4.精霊樹と『選定の儀』
本日2話目の投稿です。
かつてこの国は、精霊王が治める国だった。
人間を憐れに思った精霊王が許したことで、精霊の国に人間が住みついたのだ。
精霊と人間が共存し、人に精霊が見えていた時代もあった。しかし、いつしか精霊の数より人間の数が増え、緑豊かな大地や闇の森が人間の手によって潰されていった。かつての精霊の国の見る影が失われると、遂に精霊王も消滅した。
人の目に精霊が映らなくなったのは、そんな頃だ。
それでも精霊は人間を見捨てずに、変わらず共に生きてくれた。
その証が、精霊樹だ。
人の目に精霊が映らなくなってから五百年の間、精霊樹は精霊王に代わってノーラフィットヤー国を護ってきた。
それによってノーラフィットヤー国は繁栄し、近隣諸国からも「精霊に護られし国として」一目を置かれている。
精霊樹の護り方は独特で、時に言葉を与え、時に花を与えてくれる。
言葉によって災害や他国の侵略を未然に防ぎ、花によって大地や魔獣の瘴気を浄化した。
それらを与えられるのは、精霊樹に選ばれたたった一人の従者だけだ。
「一年後に精霊樹の声を聴く、従者候補を紹介しよう!」
王太子の張りきった言葉に対して、周りの反応は薄い。薄いというか、寒い……。従者が精霊樹の声を聴くのは当たり前という態度が許せないのだ。
王太子の母である前任の従者が、二十数年間で言葉を与えられたのは、三年前に一度だけだ。
長きに渡り精霊樹の加護を受けられなかったことで国は荒れ、国民の生活は困窮し心は疲弊した。精霊樹を信じる心も、従者を待ち望む心も、とっくの昔に擦り切れている。
国民に受け入れられ、五百年に渡り繰り返されてきた『選定の儀』だが、今回だけはいつもと様子が違うのはそのせいだ。
それでも王家が権力の座にしがみつくためには、新たな従者誕生に縋るしかない。
この白けた空気に気づいているのか? 今までと違いかなり厳しい状況の中で、王太子が精霊樹に愛し子の紹介を始める。
「火の精霊の愛し子、ソフィア・オランジーヌ嬢」
ソフィアが美しいカーテシーを見せると、燃えるような真っ赤な髪が揺れた。そして、令嬢としてはふくよかな肉も揺れた。
今の劣悪な国内情勢だと、不幸や醜聞は人々の格好の栄養素だ。特に美醜に厳しい貴族社会では、令嬢の中で最も身分が高く優秀なソフィアの凋落を話のネタに楽しんでいる。
美から外れた者の苦悩を身をもって知っているエシルは、少しふっくらとしたソフィアの横顔に同情する。
「土の精霊の愛し子、マリアベル・チャービス嬢」
王太子がそう名前を呼ぶと、後ろで儀式を見守る貴族や文官たちがざわりと揺れた。
従者候補である精霊の愛し子たちは身分の高い順に横並びに立っている。次に呼ばれるのは一応伯爵令嬢であるエシルだった。
王太子がどうしてこんなことをしたかといえば、エシルを貶めて牽制したかったからだ。エシルなど自分ならどうとでも扱えることを見せつけて、エシルを怯えさせ黙らせることが狙いだ。
一回目でこの仕打ちを受けたエシルは、王太子の思惑通り怯えた。脅迫に重みが増し、自分の一挙手一投足がダンスールの命を奪うことになると改めて分からせられた。
そうやって一回目はうつむくしかできなかったエシルも、二回目となれば堂々としたものだ。冷静に周りの状況を観察する余裕がある。
動揺しているのは、精霊樹の横に並ぶ大臣たちも同じだった。さすがに騒いだり大きく顔色を変える者はいないが、誰もがちらりと王太子と国王に苛立った視線を向けた。
それはそうだろう。
直接的な嫌がらせの的はエシルだが、実際の被害者は後始末をする側近を始めとした大臣や文官たちだ。
王族が身分制度を軽視したのだ。それじゃなくても周囲の貴族を見下しているチャービス家が一層つけ上がるのは必至。それに腹を立てた貴族共が、王太子の言動を責める未来が簡単に想像できる。当然王太子は我関せずで逃げ出すのだから、彼らを宥めすかすのは臣下の仕事だ。
先に名前を呼ばれたマリアベルは、右隣に立つエシルへ勝ち誇った顔を向けた。が、エシルの平然とした顔を見ると、不満げに眉を顰めた。
あまりにも素直すぎる落差のある表情だが、次の瞬間には不満なんて一切ない愛らしい癒しの笑顔でカーテシーを見せた。
国で一番勢いとお金のある商人が子爵位を買ったと揶揄されるチャービス家だが、世界を股にかける貿易業が大成功して王族でさえ頭が上がらない存在だ。ノーラフィットヤー国が自滅せずにいられるのは、チャービス子爵家の支援と協力のおかげだと言われている。
だが、生粋の商人が純粋な善意だけで国に手を貸すはずがない……。政治家よりも狡猾な子爵が何を狙っているのか? 誰の味方に付くのか? 人々の大きな話題の一つだ。
「光の精霊の愛し子、アイリーン・ルミナス嬢」
マリアベルの名前がエシルより先に呼ばれた時よりも、大臣たちの顔つきが険しい。
貴族よりも平民が先に呼ばれたからではない。その程度のことは、相手がエシルであれば問題にはならない。彼らが懸念していることは、そんなかわいい悪戯の話ではない。
あのしたたかなルーメ教と王家との関係を思えば、これは非常にまずい状況を作ってしまったのだ。
始まった当初は小さな孤児院にすぎなかったルーメ教だが、いつの間にか国が警戒するほどに力をつけた組織になった。
基本的に信者は平民だが、裏で支援する貴族も多い。一体何をして勢力を伸ばしたのかは謎に包まれていて、「光の精霊の加護」「人身売買」と飛び交う噂も様々だ。
特に勢いづいてきたのは三年前からで、ここ最近では精霊樹を守るはずの聖騎士まで取り込んでいるのだから恐ろしい存在だ……。
それに、光の精霊を崇めるルーメ教は、闇の精霊を毛嫌いして敵視していることが有名だ。
本来であれば精霊に優劣などなく、全てが国を護る尊い存在だ。それ以上でも以下でもないはずだった。
ルーメ教が「闇の精霊は国を滅ぼす」と騒いだことで、いつの間にか闇の精霊は悪だと人々の心に定着してしまった。
ルーメ教が国の通説を覆すほどに闇の精霊を貶める理由は、なぜか明らかにされていない。だが、闇の精霊とその愛し子への攻撃が激しいことは、エシルが一番知っている。
闇の精霊の愛し子であるエシルの名前を呼ぶのを、王太子が一番後回しにした。
ルーメ教はこの機会を見逃さず、「闇の精霊を敵視している自分たちに、王家が同調した」と主張する。ルーメ教の下に王家がついたのだとして、主導権を握るつもりだ。
最近のルーメ教は精霊樹の存在にも否定的だ。それどころか自分たちが精霊樹に成り代わり、国を手にしようとしている。
精霊樹の力に頼って国力を取り戻したい国とすれば、これは大きな失態だ。
一回目でその火消しに走ったのが、二大公爵家の一つオランジーヌ家当主だ。
国王と年の変わらない公爵の通称は、「怪物」だ……。
親し気な笑顔で人の弱点を暴き、優し気な態度で突き落とす。国の表も裏も知り尽くし、情報を武器に国の内政を司り外交でも睨みを利かす。そんな海千山千の怪物の一番嫌いなことが王家のお守りであることを、彼は一度も隠したことがない……。
ぞっとするほどの怪物の殺気を、エシルは見なかったことにした。何も見なかった視線を、そのままアイリーンに移す。
一回目のアイリーンは、この状況に動揺することなく無表情のままさっさとカーテシーをした。その目は王太子どころか、精霊樹さえも映していなかったことをエシルは覚えている。
……間違いなく、そうだったはずだ。アイリーンの瞳は何に対しても無関心で、開いているのに閉じているのと変わらない。そんな冷たい印象しかなかった、はずだ……。
なのに、アイリーンはチラチラとエシルの様子を窺っている。それはもう、誰の目にも明らかだ……。
おかげで周囲にいる教会支持者は、エシルがアイリーンに何かをしたと思っている。矢のような非難の視線が、隙間なくエシルに突き刺さってくる。
「……闇の精霊の愛し子、エシル・コクタール嬢」
最後にされた上に、妙な間にやる気のない低い声。エシル相手なら、何をしてもいいと思っているのが手に取るように分かる。
陰気と評判の長い黒い前髪に隠れた赤錆色の目で、エシルは王太子を真っ直ぐに見返した。そんなことは予想外だった王太子は、慌てて目を逸らす。
王太子の自己満足のせいで、場の雰囲気は最悪だ。
一回目のエシルは、この状況を自分のせいだと思って怯えた。が、今は違う。
全部、馬鹿王太子のせいだ! 勝手にこんなことをしでかす馬鹿に弱味を握られていると思うと、エシルは悔しくて仕方がない。
そんなエシル以上に怒りを爆発させているのが、二大公爵家の一つで精霊樹の守護者と言われるブールート家の当主であるネイビルだ。
精霊樹の横に立っても違和感がないほどの立派な体格が、怒りで倍増しているように見えるのは気のせいじゃないはず。
まだ二十八歳と若い当主だが、何よりも大切な精霊樹が侮辱されたとあれば怒らないはずがない。
精霊樹の守護者と呼ばれるブールート家にとって、最も尊いものが精霊樹だ。
その精霊樹が選んだ愛し子を、王族が貶めた。しかも、精霊樹の目の前で。『選定の儀』という神聖な儀式の中で。
精霊樹の怒りをかったとしても、申し開きできない状況だ。
二大公爵家当主二人の怒りに、やり切った感満載の王太子は全く気付いていない。これが幸せなことなのかどうかはエシルには分からない。
精霊樹と愛し子の顔合わせが完了すれば、『選定の儀』の初日は終了だ。
一回目もこんな微妙な空気の中、中途半端に白けて終わったのをエシルは覚えている。
被害者なのに冷たい視線にさらされたエシルは、罪人のようにうつむいて足早にこの場を去った。
さすがに二度目ともなれば、非常に理不尽な話だとしか思えない。今回はせめて顔をあげて去ろうとするのに、やっぱりエシルの思う通りに事は運ばない。
エシルの視界の端で、絹糸のように細く滑らかなシルバーブロンドが揺れて、青白いアイリーンの顔にはらりと落ちた。聡明そうな美しい顔が歪み、足元から崩れるようにその場に倒れてしまう。
息を呑むほどに美しいアイリーンは、倒れる姿も様になる。エシルはのんきにそんなことを考えている場合ではなかった。
倒れるまで、アイリーンの視線はエシルに向けられていたのだ。その結果がどうなるかなんて、考えるまでもない。
教会が吹聴しまくっているおかげで、闇の精霊と光の精霊の対立構造は老人から子供まで誰もが知る話だ。「邪悪な闇の精霊の愛し子であるエシルが、光の精霊の愛し子であるアイリーンを呪っている」こんなデマが、真実であると根付いてしまうほどに……。
精霊樹に代わる存在と目される光の精霊の愛し子と、国を破滅に導くとされる闇の精霊の愛し子。
透明感のある女神のような美しさのアイリーンと、黒く陰気で邪悪なエシル。
どちらが善で、どちらが悪かと感じるかなんて、聞くまでもない。
儚く美しい女性の倒れる姿は、それまた可憐で見る者の心を奪う。そんなアイリーンを苦しめるエシルへの非難は、激しさを増すばかりだ……。
読んでいただき、ありがとうございました。




