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42.チャービス家

よろしくお願いします。

「エシル様! 大変です!」


 常に淑女らしさを忘れないソフィアが、息を切らせて走り込んで来た。それだけではなく、大声まであげているのだ。これは相当な大事件に決まっている。


 離宮の厨房で栗の皮をむいていたエシルにだって、それはよく分かっていた。全く驚いていないのは、この状況が今日、二度目だからだ。

 一度目はついさっき、エシルが朝食の準備をしている時だった。



 エシルとアイリーンの密会場所である窓が、どんっどんっといつもより力強く叩かれた。

 エシルが手にしていたカボチャを置くこともできず慌てて窓を開けると、息を切らせたアイリーンが「エシルさん、大変!」と叫んだ。


 話の内容としては、教会がエシル殺しに本腰を入れたというものだった。

 実は今までだって、そこそこ命を狙われていた。そう話題にあげることなくいられたのは、ネイビルを始めとしたそうそうたるメンバーに守られていたからだ。


 そのせいで教会のやり方は生ぬるいとお尻を叩かれたというのだ。アイリーン担当のシスターが今までになく焦っているのだから、相当切羽詰まっているのだろう。


「チャービス家なのか、ドースノットなのか分からないけど、教会の金づるが急き立てきたみたい。『お披露目会でエシルを殺せ』って……」

「……わぁ……、余命三日宣告だね……」


 随分と急な話だけど、手荒な真似もいとわないのが教会だ。洗脳した誰かを暗殺者として送り込めばいいのだから、準備なんて関係ない。駒はいくらでもいるのだ。


 殺害予告を受けたエシルよりも、アイリーンの顔色の方が遥かに悪い。

 教会がエシルの命を狙うなんて、今に始まったことではないのに……。アイリーンの様子は、明らかに過剰だ。


「大丈夫? 私よりアイリーンの方が死にそうだよ?」

 死相がでているアイリーンは、怯える目でエシルを見た。

「……シスターから、一回目と同じことを言われた。『お前なら、何ができる?』って……」


 死に戻りに巻き込まれたことで、アイリーンの洗脳は解けた。エシルはそう思っているが、当事者であるアイリーンは違う。そのことに、エシルは気づけていない。だから自分の言葉がアイリーンを追い詰めるなんて、思ってもいなかったのだ。


「一回目のアイリーンと、今のアイリーンは違うよ。教会の言葉なんかに惑わされたりしないから、大丈夫!」


 警戒心のないエシルの笑顔も、自分を信じきったエシルの言葉も、アイリーンにとっては凶器にしかならない。と、エシルが気づくはずがない。


「でも、何でわざわざお披露目会なんだろう? 人目があって警備が厳しい場所じゃない方がいいに決まっているのに……。そう思うよね?」

 エシルの声はアイリーンには届いていない。表情を凍らせたアイリーンは、「今日はまたシスターが来るので、情報を仕入れてくる……」と言って、朝日の中に紛れてしまった。


 アイリーンの様子がおかしいのは、エシルも気づいていた。でも、身の回りがきな臭いことばかりで、察知する能力が麻痺していた。

「また、明日でいいよね」と、優先順位を後回しにしてしまった。

 そんな時に駆け込んで来たのがソフィアだ。



 狭い厨房だ。あっという間にエシルの目の前に来たソフィアの赤い髪は、いつになく乱れ、汗で顔に張り付いている。

 自分の状態なんて全く気にせずに、ソフィアは叫ぶ。


「アサス商会は、王妃に深い恨みを持っていました!」


 言いたいことを言えて、どっと疲れが出たようだ。いつも姿勢正しく凛としているソフィアが、膝に手をついて苦しそうにしている。

 エシルが思わず差し出したグラスを受け取ると、作法なんて一切関係なく一口で飲み干した。



 アサス商会は、チャービス子爵にとって二つ目の商会だ。一つ目は三十年ほど前にあったブラグ商会で、後のチャービス子爵が行商人から初めた。


 チャービス子爵に目利きと商才があったのはもちろんだが、裕福な平民だった彼の妻の実家が支援してくれたことも大きかった。ブラグ商会は人気となり、瞬く間に大通りに店を構えるほどになった。


 妻の実家の後ろ盾もあり平民街を牛耳り、貴族の間でも話題に上り始めた頃。当時はまだ王妃になる前のヒース侯爵家令嬢だったクレアが、ブラグ商会を屋敷に呼びつけた。


 既に土の精霊の愛し子だったクレアは、それはもう高慢な癇癪持ちで有名だった。そんなクレアの無理難題にも見事に応えてみせたブラグ商会は、貴族の中に入り込むことに手ごたえを感じていた。

 そんな順風満帆な未来をむしり取ったのも、またクレアだった。


 その日機嫌が悪かったクレアは、他国から取り寄せた珍しい宝石にケチをつけた。いつもだったら笑顔で引き下がるところだが、黙って宝石を持ち帰れない理由があった。


 その宝石は隣国でしか取れず、非常に珍しい。国外に出るのは、王族が外交に使う時だけだ。それくらい貴重なものだからこそ、クレアはその宝石に執着した。


「未来の従者であり王妃となる私にこそ、この宝石は相応しい。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に欲しい! 手に入れられないというのなら、商会を潰してやる!」そう脅されればたまったものじゃない。

 クレアの場合は、脅しでは収まらないからだ。今までだって何軒もの店が、クレアのわがままで潰されてきた。


 幼い頃から「従者候補だ」「精霊の愛し子だ」と甘やかされてきたクレアにとって、商人なんて紙きれと変わらない。書き損じたら捨てれば済む程度の存在だ。それが分かっているブラグ商会は、伝手を頼って何とか交渉にたどり着いた。


「精霊に護られし国の、王妃になるお方だ。精霊樹の従者となる愛し子が熱望して手に入れたとあれば、必ず宝石の価値が上がる」そう言って、相手国を口説き落としたのだ。

 それが、ちょっと機嫌が悪いからもう見たくもない。なんてことが通用するはずがない。


 だが……、そんな当たり前のことが分かるクレアではない。

 いくら事情を説明しても、いくら頭を下げても、いくら床に這いつくばっても、クレアは「こんなものは見たくもない! 精霊樹に選ばれる私に相応しくない! これが私に似合うというお前の目は節穴だ!」と罵るばかり。

 罵られて終わりだったら、どれだけよかっただろうか……。

 だが、世の中は甘くない。


 「精霊の愛し子がどうしても欲しがっている」と頼み込まれたから、融通してもらえたのだ。それが蓋を開けてみれば、「自分に相応しくない」と突っ返された。

 これが宝石に対しても隣国に対しても酷い侮辱じゃないと言える人がいれば、お目にかかりたい。


 クレアなんかのために、必死に隣国と交渉したのが仇となった。

 ブラグ商会が嘘をついてまで取り寄せたのは、大切な宝石を侮辱するためだったと結論づけられてしまった。


 当然だがクレアも親であるヒース侯爵家も、知らぬ存ぜぬでブラグ商会に全ての責任を押し付けた。隣国の怒りを、ブラグ商会は背負わされた。


 チャービス子爵は隣国で捕えられ、死んだ方が楽なほど痛めつけられた。

 それでも彼は家族のもとに戻るため、別の売り主を捕まえて隣国の怒りを鎮めた。


 ノーラフィットヤー国に戻った彼を待っていたのは、ブラグ商会はさらし者にされた上に潰され、主要な関係者は始末されたという事実だった。

 妻も、その家族も、妻のお腹にいた子供も、全員残らずだ。


 そんなことをしたのは隣国ではない。隣国の報復を恐れたクレアとヒース侯爵家だ。

「我がヒース侯爵家を陥れようとした悪しき商会に罰を下す」と勝手に話しを作り変えたのだ。

 やっとの思いで家族のもとにたどり着いたはずだった男には、とても受け入れられない酷い話だ。


 だが、国に訴えたところで、どうしようもなかった。相手は貴族で、信じられないことに精霊の愛し子だ。しがない平民の話なんてまともに聞いてもらえない。

 大切な精霊の愛し子を貶める男に、国は大層冷たかった。



 とっくの昔に栗の皮を剥く手は止まってしまった。眉間に力が入る壮絶な話は、怒りを飛び越えて嫌悪でしかない。

 この話が今まで埋もれていたのは、ヒース侯爵家が徹底的に隠ぺい工作したからだ。それも含めて、この国の闇だ。


「……王妃やヒース侯爵家を恨むのも、国に失望するのも、復讐するのも納得ですね」

「同感ですが……。国を乱すことを、わたくしは許すわけにはいきません」


 顔を歪めながらも、はっきりとそう言い切ったソフィアをエシルは少し遠く感じた。


「子爵は愛し子を憎んでいるよね……。自分の娘が精霊の愛し子に選ばれて、どう思ったのかな……?」

「復讐のためだけに必死に成り上がってきたのでしょうから、手駒が増えたと喜んだのでは?」

「……娘であっても清々しいほど、使い捨てだね……」



 復讐心以外の全てを失った男が、短時間でここまで上り詰めるのは簡単ではなかったはずだ。

 もし子爵が憎しみも怒りも何もかも捨てて一からやり直すなら、別の国を選ぶ。でも、チャービス子爵は、この国を選んだ。


「黒幕は、チャービス子爵ってこと?」

「テンセイシャ村の男と縁をつなげられる、数少ない存在です。有り余る資金で、いくらでも城にスパイを送り込めます。王妃を憎み、王妃の愚かな行為に目をつぶった国も憎んでいます。状況としては、子爵以上の適合者はいないでしょうね」

「チャービス子爵だったら、王太子なんて簡単に操れるよね。種を盗ませることだってできる……」


 ソフィアは黙ってしまったが、否定もしない。いや、できない。


「王家も国も誰もが、チャービス家に依存している。今、チャービス家が手を引けば、この国は真っ逆さまに落ちるだけ。それが狙いかぁ」

「王妃は誰からも相手にされなくなり、苦しんで死にました。後は、国が滅びるだけです」

「まるで慈善活動のように国に尽くす裏は、恐ろしいほどに真っ黒だったというわけか……」


シミだらけの天井を見上げたエシルの頭に、『周囲からいい奴だと思われている人間は疑った方がいい』というオリバーの言葉が響いた。


「チャービス家もドースノット国も、この国が醜く朽ち果てることを望んでいる。国が息を吹き返す要因を全て潰すのなら――」

「わたくしなら、間違いなくオリバー様を始末します」


 ソフィアらしい迷いのない声は、内容がもっと激しくなっていく……。


「彼らにとって悪の象徴ともいえる精霊の愛し子もまた、この世から抹殺するべき存在でしょうね」

「なるほど……」

「災厄の種を止める唯一の存在であるエシル様は、もっと危機感を持つべきです」


 分かってはいるつもりでも、エシルに実感はない。

 死に戻ったとはいえ、別に特別な能力が授けられたわけではない。生まれた時から虐げられた自分が敵視される理由が、さっぱり分からない。


「何で『闇の精霊の愛し子』なのだろう? 従者に選ばれるのは、火と風と土でしょう? 今までいたことがない闇じゃない方がいいと思うんだよね。私には、本当に荷が重い……」


読んでいただき、ありがとうございました。

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