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55.終わりと始まり

よろしくお願いします。

「これでいい。これで全て終わりだ。やっとこの国は終わる。この国から人間が消える。やっと元に戻るんだ……」そう呟いたオリバーは、真っ黒な地面に膝から崩れ落ちた。


 まるで意志でもあるように真っ暗な闇が、オリバーの全身を覆い尽くしていく。エシルにはそれがあまりに衝撃的すぎて、黒い繭になったオリバー以外が目に入らない。

 声も出せずに震えるエシルに、信じられない言葉が聞こえてきた。


「予想通りですね」


 冷静な声でそう言ったのは、ソフィアだ。

 やっと地面におり立てたエシルは、「公爵や国中が、瘴気に侵されていることが? この全てが予想通りって、どうしてそんなことが言えるの!」そう叫びかけて、ハッとした。

 目の前に広がる光景が、信じられない……。


「どう、して……?」


 他の色など見えないほどに真っ黒に染まったはずの大地が、元の緑あふれる場所に戻っている。倒れたままのオリバーからも、黒い瘴気が消えていた。

 何も変わらない光景。一年以上通い続けた、いつもの精霊樹の森だ。


 泉に落ちた種は?

 エシルは泉に駆け寄った。

 碧い泉は凪いでいて、災厄の種は見当たらない。念のためにエシルは腕を突っ込んでかき回してみたが、何もない……。


「エシルの奇跡のおかげだ」と言ったネイビルは、エシルの腕を泉から引き抜いた。

「……私……何もしていません」


 ネイビルに担がれていただけで、エシルは本当に何もしていない。自分でもびっくりするほど何もしていないのだ。

 それなのに、どうにかなってしまった……。

 拍子抜けする気持ちと、ホッとする気持ちで、エシルは身体の力が抜けて地面に座り込んでしまった。

 それに気づいたネイビルは、自分もエシルの横に腰を下ろした。ソフィアとアイリーンもそれに倣う。


 濡れて冷たくなっていたエシルの手を、ソフィアが両手で握りしめた。


「国が滅びていないのは、わたくしの命を救ってくださった、あの時の奇跡のおかげなのです」

「ソフィア様の命を救ったのはついで。奇跡を起こしたエシルさんは、国を救ったの!」


 またいつもの小競り合いが始まるが、今のエシルには相手をしている気力はない。


「意味が分からない。あの時は、瘴気と魔獣が消えた。その力がまだ、大地に残っていたってこと?」

「そうであって、そうでない」


 ネイビルの答えは、エシルを余計に混乱させた。




 エシルが城の中で奮闘している間、ネイビルたちも静かに謹慎に甘んじていたわけではなかった。それどころか、この状況を逆転する唯一の方法を見つけるべく駆けずり回っていた。


 全ては、再びネイビルに語られた精霊樹の言葉を検証するためだ。


 エシルが奇跡を起こしたあの日、ネイビルは精霊樹の声を聞いた。

 前回と違って少し長い話は、精霊樹からの別れの言葉でもあった。



『大地に張り巡らされていた私の根は、此度の浄化によって全て力が尽きた。これは悲しいことではない。私の根という媒介がなければ、災厄の種も瘴気を使って国を滅ぼすことができない』


『私も精霊も加護もこの国から消えるが、それもまた人間が選んだこと』


『精霊王がなぜあの娘を愛し子に選んだのか、やっと分かった。人間は変われると、精霊王は信じ続けたのだな……。これが最後だ。ネイビル、ありがとう。私の愛し子よ』



 一回目の浄化で、国に張り巡らされた精霊樹の根は失われた。無いものは使えない。瘴気は精霊樹の森からは出られず、精霊樹が残してくれた最後の力によって浄化された。


「精霊王が愛し子を選んだって、どういうことですか? この世界に存在しない精霊は、愛し子を選べないはず……?」

「エシル様を愛し子に選んだのは、間違いなく精霊王です。だだ、選んだのは、エシルが生まれるずっと前。精霊王が消滅する前でした」

「……五百年も前に……?」

「未来視の能力があった精霊王なら可能だ」


 次々と出てくる新しい時事をもたらしてくれたのは、三代前の精霊樹の守護者であったネイビルの曽祖父だった。

 何とネイビルの曽祖父は、何とオリバーのために花畑を作った人だ。

 彼が側にいればオリバーの未来も違ったのかもしれないが、身体を壊し領地に戻ってしまった。


 ネイビルの曽祖父が領地でしていたのが、過去の守護者たちの資料整理だ。

 精霊樹は従者には指示しか出さないが、守護者には過去を語ったり愚痴をこぼしたりしていた。歴代の守護者はそれを書き残しており、彼はそれをまとめていた。


 曽孫の一大事を聞いて、曽祖父はすぐに何が起きているのかを悟った。自分のまとめた資料が必要になると思い、大至急で王都の屋敷に届けさせたのだ。


 ネイビルたちは、資料を読み漁った。そして、重大な事実を知った。


 精霊王には未来視の能力があったが、この国の結末までが見えていたわけではない。

 この国の未来を決めるのは、精霊王が選んだ愛し子だ。


 資料によると、精霊樹は常々言っていた。 

『精霊王は次の精霊王を選ぶ力を失ったわけではない。選ばなかったのだ』と。

 その証拠に、愛し子はとっくの昔に選んでいた。しかも、遠い未来に生まれてくる者だ。

『未来視は完璧ではない。選んだ選択一つで変わる。精霊王は、それを楽しんでいた。だからこそ精霊樹()をこの地に残したのだ。自分では見ることが叶わない、この国の結末を私に見せるためにな』そう呟いた精霊樹は『私が精霊王の願いを拒めないことを知っていて……』とため息をついたという。


「それまで精霊王に依存していたように、今度は精霊樹の存在に人間は依存する。そんな未来が、精霊王には見えていたんだ。そして、精霊樹が人間を恨むことも……。そのせいで災厄の種という国に滅びを与える存在が生まれることも、精霊王には見えていた」

「……よく分かりませんが、精霊王は人間に試練を与えたってことですか?」

「それは精霊王にしか分からない。だが俺は、精霊王は、自分が選んだ愛し子に試練を与えたんだと思う」


 ネイビルに同意するようにソフィアもうなずいた。


「一回目のエシル様は、精霊王の愛し子としての働きはせずに死にました」

「……そうですね。そんな仕事があったことは、知りませんでしたが……」

「精霊樹はさぞびっくりしたと思います」


 精霊樹は精霊王を消滅させた人間を恨んでいた。それなのに、この国の行く末を見守り、精霊王の与えた試練に愛し子が打ち勝てるかを見届ける役を任せ(押し付け)られた。その愛し子が何もせずに、あっけなく死んだのだ。何としても死に戻らせないと! そう思っただろう。


 そうやって死に戻ったおかげで、一回目では生きることに無気力で生に執着がなかったエシルが変わった。


「死に戻った後のことは、エシル様が一番お分かりですね? エシル様の行動力が、わたくしたちを動かしました。エシル様と出会わなければ、わたくしはレオ様に恋焦がれ過ちを犯す愚か者だったはずです」

「私も死に戻ってエシルさんと会えたから、戦おうと思えた」 

 ネイビルは全てを肯定するようにうなずいて「楽な方に流されるのではなく、無様でも必死に足掻く。精霊王は、人間のそんな姿が見たかったんだろうな」と言ってエシルを見た。


 憎しみを抱えたまま、災厄の種によって楽な方に流されたのがオリバー。

 似た環境の二人が選ばれたことにも意味があった。


「……私が何もせずに死んで国が滅びても、精霊王ならそれが答えだと受け取ったはずですよね?」

「見届け人が精霊樹だったからこそ、精霊王が選んだ愛し子に何かさせなくてはと思った。という思いはあったでしょうね」

「そういう意味では、私たちは幸運だったんだね」

「精霊王はそれを見越して見届け人を選んだのかもしれない。どちらにせよ、精霊王はこの国の未来を愛し子(エシル)に託したんだ」


 精霊王はエシルに加護授をけたが、その力がどう転ぶかは愛し子次第だった。

 エシルが奇跡を起こしたあの時、エシルが国を恨み破滅を望めば、その通りになったのだ。


 ありえない未来じゃなかった……。

 あの時、ネイビルが声をかけてくれなかったらと思うと……エシルの背筋が凍る。



「あっ! 起きた」


 オリバーの様子を窺っていたアイリーンの声に、全員の視線が向いた。

 オリバーはびくりと肩を震わせ、四人を見て周囲を見てと落ち着きがない。不安げに揺れる目は彼らしくないが、自分がオリバーでも、この状況はいたたまれないだろうなとエシルは思った。


 オリバーは瘴気に身体を覆われて、今まで気を失っていた。滅んでいるはずの国が変わらずあり、滅んでいるはずの自分も四人もぴんぴんしているのが理解できないのか何度も首をかしげている。

 国を滅ぼす計画が失敗した割に、怒りや苛立ちよりも戸惑いの方が強いのはどうしてだろう?

 さすがにエシルも気になって、「ガレイット公爵」と声をかけた。するとオリバーは、顔を真っ青にして目に涙をためた。

 まるで小さな子供を怯えさせてしまったような罪悪感だ……。


「ガレイット公爵って、僕のこと? 従者を娶れない王族だから、やっぱり家族に見捨てられたんだ。もう、城から追い出されるの? 君は僕を迎えに来てくれた人?」

「…………」


 ポロリと涙をこぼしたオリバーにハンカチを渡し、エシルは他の三人に助けを求めた。


 これがオリバーの演技なのだとしたら、随分と捨て身すぎるし、失うものも多すぎる。罰せられたくないにしても、オリバーの高いプライドはこの状況を許せるとは思えない。

 ということは、彼は演じていない? 精神が後退した? どうして?


 ミントブルーのドレスを着たソフィアが、オリバーの前に座った。

 もちろん、子どもの相手は得意ではない。その上、目の前にいるのは三十三歳の子供……? ソフィアの笑顔が引きつるのも仕方がないことだ。


「王子殿下。わたくしたちは殿下を城の外に連れていくつもりはありません。ご安心ください」

「本当?」

「オランジーヌ家の名に誓います」

「オランジーヌ家の人? 見たことないけど? でも、厳しそうで、強そうで、オランジーヌ家って感じだもんね。信じる」

「ありがとうございます」


 あっさりと信じた十歳のオリバーは、さっそくソフィアに懐いている。


「怖い夢を見たんだ。みんなの邪魔になった僕に、どこからか優しい声が聞こえてくるんだ。その声の通りにしていたら、僕のせいで大切な国が真っ黒になってしまった。僕が悪い人間だから、城の外に連れていかれるんだと思ったんだ……」

「そんなことはしませんよ。殿下を害する者はいません。殿下が国を黒くすることもありません。もう、安心していいんです」


 オリバーは完全に傷を負った子供だ。ソフィアに頼り切った目に嘘はない。

 彼を覆っていた瘴気が、災厄の種との記憶を奪った。そうとしか思えない。今のオリバーは、十歳の誕生日を迎えたばかりの子供なのだ……。


 オリバーにとって、記憶を失ったことが幸せなのかは分からない。

 分からないけれど、復讐に囚われるのではなく、別の選択肢をオリバーが選べてエシルはホッとした。それは、きっと、オリバーも望んでいたことだ。


読んでいただき、ありがとうございました。

次が最終話です。

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