46.お披露目会開始
よろしくお願いします。
秋らしい冷たい風が吹き抜けた。
ザワザワガサガサと大きな葉擦れの音が、精霊樹の従者候補の頭上で騒がしい。
四人共が『選定の儀』用の白装束を着ているが、なぜかマリアベルにだけ追加で派手な金の刺繍が施されている……。
儀式用の衣装に手を加えるなんて、『選定の儀』を軽んじた許されない行為だ。ソフィア辺りが噛みつきそうなことだが、今日はそんなことを気にしている場合ではない。
「皆さんとの距離を近くに感じたいので、本日は無礼講としましょう」と、なぜか上から目線の王太子の挨拶で、お披露目会は始まった。
あまりのことに呆然と固まったエシルとソフィアとアイリーンの三人は、その場に残された。マリアベルだけが王太子に付き添って、挨拶回りをしている。はたから見れば、従者はマリアベルに決定したような行動だ。
「分かっていたことだけど、実際に目にすると忌避感が凄い……」そう言って遠い目をしたエシルは、目の前に広がる信じられない光景にため息が漏れ出た。
「お披露目会の場所が、精霊樹の森だからね。あのバカじゃないと思いつかないよ」アイリーンもため息をつく。
本来であれば従者と従者候補とブールート家当主以外は、『選定の儀』の初日と最終日しか入れない。それ以外が入れるといっても、儀式に必要な者だけだ。外国人が物見遊山で入れる場所ではない。
そのノーラフィットヤー国の聖地ともいえる大切な場所が、人であふれている。
行きかう人が多すぎて、地面を覆う草花たちも踏み荒らされ抉られ無残な姿だ。
約束を破られた上に、大切な場所を穢された精霊樹は、何を思うのだろうか? そう考えると、エシルのないはずの背中の傷がうずいた。
この場所を会場にするなど、精霊樹に対する冒涜だと最初は誰もが反対した。
王太子が強行できたのは、チャービス子爵が金にものを言わせて後押ししたからだ。
となれば、会場にこの場所が選ばれたことには、何か意図があるはずだ。エシルたちの気が張るのも無理はない。
それに比べて招待された国々の人たちは何も知らなのだから、のん気なものだ。噂や本でしか見聞きしたことのない精霊樹を間近で拝めてご満悦だ。
「精霊樹、精霊樹とは聞いていたが、これほどまでに見事とは……」と声を失う者。
「見れただけで、心が浄化されていくようだ」と清らかになる者。
「接ぎ木をしたい。枝を折ってもいいだろうか」と欲を出す者。
「葉っぱだけでももらっていいか?」とやっぱり欲を出す者。
「ノーラフィットヤー国の秘宝を表に出すとは、王太子殿下は懐が深いようだ」と思ってもいない言葉を口にする者。
招待客の反応は様々だが、お披露目会の滑り出しはまずまずだった。
だが、精霊樹効果は長くは続かない。
まるで友人同士のホームパーティーのようで、最初こそ物珍しさはあった。
だが、相手は各国の王族や要職に就く高位貴族だ。形式や序列や伝統を重んじ、自らも重んじられてきた人たちだ。突然「無礼講で」と言われて、笑顔で歓談できる人たちではない。
「無礼講って言い出す人は、その中で最も上の立場の人であるべきだと思うのよね……」
「そうですね。一番上の人間が言わなければ成り立たない構図です」
「一番上の人間って、あれ?」
アイリーンが指さした先には、もう誰からも相手にされなくなった王太子とマリアベルが手持無沙汰に突っ立っていた。
「最悪だよ……。余計に惨めになるだけなんだから、睨むとかやめればいいのに。みっともない」
アイリーンにそう吐き捨てられた二人が睨んでいるのは、大勢の招待客の中心にいるオリバーだ。
精霊樹を見せてやった。王太子からはそんな態度がありありと見えている上に、それ以外のもてなしができない。そんな自分が周りからどう見られているかなんて、考えたこともないのだろう。
一体どんな思惑があって「無礼講」に至ったのかは知らないが、周りからはホストの役目を放棄したバカとしか見られていない……。
国同士の外交が求められる場だというのに、何の実にもならない下らない話をする男。その隣にいる女は、自分の自慢しかしない。空っぽの浅はかな二人組を、誰が相手にするというのだ?
というわけで、二人のフォローに駆けずり回っているのがオリバーだ。
機嫌を曲げた要人たちを笑わせていく様子は、もうマジックでも見ている気分で拍手喝さいものだ。
次の国王に相応しいのが誰か? 口に出すまでもない。
オリバーの努力によって普通のお披露目会になりつつあった。それを乱しているのが、フローラの兄であるドースノット国の王太子グリードだ。
オリバーが友好関係を取り戻す先から、王太子たちの失態を蒸し返す。せっかく整地したの場所に、暴れ馬を放たれているようだ……。
精霊樹の下ではらはらしながら様子を窺っている三人に近づいてくる者がいる。グレーの修道服が全くに合わない、派手顔の女だ。アイリーンの右眉がピクリと波打った。
一歩進めるごとに匂ってくる女のきつい香水の香り以上に、粘りつくような悪意が清廉な空気を汚してく。
この人は精霊樹の森にいてはいけない人だ。本能的にそう思っているのは、エシルだけではない。
「止まりなさい!」ソフィアの制止を気にも留めず、女は進む。
「本来であれば、決められた者しか入れない場所です。それ以上精霊樹の側に近寄るべきではありません」
ソフィアの言葉を鼻で笑った女は、吊り上がった紫色の目をアイリーンに向けた。ゾッとするほど冷たくまとわりつく笑顔は、その場の温度を急降下させた。
エシルとソフィアが顔をこわばらせるのを見て、女は満足気に微笑んだ。四十は過ぎていそうだが妖艶で、聖職者からは程遠い。テンセイシャ村にいる「美魔女」を名乗る美容集団とは違い、暴力的なものを感じる怖さがある。
「王太子殿下が『無礼講』と言ったのですよ? 精霊樹に対しても、もちろんそうでしょう?」
無礼講とは本当にバカなことをしてくれたと腹が立つのと同時に、エシルはそれも計画の一部なのだと気づいた。張り巡らされた罠に、エシルたちは既に囚われていたのだ。
ソフィアが反論できないでいると、女の真っ赤で厚い唇が右側だけ上がっていく。
そんな歪んだ自堕落な顔が似合う時点で、聖職者を名乗るのは無理がある。この女がアイリーンを洗脳したシスターであることは間違いない。
かつての美貌がうかがえるのは、彼女もまたスパイとして特別に洗脳された一人だからだ。
「そうでしょう? アイリーン」
口調は柔らかいが、声には棘が詰まっている。
両腕が暴れないように手で掴んで抑えているアイリーンの爪の先は白く、腕の肉にめり込んでいる。
「……はい。イザベラ様の言う通りです」
満足気にうなずきクスクスと笑い出したイザベラは、完全に支配者だ。
「アイリーンに話があるの。あちらで話しましょう」
物言わぬ人形に戻ったように、アイリーンは無言で立ち上がる。
「従者候補はここにいることが、本日の役目です」
そう言ったエシルを見るイザベラの目は、敵というより汚らわしいものでも見ているようだ。
「卑しい『邪悪な闇の精霊の愛し子』が、光の精霊の加護を受けた私に話しかけるなんて。こんなに忌々しいことはないわ――」
「私もここで一緒の空気を吸うのは我慢なりません。イザベラ様、行きましょう」
イザベラの暴言を遮って、アイリーンがエシルの前に立った。エシルがこれ以上傷つけられないよう、助けてくれたのだ。
急に感情を失ったアイリーンの、後ろ姿を見ているしかできない。そんな自分が、エシルは情けなくて悔しい。
力の入ったエシルの肩に手を置いたのは、ソフィアだ。
「エシル様を守るための言動だと分かっていても、見ているしかできないわたくしたちは辛いですね」
「やっと素直に言いたいことを言えるようになったのに……。またアイリーンに言いたくないことを言わせてしまうなんて……」
「仕方がないです。イザベラはアイリーンに任せ、彼女の計画通りに事が動いていると思わせる。そう言い出したのはアイリーンですから、今頃心の中では舌を出して笑っていますよ」
そうだろうか?
アイリーンのあの怯えは、エシルには本物にしか思えない。
エシルが思っている以上の苦しみを、アイリーンは抱えているのでは?
小さくなっていく後ろ姿が今にも消えてしまいそうに思えて、エシルは両手を握り締めた。
少し離れた場所で何かがぶつかり合う物音が聞こえた。続いて何かがつぶれたような呻き声。そして、そのまま何事もなかったように静かになった。
精霊樹の森にいる招待客たちは、そんな音にも気づいていない。
イザベラ以外は……。
微かな音だけで何も見えなかったにもかかわらず、イザベラは騒ぎがあったであろう場所を見た。何事もなかったように小花が優雅に揺れているのを見て、忌々しそうに舌打ちをした。
彼女の計画では、その場所から現れた聖騎士がエシルを剣で貫いていたはずだった。が、もちろん見張っていたネイビルたちに制圧されたのだ。
イザベラが別の場所を見ると、そこも何事もなく静かな庭になっている。同じように制圧されたのだろう。
教会に取り込まれた聖騎士がエシルを襲ってくるのは分かっていた。だが、誰がどのタイミングでどこから来るのかは分からない。
分からないのなら、そこからしか狙えないようにさりげなく警備に穴を作る。ネイビルが考えた作戦が、ばっちりと功を奏した。
土が飛ぶほど地面を蹴り上げたイザベラは、アイリーンの腕を引っ張るとエシルたちから死角に消えた。
「さぁ、何の話が始まるのかしら?」
固い声と共に、ソフィアの顔は緊張で強張っている。
教会のエシル殺害計画は失敗した。何としてもこの場でエシルを殺さないといけない教会が取る次の手は、きっとアイリーンに託される。
「ナイフでも渡されるかしら? それとも……毒薬……」
「アイリーンなら、大丈夫。私は信じています!」
自分の言葉にソフィアが呆れているのは分かったけど、エシルは気持ちを変える気はない。
苦しむアイリーンにできることは、彼女を信じること。自分にはそれしかできないし、それがアイリーンの力になるとエシルは思っていた。
昨日、アイリーンは『絶対にエシルさんを死なせない』と言った。「エシルさんを殺さない」ではなかった。
エシルを死なせないためには何でもする、とも取れる言葉だ。自分を犠牲にすることも……。それだけは絶対に受け入れられない。だったらエシル自身が犠牲になった方がましだ。
計画が失敗したイザベラは、何事もなかったようにアイリーンと共に戻ってきた。
もう撤収して欲しいのに戻ってきたということは、残念だがエシル殺害計画は継続されている。
視界の端に映るアイリーンは、表情を動かさない。淡々と人形が歩いている。計画通りなのに、なぜかエシルの胸に不安が広がっていく。
ソフィアは怒りによって、イザベラにぼろを出させようとした。
「ついさっき暴言を吐いた相手の前に、よくもまぁのこのこ顔を出せますわね。教会の方って本当に図太くて嫌だわ」
それくらいの嫌味を気にするイザベラではない。「私の光の精霊の愛し子が呪われては話にならないでしょう? 側で守らなくては」シスターらしからぬ妖艶な笑顔で、そう返した。
「そんなに心配でしたら、わたくしたちが移動しましょう。行きましょう、エシル様……!」そう言って立ち上がりかけたソフィアを、イザベラが阻む。
「ここにいることが、貴方たち従者候補の役目なのでしょう?」
にっこりと微笑むイザベラだが、例のごとく目は全く笑っていない。アイリーンと同じ紫色の瞳なのに、どろりと悪意があふれ出てきそうだ。
笑顔のなれの果てで睨み合う二人は、それこそ視線だけで呪い合えるだろう。殺伐さで空気が澱んでいる。
一触即発の空気の中に、ネイビルの大きな背中が飛び込んできた。大きく息をつく肩から、走ってきてくれたことが分かる。が、ホッとしている場合ではない。ネイビルが駆け付けたということは、今からここがエシル殺害現場になる可能性が高いということだ……。
さすがのエシルも手のひらがじっとりと汗ばんできた。
そんな張りつめた空気を破裂させたのは、やっぱり王太子ご一行様だった。
招待した各国の要人たちを引き連れた王太子は、「せっかくだから、精霊樹の下でお茶をいただこうではないか」と呆れ果てた発言をした。
会が始まった最初こそ精霊樹の前に要人を連れてきたが、それ以降は離れた場所に移動していた。もちろん、オリバーの誘導だ。
それにはもちろん理由がある。
精霊樹の側に従者候補以外を近づけたくないからだ。
元々の約束事ももちろんだが、国の弱点ともいえる精霊樹の下に危険人物をわざわざ連れてくるなんて自滅行為だ。火でも放たれたら? 毒でもまかれたら? 精霊樹が無事でいる保証なんてどこにもない。
怒りを抑えられないネイビルが、ギリギリと奥歯をすり減らすのも納得だ。
「殿下! ここにお茶の用意はありません。アサス商会が贅を尽くした茶葉とお菓子が用意してあるのは、あちらです」
こんな場面でも引きつらずに笑顔でいられるオリバーは、やっぱり王に相応しいのだろう。
だが、王太子はへらりと笑うと「うーん、でも、せっかくだから精霊樹の側でって話になった」と灰色の頭をかいた。
正気か? 誰もがそう思った。
オリバーでさえ、後頭部をぶん殴られたような顔を隠せていない。
主催者が完全に見下されている……。
それは招待客の横柄な態度と、王太子の困り果てた顔で丸わかりだ。理解できていないのは、王太子とマリアベルくらいだろう。
「お茶の用意ができるまで、精霊樹でも眺めさせてもらうよ。妹の未来を変えた木だ。もっと見たい」
フローラのことを引き合いに出されてしまうと、断るのは難しい。慰謝料を払ったとはいえ、ノーラフィットヤ―国のしたことは冷酷で卑劣だ。
一歩また一歩と精霊樹に近づいていくグリードの顔に、苦々しさも増していく。これ以上ない不快な顔で、精霊樹を見上げた。
何をしでかすか分からないオーラが、全身から揺らめいている。
となれば、一秒でも早くこの場にお茶の準備をしなくてはならない。さっさと始めて、早急にお茶会を終わらせるのだ。
予定外のことに使用人がバタバタと駆け回る中、突然イザベラが発言した。
「それなら是非とも、光の精霊の愛し子にお茶を淹れさせてください。アイリーンの加護は、皆さまに強い力をもたらすでしょう」
「おい、この場での発言を許していないぞ」と苛立った王太子に、イザベラはわざとらしく目を見張って見せた。
「あら? 殿下が無礼講とおっしゃったのに?」
わなわなと唇を震わせる王太子を挑発するように、グリードが「はははははは」と笑った。
「いや、間違いなくそう言った。ノーラフィットヤー国の王太子殿下にとって、今日は招待客の身分も何も関係ないのだよ」
グリードの発言に、周囲の反応は様々だ。
王太子を嘲笑う者。腹立たしい表情を見せる者。困って一歩引く者。この状況を楽しむ者。
身分の垣根を越えて距離を近づけたいと王太子は本気で思ったのかもしれないが、言うだけで行動が伴わなければただの無礼でしかない。グリードの巧みな誘導もあったとはいえ、「見下されている」と招待客に思わせてしまったのだから取り返しがつかないミスだ。
だが、王太子の最大のミスは、マリアベルを野放したことだった……。
読んでいただき、ありがとうございました。




