53.隠し部屋
よろしくお願いします。
エシルはいつもの場所から、精霊樹を見上げていた。
青々とした葉の間からこぼれる陽の光は、真っ直ぐにエシルの顔を直撃していた。一歩その場からどけばすむのだが、エシルはなぜかそのまま立っている。精霊樹を見上げたまま……。
エシルがうなずいたあの瞬間から、救世主とオリバーの結婚式の話で城内は大盛り上がりだ。
オリバーの手助けでこうやってちょこちょこ外に出るだけのエシルの耳にも届くほどだ。間違いなくアイリーンやソフィアやネイビルの耳にも届いているだろう。
ダンスールなんて、かんかんだろうな。勘当されるかも……。
助けを求めて泉を見ると、緑の葉が一枚浮かんでいた。
「精霊樹の、葉?」
手に取って比べてみれば、精霊樹と同じに見える。
だが、葉の形や色なんて、似たものが多い。別の木の葉が飛んできた可能性だってあるはずだ……。
精霊樹の葉が落ちるなんて、聞いたことがない。
無意識のうちにごくりとつばを飲み込んだエシルは、緑の葉をそっとワンピースのポケットに入れた。
精霊樹の庭を出ると、待っているのはオリバーだ。
目を覚ましたことを隠すためだが、「大丈夫?」と心配になるほどエシルに付き合ってくれている。
仕事は山積みなのだろうが、そんなことは感じられない明るさだ。
「そうそう、初代の自伝を見つけたよ。とんでもない場所にあった。エシル嬢の部屋に置いてあるから、戻ったら読んでみて。なかなか興味深いよ」
「とんでもない場所って、どこにあったのですか?」
「そっちが気になるの? 確かに私もびっくりしたけど、災厄の種が置かれていた隠し部屋にあったんだよ」
「是非! 行ってみたいです!」
まず最初の扉は、王城の端にある見たこともない部屋のものだった。物置か用具入れか、随分とくたびれてしまった扉だ。
中の部屋も何の変哲もない。かつては門番の控室だったみたいな作りで、家具にかぶせられた黄ばんだ布には埃が被っている。
あまりにも普通の部屋で、仮眠用の簡易的なベッドの下から地下につながる通路が出てきた時は、エシルは悲鳴をあげかけた。
エシルはひたすら階段を下りた。行きついた先が、この真っ暗な部屋だ。
持っていたランプを机に置いたオリバーは、「この部屋は、災厄の種を隠すために作られた。入れるのは歴代の国王だけ。兄から聞き出さなければ、私も分からなかっただろうな……」と教えてくれた。
度部屋を見回してみても、ただの暗い地下室だ。
地下室にありがちな饐えた臭いも澱んだ空気も感じられないのは、隠し棚にある精霊樹で作った箱のおかげだ。とオリバーが教えてくれた。
「地下の隠し部屋なんて、暗いし怖くない? もう戻ろうか?」オリバーはそう言って心配してくれたが、エシルは首を横に振った。
「慣れているので、大丈夫です」
エシルの返事に、オリバーは「そうか……」と苦しそうに呟いた。
ダンスールに出会う前のエシルは、お仕置きとして屋敷の地下室に閉じ込められるのは日常的だった。薄暗さも真っ暗闇も、孤独にも慣れている。
いくら泣いても、叫んでも、許しを乞うても、誰も助けには来てくれない場所と比べたら、地下の隠し部屋なんて怖くない。
「災厄の種は、どこに隠されていたのですか?」
見たところ、隠し棚は見当たらない。
真っ暗な闇を進み、机の上にランプを置いたオリバーは「ここに隠し棚があるんだ」と壁のレンガの一つを押した。
レンガには印がついているわけではない。他と変わらない赤茶色のレンガだ。
隠し棚は奥行きがありすぎて、後ろの方は真っ暗で何も見えない。
ランプの光が届くあたりに、木でできた箱があった。
これが精霊樹で作った箱なのだろう。オリバーが箱を開けてくれたが、中は空っぽだ。種は盗まれたのだから、当然だ。
「少しでも種を浄化しようと、精霊樹の枝を切ってこの箱を作ったんだそうだ。初代の自伝にそう書いてある」
「それは精霊樹だって、いい気はしなかったでしょうね……」
「そうやって、また一つ、また一つと罪を重ねて、精霊樹も我慢の限界を迎えたんだろうね」
その言葉に、エシルは素直にうなずいた。
オリバーは真っ暗な隠し棚の奥を指さして、「この奥に初代の自伝があったんだ」と教えてくれた。
「どうして隠し部屋を探そうと思ったのですか?」
「国王の部屋もレオンハルトの部屋も探したけど見つからなかった。もし災厄の種と同じくらい秘密が隠されたものなら、ここに隠されているだろうと思ったんだ」
「なるほど。それだけの秘密が本には隠されていたのですね。それであれば、この場所には他にも何か秘密が隠されているかもしれません!」
「もう探検はいいだろう? それより、あの本を早く読んだ方がいいよ! きっとエシル嬢も驚くよ」
オリバーをこれだけ浮かれさせることが、本には書かれていたのだろう。
手際よく部屋を元の状態に戻すと、オリバーはエシルを連れてあっという間に外に出た。
せかされるように部屋に押し込まれ読んだものは、初代の王の自伝というか、日記に近いものだった。意外と言っては失礼かもしれないが、オリバーの言う通り興味深いことが書いてあった。
だが……初代の王と言えば、言わずと知れた精霊樹の種を盗んだ諸悪の根源だ。そんな人が書いたことを信じるべきか悩むところだ……。
しかし、本を読み始めてみると、その心配はすぐに解消された。
これもまた意外なことに、初代の王はまともな感覚を持ち合わせていた。
盗人だけど、一応は自分がした行為が精霊樹の反感を買うことは理解していた。だからこそ精霊樹の仕返しを恐れ、精霊について色々と調べることにしたのだ。もちろん自分の能力では無理なので、多くの研究者を集めた。
命の危機を感じた王が、リスク回避で専門家に調べさせた。内容としては非常に信ぴょう性が高い。
読み始めてまず出だしから驚いたのは、「闇の精霊こそが精霊王だ」ということだった。
闇の精霊が精霊王。水の精霊が精霊王の妻。土・火・風の精霊は彼らの子供。精霊は、家族だったのだ。
初代ブールート家の当主が精霊樹の声を聞けたのは、水の精霊の愛し子だからだ。
水の精霊でもある精霊樹は、自分の愛し子は「精霊樹の守護者」であるブールート家の当主を選んでいたのだ。
エシルは「なるほどなぁ」と納得した。
今まで一度も水の精霊の愛し子が従者候補に選ばれなかった説明がつく。
「精霊樹の守護者」である水の精霊の愛し子は、従者とは別の形で自分の側に置きたかったのだろう。今回のようなイレギュラーに対応させるために。
ちなみに闇の精霊の愛し子が誰もいなかったのは、精霊王が命を終えているからだ。
他の精霊は人に見えないだけで、存在はしている。だから愛し子を選ぶことができる。この世界に存在しない精霊王は、愛し子を選ぶことができない。
なら、なぜエシルは選ばれた?
当然エシルもそう思ったが、その解答は初代の王の自伝には書かれていない。
それはそうだ。いくら研究者たちがしっかりと働いてくれても、未来のことまで予測するのは不可能だ。
精霊樹は人間を憎んでいる。
それが分かっただけでも、十分だ。
精霊王は、人間に殺された……。
人間側からすれば、「そんなこと言われても……。ちゃんと言ってくれれば……」ということになる。
だって、人間は知らなかったのだから。
人の持つ醜い感情が、精霊の国の大地を穢していくなんて。大地の穢れは、精霊王の力を弱め消滅させてしまうなんて。人間は知らなかった。
知っていたら国から出て行ったかといえば、決してそんなことはしなかっただろう。だからやっぱり、精霊王を殺したのは人間なのだ。
なら精霊王は人間を受け入れなければよかったのではないか? 受け入れたのは精霊王だ。精霊王が自滅したのだ。
確かにそうとも言える。
隠されていたのだから知らなくて当然だが、精霊王には未来視の力があった。
人間を受け入れた先に、自分の死が見えていたはずだ。
それなのに、精霊王は人間を受け入れた。
どうしてなのかは書かれていない。でも、精霊王には、そうする理由があったのだ。なぜ変わらないけど、エシルはそう思えた。
しかし、水の精霊は、そうは思っていなかった。
彼女は精霊王の妻として共に、精霊王の国から消えるつもりだった。それを望んでいたのだ。
精霊王の命は永遠ではない。命が尽きるその前に、新たな王を選ぶのだ。そうやって大地を守り、命を紡いでいく。
だが、精霊王には次の王を選ぶ力は残っていなかった。
精霊王は自分には次の王を選ぶ力は残っていないことを、突然水の精霊に告げた。その上で、「自分の代わりに、この国を見守って欲しい」と言ったのだ。
水の精霊には、愛する人の言葉を無視するなんてできない。
精霊樹となった水の精霊は、最愛の人を死に追いやった人間を憎んだ。それなのに精霊王の言葉に囚われて、人間を助けなくてはいけない。
相反する気持ちに折り合いをつけるために、精霊樹は人間への憎しみを実として生み落とした。
こんなことが国内に漏れても、国外に漏れても、大問題だ。ノーラフィットヤ―国が、「精霊に護られし国」ではないことが露呈してしまう。
しかも、精霊樹の悪意の塊である種を盗んだ自分が、国を危機にさらしていることもバレてしまう。
慌てた国王は、国中の精霊に関する書物を廃棄した。精霊樹に関する研究も禁止した。秘密を知る研究者たちは、塔に閉じ込めて解決方法がないか調べさせた。解決方法は何も見つからなかった……。
そして全てを記したこの自伝を、種と一緒に隠した。
自伝を残したのは、一応は良心の呵責だったのだろう。
自分がしでかしたことによって、国は決して幸せになれないと王は気づいていたのだから。
災厄の種はずっと、真っ黒な深い恨みを吐き出していた。それに恐れをなした初代の王は、この隠し部屋を作ったのだ。
地下のこの隠し部屋に封印することで、種は落ち着いたように思えた。
だから、気づかなかった……。いや、気づきたくなかった。自分の罪から目を逸らして逃げ出してしまった王には、もう何も見えなかったのだ。
災厄の種が人の心を操り、国を滅ぼすためにルーメ教を作ったことも。
ルーメ教の作り出す悪意は、精霊樹の根を使って国中にまき散らされていたことにも。その悪意が、瘴気と魔獣を生み出したことも。
災厄の種を所有しているはずの王家が、種に取り込まれていることも。
王は全てから目を逸らした……。
重い話を閉じ込めるように、エシルは本をパタンと閉じた。息を吐き出して、机の上に突っ伏した。
全てが分かったわけではない。疑問が残ることも沢山ある。
「でも……一番の疑問は、精霊の中に『光』がいないことよね……」
「光の精霊は、災厄の種の愛し子といえるだろうな」
顔を上げれば、オリバーがいた。
エシルが集中している間に、来ていたらしい。
ビックリはしたが、話し相手が欲しいところだったので丁度いい。
「それだと、おかしいと思うんです。災厄の種から国を護る精霊樹が、どうして自分の従者候補の中に光の精霊の愛し子を入れたのでしょうか? 精霊樹からすると、敵ですよね? 敵の愛し子なんて、従者候補に選びませんよね? 普通」
「精霊樹と災厄の種は、元をただせば一つなんだよ」
精霊樹の人間への憎しみが実として生み落とされた。元々精霊樹の中にあったものと考えるのなら、一つなのだろう。
「ルーメ教の悪意を広めるために、精霊樹の根を使ったと書いてあるだろう?」
「浄化や国を護るための根で悪意を広めていたのかと思うと、恐ろしいですよね……」
「精霊王の願いに応えたい気持ちと、人間を許せない気持ち。その両方ともが、精霊樹には真実だったんだろうね」
「ガレイット公爵は、その気持ちを理解できますか?」
虫の椅子に座ったオリバーは、目を閉じて考えている。
「揺れる二つの気持ちがあるのは分かる。でも、両方は選べない。どちらかを選ぶ時が、精霊樹にもきているのだと思うね」
目を開くと「だからこそ、エシル嬢が存在しているんじゃないかな?」と言って、立ち上がった。
「準備は整った。さぁ、精霊樹に会いに行こう」
読んでいただき、ありがとうございました。