5.死に戻ってしまった?
よろしくお願いします。
アイリーンが倒れた後は、エシルにとっては地獄でしかなかった。
教会の関係者が、闇の精霊の愛し子であるエシルが呪ったのだと騒ぎ出したのだ。聖騎士の中には、エシルを地下牢に入れるべきだと主張する者までいた。その激しい怒りに文官まで同調し始めた。
そんな混乱を収拾したのはネイビルとオランジーヌ公爵だが、それでもいったん噴き出した怒りは完全には収まらない。
エシルへ面と向かって叫ばれる中傷。聞えよがしに囁かれる陰口。向けられる憎悪。遠慮なくぶつけられる怒り。その様子を楽しそうに眺める嘲笑。
そんな悪意の中、エシルはしっかりと顔を上げて帰ってきた。
駆け込むように部屋に入り扉を閉めると、歩くのも辛いほど身体が重くなった。よろけるようにベッドに倒れこみ、ベッドに身を沈ませていく。
このまま何もかも忘れて、地底深くまで沈んでしまいたい。でも、二度目の『選定の儀』を体験中のエシルは、世の中がそんなに甘くないことを知っている。どんなに拒んだところで、普通に明日はやって来る。明日になればまた同じ、いや、それ以上の悪意の中に立たされるのだ。
仕方なしに転がって身体を上に向ければ、色とりどりの幾何学模様をした天井が目に痛い。
「いくら頑張っても、自分ではどうにもならないことって多いよね……」
いつも以上に感傷的なるのは、とにかく今日は色々ありすぎたからだ。
まず、殺された。
で、なぜか一年前に死に戻った。
そうしたら、最悪な『選定の儀』の初日をもう一度する羽目になった。
最後はアイリーンが倒れて、その場の悪意を一斉にぶつけられた。
「酷い一日だった……。いや、一日だったと、言えますか……?」
エシルの戸惑いが、独りぼっちの部屋に虚しく響く。
やたら原色を使った天井を見ていると落ち着かず、エシルは身体を横に向ける。が、白い壁はいたるところに金色の装飾が施されていて、白がメインか金がメインか分からない。おまけに金色の装飾に窓から注ぐ光が反射して眩しい。
疲れ切った身体に鞭打って、仕方なくカーテンを閉めるもため息しか出ない。
「そうだったよ。こんな部屋だった……」
カーテンは虹色以上の色が細かく散りばめられていて、閉めたところで全然目に優しくない……。
それでも光が反射するよりましなので、エシルはカーテンを閉めた。
少し薄暗くなった部屋を、エシルはぐるりと見まわした。感想としては、とにかく派手で下品だに尽きる。
置いてあるものが高級品であることは間違いないけど、びっくりするくらい趣味が悪い!
平民同然の生活を送ってきたお前に何が分かる? と言われたとしても、この城の趣味の悪さについては胸を張って言い返せる。
そう、こんな内装なのは、エシルの部屋だけではないのだ。城全体において、壊滅的に趣味が悪い。ファブリックはカーテンと同じで、部屋の調和なんてまるで考えられていない。どこをどうしたらこの柄が生まれるのだ? と聞きたいくらい視覚から脳を揺さぶられる強烈さだ。
家具だって同じだ。
辛うじて木製だけど、どうしてそのまま素材を生かしてくれない? と思わずにはいられない仕上がりだ。わざわざ目に優しくない色を塗り、気持ち悪い模様をつけ、意味不明な彫り物をする意味がどこにある? これを作らされた家具職人だって、絶対に本意ではなかったはずだ!
絶対に座りたくない一人掛けのソファーを見て、エシルは心からそう思った。
一人掛けのソファーのひじ掛けは、でっかくて太った緑の芋虫だ。妙にリアルなのも気持ち悪いのに、緑の中にある生々しい柄がまた気持ち悪くて本当に気分を害す。
この部屋には、そんなものばかりがそこかしこに散りばめられている。
「気は滅入るけど、暗い気持ちにならないのは感謝すべきなのかもしれない……」
この部屋に対して、感謝する日が来るとは思わなかった……。
でも、やっぱり落ち着かない。もう一年をここですごすのかと思うと、頭が痛いどころの騒ぎではない。
いや、今は、そんなことを悩んでいる場合ではない。
「死に戻った……のよね?」
言葉にしても、この現実とどう向き合えばいいのか分からない。
一般的に死に戻った場合は、どうするのだろうか?
①次は死なないように努力する、とか?
②自分を殺した犯人を捜す、とか?
③誰かの未来を変えるために奔走する、とか?
④大きな敵に立ち向かう、とか?
⑤一度目では成しえなかったことを成功させる、とか?
⑥誰が何の目的で死に戻らせたのか調べる、とか?
エシルが選択するのは⑤だけだ。
①は別にどうでもいい。興味がない。
②も別にどうでもいい。興味がない。
③だって別にどうでもいい。興味がない。
④なんて本当にどうでもいい。全く興味がない。
⑤は一つだけ成功させたい。今度こそ何としても守りたい人がいる。
⑥に関して言えば、「誰が」は調べるまでもない。死に戻りなんてありえないことを可能にできるのは、精霊樹しかいない。何が目的かは興味がないから、どうでもいい。
だが、どうして、精霊樹は、こうもやる気のないエシルを選んだのだろうか? 人選ミスとしか言いようがない。他にもっと適任者がいたはずだ。
例えば、ソフィアなんかはピッタリだ。
傲慢だけど、真面目だし優秀だ。正義感だってある。家は二大公爵家で、政治を裏からも表からも操る家だ。権力もあるし、世の裏側にも精通している。①~⑥の何をやらせても、完璧にこなしたはずだ。
「でも、まぁ、ソフィア様は、しっかりしていてガードが堅いもの。そう簡単に死なないよね。たまたま死んだのが私だったのか……。納得」
従者候補である四人の中で、死んだところで全く問題がないのはエシルだけだ。
まず、他の三人には当たり前にある後ろ盾が、エシルには影も形もない。
伯爵令嬢なんて名ばかりで、コクタール家はエシルを家族の一員だなんて思っていない。エシルの死を望んでも、手を貸してくれることは決してない。
世間的にも嫌われ者のエシルだが、実の家族が一番エシルを憎んでいる。
コクタール伯爵家と言えば、その美貌が国境を越えて話題になるほどだ。
国の要職に就いていないにもかかわらず、コクタール家は伯爵家の中でも高位に位置づけられている。それはひとえに、「他を圧倒するほどの美しい容姿」のおかげだ。
エシルの母の妹は美貌をかわれ、隣国の王族に嫁いだ。叔母にとどまらず、国内外の王族や高位貴族と縁を結んでいる実績は家系図を見れば明らかだ。
エシルの両親だっていまだに美しさは健在だし、エシル以外の三人の兄妹も大陸でも群を抜いた美しさで有名だ。
その眩いばかりの美貌は、人々の賞賛と羨望を生む。
コクタール家の誰かが使ったといえば、その商品は飛ぶように売れ、ドレスは流行を生み出す。美しさは、金さえももたらすのだ。
そんな華々しいコクタール家の唯一の汚点が、美しさの欠片もない陰気なエシルだ。
エシルは真っ黒な黒髪と赤錆色の瞳の持ち主だ。家族はもちろん、国中を探してもこの色を持つ者は見たことがない。珍しさを好意的に受け取ってもらうには、色合いが不吉すぎた……。
特に美しさへのこだわりが強すぎる母親の拒否は激しく、「その気持ちの悪い目を隠せ!」と罵られ、幼い頃から前髪で目を隠している。まぁ、その黒髪も気に入らず罵倒されるのだが……。
美しさだけが全ての基準であるコクタール家では、エシルに居場所はない。
生まれ落ちた瞬間に家族からも使用人からも存在を無視されたエシルは、物心がついた頃には別棟と呼ぶには無理があるボロ小屋に追いやられた。
寂しさを伝えたくて「私だって家族なのだから、こっちを見て」と叫んでも、エシルの言葉は誰の耳にも届かない。それどころか、使用人から「生きていることだって忌々しいのに、コクタール家の家族だなんて二度と口にするな! お前のせいで、奥様が苦しむ!」と暴力を振るわれる始末。家族はそれを、遠くから汚いものを見る目で眺めていた。
そのうちエシルが同じ敷地にいることが許せなくなった家族から、隣国との境に追いやられた。
いくらコクタール家がエシルをいないものと扱っても、出生を届ける義務がある貴族では簡単に存在を消すことはできない。
社交の場に全く現れず、麗しい家族からは存在を許されない。それなのに「黒髪に赤錆色の目をした陰気な次女」と、社交界では有名人だ。世間からも見下されたエシルは、『コクタール家の出がらし令嬢』と呼ばれ嘲笑の的になった。
隙間風吹く家で野垂れ死ぬことを望まれていたエシルを助けてくれたのが、ダンスールだ。
解雇され、再就職も邪魔されるとなれば、誰だってエシルを助けたいとは思えない。美貌の家族の中に生まれた出来損ないなんかのために、自分の生活を犠牲にしたくはない。唯一ダンスールだけが、周囲からの執拗な攻撃に耐え、エシルを守り、生きる術を教え、一緒にいてくれた。
蔑まれるか利用されるだけのエシルの人生で、ダンスールに出会えたことだけが唯一の救いだ。誰よりも大切な人を守りたいと思うのはエシルにとって当然のことで、そのためならどんな犠牲もいとわない。
一回目も今もエシルの頭にあることは、どうすればダンスールを守れるか、だ。
一回目でエシルは死んだ。多方面から嫌われているだけに、誰に殺されたかは判断が難しい。王家に殺されたとは決めつけられないが、エシルが約束だと信じていたことが、実際は軽視されていたのは間違いない。
「一回目と同じことをしていたら、ダンスールは守れない。問題を避け、黙り続けているだけではダメだ」
部屋の真ん中に立ち尽くしたエシルは、絹の服を着ていることを忘れて両手で握りしめている。
握りこんでいる手のひらがじっとりと汗ばみ、自分が何をするべきか。いや、エシルに何ができるのか考える。
「コクタール家に囚われたままじゃダメ……。ダンスール一人なら、難なく逃げ出せるのだから、あの家と国から出るように伝えないと……」
だけど、それを伝える術がエシルにはない。
机の上に飾り程度に置かれたペンを見て、エシルは鬱陶しそうに息を吐いた。手紙を書いたところで、『邪悪な闇の精霊の愛し子』であるエシルの頼みを聞いてくれる人はいない。そんなことは、一回目で経験済みだ。
苛立ちを紛らわすように部屋の中を歩き回るエシルは、「会いに行ければ一番いいけど……。手紙を送る以上に困難な話よね」と肩を落とした。
従者候補は基本的に城の外には出られない。
例外は家族が申請した場合のみ。それも、理由と警護が可能かを加味した上で決定が下される。コクタール家がエシルのために申請をしてくれるなんてことは、望んだところで意味がない。
「『邪悪な闇の精霊の愛し子』を攫おうなんて馬鹿はいないから、私の外出くらい許可してよ……」
ノーラフィットヤ―国が精霊に護られていること、ノーラフィットヤー国に精霊がいることの象徴が精霊の愛し子だ。
その影響なのか、愛し子を精霊と同一視する者もいる。そういう輩が精霊の力にあやかろうと、愛し子を誘拐する事件が過去に国内外で発生した。そんな危険を避けるため、愛し子の外出が制限されてしまった。
「城に呼び出したいけど、絶対に許可がおりないよね……。ダンスールは、王家にとっては私を黙らせる人質だからなぁ……」
ダンスールと引き離されたエシルに、頼れる人は誰もいない。一回目だろうが二回目だろうが、その事実は変わらない。
王城と言う場所は、エシルにとってはコクタール家より針の筵でしかない。
愛し子は精霊樹の客人だ。王太子の命を受けて、王城の使用人が誠心誠意仕えることになっている。が、エシルに関してはそうではない。部屋の掃除も洗濯も全てエシルが一人でやっている。そんなことは今までもしてきたことだから苦でも何でもないが、食事だけはどうにかしてほしい。
扉の横、床の上に置かれた皿に、エシルは気づいた。「またか……」と、落胆と呆れた声が出る。
床に置かれているのは、クローシュも被されていないむき出しの朝食だ。トレイもないから、スプーンにいたってはご丁寧に床に直置きだ。
せめて床に置くのは止めて欲しくて、わざわざ扉の横にキャビネットを移動させたエシルの労力は無視されている。
エシルに出される食事も、これがまた酷い。
回数が、朝晩の二回なのはいい。前日の使用人の食事でスープとパンだけなのもいい。ただ冷えたスープに具など欠片もなく、水と変わらないほど薄まっている。パンに至っては、普通にかびている。一年に渡ってこの食事だったエシルは、随分と瘦せ細った。
こんな扱いとなれば、誰かに頼ることなんて考えるはずがない。
誰も頼れない、手紙も出せない、外出もできない、城に呼ぶこともできない。そんな状態であっても。いや、そんな状態であるからこそ、エシルはダンスールに危機を伝えなくてはいけない。
それがエシルにできる、唯一の恩返しだ。
「城から抜け出すしかない」
床に置かれた朝食に向かって、エシルは決意した。
読んでいただき、ありがとうございました。