52.願いを叶えるために
よろしくお願いします。
「……はぁぁぁぁぁぁぁ」
エシルの派手なため息は、無駄に豪華な書庫の派手さには敵わない。
書庫といっても名前だけ。主役は本じゃない。そんな残念な場所だ。
本よりも存在を主張する本棚。それよりも主張が激しいのが、部屋のど真ん中に置かれたソファーセットだ。「寝るの?」と聞きたいくらい、でかい。もはやベッドだ。
エシルが書庫に通って、二日……。たった二日だが、この書庫に意味がないことが分かるには十分すぎた。
いや、本当は初日から分かっていた。分かっていたけど、「いやいや、一応王族の書庫だよ? 五百年の歴史があるし、必ず何かあるはず」と希望を持ってしまったのだ。
そんな無意味な希望を持ったせいで、エシルは今、広いソファーで一人、崩れ落ちている。
歴代の王族は、みんな形から入る人ばかりだったのだろう。
容れ物である書庫は大変豪華だけど、一番重要な本は酷いものだ。それらしい本を形ばかり適当に集めたか、誰かに書かせた自分の自伝。いや、なんか勝手に偉人伝になっているから怖い……。そんな本しか置いていない。
ため息も枯れたエシルの頭上から、「よく二日も頑張ったね」と声が聞こえた。もちろんオリバーだ。
「意味、なかったでしょ?」
慌てて起き上がったエシルは、「意味、なかったです」とうなずいた。
エシルの向かいのソファーに座ったオリバーは、座り心地はいいけど背もたれまで遠いソファーを微妙な顔で見ている。
「こんな逃げ込んでサボる用の部屋を作らなくても、王族はろくな仕事してないんだけどね。この『寝ますっ!』って宣言しているソファーも、やりすぎだよね」
もうその通りで、エシルも返答に困る。とりあえず「ははははは」と笑うしかできない。
オリバーはエシルの前に置かれた本を見て、「読んだ?」と微妙な顔をした。
「歴代の王の自伝は、偉人伝というか日記というか自慢というかこじつけというか……」
「よくもまぁ、こんなみっともないもの残せたって思うよね。神経疑うよ。まぁ、そういう人だから、国王になれたんだけどね」
机に積み上げられた一際派手な装丁の本は、全て王の自伝だ。本だというのに、目に優しくない。
「みんなが作っている自伝ですが、なぜか初代の王だけないんですよね……。絶対に作っていると思うのですが……」
「国王の部屋に紛れていないか、後で見てみるよ。まぁ、あの部屋もガラクタしかないけど」うんざりした顔でそう言ったオリバーは、「どっちにしろ読むべき本だとは、思えないけど?」と首をかしげた。
「確かにその通りなのですが、ここまで来たら全部読まないと! という意地です」
「意地かぁ……」
「意地です!」
収穫のない二日間を過ごしたエシルを、オリバーは外に連れ出した。
少しくすんだ秋特有の色合いは、エシルの心を少し落ち着かせてくれた。焦ってばかりいたら、見えるものも見えなくなるものだ。
穏やかだったエシルの心がざわりとしたのは、遊歩道を舞う枯れ葉を見た時だ。
ネイビルと「また焼き芋をしよう」と約束をした。ネイビルは枯れ葉を集めてくれると、そう言っていた。思い出してしまうと、目にしていた景色が色を失う。
そんな時は、聞きたくない声が耳に入ってくるものだ。
「救世主様は、まだ目を覚まさないようだな」
「オリバー殿下が頻繁にお見舞いに行っているそうよ。二人きりになるために、メイドも部屋を出されるって話よ」
「二人が以前より思い合っていたという話は本当のようだな」
「目を覚ましたら、すぐに結婚式だろう」
「黒髪も赤錆色の目も、こうやって見ると不吉じゃないな」
「コクタール家が今更『救世主は我が家の娘だ』と言って回っているよなぁ」
「今まで無視してきた娘にあやかろうなんて、みっともないですわ」
「あの家は、殿下が何とかしてくれるだろう」
「そうですよね。お二人は、とっても仲睦まじい夫婦になりますわ」
「結婚式かぁ。また、奇跡を起こしたりしてな!」
「浄化だけじゃなくて、もっと他にもあるよな」
「豊作とか治癒とかもいいな」
「勝手なことを……」そう呟いたオリバーは、エシルの手を引いてその場を離れた。
結局来たのは、いつもの花畑だ。それでも要らない声が聞こえないのはありがたい。
周りがエシルに何を望んでいるのかは、知っていたつもりだ。だが、実際耳にすると、気分のいいものではない。
エシルが従者になることも、エシルが王妃になることも、勝手に決めないで欲しい。奇跡を期待されても困る。そもそも何度も起こせたら、奇跡じゃない……。
城内であっても『救世主』を連れ去ろうと考えている者がいる。そういう輩から身を守るため、エシルはまだ目が覚めていないことになっている。
頻繁にオリバーが来ているのは、こうやって散歩をする時間や書庫にこもって調べる時間を作るためだ。
「こんな噂話をされるくらいなら、元気に『貴方の考え違いますよ』と指摘して歩いた方がいいですね」
「それは危険だ」とオリバーは顔をしかめた。
「これ見よがしに部屋の前に兵士を並べて警護しているというのに、エシルを狙った輩を何人も捕えている。目が覚めたとなれば、色々な場に招待される。断れない場合も出てくるだろう。そうなった時に、守り切れるか分からない」
「ネイビル様がいれば……」
眉がハの字に下がったオリバー辛そうで、エシルはその先を言えなくなってしまった。
「さっきの奴等も言っていたが、コクタール家はどうする? 潰すか?」
「えっ? 必要あります?」
オリバーは呆れた顔でエシルを見ている。
「今まで散々エシル嬢を無視しておきながら、『救世主』になったら娘だと吹聴しているんだぞ? 毎日城に来ては『娘に会わせろ』と言ってきている。エシル嬢を利用する気だ」
コクタール家が、やりそうなことだ。「家族にしてやる」と言えば、エシルが喜んで手を取ると思っているのだろう。
「腹が立たないのか? 今まで散々な目にあわされてきたんだろう? エシル嬢の気持ちなんて一切お構いなしで、自分の都合、自分の利益だけを押し付けてきているんだぞ?」
「そんなことを怒っているのですか?」
「そんなことじゃないだろう! あいつらはエシル嬢を、都合のいい道具としか見ていないんだぞ!」
オリバーは珍しく激昂していて、テーブルを叩いて立ち上がった。ガゼボが少し揺れた気がする。
だが、エシルは怒るどころか、困ったように微笑んでいる。
エシルにとっては、今更な話だ。
「そんなの、コクタール家に限った話じゃないですよ。この国の全員が、私を道具にしか見ていない。私を利用することしか考えていない」
風船が破裂したように力を失ったオリバーはぺたんとベンチに座り、花畑に向かって力いっぱい息を吐き出した。いつもの飄々とした雰囲気も、表情も抜け落ちている……。
エシルが言った自分を利用しようとする中には、オリバーも含まれる。それを察知したのだろう。
エシルが王妃の座に収まれば、奇跡を望む者たちを黙らせられるとオリバーは思っている。エシルとオリバーが以前より思い合っていたかのような噂だって、そのためにオリバーが流したのだ。
急に国を任された者として、自分の立場を盤石にしたい気持ちは分かる。だが、それが許せるかと言えば、別問題だ。
「以前の私は自分を犠牲にしてでも、一人でやり遂げることしか考えていませんでした。そして、失敗した……。そんな私にネイビル様は『一人でできることは限りがある。だから協力しよう』と言ってくださりました」
「……」
「私にできる限りの協力は、もうしました。これ以上は、お断りです」
「ネイビルには協力できるけど、私には協力できないってことかな?」と口調は柔らかいが、口元だけ歪めるのは笑顔とは言えない。
「ガレイット公爵と私では、協力に対する考え方が違います」
「……意味が分からないな」
自分を冷たく見下ろすオリバーに、エシルは「ガレイット公爵にとっての『協力』って何ですか?」と問うた。
無機質な灰色の瞳を瞬かせて、オリバーは言葉を失った。
「同じ目的を共有して、自分のできることをして助け合うことだと私は思っています。そこに自分の利益がなくても相手のために力を貸せるってことです」
「私にはそれが、できないと?」
オリバーは不服そうだが、エシルはしっかりとうなずいてみせた。オリバーの口元はピクリと歪んだが……。
「仮に私がガレイット公爵に協力するのであれば、助けてもらいたいことが二つあります」
「それに私が手を貸せるかってことだね。何かな?」
「二大公爵家を城に戻すこと。アイリーンは私を殺そうとしていないと周知すること。この二つです」
頼む相手はオリバーしかいない。そのオリバーが政治的問題を理由に逃げるのなら、交渉の手段として使うしかない。
この際だ。冷たい視線なんて気にしてられない。自分可愛さに、できることを出し惜しみしないとエシルは決めていた。
「王妃になれば、権力を手にできる。自分を見下してきたやつらを、高みから見下ろして踏みつぶせるんだ。それで十分すぎるだろう!」
「そんなことは、私にとっては無意味です!」
同じように家族や国から苦しめられてきた二人だが、考え方は全く違う。権力や優越感なんてエシルは興味がない。自由を捨てる選択をするのだから、大切な仲間が守れなければ意味がない。
「私の願いは聞けないのに、自分には協力しろと言う。それは協力ではなく、やっぱり一方的な利用です」
まさかエシルがこうもはっきりと言うとは思わなかったのだろう。オリバーは間抜けな顔で驚いている。だからつい本音が漏れ出てしまった。
「自分がアイリーンの警告に気づかなかったせいなのに、その後始末を私に押し付けるのか……」
表情が抜け落ちていたオリバーが、「しまった!」とでも言うように顔をひきつらせた。一瞬で引いたが、エシルは見逃さなかった。
「ガレイット公爵の仰る通りです。だから、私には傷ついている暇はありません」
何をしてでも助けたい人がいるのなら、なりふり構っていられない。一度失敗しているのだ。今回はもう間違えたくない。
「私がその二つを叶えたら、私の王妃になってくれるのかな?」
期待の込められた目に向かって、エシルはうなずいた。
読んでいただき、ありがとうございました。