54.世界の終わり
よろしくお願いします。
オリバーにがっしりと腕を掴まれていた。どこにいくのかと思えば、連れていかれたのは、精霊樹の森だった。
精霊樹の下には、既にネイビルとソフィアとアイリーンがいた。
「エシルさん!」そう叫んで飛んできたアイリーンが、オリバーの手をはぎ取ってくれた。そのままエシルの耳元で「全員が突然オリバーに呼ばれた」と教えてくれる。
それを待っていたように、オリバーは「これで全員揃った」と笑った。
「エシル嬢の願い通り、二大公爵家もアイリーンも解放した」
「そう、みたい、ですね……」
囲い込むように結論を急ぐオリバーに、エシルは大分押され負け気味だ。
「私はちゃんと協力したのだから、王妃になってくれるね」
アイリーンは舌打ちをした。他の二人もそれに近い顔でエシルを見ている。
それでもオリバーは気にした様子がなく、何でもないように三人に向かって話しかける。
「二大公爵家もアイリーンも、私とエシル嬢の治世を支えて欲しい。以前のような『精霊に護られし国』として――」
「それは無理です」
笑っているように弓なりになったオリバーの口角に反して、灰色の目は闇を湛えている。
「私は約束を守ったのに?」
「約束を守ろうが、なんだろうが、ガレイット公爵は王にはなれません」
「王妃にならないのではなく? 私が国王になれないと?」
青い空からは陽の光が注いでいるはずなのに、オリバーが笑う度に闇が濃くなる。立っているのが辛いほど空気が重くなる。肌を刺すような寒気が襲ってくる。
「おかしいな、意味がわからない。私に利益がないのに、エシル嬢に協力したよね?」
「そうですね」
「私を騙したの?」
「先に騙したのはガレイット公爵です」
不自然な笑みをたたえたオリバーがエシルの方へ近づいてくる。
オリバーの足跡からは、ゴポリと黒い闇が湧き出ているようだ。エシルはごくりとつばを飲み込んだ。
「騙す? なんの話かな? 私は兄やレオンハルトとは違って、良い王になるよ」
「国民はガレイット公爵のことを信じています。でも、貴方はそれを裏切った」
「裏切った? おかしいなぁ」とオリバーは首をかしげて笑っている。
「国民が私を信じているのは知っているよ? そう思わせるように、ずっと行動してきたんだ。当然だよ」
オリバーは取り繕うのをやめた。可哀想な王弟の顔を捨てたオリバーは、笑顔でさえ獰猛だ。
「エシル嬢だって、私のことをいい奴だと思っていたよね?」
「今でも、そう思いたいですよ」
オリバーはくすくすと笑っているが、全身から怒りが溢れている。何が楽しくて笑ったふりをするのか、エシルには分からない。
「私はエシル嬢に忠告したよね? 『周囲からいい奴だと思われている人間は、疑った方がいい』って。忘れちゃった?」
「覚えていたから。ちゃんと疑えました」
「そうなんだ。要らないアドバイスをしちゃったね……」
オリバーはため息をつくが、全然ガッカリしているようには見えない。
言葉と行動にずれがあって、気持ちが悪い。
「全ての黒幕は、ガレイット公爵だったのですね」
災厄の種を盗んだのも、災厄の種に囚われているのも、この国を破滅させようとしているのも、全てオリバーだった。
オリバーの微笑みは、エシルの心に嫌な音をたてる。
「そうだよ。災厄の種と共に行動しているのは私だ。エシル嬢も奇跡を起こしたりと頑張ってくれたけど、災厄の種は消えていない」
「やっぱり……」と呟いたネイビルが、悔しそうに唇を噛んだ。
それを楽しそうに見ていたオリバーは、碧い泉に手を突っ込んで何かを取り出した。ぽたぽたと水滴を滴らせているのは、人の頭の二倍くらいの大きさに成長した災厄の種だ。
「精霊樹に浄化できるかと試してみたけど、逆に力をもらって大きくなってしまったね」
わざわざ種を自慢げに突き出した。
精霊樹に種を浄化する気はない。できない。それをエシルたちに見せつけたかったのだ。
頼みの綱である精霊樹だって、もう自分の味方だと分からせて四人に絶望を味わせたかっただけだ。
オリバーは、今この瞬間を楽しんでいる。
自分を取り繕うためにかぶっていた仮面を捨てて、全てをさらけ出した。本当の自分に戻って、復讐の喜びに酔いしれている。
穏やかで飄々とした、国を支えるオリバーは、もういない。
「エシル嬢は私と同じで、家族に恵まれなかった。生まれ育った環境は似ているのに、考え方は私にないもので新鮮だ。君となら、王としてこの国を治めてもいいとさえ思った」
そう言って思い出に浸るように、オリバーは目を閉じた。その言動の一つ一つが、エシルにとってはゾッとするほど独りよがりでしかない……。
ゆっくりと開いた灰色の目からは、感情は抜け落ちてしまっている。
開いた口から出てきた言葉は、とんでもなく自分勝手なものだった。
「でも、断られた。だったらもう、国を滅ぼすしか選択肢がない」
そう言ってフフフと笑う声が恐ろしすぎて、エシルは吐き気がした。
自分を犠牲にしなかったから国は滅びる? また選択を間違えた?
オリバーの言葉が頭の中で繰り返され、エシルの視界はぐにゃりと歪んでいく。
そんなエシルの頭に手を置いて、オリバーから守るように前に立ってくれたのはネイビルだ。
「オリバー様は自身の選択に自信がないのですね。だからといって、エシルを道連れにしないでいただきたい!」
「十歳の時から心に決めてきたことだ! 自信がないわけないだろう!」
「だったらエシル様に振られたことを理由にする必要がありますか? みっともない!」
「ソフィアと違って、恋愛感情なんてバカげたものは持ったことがない」
「えぇっ! それだけエシルさんに執着しているのに? 気づいてないとかだったら、相当間抜け」
「エシルは災厄の種の敵だぞ? 私の長年の目的を邪魔する人間に注意を置くのは当然だ!」
歪んだはずの景色が、一瞬で元に戻った……。
完全にオリバー優位で圧倒される空気だというのに、三人の態度は堂々としたものだ。オリバーの方が息が上がって、肩が揺れている。
家族にも国民にも裏切られたオリバーは、国を追い出され、他国を転々とした。
国を出たからといって、全てのしがらみから逃れられるわけではない。オリバーは結局、ノーラフィットヤー国の人間でよそ者なのだ。それなのに、国からは拒否され戻れない。
怒りが募る。憎しみが募る。悲しみが募る。
オリバーの生きる目的が何になるかは、推して知るべしだが……。エシルは納得がいかない。
「ガレイット公爵は、被害者意識が強すぎると思うんです」
オリバーだけでなく、驚きで三人も目を見開いた。
「ガレイット公爵に『家族や国を恨むな』とは言いません。でも、公爵だって、十分に人を苦しめました」エシルはそう言って、アイリーンを見た。
「ルーメ教は何の罪もない孤児を洗脳して、自分たちの金儲けの道具にしました。瘴気や魔獣の被害にあっているのは、政治なんて遠い世界の人たちです。そういう人たちも全部一括りにして、自分を苦しめたからと国を滅ぼす理由にするのはおかしいです」
止める間もなく、エシルはオリバーの前に立った。
エシルが見ているのはオリバーではなく、黒く濁った災厄の種だ。
種というには大きすぎるそれは、触れるのも躊躇うほど禍々しい。そんな種をエシルはひょいと掴み取った。
四人共が何が起きたのか分からないという顔をしている。
オリバーは特に声が出せないほど驚いて、両手を胸の前に出した状態のまま動けない。
一方エシルは、種に耳を当ててみたり振ってみたりと興味津々だ。だが、種の声は聞こえないし、中に何か入っている様子もない。
ガッカリだ。
「ガレイット公爵は、災厄の種に影響されすぎました」
「……種は私を理解してくれた。道を示してくれた!」
縋ったものを離さないとばかりにヒステリックに叫ぶオリバーに、アイリーンは既視感を感じた。同時にエシルの視線が絡んできた。
エシルの意図をくんだアイリーンが、オリバーに向かって叫ぶ。
「その気持ち、私も知ってる。洗脳だよ! 貴方はね、災厄の種に、完全に洗脳されている」
「なっ! 違う! 私と種は共にあるんだ――」
「種は、空っぽな貴方に生きる意味を教えてくれた?」
「! …………」
「それが洗脳だよ」
オリバーの口ははくはくと動いているが、言葉は何も出てこない。アイリーンの言うことが正しいと、心のどこかでは分かっているのだ。
四人に一方的に絶望を押し付けるつもりだったのに、混乱しているのも動揺しているのもオリバーだ。こんなはずじゃなかったと、血走った目は苛立っている。
また一歩エシルに近づこうとするオリバーの肩をネイビルが押さえ、「エシルに手を出すのは許さない」とどす黒い声を出した。
「食べ物も温かい服も与えられない。隙間風と虫が這いまわる部屋で、死ぬのが怖いのか希望なのかも私には分からなかった。そんな時に災厄の種につけ込まれたら、種に支配されたのは私だった」
「……何が言いたい? 同情か?」
「違います」とエシルは首を横に振る。
「私の手を取ってくれたのは、ダンスールでした。ダンスールと一緒にいたから、今の私があります」
「だから、何が言いたい? はっきり言え!」
苛立ちを爆発させたオリバーとエシルは睨み合った。
「私の考え方が新鮮に感じたと言いましたね?」
「……」
「あのガゼボで花畑と空を見上げる公爵に手を伸ばしたのが災厄の種じゃなければ、貴方だって別の人生を歩けた」
「…………」
「ガレイット公爵だって、分かっているはずです。自分がしたかったことは、こんな風に国を滅ぼすことではなかったと。全てを恨んで憎んで妬んで、復讐に身を投じるだけなのは虚しいと。自分で分かっているはずです!」
エシルから種を取り返そうとするオリバーを、ネイビルが押さえつける。「エシルに近寄るな」と腕を捩じり上げる。
「善悪の判断がつかない子供に、災厄の種は付け入った。当時の貴方には、それに抗う知識も力もなかった。でも、今は違います。今なら、まだ、引き返せます!」
ネイビルによって地面に押し付けられたオリバーが、突然笑い出した。
庭に響くその笑い声は、ひどく悲しい。笑い声なのに、泣き声にも聞こえる。
「まだ引き返せるだと? バカなことを。レオンハルトをクズにしたのは私だ。チャービスの復讐心を利用して、今の家族を捨てさせたのも私だ!」
「……そうやって、後悔しているじゃないですか」
「さあな。分からない……。でも、全部もう遅いんだ……」
オリバーの諦めたような呟きで、エシルの手にある災厄の種が重くなった。
「兄より私の方が優れているのに! 精霊樹は私を選んだのに! 王妃のせいで私の人生は崩れ去った。兄を見返してやりたかった。選ばれたのは、お前じゃなくて私だと! あいつが悔しさでのたうち回るほど見せつけてやりたかった! 苦しんで絶望している姿を、思う存分に笑ってやりたかった!」
どす黒く澱んだ灰色の目が、エシルを見上げた。
「私にとっての幸せは、兄をどん底に突き落とすことだけ。エシル嬢と違って、私は兄に張り合う気持ちを捨てられなかった……」
オリバーの執務室で話をしたことは、エシルにとっては決意の一つにすぎない。だが、オリバーにとっては、自分の行動に疑問を投げかけるきっかけになってしまった。
「引き返してどうなる? 何一つ元には戻らない。今更もう全てが遅い。私が復讐を望んだ。復讐のために、私が災厄の種を利用した!」
顔を真っ赤にして興奮状態のオリバーは、ネイビルを背負うように立ち上がった。
真っ暗な空洞みたいな灰色の目には、災厄の種も何も映っていない。行動とは真逆な空っぽさは、エシルの不安を掻き立てる。
「この国が滅びることを、終わらせることを、私が望んだ!」
かすれ声を絞り出した、苦しくなるほど悲痛な低く重い声だ。決して大声ではないのに、頭が痛くなるほどエシルの脳に響いた。
オリバーに気を取られている間に、災厄の種が光り出していた。
目を開けていられないほどの閃光で、エシルは種を落としてしまう。コロコロと転がった種が、ぼちゃんと泉に落ちた。
すると今度は真っ黒な闇が、泉から這い出した。地を這うように精霊樹の庭を覆い始めると、あっという間にエシルの目の前まで迫った。
じりじりと後退するエシルの肩を、ネイビルが掴んだ。まさかのまさかで抱き上げられ、地面から足が浮いた。
「私は大丈夫です! ネイビル様は精霊樹を守ってください」
「嫌だ。俺はエシルを守る」
「はぃ?」
エシルには動揺している暇はない。闇が精霊樹の庭を覆い尽くしたのだ。ネイビルやソフィアやアイリーンの身体にも這い上がり始めている。
ここからノーラフィットヤー国中に広がっていくのは間違いなく、闇の正体が瘴気なのは明らかだ。
また土地は死に、魔獣が現れる。それも、国中にだ。今までとは規模が違う。人に対する影響だって、必ず何かしらあるはずだ。
考えるまでもなく、このままでは国は死ぬ。
「ちょっと、降ろしてください!」ネイビルの肩に担がれたエシルは叫んだ。
「降りて何をする気だ?」
「前みたいに、地面に手をついてみます。奇跡が起きるかもしれない」
「なら、降ろせない。エシルが危険を冒す必要がない」
「ちょっと! 自分が何を言っているか分かっています? 瘴気は人体にだって害があります! 当然、精霊樹だって枯れてしまう!」
「それならそれで、仕方がない」
これがネイビルの言葉だろうか? 精霊樹の守護者?
エシルがじたばたと暴れても、ネイビルにとっては大した抵抗ではない。がっしりと掴んだ腕は、びくともしない。
その間に、瘴気は黒さを増していく。
読んでいただき、ありがとうございました。
後2話で終わります。
最後までお付き合いいただけると、嬉しいです。