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51.災厄の種の行方

よろしくお願いします。

 部屋に戻ったエシルがベッドにもぐりこむと、同じタイミングでメイドと医者が部屋に入ってきた。

 彼らが来る時間は昨日確認したが、ギリギリでヒヤリとした。

 救世主の目が覚めたとなると、色々と面倒が多そうだ。色々と調べるためには自由が必要だ。今はまだ目を覚ましていないことにしたい。


 昨日と変わらない会話が繰り広げられ、三人が部屋から出ていく。

 エシルはまたメイド服に着替え、窓から木をつたい外に出た。

 医者が来るであろう出口に先回りして待っていると、小柄で年配の医者が出てきた。そのまま貴族牢のある方向に歩いていく。

 昨日の会話で、医者がチャービス子爵のところに行くことは分かった。だったら無理やりでも何でも、自分も連れて行ってもらおうという作戦だ。


 貴族牢が見えてきたタイミングで、エシルは医者の背後から近づき声をかけた。振り向いた医者は、化け物でも見たような驚きっぷりだ。


「救世主様!」


 糸目をこれでもかと大きく見開いて青ざめた顔を見れば、エシルもさすがに申し訳ない気がした。が、アイリーンの命や二大公爵家の復帰がかかっているのだ。ここで仏心を出すわけにはいかない。


「どうしてもチャービス子爵と会って話がしたいのです。貴方に迷惑はかけませんから、私をメイドとして同行させてください」

「…………」


 医者は地面にへなへなと座り込んでしまった。

 こんなところでもたもたしている時間は無駄だし、誰かに見つかっては困る。

 自分より小柄な医者の腕を引っ張り上げて立たせると、エシルは引きずるように貴族牢に向かって歩き出した。


「……救世主様、いつからお目覚めで……?」

 医者は諦めたのか、話しかけてきた。

「昨日です。……『救世主様』は止めてください。『邪悪な闇の精霊の愛し子』と呼ばれる方が、まだましです」


 医者の顔色は、青ざめるのを超えて黒ずんでいった。自分の都合のよさを指摘されたのが分かったのだろう。「……申し訳、ありません……」と声を絞り出した。

 そのせいなのか、医者は無言でエシルを貴族牢に連れて来てくれた。


 騒がれでもしたら困ると思っていたエシルは、医者の態度にホッとしていたのだが……。そう簡単にことは進まないと思い知らされた。

 貴族牢の入り口は難なく通り抜けたというのに……。チャービス子爵の部屋の扉まできて、まさか難敵が待ち構えているとは……。予想していなかった。


「ひぃぃぃぃぃ、も、申し訳ございません!」


 廊下に額を擦り付けて詫びる医者の肩を抱き起したエシルは、腕を組んで見下ろしているオリバーを見上げた。

 いつもの飄々とした顔で、表情は読めない。


 目が覚めたことを知っていた? どうしてここにいる? 聞きたいことは山ほどあるけど、とりあえずエシルが今することは、医者に迷惑をかけないことだ。


「医者を脅してここまで連れてきてもらいました。彼には何の非もありません」

「……君がそう言うなら、それでいいよ」

「ガレイット公爵が案内してくれるのなら話が早いです。チャービス子爵と話をさせてください」

「……目が覚めて、離宮の次は貴族牢? エシル嬢は忙しいね」


 エシルが思わず舌打ちすると、医者が「ひぃぃぃぃ」と酸欠状態でへたり込んだ。

 全部気づかれていた……。

 まぁ、スパイでも何でもないエシルが、華麗に暗躍するなんて無理ということだ。ちょっとがっかりしたが、これが現実だ。


 皮肉な笑みを向けられたので、エシルも皮肉な笑みを返した。するとオリバーは「参った」とばかりに、両手を上げて肩をすくめた。


「環境が一変してしまったのは、エシル嬢だけじゃない。私も同じだよ。そんなに敵視しないで欲しいな」

「……敵視はしていません。面倒事は避けたかったので……」

「チャービス子爵と話がしたいなら、彼を脅す前に、私に相談してくれればよかったのに」 


 オリバーの言い分を、エシルは冷めた顔で聞いていた。エシルから仲間を奪ったのはオリバーだ。その人に相談しようとは思えない。


「目が覚めたら、みんな私の周りからいなくなっていて一人でした」

「あはは、結構きつい嫌味だね。言いたいことは分かるけど、この状況で私にできることも限界があることは知って欲しいな」

 気弱に灰色の眉を下げたオリバーだが、「エシル嬢が思っているほど、権限も何も持ち合わせていないよ……」と言った目の下のクマが濃い。


 未来の国王と持ち上げられていても、代替わりの最中だ。二大公爵家を排して自分が実権を握ろうと目論む輩の相手は骨が折れる。そんな中で、自分の思う通りに話を進めるなどできるはずがない。オリバーも苦労しているのだ。


 それが分かると、さすがに暴走したなとエシルも反省した。「申し訳ありません」と心から謝った。

 突っ走ったエシルの気持ちも汲んでくれたのだろう。オリバーもホッとしたように「気持ちは分かるから」と微笑んだ。


「チャービス子爵と話したいか……。カーネルに話は聞いていないの?」と言われ、医者の名前がカーネルなのだと知った。

 当のカーネルは首をブンブンと横に振っている。


「会わせるのはいいけど、話はできないと思うよ」

 オリバーがそう言うと、カーネルは「復讐を終えて満足したのか、まともに会話ができる状態ではありません」と言いにくそうに教えてくれた。


 チャービス子爵から聞きたいことは、山ほどあったのに。今度はエシルがショックで膝から崩れ落ちそうだ。


「どうする? それでも会う?」


 ここまで来たら、引き下がれない。エシルはうなずいた。



 貴族牢なんて初めて見たが、離宮よりずっと豪華な作りの建物だ。

 だが、子爵部屋の様子は一切分からない。分厚いカーテンが隙間なく閉じられ真っ暗だったからだ。暗い部屋の中からブツブツと何かを言っている声が聞こえてくる。中に誰かいることは間違いない……。


 オリバーが兵士に指示を出すと、テーブルランプが一つ灯された。淡いオレンジの光が照らす中に、ランプが置かれた机と一人掛けのソファーが映し出された。

 ソファーに座っているのは、チャービス子爵だ。数日前に見た子爵からは、随分と印象が違うが……。


 明かりが灯ったのに、子爵は全く反応していない。

 胸の前でせわしなく動いている両手に視線を落としたまま、ブツブツと言葉なのかも分からない何かを吐き出している。


 まともに会話ができない原因は、お披露目会の時のように興奮状態なのだとエシルは思っていた。

 あの状態の子爵を相手にするのは怖いが、言いたいことを言って落ち着けば話ができると楽観視していた。

 それは、思い違いだった。目の前にいる男は、明らかに正常な精神状態ではない。


「話はできないだろう?」


 オリバーの声に弾かれたように、エシルは部屋に飛び込んだ。そう簡単にあきらめるわけにはいかない。

 エシルの突進に慌てた兵士が、「救世主様、危険です!」とエシルの前に立つ。

 すると、子爵の手の動きがぴたりと止まった。絶え間なく聞こえていた虫の羽音のような呟きも消えた。

 部屋に静寂が広がると「救世主だと?」と、まともな言葉と共に虚ろな目がエシルに向けられた。


 子爵の目は何も見ていない空っぽなのに、エシルは目が合ったと思った。すると、子爵の目が濁った何かで満たされた。

 子爵が突然立ち上がると同時に、ソファーが勢いよく倒れた。予想外のスピードでの突進は、せき止めた兵士がよろめいいたほどだ。

 兵士に止められていることも気にならない様子で、子爵はエシルに向かって叫ぶ。


「私の家族を生き返らせてくれ! 頼むよ! 貴方ならできるんだろう! 私にだって奇跡を起こしてくれ! 王妃に殺された妻を、お腹の子を、家族を返してくれ!」


 薄暗い中で、目だけがギラギラと怪しく光っている。

 マリアベルは? 今の家族は? そんなことを聞いても意味がないと分かるくらい、チャービス子爵は狂っていた。

 それでも、エシルは聞いた。


「災厄の種は? 災厄の種は、どこに隠してあるんですか?」

「災厄の種? それがあれば、家族を返してくれるのか? なら、必ず私が見つけ出す! 私は有能な商人だから、絶対に手に入れて見せる! だから、頼むよ!」


 知らない。チャービス子爵は、災厄の種の存在さえ知らない。

 子爵は誰かに操られていただけだ……。振り出しだ……。

 扉が閉められた後も子爵の声は響いていたが、大きな手掛かりが消えたエシルの耳には入っていなかった。





「知りたいことは、分かったのかな?」


 エシルがぼんやりとしていた頭を上げると、隣に座ったオリバーが見えた。目の前に広がるのは花畑で、ここはガゼボなのだと理解した。

 ようやく頭が働き出すと、貴族牢でのことが思い出された。


「頼むよ、私の家族を返してくれ。奇跡を起こしてくれよ。種も探すし、金も払う。私は金を儲けるのは得意なんだ!」


 さっきまで抜け殻だった子爵が、押さえ込む兵士を寄り切ってエシルの方へと近づく。相変わらず目だけがギラギラしている。

 何を聞いたところで、まともな返答が望めない。彼の頭の中には、失われた家族を取り返すことしかないのだ。


 呆然と立ち尽くすエシルに、子爵は「奇跡を起こせ!」と喚き続ける。

 見かねたオリバーに連れ出され、このガゼボにやってきたのだ。


「……分かったといえば、分かったんでしょうね」

「何が分かったのか、聞いてもいい?」

「チャービス子爵は黒幕ではないことです」


災厄の種を持っている人物は他にいて、この国の終わりを望んでいる。チャービス子爵も教会も、その駒にすぎない。


「まだ、何も終わっていない」


 これだけ色々と失ったのに、お披露目会でさえ序曲に過ぎなかった。これから何が起こるのかと思うと、足元から崩れ落ちていきそうで怖い。


「それは、困るな……。なら、グリードが黒幕?」

「違うでしょうね」

「教会の関係者は全て捕まえているが、自分たちの金儲け以外のことを考えている奴なんていなかった。もちろん、誰も種なんて持っていない。チャービス子爵を操っていたのなら、グリードしかいないだろう?」

「あの人がこの国に関わったのは、四年前の妹王女との婚約からです。少なくても王妃が従者になった辺りに災厄の種と接触できた者でないと、黒幕にはなりえません」


 オリバーは「そうか……」と呟いた。

 グリードは王太子の座から外れる。妹の名誉を守る復讐だったといっても、ノーラフィットヤ―国の次期国王を殺そうとしたのだ。ドースノット国としても、それなりの処罰を与えないといけない。

 色々あったが、一番苦しい時を支えてくれた親友だ。これ以上罪には問いたくなかったのだろう。


「黒幕を見つけて災厄の種を浄化しない限り、国はずっと滅びの危機に瀕したままです」

「エシル嬢の起こした奇跡で、災厄の種は浄化されたのでは?」

「それはないでしょうね。種は黒幕の手の中にあります。黒幕を見つけ出すには、私一人では荷が重すぎます。二大公爵家の謹慎を解いてくださ――」

「アイリーンの解放も含めて、今はまだできない。私には、その力がない」


 先回りされてしまったが、はいそうですかと言っている場合ではない。オリバーが力を蓄えるのを待っている時間は残されていないのだ。


「災厄の種は、国を滅ぼすつもりなんですよ。今動かなければ、この国に未来なんて来ない」

「……それは、分かっているけど……」


 オリバーも板挟みで、動きたくても動けない……。


「失態を犯した二大公爵家と、救世主を殺そうとしたアイリーン。国民のやり玉にあがった彼らの処置に手心を加えれば、私なんてすぐに追い落とされる」

「ガレイット公爵は、精霊樹が指名した国王です!」

「私の首を狙っている連中にとって、それは大したことではないんだよ。あれだけの奇跡を起こした救世主がいるのだから、私なんておまけみたいなものさ」


 そう言われても、どんな視線を向けられても、エシルには何もできない。もう二度と、期待には答えられないのだ。


「お分かりだと思いますけど、私にはもう奇跡は起こせません」

「でも、国民は誰もそう思っていない」

「……そんなの、困ります……」

「さっきのチャービス子爵を見ただろう? エシル嬢に対する反応としては、あれが当たり前だと思うべきだ」


 誰もがエシルに奇跡を求めている。

 奇跡であっても、自分に起きるのなら当たり前だと思っている……。


「国民が求めているのは、救世主であるエシル嬢なんだよ。いつでも首を挿げ替えられる私ではない。君を手に入れようとする魑魅魍魎共が、うようよしているってことだ」


 精霊樹は精霊だが、エシルはただの人間だ。

 精霊樹と話せるのは従者だけだが、エシルなら誰でも会話ができる。

 精霊樹を言いなりにさせることはできないが、エシル相手ならいくらでもやりようがある。


 怖い。逃げたい。それ以外が頭に浮かばない。

 でも、ダメだ。それでは、誰も助けられない。


「言い換えれば、この国で一番力を持っているのはエシル嬢だ。エシル嬢が王妃となって指示を出せば、二大公爵家もアイリーンも君の思う通りになるよ」

「一番簡単な選択肢ですけど、選んだら誰も幸せにならない。私はもう、間違えたくありません」

「確かにそうだね……。私からすると残念だけど、エシル嬢の気持ちを優先するよ」


 ちょっとだけ悲しそうに笑ったオリバーだったが、一転して表情を引き締めた。険しく厳しい表情に、エシルも背筋が伸びるほど緊張する。


「エシル嬢の気持ちを私は理解できるけど、他の者は違う。エシル嬢が王妃になることは、この国にとって決定事項だ。逃げたところで、どんな手を使ってでも追ってくる。奇跡を目にした他国も似たようなものだ。君を手に入れようと躍起になっている」

「……もう一度、誰も興味を持たない『邪悪な闇の精霊の愛し子』に戻る。そうでもしない限り、私に自由はないってことですね」

「それが実現可能なこととは思えないけど、そういうことになるね」


 そう、実現可能ではない。

 今から王妃級の悪女になってみたところで、エシルの立場が覆ることはない。あの王妃だって王妃のままでいられたのだ。

 精霊樹の従者が、この国でいかに特別な存在か分かる。ましてやエシルは『救世主』だ。奇跡を起こしてもらうためなら、犯罪だろうが目をつぶられてしまう。


 現状を打破する方法……。思いつかない。こんな時に一人なのが、本当に辛い……。


「今まで『闇の精霊』は、国を滅ぼす存在だったのだから……。やっぱり『救世主』も、奇跡どころか破滅を呼ぶとんでもない存在だと証明できればいいのだけど……」

「今、捏造しようって考えたよね?」


 顔に出ていただろうか? ペタペタと自分の顔を触っていれば、白状したも同然だ。


「…………それだけ簡単に顔に出てしまう人が、捏造した情報で人を納得させられるわけないね。その案は、諦めよう」

「名案だと思ったのに……」


 頭を抱えるエシルに、オリバーは思わず笑ってしまった。


「今までだって『闇の精霊』について調べていたんだろう?」

「書庫や図書館は調べました。でも、文献がほとんどなくて……。あっ! 王族用の書庫がありますよね?」


 王太子に頼むのは嫌で、エシルは入ったことがない。だが、調べていないのは、もうそこしかない。

 オリバーの表情は微妙だ。王族じゃないと入れないのだろうか。


「……あるにはあるけどね……」

「入室を許可していただけませんか? 『闇の精霊』について調べたいです!」

「許可はするけどね……。意味、ないんじゃないかな……?」


読んでいただき、ありがとうございました。

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