38.従者候補のお茶会
よろしくお願いします。
夏場は緑が多かった庭も、過ごしやすい気候と共に草花の花つきがよくなってきた。
とはいっても、まだ花は蕾が多いし、樹木の紅葉も始まっていない。秋の最盛期とは言えないが、これはこれで美しい。いつもの花畑の自然な落ち着いた感じの方が好みだけど、豪華な王城の庭も悪くない。
そんなことを考えながら季節の変化を目で楽しみ、エシルはコスモスの揺れる庭を見つめている。ただひたすら、前を見ずに……。
とまぁ、現実逃避でしかない……。
エシルは確かに城内の庭にいるが、のんびり景色を堪能している場合ではないのだ。
秋の色が濃くなってきた庭に、白い楕円のテーブルが一つ。そこに置かれた四つの椅子には、従者候補が座っている。
四人がいるのは、秋咲きのバラを楽しむための場所だ。春に咲くものよりも濃い色のバラは、まだ蕾の方が多い。固くてほころんだ表情が見えないという点では、従者候補たちと同じだ。
つんと澄ました微笑を浮かべるソフィア。
根拠のない自信で態度のでかいマリアベル。
感情のスイッチを切ったアイリーン。
この場の空気に耐えられないエシル。
一番到着の遅かったマリアベルが座ってから十分経つが、誰も一言も話さないのだから、集まる意味があるのかと疑問に思う。
誰も集まりたくなかったが、月末に控えたお披露目会のために王太子に呼び出されたら仕方がない。
「肝心のレオ様が急遽来客だなんて……。私一人で、お披露目会の進行を説明するのは大変だわ。ですが、レオ様から相談されて内容を知っているのは私だけなのだから、仕方がないですね」
明らかにソフィアに対して喧嘩を売っているが、当のソフィアが全く相手にしていない。
「ぜひ、ご教授お願い致します」と、誇り高い笑みで堂々としたものだ。
予想外の反撃に顔をひきつらせたマリアベルだったが、意外にもすぐに気を取り直した。満面の笑みで得意気に、『レオ様と私で考えたお披露目会』の話をしてくれたが……。
時系列も何もかもを無視した意味不明な説明では、全く理解ができない。内容自体も大分おかしい気がする。お披露目会は、大丈夫なのだろうか……?
「わたくしたち三人は何もせずに、ただその場にいればいいというわけですね?」
さすがソフィアだ。あの説明でよく理解できたものだ。エシルが尊敬の眼差しを向けると、その淑女の笑顔はひくひくと引きつっていた……。
「ええ、そうです。従者候補の紹介は私がしますので、皆さんはアサス商会が準備した素晴らしい食事を楽しんでいればいいです」
絶句だ……。
従者には身分の差はなく、みんな平等じゃななかったのだろうか?
従者候補の誰かが王太子のホスト役なんてしてしまえば、対外的には従者は決まったと発表したも同然だ。
額に手を置いたエシルがそっと隣を見れば、ソフィアが迫力満点の笑顔を張り付けていた……。
「まぁ、ありがとうございます。ノーラフィットヤー国の伝統が排除された料理ばかりが並ぶそうで、とても楽しみですわ」
「形式ばかり気にしていると、時代に取り残されます。伝統にがんじがらめでは、外国から見たらいい笑い者になってしまうと思いません?」
「私的なものでしたら、それで問題ないと思いますよ?」
そう言ったソフィアは、わざとらしくため息をついた。
「ただ、今回のお披露目会は『選定の儀』の一環です。国としてのもてなしに、伝統や形式が排除されていては、相手にとって失礼に当たりませんか?」
「まぁっ! ソフィア様は、王太子殿下のお考えに異論を述べられるのですね!」
「! ……」
マリアベルの勝ち誇った顔は腹が立つが、ここで何か言えば、ソフィアが余計に惨めになるだけだ。言葉を呑み込んで全身に力が入るエシルと違って、アイリーンは、「マリアベル様は、何が目的なの?」とあっけらかんと言ってのけた。
三人の視線がザッと一気に集まっても、アイリーンには全く気にした様子がない。じゃなきゃ、こんなことは聞けない……。
「王太子と結婚して王太子妃になりたいの? それともお披露目会を失敗させて、王太子を失脚させたいの?」
青空だけど、雷でも落ちてきたくらいの衝撃だ。
頭が真っ白で思考停止なエシルとソフィアとは違って、マリアベルは愛らしい目を細めた。険しく冷たいその目は、隣に座るアイリーンに向けられている。
「随分と失礼な質問だと思うけど?」
「そうかな?」
「そうに決まっているでしょう! 貴方たちこそ、お披露目会を失敗させようとしているんじゃないの?」
「なぜ?」
「力を失った二大公爵家なら有り得るって、レオ様も心配しているわよ! 『俺の足を引っ張って、自分たちが有能だとアピールするつもりだ』って言ってる!」
これにはさすがに、ソフィアも顔を青ざめさせた。
アイリーンだって、こんな展開にするつもりはなかったが、止まらない。
「それって、王太子の言い分を信じているってこと?」
「当然でしょう!」
「国王に相応しいと思っているの?」
「当然でしょう!」
「どこが?」
「……どこがって、王太子だからでしょう! 王太子が国王になるのが当たり前だからよ!」
「当たり前じゃなかったら?」
「はぁっ?」
「他に、精霊樹も認める相応しい人がいたら?」
アイリーンが攻めすぎだ!
エシルはもう背中にワンピースがピッタリと張り付くくらい、冷や汗が止まらない。
「王妃が役立たずの従者だったからって、レオ様まで同じと考えるのはおかしいわ! 光の精霊の愛し子が従者に選ばれないからって、失礼が過ぎるわよ! 教会って、本当に節操がないのね!」
教会の節操のなさは正しいから置いといて。話を聞く限りでは、マリアベルは何も知らなそうだ。四人の中では唯一、純粋に『選定の儀』に参加しているだけだ。
自分が従者になると思い込んでいるが、それはこの際どうでもいい。
「節操がないのは、チャービス家も同じじゃない? ドースノット国と裏でこそこそ取引をしているんでしょう?」
「冗談じゃないわ! 野蛮なスランドル帝国とつながっている国よ! そんな貧相な国の手を取るのは、節操のない貴方たち教会くらいよ!」
態度からして本気で言っている。マリアベルは、本当に何も知らない。
スランドル帝国は、建国史で精霊樹を切り倒そうとした国だ。好戦的で、欲しいものがあれば武力で手に入れる。そんな風だから周囲の国からは距離を取られているが、他国から奪い取った様々な資源のおかげで国は豊かなので問題ない。
アイリーンが「スランドル?」と呟くと、マリアベルはいつもの勝ち誇った顔で顎を上げている。
「あら? 何も知らないのね? 婚約破棄をされたドースノットの王女は、スランドルに嫁ぐのよ」
外国のことなどほとんど知らないエシルとアイリーンは「ふぅん」という顔で、マリアベルの思った反応を返さない。ソフィアは多少顔色が悪い気がするが、淑女の微笑みを崩していない。
それが余程つまらなかったのか、マリアベルは顔をしかめる。
「スランドル帝国の皇帝は、五十歳を超えているのよ? 武力の国と言っても、皇帝は城で女と酒を貪っているだけよ。そんなところに嫁ぎたい?」
それは……、できれば遠慮したい。
「婚約破棄された王女って、本当に価値が下がるのね。誰からも求婚されなかった果てに行きついたのが、スランドル帝国だなんて。一国の王女が、惨めよねぇ」
マリアベルはくすくすと笑い出した。
「王女が惨めかどうかなんて、分かりませんよ?」
エシルがそう言うと、マリアベルは「はぁっ?」と額に血管を浮き上がらせた。
「惨めに決まっているじゃない! 腹が出て髪の薄くて油ギトギトのおじさんよ? 嫁ぐと言っても名ばかりで、ハーレムの一員に追加されたにすぎないのよ? こんな仕打ちを受けて、何が分からないって言うのよ!」
「例えそうなのだとしても、それで自分の目的が達成できれば、王女にとっては大した害じゃないと思いませんか?」
「エシル様って、髪を切っても切らなくても気持ち悪い! 言っている意味が全然分からない!」
マリアベルのエシルに対する敵意はむき出しだ。慣れたもので、エシルは気にもならない。
「そうですか? スランドル帝国の支援を受けたドースノット国が、憎いこの国に復讐できれば、フローラ王女は満足なんだろうなと思っただけです。そうなると、惨めなのは、この国だなぁ、と」
「スランドルに嫁ぐことが、どうしてフローラの復讐になるのよ?」
「スランドル帝国はお金も武力もあります。そんな国を後ろ盾にできれば、周辺の国を巻き込んでノーラフィットヤー国を滅ぼすことができます」
フローラの思惑に気づいたらしく、マリアベルはぎくりと固まった。
「その復讐が成功したら、今度は王太子妃気取りのマリアベル様の価値が下がってしまうかもしれませんね!」
からかうようにアイリーンが続けば、マリアベルの両拳がテーブルを揺らした。ドンと殴りつけられた反動で、こぼれた。
「お茶会の最中に、無作法がすぎます。未来の王太子妃なら、もっと洗練されるべきでは?」
冷ややかなソフィアの言葉に、マリアベルがキレた……。
「うるっさいのよ! マナーが完璧だって、王太子に愛されていなければ意味がないのよ! レオ様があんたのことをなんて言ってるか知ってる?」
にたりと意地の悪い笑みを見せるマリアベルを、ソフィアは完全に無視した。
「生真面目な豚、よ。『生真面目な豚が側に来るだけで、気が滅入る』っていつも言っているわ!」
「そうですか。ご教示いただき、ありがとう」
全く隙のない令嬢の仮面を前に、マリアベルはテーブルに置いた拳を震わせた。
「これだからお高くとまった令嬢は嫌いよ!」
そう叫んだマリアベルは椅子を吹っ飛ばして立ち上がると。「ねぇ、ソフィア様」と言って、また意地の悪い笑顔を見せる。
「レオ様も、私と同じ。あんたや王妃みたいなお高くとまった女が大嫌いなんですって! 生真面目な豚を見ていると、母親と重なって吐き気がするって言っていたわ!」
マリアベルの高笑いを、ドォンという打撃音とガチャガチャと茶器がぶつかり合う音がかき消した。
音の基には、渾身の力でテーブルを殴りつけたエシルが立ち上がっていた。
「な、……何よ!」
背の高いエシルに冷たく見下ろされて、マリアベルの腰は引けている。
「……何だって言うのよ!」
「私は……、甘やかされた頭の悪い令嬢が大嫌いです!」
エシルがそう言うと、アイリーンが噴き出した。顔を真っ赤にしたマリアベルは、それを見てわなわなと震えている。
無法地帯と化した場を納めたのは、やっぱりソフィアだった。
「わたくしのことは、どう言っても構いません。ですが、王太子殿下の王妃様に対する発言を暴露するのは、殿下の名誉にかかわります。不敬ですよ」
恥辱にまみれさせるはずのソフィアに諭されたのだから、マリアベルもたまらない。
「じ、冗談じゃないわ! 王妃は、あの女は、アサス商会を地獄落とした張本人なのよ! あの女に罰が下ったように、ソフィア様にだって必ず罰が下るわ!」
血走った目を見開いたマリアベルは、捨て台詞を残して去っていった。
読んでいただき、ありがとうございました。