばらせると「まずい、時間だ!」と、城とは逆方向に走り出していた。



 城に集められた愛し子に課せられるのは、毎日決められた時間に精霊樹と向き合うことだ。向き合うだけで何が分かるのか、二回目になってもエシルにはさっぱり理解できない。


 一回目は「勝手に候補になんて選んで私の未来を潰したんだから、絶対にダンスールを守って!」と願いつつ、精霊樹に文句の限りをぶつけ尽くした。

 そうやって一年に渡り、既にきっちりと役目をこなしたわけだが。残念ながら当然のように、また同じことを課せられている。そんな繰り返しにうんざりするかと思いきや、以外にもこの時間が癒しになるのだから驚きだ。


 一週間前にアイリーンが『選定の儀』で倒れたことで、『邪悪な闇の精霊の愛し子』が光の精霊の愛し子を呪っていることが決定的になった。おかげでエシルへの風当たりは、一回目とは比べられないほど厳しいものになった。


 避難場所に隠れていれば、中傷も回避できただろう。だが、エシルには城を抜け出すという任務がある。人の出入りが激しい城内を歩き回っていれば、険しい視線と厳しい言葉を浴びせられるのは当然だ。

 部屋があの通り落ち着かないとなれば、精霊樹とエシルしかいないこの空間が唯一気を抜ける時間だ。


「この場所で殺されたのに、皮肉な話よね」

 苦笑いのエシルは、碧く澄んだ泉をのぞいた。


 空の青さと緑の葉が映り込んだ泉は、木漏れ日によってキラキラ輝いている。

 精霊樹に対して思うところは色々あるけど、この清廉な景色の中にいると心のもやもやが晴れるのも事実だ。


 ごつごつと太い幹に背を預けて、葉の隙間から空を見上げるのがエシルのお気に入りの景色だ。

 光の加減によって様々な色を見せる緑の葉も、その隙間から見える青空も美しい。光り輝く太陽に向かって縦横無尽に伸びる枝のように力強い印象の精霊樹だけど、エシルには優しく温かく感じられる。


「自然の美しさは人それぞれなのに、人間の美しさには、はっきりと線があるのが不思議よね?」

 当然精霊樹からの返答はない。


 いつまでも見ていたい景色ではあるが、もうそろそろ時間だ。針の筵である城に戻らなくてはいけない。

 名残惜しいけど、エシルは精霊樹の下からゲートに向かって歩き出した。



 精霊樹の森と呼ばれるこの場所の警備は厳重だ。

 出入口は一つで、必ず聖騎士が立っている。

 ゲートを守るのが城を守る衛兵ではなく聖騎士なのは、彼らの仕事が精霊樹を守ることだからだ。


 全く隠すことなく憎しみのこもった目をエシルに向ける聖騎士を見て、エシルは思う。

 この場所を守る仕事は、彼らに相応しいのだろうか? と……。

 精霊樹が選んだ愛し子に対して最低限の礼節も持てない彼らに、精霊樹を守る意思はもうない。彼らは、守るべき対象を鞍替えしたのだ。


 ため息を堪えて横を通り抜けようとするエシルの前に、聖騎士が立ちはだかった。

 今日までは歯ぎしりが聞こえてきそうな顔で睨んでいただけだった。それだって十分怖いのに、目の前に立たれたら身体がすくむ。

 殺気のこもった態度に圧倒されたエシルが一歩下がれば、聖騎士が一歩詰めてくる。これは、まずい。ちょっと怖がらせてやろうというお遊びのレベルではない。


 精霊樹の森に逃げ込もうにも、閉められたゲートが背中に当たりガチャリという無機質な金属音が響く。

 エシルの行く手を阻むゲートの冷たさが、薄いワンピースの背中から伝わってくる。


 青灰色の軍服を身にまとう聖騎士は、冷静沈着がモットーなはずだ。怒りで歪んだ真っ赤な顔で、エシルに近づいてくるなんてありえない。

 まるで獣が噛みつくかのように歯をむき出しにした聖騎士が口を開く。


「先代の従者だけでは足りずに、光の精霊の愛し子様まで殺すつもりか!」


 とんだ言いがかりだが、エシルは恐怖で言葉が出ない。

 足は根を張ってしまったと思えるほど重く動かず、逃げ出すこともできない。


 中傷に慣れ親しんだエシルだって、鍛えあげられた騎士から憎悪のこもった視線と言葉を至近距離でぶつけられれば怖い。

 怖いけど、言葉だけで済めばいいのだ。相手の気が済むまで言いたいことを言わせて、黙ってやり過ごせばいい。言葉だけなら、命の危険はないのだから……。


 目を血走らせた聖騎士は「お前のような腐った輩は、存在すること自体が悪だ!」と叫び、腰の剣に手をかけた。鞘から抜かれた剣身がギラリと鈍く光る。


 魔獣を斬るための、太く大きな剣だ。

 あんなので切られたら、痛いなんて単純な言葉では済まない。剣で刺し貫かれる苦しみを知っているだけに、絶対に避けたい。


 真正面に立つのは、常軌を逸した聖騎士だ。

 血走りつり上がった目、額に浮き出た血管、残酷に弧を描く口角、迫りくるその全てをエシルの目はとらえた。

 浮き出た血管が破裂しそうなほど興奮した聖騎士と剣は目の前だ。足は恐怖で全く動かない。

目を閉じてしまいたいのに、それも叶わない。回避できない狂気から、目を逸らすことができない。


 圧倒的な恐怖の中で「これでいい」と安堵した瞬間に、聖騎士の進む進路が変わった。

 あと一歩でエシルの胸を貫いていたはずの聖騎士は、前ではなく横に吹っ飛んだ。ズザァッと聖騎士の身体が地面を抉る重い衝撃で、桃色や黄色や青の小花を咲かせた植物がごっそり削り取られて茶色の土がむき出しになった。


 何が起きたのかと一瞬ぽかんとしていた聖騎士は、地面に手をついて体を起こした。青灰色の軍服の泥を払うこともなく、自分がいたはずの方向を見る。

 そこに立っている自分より屈強な男に、聖騎士は躊躇うことなく剣を向けた。


「この裏切り者が!」


 そう叫ぶ聖騎士の膨れ上がった殺気など全く気にせずに、ネイビルは襲い掛かってきた男の懐に飛び込んだ。



 決着は、あっけなくついた。

 あっさりと剣を奪い取ったネイビルは、聖騎士の両腕を背中の方へ捩じり上げた。目を覆いたくなる実力差を前に、聖騎士は羞恥を隠すために怒鳴り散らす。ネイビルは全く取り合わず、いつも通りの冷たい無表情で言葉も発しない。その代わりに、ゴキッゴキッと骨がきしむ鈍い音がした。身体から血が抜けていくようにゾッとする音で、見ているエシルにも冷汗が伝う。


 関節を外された聖騎士の衝撃は、精神的にも肉体的にも当然エシルとは比べ物にならない。獣の咆哮のような声をあげて、地面をのたうち回ろうとするのに、できない。ネイビルが腕を放さずに縄で縛りあげているからだ。暴れれば暴れるほど外れた肩を引っ張られることになって、聖騎士は唾を飛ばして悲鳴のような叫び声をあげていた。


 この地獄絵図を前にしたら、殺されかけたことだってエシルからぶっ飛んでしまう。それどころか、聖騎士に同情すらする。


「……えっと……、早く医療室に連れて行った方が……」

「黙れ!」


 地底から抉り出てきたような憎しみのこもった声。

言葉を発したのはネイビルかと顔を見上げれば、苛立った口の端をピクリとひきつらせている。ネイビルじゃないのならと、獣と化した聖騎士へと恐る恐る視線を動かす。


「殺人者に情けをかけられるほど、俺は落ちぶれてはいない!」


 痛みでまともな言葉を発せられなかった聖騎士が、そう言ってエシルに向かってこようとした。が、ネイビルに外れた肩を引っ張られ、また地面に這いつくばる。

 泥まみれのまま痛みで冷汗を流す聖騎士を、ネイビルは冷え切った三白眼で見下ろした。


「聖騎士も、堕ちたものだな」


 地響きが起きそうなネイビルの低い声に、エシルは思いっきり同意した。



 ノーラフィットヤー国において聖騎士とは、特別な存在だ。いや、だった。というのが正しい……。

精霊樹を守る騎士であるだけでなく、数年に一度の頻度で発生する魔獣の倒せる唯一の存在が聖騎士だ。

聖騎士になるのは非常に困難で、騎士団で十年以上任務に就き、優秀な働きをした者しか選ばれない。且つ、剣技以外も品行方正で清廉潔白な者と、人としての中身も要求される。

 だからこそ狭き門を潜り抜けた者のみが与えられる称号として、爵位よりも重く価値がある。


 品行方正さも清廉潔白さも欠片もないこの男は、「逃げ出した腰抜けが、貴様が聖騎士の名を口にすることは許さん!」と吠え続けている。

 てっきりガツンと言い返すと思ったのに、ネイビルは何も言わない。何を考えているのか分からない冷え切ったアイスブルーの瞳で、聖騎士を見下ろしているだけだ。

 それが聖騎士の言葉を肯定しているように見えたのは、エシルだけではなかった。


「魔獣討伐の英雄なんて呼ばれたのは、お前がブールート家の当主だからだ。それを自分の力だと調子に乗ったりしたから、裏切り者の腰抜けなんかになり下がるんだ!」

 調子に乗った聖騎士の顔が優越感で歪んでいく。


 確かにネイビルはブールート家の当主だが、聖騎士としての実力は過去に例がないほどに最強だ。そんなことは、聖騎士である男が一番分かっているはずだ。

 その事実を歪める聖騎士に腹が立つのは当然だが、また何も言わずに肯定しているネイビルの方にエシルはなぜだか無性に苛立った。


 エシルは自分が苛立つ理由に気づかないが、答えは簡単だ。自分を見ているのと同じだからだ。

 エシルと同じように、ネイビルも自分が被害者だと叫んでも意味がないと諦めている。諦めてしまえば簡単だ。周りに興味を持たなければいい。何を言われても、聞かずに心を閉ざせばいい。

 そんな態度が、こんなにも腹立たしく歯がゆいものだと、エシルはネイビルを通して初めて知った。


「聖騎士から殺人者になり下がりかけたのに随分と偉そうね。惨めに悪態をついてないで、殺人者に落ちぶれるのを助けてくれたブールート様にお礼を言うべきよ!」


 エシルは胸を張って腕を組み、嫌悪感を隠すことなくぶちまけた。この言動に驚いたネイビルと聖騎士は、呆然として固まっている。


 一回目のエシルならば、黙って事態が収束するのを静かに待っていたはずだ。

 いつもならうつむいているだけのエシルが、まさか口を開くなんて誰も思いもしない。ましてや皮肉や文句を言うなんて、これっぽっちも想像できなかっただろう。二人が驚くのも当然だ。実はエシル自身も、ちょっと驚いている。


「『邪悪な闇の精霊の愛し子』の分際で! お前こそ偉そうにするな! お前のせいで精霊樹は何も語らず、花を咲かせないのだ!」


 さすが聖騎士といえるのか? エシルへの怒りで外れた肩の痛みをこらえ、男は立ち上がりかける。憎しみで濁った眼を血走らせて、もう一度襲い掛かるつもりが、再び地面に転がった。

 男の肩を蹴りつけて、地面に這わせたのはネイビルだ。


「精霊樹が従者に言葉を伝えなくなったのも花を咲かせなくなったのも、エシル嬢が生まれる前だぞ。それを今更エシル嬢のせいにする教会もお前も、理不尽を通り越して滑稽でしかない」


 目の口も鼻の穴までさえも、限界まで開いているのはエシルだ。そんな間抜け顔をさらしていることに気づかないほど予想外なのは、ダンスール以外にエシルを擁護する人間がいるとは思わなかったからだ。

ちょっと考えれば分かるこの事実を、この国の人たちはみな忘れてしまっている。いや、忘れたふりをしているのだ。


「地獄から逃げ出した腰抜けに何が分かる! 俺たちは国のために、ずっと地獄を見続けているんだ!」


 地べたを這いずった聖騎士は憎しみが溶け出した目でネイビルを睨み、背筋が凍るような暗く低い声で「裏切り者がっ!」と吐き捨てた。

 失礼極まりない態度にエシルが臨戦態勢で力をこめたのに、ネイビルはやっぱり黙って受け止めるだけだ。

 だから調子に乗った聖騎士は、興奮したまましゃべり続ける。


「先代の従者が闇の精霊の下僕に堕ちたから、精霊樹は言葉を与えなかったのだ! 闇の精霊が、従者を罠にかけたのだ!」

「精霊樹が王妃に言葉を与えなかったのは確かだが、それを闇の精霊のせいにするのはおかしいとどうして分からない? 根拠も証拠もないどころか、この国の歴史を冒涜する発言だ!」

「おかしいのは、お前だ! 闇の精霊が国を滅ぼすのだ! 国を守れるのは、光の精霊様だけだ!」


 泡のような唾を飛ばして叫んだ男は、興奮状態で痛みも感じていない。外れた肩を震わせて、言いたいことを怒鳴り散らしている。

 光を失い仄暗い闇が広がる目を血走らせた男は、動かせない腕の代わりにエシルを睨みつけた。


「正しく『邪悪な闇の精霊の愛し子』らしい、黒くおぞましい陰気な見た目。こいつが闇の精霊の手足となっている!」


 五百年の間、闇の精霊の愛し子は一度も現れなかったというのに、なぜかうっかり従者候補に名を連ねてしまったのがエシルだ。

 黒髪に赤錆色の目という特殊で陰気な容姿は、ルーメ教が作り上げた「国を滅ぼす存在」にぴったりとはまった。

 元々『コクタール家の出がらし令嬢』として既に蔑まれていたエシルだ。新たに『邪悪な闇の精霊の愛し子』という悪役にすることに、人々は抵抗がなかった。


「闇の精霊は、今にも国を滅ぼすつもりだ! 自ら従者となって国を滅ぼすために、こいつが先代の従者を殺したんだ!」

「それはルーメ教や王家の主張だ。根拠がなく、真実とは違う」

「教会は正しい! こいつはアイリーン様も殺そうとしている!」


 会話にもならない支離滅裂な話だが、男の言っていることは、ある意味正しいのかもしれない。

男の言うことは全て教会が捏造した偽りだが、その偽りを国民は信じている。


 先代の従者は、従者の役割を果たせなかった。たったそれだけのことが、国を荒廃させ人々から理性を奪ってしまった。自分たちにとって都合がよければ、偽りだって真実だと信じられるほどに……。


読んでいただき、ありがとうございました。

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