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49.救世主の目覚め

よろしくお願いします。

 お披露目会から、どれくらい過ぎたのかエシルには分からない。

 昨日のことかもしれないし、十日前のことかもしれない。もしかして、また一年経っていることも……。それくらい時間の感覚をエシルは失っていた。


 何なのかエシルも分からないが、お披露目会で力を使い切った。その後からの記憶がないことから、おそらく気を失ってずっと眠っていたのだろう。

 目が覚めたと思えるのは、閉じたままの目でも光を感じられたから。それと、メイドや医者らしき人たちの声が聞こえてきたからだ。


 眠っている間にエシルがいた世界は暗かったし、永遠に同じ場面の繰り返しだった。


 そう、ずっと……。

 罪人のように精霊樹の庭から連れ出されたアイリーンの後ろ姿。

 赤黒い血の中で、白く冷たくなっていくソフィア。

 そんな絶望する出来事の発端となったエシルの過ち。


 どうしたって変えられない過去にエシルは繰り返し繰り返し絶望し、自分の愚かさを後悔し続けていた。

 苦しくて、悲しくて、耐えられないのに、この世界から出たくない。自分を罰して欲しい。エシルはそう願っていた。


 だから、耳に入ってくる言葉は、エシルにとって違和感でしかない……。


「もう、三日も目を覚ましませんが、救世主様は大丈夫なのでしょうか?」

「ご自身の起こした奇跡に身体がついていかなかっただけだ。十分に休養を取ったから、いつ目覚めてもおかしくない」

「そうなのですね。いつ目覚めても快適に過ごせるように、しっかりと準備を整えないとですね」

「救世主様はご自身で食事をとられていたと聞いたが?」


 医者の冷たい声に一瞬沈黙が流れたが、メイドたちが勢いよく訴え始めた。


「クソ元王太子やチャービス家の息がかかった者は、全て粛清されています。これからは私たちが誠心誠意お仕えして、救世主様の力になります!」

「その通りです! 救世主様には、まだまだ奇跡を起こしてもらわなくては困りますから!」

「気持ちは分かるが、救世主様を軽んじるようなことを言うものではない。チャービス家と同じ目にあうぞ」


 医者の言葉に、メイドは黙ってしまった。

 沈黙の重さは、寝ているエシルの上にものしかかってくる……。


「……貴族牢の担当になった子が、ついにマリアベルの喉が潰れてくれてせいせいしたって言っていました」

「マリアベルには、医者も何度も呼ばれている。喉以外は健康すぎて、今後は要請を受けないことにした。処刑が近い父親の方には、私は明日の朝行くことになっているがな。父親は父親で静かだが薄気味悪い」

「『私何もは悪くない! 従者になるのは私よ!』と、大騒ぎのマリアベルとは大違いですね」

「救世主様の奇跡を目の前で見たのに、どうしたら自分が従者なんて言えるのかしら?」

「バカなのよ。父親は全て自分が計画した復讐だと告白したのに、マリアベルはバカだから分かっていないのよ」

「アイリーンは離宮で大人しくしているのでしょう?」


 アイリーンの名前に反応して、エシルは思わず起き上がりそうになるのを堪えた。


「アイリーンはあの薄暗い離宮で、何もしゃべらないそうよ」

「あの無駄にでかい木のせいで全く光の入らない窓を見つめて、そこから動かないって聞きました」

「離宮と言われているが、あそこは牢獄と変わらん。王妃がおかしくなっていったのも、離宮に入ってからだ」


 医者の言葉に、二人のメイドはごくりとつばを飲みこんで黙ってしまった。

 元々離宮には王妃の亡霊が出るとか、悪魔が宿っているとか不吉な噂が多い。使用人の間では、近寄らないどころが、視界に入れてはならない場所として有名だ。



 三人が出ていくと、部屋はいつも通りの静けさを取り戻した。

 エシルはそっと目を開く。多少ぎしぎしと動きづらいが、三日も寝ていたのならこんなものだろう。伸びをしたりと少しずつ身体を動かしながら、エシルは起き上がった。

 音をたてずに静かに移動して、クローゼットにある紺のメイド服に白いエプロンをして白いキャップをかぶる。

 鏡に映るのは、どこから見てもメイドだ。


 その姿に満足していると、三日分の空腹を訴えるようにお腹が鳴った。

 ダンスールからの荷物にあった、保存の効くシリアルバーを食べてエシルはお腹を満たした。残ったバーはハンカチで包み、エプロンのポケットに入れた。


 これからどこに向かうかといえば、離宮だ。

 アイリーンはエシルの顔は見たくないだろうし、合わせる顔もない。会いに行くのは怖い。

 それでも行くと決めたのは、夢とはいえこの三日ずっと後悔し続けたからだ。


 後悔したって、何も変わらない。後悔してエシルが苦しんだところで、それはただの自己満足だ。


 ただ一つエシルが言えることは、自己満足はダメだってことだ。

 エシルの自己満足のせいで、アイリーンは罪人として離宮に閉じ込められている。

 アイリーンを助けるのなら、自分の過ちに逃げないで向き合うしかない。


 そうと決まれば、エシルはそっと窓を開けた。

 エシルの部屋は二階の角部屋で、一番端の窓の外には枝の張り出した大きな木が生えている。

 生活のために木登りをマスターしたエシルなら、木をつたって外に出られる。

 躊躇いのないエシルは、窓枠に足をかけた。間違いなくいるであろう扉の外の護衛にバレないように。


 多少の痛みはあるけど、エシルは難なく城から抜け出した。

 黒髪はキャップで隠れている。赤錆色の目はうつむいていれば分からないはず。エシルは王城の通路を、堂々と歩いた。

 お披露目会での一件で、城も一転していた。使用人や文官も大忙しで、他人に構っている暇はない。忙しそうに足早に去っていく人たちを見て、エシルは少しほっとした。


「救世主様は、まだ目を覚まさないらしいな」


 建物の陰から話し声が聞こえて、エシルは歩調を緩めた。

 全然嬉しくないが、この『救世主』とやらが自分らしい。

 つい最近まで『邪悪な闇の精霊の愛し子』だったのに、手のひらを返したような態度は気持ちが悪い……。


「オリバー様と救世主様は、以前より交流があったそうだな」

「オリバー様のお気に入りのガゼボで、お二人でよく話をしていたそうだ」

「あの奇跡を起こした救世主様が従者なのは間違いない。お二人にはすぐにでも結婚していただいて、国内外に精霊樹の力が復活したことをアピールしなければ」


 その場を通り過ぎ、エシルは身震いした。

 冗談じゃない! 誰が従者だ! 何が救世主だ! この国に身を捧げろってこと? バカなの? どの面下げて、何を言っているんだ!


 怒りのあまりドスドスと足音をたてかけて、エシルは慌てて立ち止った。

 一度大きく深呼吸をして歩き出したが、同じ方向の足と手が出たりとぎこちない。


 途中で何度か同じような話を耳にした。その度に、何度も歩き方がおかしくなった……。

 それでも無事に離宮にたどり着いたのだから、よしとする。


 アイリーンは窓の前にいる。

 飛び起きそうになる自分を抑えて、エシルは思った。もしかしたら、アイリーンはエシルが来るのを待っているのかもしれないと。


 いつも二人が密会していた窓の前に立ったエシルは、枝を上手く鉄格子に通して窓を叩いた。

 反応はない……。

 すぐに窓が開く期待がなかったわけではない。でも、落胆もしない。もし中に見張りがいれば、今頃エシルは取り囲まれている。アイリーンは一人ということだ。


 エシルが離宮にいた時は、何の躊躇いもなく「アイリーンが来た!」と思って窓を開けていた。今更ながら自分の危機管理のなさに怒りが湧く。あの時、合言葉のような叩き方でも決めておけば、苦労しなかったのに……。


 諦めずに窓を叩き続けてやっと、少し窓が開いた。

 隙間からエシルを見たアイリーンが息をのんだ。

「こ……こんにちは……」エシルの間抜けな挨拶は、アイリーンの耳には入っていない。

「……噓でしょ? どうしてここに来たの?」


 窓から見えるアイリーンは、やっぱりやつれて見える。

 エシルはポケットからハンカチにくるまれたシリアルバーを取り出すと、鉄格子の隙間から中に入れた。


「マヨネーズ味じゃないけど、ちゃんと食べて」


 ハンカチごとシリアルバーを受け取ったアイリーンは、なぜか涙をあふれさせている。そして、号泣しながら、ガリガリと音をたててシリアルバーを食べた。それを見て、どうしてだかエシルも泣いていた。


「……泣いて食べるほど、美味しいものじゃないよ」

「……お好み焼きの方が美味しい」

「本当は、山芋入りが美味しいんだよ。これからが旬だから、一緒に食べよう」

「…………」

答えないアイリーンに、エシルは「絶対に食べるよ!」と言った。


 沈黙を破るように風が吹いて、エシルの身を覆う木々が音をたてて揺れた。


 お好み焼きの話をしに来たわけではない。もっとちゃんと話をしたい。次はいつ来れるか分からない。今言わないで、いつ言うのだ!

 エシルは全身に力をこめて、もう一度アイリーンを見上げた。


「アイリーンは私に『お茶を飲むな!』って知らせてくれていたのに、気づかなくてごめんなさい。アイリーンを信じていると主張したい、下らない自己満足を優先した。そのせいでこんな目にあわせてしまって、本当にごめんなさ――」

「何を言っているの? どうしてエシルさんが謝るの? 私はエシルさんに毒を盛ったんだよ? また、エシルさんを殺そうとしたんだよ? もう、謝っても許されない!」


 エシルが悩んだように、アイリーンも悩んだ。気持ちが同じなんだと思うと、少し安心する。


「イザベラが見張っているから、毒を入れないわけにはいかなかった。だからアイリーンは、私にそれを教えてくれた。私を殺す気なんて、アイリーンにはなかった。なのに、私が台無しにした……。謝っても許されないのは、私だよ」


 同じように眉間の皺が濃い渋い表情で、二人は顔を見合わせた。


 自己満足を優先したせいで事件が発覚し、アイリーンを犯罪者にしてしまったと思っているエシル。

 今回もイザベラに抗えなかったことを後悔するアイリーン。

 自分の罪悪感に押しつぶされているだけで、相手のことを非難する気なんて一切ない。それどころか、相手に非があるなんて思ってもいない。

 このままでは永遠にお互いに謝り続けることになる。

 二人はそれに気づいた。


「ソフィアがいたら、きっと『二人共、馬鹿ですね』とか言ってるよね」

「冷たい視線つきでね」

「あっ、ソフィアなら大丈夫らしいよ。エシルさんのおかげで、傷一つなくぴんぴんしてるって聞いた」


 ソフィアの傷が治ったのは、エシルが一番知っている。でも、アイリーンが大丈夫と言ってくれるなら、問題なく大丈夫なのだろう。エシルはホッとした。


「離宮の窓を叩くなんて、エシルさんしかいないって思った。すぐに窓を開けたかったけど、どの面下げてエシルさんに会える? そう思うと、怖かった。なのに、エシルさんがしつこいから……」

「窓を叩き続ける私だって、アイリーンと同じ気持ちで怖かったよ。開けてくれないからもう少しで、心が折れるところだった」


 やっといつもの空気が戻ってきたが、二人の立ち位置が逆なように、現実は変わらない。


「ついさっき目が覚めたんだけど……、何だか周りが私に好意的で気持ち悪かった。それで部屋の窓からこっそり抜け出して来たんだけど、城の様子もおかしい」

「……色々と突っ込みどころ満載だけど、とりあえず、話の続きを聞くよ」


 アイリーンは頭が痛そうに、両こめかみを押さえた。


「チャービス子爵が黒幕で、ドースノットの王太子と手を組んで国を破滅させようとした。それは私も覚えているから、王と王太子とチャービス家が失脚したのは分かる」

「あぁ、エシルさんが何を言いたいか分かった。二大公爵家に関わる人間が見当たらないってこと?」


 エシルはうなずいた。

 離宮までくる間に見た使用人や文官や衛兵の中に、二大公爵家に関わる者がいなかった。もちろんエシルだって全員を見知っているわけではない。だが、執務室に出入りすることも多かったし、こっそりとエシルの護衛をしてくれていたことも知っている。顔見知りは、それなりに多いのだ。


「二大公爵家やその関係者は謹慎処分中で、自宅から出られない。ゆくゆくは国外追放になるんじゃないかって離宮に来ているメイドや衛兵が言っていた」

「えっ?」


 自分でも驚くほど大きな声が出て、エシルは慌てて口をふさいだ。


 二大公爵家の仕事は、王家の監視と精霊樹の守護だ。今回の事件は、そのどちらにも落ち度があったとみなされた。

 先代の従者だけでなく国王も王太子も、精霊樹と国を裏切っていたのだ。それに気づけなかった二大公爵家に対する国民の怒りは大きい。

というか、自分たちに怒りを向けられたくない貴族が、二大公爵家のせいにした。国王の代替わりに便乗して、大きな力を握る二大公爵家を引きずりおろすのにも好都合だったのだ。


「黒幕をあぶりだしたのだって、二大公爵家が調査を重ねて根回ししたからでしょう? ガレイット公爵は、そのことを誰よりも知っているはずでしょう? どうして見て見ぬふりを?」

「エシルさんが起こした奇跡で、この国の状況が変わったんだよ……」


読んでいただき、ありがとうございました。

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