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48.二度目の死

よろしくお願いします。

 お披露目とかお祝いとかなんて、そんな浮かれた気持ちは一切見当たらない。そんな殺伐とした空気の中で、「くっくっくっ」とい抑えた声が、堪えきれずに「あはははははは」と大きな笑い声に変わった。


 場違いすぎる態度に、周りは戸惑いを隠せない。その真ん中で、グリードは本当に嬉しそうに体を折り曲げて笑っている。

 笑いすぎて滲んできた涙を手で拭い、グリードは王太子に向かって歩く。その顔に、笑みはもうない。ゾッとするほど冷たい目が、王太子を捕らえている。


「この国にとって何よりも大事な従者候補が毒を盛ったけど、これも『無礼講』だから許すのか? 精霊樹が関われば、この国では何をやっても許されるからな」


 グリードは長身というわけではないが、軍を率いるため身体は鍛えられている。ひょろひょろの王太子とでは存在感に、山にそびえる大木と観葉植物くらいの差がある。

 何も言えずグリードから目を逸らしうつむいてしまった王太子に、周囲の反応は冷たい。


「そんな国と付き合いたいと思わない。それが、今日ここで未来の王(お前)を見た我々の感想だ」


 失笑、冷笑が飛び交う中、王太子は地面に崩れ落ちた。

彼が国王になる夢は完全に潰えた。誰の目から見ても、それは明らかで、王太子本人もさすがに理解せざるを得ない。思い描いていた未来を失った喪失感を、自分の内に収める術は彼にはない。


 それは愉快に嘲笑っていたグリードと、エシルは目が合ってしまった。嫌な予感は的中して、グリードはエシルの方へと身体を向けた。


「お前には感謝しないといけないな」

「…………」


 感謝されることなんて、何一つないはずだ。訳が分からず混乱するエシルに、グリードが近づいてくる。

 グリードが一歩近づくごとに、エシルには不安が広がる。目の前に立たれた時には、エシルの全身から冷汗が噴き出していた。


「お前とアイリーンは手を組んだと聞いていたが、実際は教会を陥れるために罠にかけたのだな」


 勝手に理解して感心したようにうなずかれても、何がどうしたらそういう結論になったのか? エシルには理解ができない。

 呆然と目を見開いたまま首を振って否定をすれば、グリードも眉間に皺を寄せて首をひねった。


「なら、どうして紅茶を飲もうとした?」

「アイリーンを信じているからです。飲まなければ、私が疑っていると勘違いさせてしまいます。それでは、アイリーンを傷つけてしまう」


 違う。そんなのは、エシルの自己満足だ。

 エシルは冷静に状況判断ができなかった。ソフィアにも判断を誤ると釘を刺されていたのに……。エシルが選択を間違えたせいで、こんな状況を引き起こしてしまったのだ。


「あの時アイリーンは、わざわざ毒の話をした。あれがお前に対する警告だと、気づかなかったというのか?」

 何も言えないエシルに、グリードは「精霊の愛し子とは、本当に愚か者しかいないのだな」と吐き捨てた。


 アイリーンは、何の脈絡もなく毒の話をした。

 イザベラへの恐怖心で毒を入れてしまったアイリーンは、それをエシルに伝えようとした。そんな大事なことを、エシルは見落とした。


「お前が紅茶を飲もうとしなければ、毒を入れたことはバレな――」

「お言葉ですが、グリード殿下が愛し子を責めるのはお門違いでは?」


 まだ何か言いたげだったグリードを、止めたのはネイビルだ。突然降ってわいたように現れた巨体に、グリードも驚いた。


「教会を嵌めようとしているのかと、気になっただけだ。別に愛し子を責めたわけではない。だから、ネイビルはそんな顔をするな」そう言ってグリードは、気まずげに咳払いをした。


 自分の失態に気づかされたエシルは、そんな声さえも耳に入らない。

 頭の中は、さっきまでのアイリーンとのやり取りが繰り返されている。

 アイリーンの言葉や表情の一つ一つに気づけずに、エシルはまた自分の勝手な思い込みで行動した。そのせいでアイリーンはエシルに毒を盛った犯人として捕まってしまった。

 エシルが、アイリーンを罪人にしたのだ……。


 嘲笑と王太子を貶める声が、そこかしこから聞こえてくる。その屈辱に耐えるために、王太子はうつむき、両手で土を握り締めた。

 

 王太子の視界に黒い影が映り込むと、頭上から「大丈夫だ」とオリバーの声が聞こえた。

 幼い頃、何度もかけてもらった声だ。

 優しく労わるように肩に置かれたこの手も、ちゃんと覚えていた……。


 十歳の誕生日を過ぎると、両親も臣下も目に見えて落胆した。存在価値を失い怯える王太子に優しかったのは、同じ経験をしたオリバーだけだった。


 そんなオリバーを疎ましく思うようになったのは、いつからだったのだろうか?


 追いつけないどころか背中さえ見えない状況に、劣等感ばかりが大きくなった。王になることだけが、自分を馬鹿にした連中を見返す手段なのに、オリバーが邪魔をする。


 そう思うようになったのは、どうしてだろうか?


 二人の間に立ったオリバーが、「もう、十分だろう?」と言ってグリードに向かっていく。オリバーの表情は穏やかだが、声には有無を言わせぬ強いものが含まれていた。

 長身のオリバーに見下ろされて、グリードは不服そうだ。


「これくらいで満足できると思っているのか? 王太子(あいつ)や国王に嵌められたお前なら分かるはずだ!」

「嵌められた? 何のことかな?」

「今さら王家(こいつら)を庇っても仕方がないだろう?」


 グリードの挑発に乗ることはなく、オリバーは相変わらず飄々とした笑顔を見せている。

 この発言で地面に崩れ落ちたのは、成り行きを傍観していた国王だ。もちろん周りには、ネイビルの部下が立っている。


「二十年以上前、こちらにいらっしゃる精霊樹は、オリバー、お前を次代の王に指名したそうだな」

「……う、嘘だ! 国王は父上だ! そして、次の国王は、このわた――」

「馬鹿か! お前らみたいな愚鈍なクズが国王になんてなれるはずがないだろう? お前の母親が従者と王妃の座にしがみつくために、精霊樹の声とやらを握り潰したんだよ」

「……嘘だ……。そんなはず……」


 嘘だと信じたい。だが、真実だとすれば、役立たずの従者が生まれた説明がつく。

 みるみると王太子の顔色が抜け落ちていく。グリードはそれを面白そうに観察すると、縄で縛られ罪人と化した国王を見て満足そうにうなずいた。


「ふぅん、お前は知らなかったんだな。何も知らずに、何の努力もせずに国王になれると信じていたなんて憐れだな。いや、憐れなのはお前じゃないな。この国の民だ」

「……」


 当たり前だと思っていたことが、次から次へと崩れ去っていく。考えたこともない現実を前にした王太子は、いつも通りチャービス子爵に助けを求めた。

 自分の味方で、この国の要である彼なら、今まで通り自分を助けてくれると信じて。まさか、悪意ある笑顔が返されるとも思わずに……。


「殿下、アサス商会は、ノーラフィットヤー国から撤退します。もう、お会いすることはありません」

「……どう、して……?」

「どうしてって、貴方は本当に何も知ろうとしないのですね? 無知はもちろん知る努力をしないことは、人として欠陥品ですよ」


 今まで王太子に甘く優しい言葉しかかけてこなかったチャービス子爵とは思えない発言だ。その上、明らかに見下した顔で「まぁ、今更遅いですけどね。殿下がクズになるように誘導したのは私ですし」と吐き捨てられたのだから、たまらない。


 欲しい言葉を欲しい時にくれた優しいチャービス子爵は、もういない。いや、優しさではなかったのだ。王太子を操るための罠だった。

 今まで見たことがない自分を蔑む目を見れば、さすがの王太子だって気づく。


「『精霊の愛し子』なんかに選ばれて人の心を失った殿下の母親に、何の非もない私は家族を殺されました。王妃(あの女)は勝手に死んだけど、まだ夫と息子が残っているじゃないですか。家族なのだから、報いを受けるのは当然ですよね?」


 今まで王太子が見てきたチャービス子爵は、いつも出すぎず控えめに微笑んでいた。それが、恍惚の表情を浮かべて笑っている……。

 自分は嵌められていたのだ……。そう気づいたところで、今更だ。

 自分を嵌めたチャービス子爵より、憐れんだ目で自分を見るオリバーに怒りを覚えるのはなぜなのだろう?


「私一人で復讐を完遂するつもりでしたが、貴方やこの国を憎んでいるグリード殿下に声をかけていただきましてね。話してみれば、もっと貴方達に手酷い復讐ができると気づいたのです」

「私は……、お前に何もしていないだろう?」

「そうですね。でもね、殿下。私の家族だって、何もしていないのですよ。それにも関わらず、王妃に殺されました」


 チャービス子爵の顔から笑顔が消えると、何の表情も残らなかった。


「もう、いいだろう? 二人共、十分に復讐を果たしたはずだ」オリバーがそう言うと、グリードは鼻で笑い飛ばした。

「このバカが失脚したのだから、満足しろって? このクズと違って優秀なお前が国を立て直すのを見ていろって?」


 興奮で顔を真っ赤に染めたグリードは、そんなことで満足しない。それが分かっていても、オリバーだって全てを見逃すことはできない。


 年が近いこともあって二人は王族でありながらも、お互いを親友のように感じていた。いち早くオリバーの優秀さに気づいたのもグリードで、オリバーが活躍する足掛かりを作った。


 同情ではなく自分の能力を認めてくれたグリードは、オリバーにとっても大切な友人だ。

 オリバーが仲介したフローラの婚約が最悪の結末を迎えても、二人の友情は消えなかった。

 その二人の関係が、今、消えようとしている……。


「冗談じゃない! フローラは、この国に苦しめられ傷ついた。お前なら、その痛みが分かるだろう! この国が滅びなくては、意味がないんだよ! こんな国は捨てて、俺と一緒に来い!」

「……そう言うのなら、残念だけど仕方がないな」


 広く遮るものが何もない場所での会話だ。話を内密に済ませることはできない。自分たちとは関係のない不幸を楽しそうに眺めている招待客の手前、オリバーは親友を切り捨てなければいけない。


 ノーラフィットヤー国がフローラにしたことは、許されることではない。兄であるグリードの怒りはもっともだ。

 だが、グリードはバカな男ではない。

 こんな公の場で他国を貶めて復讐を成し遂げても、自分にとって失うものの方が多いことは分かっているはずだ。

 それでもふてぶてしい態度を改めることなく、オリバーを挑発し続ける理由は……?


「まず、チャービス子爵だけど、王家を欺いたんだ。国家反逆罪が適応される。理由は考慮されない」


 オリバーの裁定に、子爵は黙ったままうなずいた。最初から、覚悟は決めていたのだろう。アサス商会が名を変えて別の国でやっていく手筈くらい整えているはずだ。それくらい落ち着きを払っている。


「……グリード、君には何度も忠告しはずだ」

「そうだったかな?」

「フローラをレオンハルトの婚約者にという話を持って行ったのは私だ。君とフローラには負い目を感じている。でも、これ以上黙っていることはできない」

「ふぅん。忘れていなかったか。よかったよ」

「お前が巻き込んだ帝国だけでなく、当然ドースノット国とも既に話はついている」

 グリードは一瞬だけ目を細めたが、「どんな話か、聞いておこう」と不敵に笑った。


「ルーメ教を操ってまで、我が国の内政に干渉したのだ。それはもう復讐の範疇を超えている。今回の行動はお前の独断だ。お前がどんな裁きを受けようとも、両国とも異議はないそうだ」

「まぁ、そんなところだろうな。お前さえこの場にいなければ、全て予定通りだったんだろうが……。仕方がない。お前は国王として苦しめ」


 オリバーが国に戻って来なければ、二人の復讐は成功したはずだ。

 精霊樹は自分が予見した未来軸に戻すために、オリバーを国に戻したのだろうか?


 空に向かってそびえ立つ精霊樹は、何も語らずに佇んでいる。まるで、この様子さえも嘲笑っているようだ。


 誰もの目が、罰せられる二人と罰するオリバーに向けられていた。

 だから気づかなかったのだ。

 王太子の灰色の目が、真っ黒な闇に染まったことに。


 いや、グリードが、こうなるように誘導したのだ。

 彼はまだ自分の復讐計画を諦めていない。この国を救ってしまう未来の王を亡き者に。王太子の劣等感を抉る言葉は、最後の一撃だ。


「間抜けな王太子ではなく、国内外の誰もが認める優秀なお前なら国を立て直せると自信満々だな。この甘ったれの出来損ない(王太子)なら無視されるが、お前なら精霊樹に認められるもんな。この無能なだけの邪魔な甥を排除できて、お前は喜んでいるんじゃないのか?」


 長年ためこんだ仄暗い劣等感や挫折が、王太子から噴き出した。理性など掻き消してしまうほど、全ての感情が押し流される。


 チャービス子爵から「ご自身の身を守るために」と渡されていた短剣を手に、王太子はゆらりと立ち上がった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 慟哭なのか、獣の雄叫びなのか分からない、悲しい絶叫。

 エシルがそれに気づいた時には、視界は白から赤く染まり、全てが終わっていた。


 周囲からは怒号や叫び声が飛び交っていた。でも、エシルの耳には入らない。

 椅子から立ち上がり、エシルは真っ赤になったその場所に駆け寄ろうとしたけど足がもつれて倒れた。それでも必死に這って、白い服を真っ赤に染めたソフィアの手を取った。


「……ソフィア様?」


 ソフィアは血だまりの真ん中に倒れている。そこにはかつて、エシルがいた。この場所で、エシルも死んだ……。


読んでいただき、ありがとうございました。

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