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44.お披露目会前夜②

よろしくお願いします。

 大木が邪魔をして陽の光が入ってこない離宮は、相変わらず薄暗い。とはいっても離宮の陰気さは、光だけの問題ではない。

 分厚いチャコールグレーのカーテンも、鉄格子を嵌められた窓も、薄汚れひび割れた壁も、明るさを見いだせる箇所がない。

 一般的に見ればそうなるが、一般的ではないエシルは、この場所でのんびりと好きな料理ができることを楽しんでいる。この場所が牢獄だなんて、とんでもない話だ。


 エシルは本心からそう思い、力強くうなずいた。そのまま前をちらりと見た。

 酷い有様に、ため息しか出てこない。


「ちょっと、ソフィア様……。そんなに囚人のような暗い顔をされると、私の気持ちも沈みます」


 顔だけならまだいいが、フォークに握ったまま一切料理に手を付けていない。せっかく作ったよだれ鶏がもったいない。


「お披露目会は明日だというのに、毒が誰の手に渡ったかも、チャービス子爵やドースノット国が何を仕掛けてくるかも、何も分かっていないのですよ? こんな顔にもなります!」

「そこはもう、ここまできたら、どっしり構えましょう!」


 どうやったところで、明日は回避できない。だったら暗い顔ばかりしていないで、今できることをしようという意味だったけど……。ソフィアは、そうは受け取らなかった。


「もっと緊張感を持ってください! エシル様が一番危険なのです。どのタイミングで聖騎士がエシル様を襲ってくるかだって分かっていないのですから」

「まぁ、そうですけど……。襲われることは確定しているのだから、受けて立つしかないです」

「騎士でもなく武芸の心得もないエシル様が、どうやって受けて立つというのですか!」


 普段から釣り上がり気味なソフィアの目が、これ以上ないほど上がっている。

 いつになく苛立っている。


「……ネイビル様が何とかしてくださいます――」

「人に頼るだけで、貴方は何もしない! 貴方の命を守る影で、命を落とす者がいるかもしれないのですよ!」


 何もしない。ソフィアの言う通りだ。エシルはその場にいるだけで、何もしない。何もできない。

 襲ってきた相手を剣で叩き伏せることはできないし、特殊な力で空に飛ばすこともできない。走って逃げても、一瞬で追いつかれる。


 ネイビルが『必ず守る』と言ってくれたからといって、頼るばかりではダメだ。自分でできることを探さなくては。


「私にできることは、コレイの実を命中させることぐらいですけど……。あの実も今は時期が外れてしますしね」


 代替になる実も思いつかない。

 かくなる上は、近くに石を積み上げて、襲ってきた相手の顔面にめがけて投げる。それくらいならできるはずだ。そうと決めれば、エシルは右手に力がみなぎる気がしてきた。


「ちょっと今から適当な石を探してきます!」そう言って部屋を飛び出そうとして、ソフィアに止められた。

「エシル様が何を思いついたのかは分かりませんが、わたくしの八つ当たりです。申し訳ありません」


 ソフィアの腕を振り払うのは簡単だけど、潤んだ目で見上げられるとそうもいかない。石作戦は名案だと思ったのに、エシルは渋々椅子に腰を下ろす。


「策を何も立てられないまま明日を迎えるなんて、オランジーヌ家の恥です。わたくしの力不足でしかないのに、苛立ちをエシル様にぶつけてしまいました。申し訳ありません」

「ソフィア様やオランジーヌ家が優秀なのは知っています。誰も力不足だなんて思っていません。完璧を求めれば苦しくなりますよ? 少し肩の力を抜きましょう」


 エシルがそう言っても、ソフィアは首を振るばかり。


「国の未来だけでなく、エシル様やオリバー様の命が危険にさらされています。その先頭に立っているのが、レオ様なのかもしれない……」


 ソフィアはそう言うと、きゅっと唇を噛んだ。


 明日、何が起きる変わらない不安。いまいち全貌が分からないのに、事態がどんどん大きくなっていくことへの不安。それだけでも十分恐ろしいのに、ソフィアには王太子という頭の痛いことが別にあった。


 王太子がオリバーを殺せば、ソフィアはそれを見て見ぬふりはできない。オランジーヌ家として、王太子を罰する必要がある。

 ソフィアには酷なことだ。


 唇を噛んだままうつむくソフィアの頭を、エシルはそっと撫でた。

「えっ?」と、ソフィアが目を見開いて顔を上げる。

 エシルの思っていた反応と違う……。どういうことだ?


「こうやって頭をポンポンと撫でてもらうと、安心するというか、心が温かくなるというか、何だろう? よく分からないけど、勇気が出るでしょう?」


 言葉にも呆然としたソフィアに見上げられ、何かずれがあるのはエシルも分かった。ただ、そのずれが何なのかは分からない。


「……それは、子供の頃の話ですよね?」

「えっ? 子供だけなの? 大人は違うの?」


 そう言われてみれば、ダンスールが頭を撫でてくれたのは幼い頃だった気がする。なら、ネイビルは?

 もしかして、子ども扱いされていたのだろうか? だとしたら、自分は何歳児くらいに思われていたのだろう? エシルの頭はパニック状態だ。


「えぇっ? 頭を撫でるのは、世の男性の基本行動じゃないの? 子供限定? 何歳?」


 気まずそうに椅子に座り直したソフィアは、怖い者か痛い者でも見るようにエシルに視線を投げた。


「頭を撫でるのは家族に限定されますし、幼少期にも限定されます。わたくしの感覚では、頭を撫でられるのは十歳以下ですね」

「! ……十歳……?」


 まさか十歳以下に思われていたとは……。どれだけ子供じみた行動をしていたのかと、エシルは自分の全てが怖くなった。

 驚きの事実にエシルが目を見張っていると、ソフィアは困ったように首を振った。


「わたくしは未体験ですが、そうではないケースもあるようです」

「完璧な淑女であるソフィア様も未体験……? どんなレアケース……?」

 レアケースの状況が、エシルにはさっぱり思い浮かばない。「教えて欲しい!」と頼んでも、ソフィアは静かに目を閉じて首を振る。

「わたくしが言うべきことではありません。是非、必ず、絶対に、ネイビル様本人にお聞きになってください」

「……えっ? なぜ、ネイビル様だと……?」


 誰にでも分かると思うが、エシルにはそれも分からない。


 驚愕の表情をしたエシルに、ソフィアは非常に険しい顔を向ける。

 なぜって、笑いを堪えているからだ。それが分かるはずのないエシルは、迫力に押され素直にうなずくしかない。その様子ににんまりと微笑まれ、納得いかなくてもどうしようもない。


「わたくしから一つ言えることは、無知は自分の首を絞める。ということだけです」


 ご丁寧にソフィア自ら自分の首を絞める真似までしてくれた。それもあってエシルは、てっきり実体験を話してくれたのだと勘違いした。


「ソフィア様の恋心ですね!」

 深くうなずいたエシルは「そこまで自分を客観的に見られるなんて、さすがソフィア様です!」と絶賛した……。


 ソフィアはプルプルと震えていたが、エシルは「恥ずかしくなったのかな?」とまた勘違いした。

 そんな能天気なエシルに、ソフィアは人差し指を突きつけた。


「エシル様!」

 力のこもった一言で、さすがのエシルも羞恥ではなく怒りをぶつけられていると理解した。

「はい……」としか言えない。

「その思い込みの激しさと、自分の気持ちにも相手の気持ちにも鈍いのは致命的です!」

「はい……」

「今のままでは、ピンチの時に正しい選択ができない可能性があります。もっと視野を持って、思い込みでの行動は控えるべきです!」

「……はい……」


 その通りで、返す言葉もなかった……。



読んでいただき、ありがとうございました。

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