56.幸せな未来
よろしくお願いします。
「ノーラフィットヤー国――、じゃないや。マキレイ国の中央広場は広いな。精霊樹はどこにあるんだ?」
「精霊は宿っていないから、本当の意味での精霊樹じゃないけどな」
「そんな細かい話はいいんだよ! どっちにしろ、マキレイ国の象徴だろう? せっかく来たのだから、一度は見ておきたい!」
「まぁ、そうだな」
うろうろと精霊樹を探す若者二人に、一目でただ者ではないと分かる大男が親切に道案内をした。
二人はビクビクと怯えながらも、的確な案内を復唱して「ありがとうございます!」と声をそろえた。
「あんなに怯えさせるのなら、やっぱり私が教えてあげた方がよかったのでは?」
「ダメだ。相手が旅行者であっても、エシルは目立たないように気をつけないと」
「それは何度も聞きました。名前も呼ばないと言っていませんでした?」
ちょっと揚げ足を取ってエシルがそう言えば、ネイビルは慌てて自分の口を押えた。今更周りの様子を確認するネイビルがおかしくて、エシルはくすくすと笑った。
かつてノーラフィットヤー国の王城があった場所は、大きな広場になっている。見通しのいいこの場所に、白亜の城ではなく茶色いレンガの議事堂が完成したのは一年前だ。
それ以外にも図書館や博物館や植物園なんかもあるが、やはり一番有名なのはかつて精霊樹と呼ばれた巨木だ。
本当は会いに行きたいところだが、エシルが精霊樹の側に行くことをネイビルはよく思わない。「救世主が生きていた! と騒ぎ出す奴がいるかもしれない」と心配してしまうのだ。
今更私に気づく者などいない。エシルはそう思うのだけれど、ネイビルは違う。大切な妻がこの国に奪われてしまうのでは? と気が気ではないのだ。
だからなのか、エシルが苦笑してしまうぐらいガッシリと手をつながれている。
議事堂の入り口で証明書を見せると、待たされることなく中に入れた。
吹き抜けの大きな窓から光が差し込むエントランスを抜けて暫く歩くと、毅然とした声が漏れ出ている。開いたままの扉から中に入ると、そこが議会場だ。
三階分くらいは高さのある円形の広い場所で、丸く円を描くように並べられた議員の机は、全てがある一点に向かっている。二階と三階部分に渡って描かれた大きな絵画だ。
キャンパスいっぱいに描かれた荘厳な精霊樹と、清らかな碧い泉。その横で大地に手をつき眩しい光に包まれているのは、黒髪に赤と金の混じった目をした女性だ。
救世主と呼ばれるその女性は、精霊樹の力を呼び起こした。瘴気と魔獣に侵され、なす術のなかった国を奇跡を起こして救ったのだ。
自分の命を賭して……。
その絵を見て舌打ちしたネイビルは、少し色のついた眼鏡をエシルにかけさせた。帽子から髪が出ていないかも確認している。
意外と細かくて心配性なのだ。エシルのことになると特に。
絵の下にあるのが、発言者が立つ場所だ。
その場所に、赤い髪に青い目をした少しきつい顔立ちの美しい女性が立った。自信に満ち溢れた瞳が、会場中を見渡す。
「王政が終わり、身分制度が撤廃され、議会による政治に移行してから五年」
よく通る声でそう言った女性は、頭上に掲げられた絵画に目をやる。彼女が奇跡によって命をつないだことも、この国では有名な話だ。
この奇跡の場に立ち会ったソフィアが何を言い出すのか、議会は緊張して次の言葉を待っている。
「五年も経っているというのに、いまだに元貴族でない者や女性の発言力が押さえ込まれているのは恥ずべきことです!」
声高にそう宣言したソフィアに、心無いヤジが飛ぶ。
「女に何ができるというのだ!」
ギャーギャー騒ぎ出したのは、一団となって固まっている。数人はエシルも城で見たことがある。元貴族議員であることは間違いない。
あの頃だってやっかみや嫌味しか言っていなかった連中だ。そんな奴らが議員とは、ソフィアの苦労が手に取るように分かる。
ソフィアからは、動揺なんて微塵も感じられない。ネイビーのジャケットを着た右腕をスッと上にあげると、人差し指を立て頭上にある絵画を指さした。
自然と議員たちの視線も絵画に集まる。
「今、この国があるのは、精霊樹と救世主のおかげです。精霊樹は精霊王の妻。私の命の恩人であり親友でもあった救世主は、エシル・コクタール。二人共女性です。この二人を前にして、貴方たちは『女に何ができるのだ』などとふざけたことを抜かすのですか!」
少し会わない間に、随分と口が悪くなりましたね……。
あのプライドの高いソフィアが、それだけ周りに溶け込んだということだ。エシルの口元も緩む。
「かつて私たちは、自分たちで考えることを放棄した。精霊樹に頼り、精霊樹に任せ、精霊樹に依存した。それなのに精霊樹に見放され国が乱れた途端に、『精霊樹が助けてくれないからだ』と全てを精霊樹のせいにした。自分たちの国なのに、人任せで、誰も国のために動こうとしなかった!」
議会がシンと静まり返る。
「救世主に対しても同じです! 彼女を『邪悪な闇の精霊の愛し子』だと罵り蔑んだその口で、奇跡を起こした救世主だと祀り上げた。それも純粋な感謝の気持ちではなく、『また奇跡を起こしてもらおう』という下心からです。彼女が命を賭して起こしてくれた奇跡だったというのに、『まだ足りない』と無心したのです」
机をドンと叩く音に紛れ、ソフィアは「みっともない」と吐き捨てた。
「この国は、私たちは、誰かに頼るばかりではダメなのだと気づかなくてはいけません。自分で考え、自分で行動しなければ、悪夢はまた繰り返します! 私たちは自らの足で立ち上がるのです! その一歩として、私は議長に立候補します! 精霊樹にも、親友にも恥じない自分でいるために!」
議会の盛り上がりが、今日一番だったのは間違いない。
声援を送ろうとしたエシルは、ネイビルにその口を押えられた……。
災厄の種の企みが潰え、オリバーが十歳まで後退したのは、六年前だ。
その六年前に、エシルは死んだ。いや、死んだことにした。
このまま国にいれば、エシルは精霊樹の代わりにされる。奇跡を期待され、できないとなればどうなるかなど分かり切っていた。
国が前に進むためにも、奇跡を起こした救世主はあのまま目が覚めなかったことにしたのだ。
エシルに異論はなかった。その方が国のためだと思った。過度な期待をされるのには、本当に困っていた。急な手のひら返しは、とてもじゃないけど受け入れられなかった。
黒髪に赤金色の目をした救世主は、国内だけでなく大陸中で有名だった。そこで、エシルは海を越えることにした。全く見知らぬ土地が不安じゃないといえば嘘になるが、かねてからの希望が叶うのだ。多少のリスクは伴うものだ。
ダンスールに相談をすれば、「誘う相手が違うだろう」と呆れられた。
しかも、「前世の孫の期待に応えるために、俺は冒険しないといけない。ダンジョンを探すから、エシル様とは一緒に行けない」と拒否された……。「だったら私も一緒に冒険する」と言えば、呆れを超えて怒られた。
「エシル様にとって、慣れない感情は怖いだろう。だからって逃げたらいけない。失って気づくんじゃ遅いんだ。もっと自分の気持ちとしっかり向き合え!」
ダンスールが何を言っているのかは、エシルにだって分かった。ネイビルに対する気持ちが未知と言いつつ、恋なのだとエシルだって気づいていた。
でも、こんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのか分からない。
気持ちを伝えることは必要なのだろうか? エシルはまずそこでつまづいた。
精霊が消えても、ネイビルは精霊樹の守護者だ。国の英雄で、ノーラフィットヤー国が生まれ変わるのに必要な人物だ。そんなネイビルと、エシルでは共に過ごす未来が想像できない。
自分の気持ちをぶつければ、ネイビルに迷惑をかける。
ネイビルは意外にも面倒見がいい。精霊樹がエシルを助けろと言ったことを引きずって、一緒に来ると言い出すかもしれない。それぐらい義理堅い人だ。エシルはそう考えた。
初めての地で初めての生活だ。不確定要素しかない未来に、ネイビルを巻き込むのか?
それこそ自分勝手すぎる。自分で前に踏み出すと決めたのだから、まずは自分の力でやり切らなければ!
何年かたって、自分がやってきたことを見せられる状況になったら声をかけてみよう。
わざわざお互いに気まずい思いをする必要はない。何年後かに会った時に、笑って思い出話ができた方がいいに決まっている
エシルなりに考えて、悩んで、何度も頭をパンクさせて決めた。
それなのに……。
ソフィアからは「あぁ……、そんなことを考えているのだとは思いましたが、わたくしが介入するべきではないと思って放っておきました」と言われ、アイリーンからは「……時間の無駄だったね」と呆れられた。
そう。ネイビルは、エシルと共に生きるために全ての手配を終えていた。
エシルがあれだけ悩んだのに、ネイビルには迷いなど一切なかったのだ。
「俺も死んだことにしよう」
「えぇ! 殺しても死なない人は、信ぴょう性に欠けるから無理!」
「アイリーン様の意見に賛成します。精霊樹の守護者の役目を終えたネイビル様は、放浪の旅に出たということでよろしいのでは?」
「うん。いいと思う。愛する人を追いかけたとかより、信ぴょう性があるね」
「偽りの方がしっくりくることは、多々あります」
「何を考えている?」ネイビルにそう聞かれ、エシルは「昔を思い出してた」と素直に答えた。
少し離れているが、立っている場所から精霊樹が見える。
「青々とした緑のイメージしかなかったけど、黄色く紅葉した葉も似合うね」
「大量の落ち葉になるな。焼き芋やり放題だ」
「……感傷的って言葉は、ネイビルには不要だね」
緑の葉が落ちることがなかった精霊樹だが、精霊がいなくなってからは変わった。秋に紅葉して葉を落として春に芽吹くようになったのだ。
精霊がいなくなったことを目で知れる唯一の機会だ。精霊の国でなくなったことを未だに受け入れられない人も多いというのに、焼き芋とは……。
「精霊とか、愛し子とか、もう勘弁してほしいからな」相変わらず表情の読めない顔でそう言うと、エシルを握る手に力がこもった。
「何も起こらないし、どこにも行かないよ?」エシルがそう言っても、ネイビルは「分からん!」と言って、今度は腰を抱き寄せた。
「あの奇跡の時、エシルは国を護ることを選んだ。そのおかげで、こうやって国は生き続けている。だから心配だ」
ネイビルは不安そうにエシルを見た。日常でも、ふとした時に見せる顔だ。だが、この国に来ると、常にこの顔な気がする。
それだけではない。ネイビルはエシルがこの国に来ることを異常に嫌がる。エシルとしては一年に一度くらいは来たいのだが、ネイビルは何かしら理由をつけてソフィアやアイリーンを自分たちの住む国に呼びつける。
「いつも思うけど、何が心配なの?」
「……消滅したはずの精霊王や精霊樹に、エシルが連れていかれないかが心配だ」
「……」
真剣すぎて人でも殺しそうな顔にしか見えないネイビルに向かって、エシルは吹き出した。
「そんな物語みたいなことが、現実で起きるわけないでしょう?」
「そうとも言い切れない!」
そう言ったのは、ネイビルの太い声ではない。もう少し軽やかで飄々とした雰囲気だ。
「オリバーさん!」
ソフィアと一緒に現れたのは、オリバーだ。
「僕の研究によると、精霊王の力は他の精霊と比べものにならない。世の中の理からは外れている。消滅という言葉が、彼の今の状態に適しているかも分からないよ」
「と、いうと?」
「精霊王は普通に存在しているかもしれない」
ふわりと身体が浮いたと思うと、エシルはネイビルに抱きかかえられていた。「やっぱりこの国は危険だ。帰る!」そう言って走り出したネイビルを、エシルは必死に止めた。
「ネイビル様は、相変わらずというか……。エシルへの思いを隠さないし、どんどん重くなっていきますね」
「当たり前だ。多少は改善されたが、エシルはまだまだ思い込みで暴走するからな。隠すとろくなことがないし、伝えても半分くらいは受け流される。これくらいで丁度いいんだ」
「……まだ、根に持っているんですね……」
ネイビルが根に持っているのは、エシルが一人でこの国を出ようとしていたことだ。
周りから見てネイビルの気持ちは丸わかりだったらしいが、鈍いエシルは全く気付いていなかった。
定食屋をやりたいというエシルの夢を叶えるため、ネイビルはダンスールに弟子入りまでしていたのに……。
さすがにネイビルも気づいた。エシルには言葉を尽くし、態度で示さないといけないのだと。
自分にできるのかとネイビルにも不安はあったが、自分を変えることは案外簡単にできてしまった。
「その話はもういい。それよりも、精霊王は消滅していないのか?」
「僕も必死に研究しているけど、相手は人知を超えた存在だからね。死ぬまでに分かればいいかな?」
オリバーはのほほんとそう言うと、ソフィアを見た。
議会の壇上にいた時とは別人のように、ソフィアは穏やかにうなずいた。
十歳以降の記憶を失ったオリバーは、まずその事実を受け入れることができなかった。その上、災厄の種に囚われていたことにも、彼は心を痛めた。心の支えになったのが、ソフィアだ。
飴と鞭を使い分けたソフィアの支えによって、オリバーは現実を受け入れた。少しでも見た目に追いつくために必死に勉強して、今では精霊の研究者になっている。
「ごめんごめん、遅くなった」
「アイリーン、相変わらずノックができないのね!」
「この通り両手が塞がっているの! 足で蹴ったら、怒るでしょう?」
「お尻も変わらないわよ」
両手いっぱいに抱えた荷物を机の上にどさりと乗せて、アイリーンはエシルの隣に座った。
「またたくさんプレゼントをもらったわね。みんな元気そうでよかった」
「みんな療養施設を出て、色々な場所で頑張っているよ。その姿を見ると、ホッとする」
アイリーンは姉のような母のような顔で微笑んだ。眩しいほどに美しい。
教会で洗脳を受けた者は、洗脳を解くために全員が療養施設に入った。アイリーンは一人一人に寄り添って、根気強く洗脳を解く手助けをした。
最後の一人が施設を出たのが一年前だ。アイリーンはその場所でカウンセリングルームを開いて、今もみんなを支えている。
「ソフィアのおかげで孤児院出身でも働きやすくなったって、みんなが言ってた。まぁ、仕事のできない元貴族も多いと聞いたけど」
「あのクソ元貴族共をどうにかしないとなのよね。とりあえずは私が議長となって、あの選民意識を燃やし尽くしてやるわ」
「期待しているから、絶対にやってよね」
「任せておいて! そういえば、エシルの子供たちは? 会えるの楽しみにしていたのだけど」
「ダンスールが一緒に来てくれていて、今日は遊びに連れて行ってくれてるの」
なら明日はみんなで出かけようと計画をたて始めると、二人はここぞとばかりに「あれが食べたい」「これが食べたい」とお弁当のリクエストが増えていく。
精霊王がいるのなら、私の笑い声が届いているだろうか? 噛ませ犬にもならず、非業の死も遂げなかった私を見ているだろうか?
「どうした? 窓の外が気になるか?」
ぼんやりと外を眺めていたエシルを気にするネイビルに、周りは過保護だと冷たい視線を送る。
また騒がしくなっていく仲間たちを見て、エシルはネイビルに「幸せだ」と心から伝えた。
読んでいただき、ありがとうございました。
これで完結です。
当初の予定より随分と長くなってしまいました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




