36.聖騎士の誓い
よろしくお願いします。
「あ、来た!」
エシルが手を振ると、アイリーンは小走りで花畑のガゼボに入ってきた。鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐと、「お好み焼き?」とエシルの隣に飛び込んでくる。
アイリーンはマヨネーズが好きで、お好み焼きが大好物になった。好きな物には執着するタイプで、別の食べ物を持っていくと明らかに残念な顔をするほどだ。
常に教会に見張られているアイリーンとの接触は慎重にしないといけない。
アイリーンとエシルが会うのは、このガゼボか離宮だ。離宮で会う場合は、厨房ではない。アイリーンはあくまでもエシルを偵察している体で、大木に隠れて窓からエシルと会話をしている。
あっという間に完食したアイリーンは、ぼんやりと花畑を眺めるエシルを見た。
「ここ最近、エシルさんは元気がないね?」
「……そうかも……」
エシル自身にも自覚がある……。
「理由は、ぼんやりと分かってるんだけどね……」
ついこぼしてしまった本音を、アイリーンが流すはずがない。ぼんやりとしていたはずの理由を、しっかりと話すはめになった。
「……えっと……」
全てを話し切ったエシルは、答えが出ると期待した目をしている。それがアイリーンには辛く、言い淀んでいると、二人とは別の場所から声がする。
「要は、ソフィアとネイビルの話に入れないのが悲しい。ネイビルが自分を気にかけるのは、精霊樹のおかげなことがイライラする。ってことだろう?」
二人の非難を含んだ目が、ガゼボの入り口に立ったオリバーに向けられる。
「ちょっと、二人共、怖いな……」
「王弟であっても、盗み聞きはないのでは?」
アイリーンの険しい声に、オリバーは「人聞きが悪いなぁ」と頭をかいてガゼボの中に入ってくる。
「ここは私にとっての癒しの場でもあるんだよ。のんびり景色を楽しもうと思ったら、二人の話が聞こえてきたってわけだ。そんなに怒られることかな?」
「怒られることですよ! エシルさんは私に話してくれたんですから!」
「でも、アイリーン嬢は返答に困っていたよね?」
「……」
それを言われてしまうと、アイリーンも何も言えなくなる。
「ガレイット公爵なら、明確な答えがあると?」エシルは目を輝かせる。
このモヤモヤする気持ちを、早くスッキリさせたいのだ。
「明確な答えねぇ……」
顎に手を置いたオリバーは、急にエシルをのぞき込んだ。
「それは誰かに答えを求めてはいけないと思うね。自分で考えて身もだえるのが、醍醐味でしょう?」
アイリーンがうなずいているのを横目で見ながら、エシルにはさっぱり意味が分からない。
心がずっともやもやしていて、すぐにでもすっきりしたいのに、新しい疑問を増やされてしまった……。苦行だ。
「ネイビル様には、ダンスールのことも助けてもらいしました。それだけでもありがたいのに、料理をする場所も提供してもらい、本当によくしてもらっています。『お互いを裏切らず、正しいことを貫き通す』ことに変わりがなければ、仲間になれた経緯なんて気にしても仕方がないですよね……」
エシルの言葉に、オリバーは息を呑んだ。呑みすぎて咳き込んだほどだ。
「『お互いを裏切らず、正しいことを貫き通す』って、ネイビルがエシル嬢に言ったの?」
「そうなんですよ。聖騎士の間で使われる言葉なのに、おかしいですよね?」
言葉の意味をエシルが理解していないことを、オリバーは察した。堪えきれず、憐れむ目をエシルに向けてしまう。
「……まぁ、そうだけどさぁ……」
「ネイビル様は話しやすいという理由で、私のことを聖騎士仲間として扱っているところがあるんですよね」
零れ落ちんばかりに見開いた灰色の目に凝視されて、エシルから汗が噴き出す。聖騎士気取りかとオリバーを怒らせたと勘違いしたからだ。
「もちろん、本物の聖騎士じゃないですよ? そんな勘違いしていません! ネイビル様だって、他に例えが見つからなかったのだと思います!」
「……うん。分かってる。そうだよね。あいつは、物心ついた頃には、聖騎士だったみたいな奴だから」
誤解が解けたと勝手にホッとしたエシルは、オリバーの表情が不自然に固いことに気づかない。
『お互いを裏切らず、正しいことを貫き通す』は、聖騎士の中で使われる言葉だ。だが、それは誰にでも使うわけではない。
心から信頼しあえる仲間にだけに誓う、特別な言葉だ。
誇り高い聖騎士同士であっても、誓いを立てるほどの相手に出会えるかは分からない。ちなみにネイビルは、エシル以外に誓いを立てたことはない。
大体、聖騎士以外に誓いを立てたのは、ネイビルくらいのものだ。だが、そんなことをエシルが知るわけがない。
「……エシル嬢はさ、難しく考えすぎじゃないかな? もっと簡単に考えればいいよ。気楽にいこう!」
何にも具体的なことはアドバイスされていないのに、簡単や気楽と言われると、すぐに解決できるような気になってしまう。
「なるほど……、そうします!」と笑顔で言ったエシルは、ちょっと気楽になっていた。
オリバーは視線をアイリーンに向けて、「お披露目会だけど、教会は何か動きがある?」と質問をした。
アイリーンはチラリとエシルを見た。
オリバーに話してもいいのか、判断に困ったのだ。エシルが頷くと、ホッとしたように話し出す。
「教会は焦っています」
「へぇ? 何でかな?」
オリバーの言い方はわざとらしい。答えが分かっていて聞いている。
アイリーンが無言で睨むと、オリバーは「原因は、私だね」と悪戯をする子供のように笑った。
「そうです。オリバー様が戻ってきているのは、教会にとっては想定外です。そのせいで、ドースノットと揉めています」
「へぇ、ドースノットはなんて言ってきているの?」と聞きながらも、オリバーは話を待ちきれない。
「王太子と現国王を失脚して、別の者が王になる。それは、ドースノットの望みだろう?」
「ドースノットの王太子や国王への恨みは深いです。権力を失った二人が、地の底まで堕ちる。それを望んでいますが、それだけでは足りないんです」
「まぁ、そうだろうな。それだけの仕打ちを彼等は受けた。この国の破滅を望むのは当然だ」
他人事のような口ぶりにエシルが「冷静ですね」と言うと、オリバーは両手を広げた。
「つい最近まで、国外から第三者としてノーラフィットヤー国を見ていたからね……」
二度と帰れないはずだった祖国だ。距離をとっていなければやっていられなかっただろう。おどけたように笑っていても、その顔の下の表情は果てしなく複雑なはずだ。
「ガレイット公爵は、王位に就くつもりはあるのですか?」
アイリーンのストレートすぎる質問に、エシルのお尻は少し浮いた。
花畑を背にして二人の前に立つオリバーは、くすくすと笑っている。
「正直に答えるなら、私の人生を狂わせた王位など欲しくない」
笑顔の消えたオリバーの顔は、怖いほど真剣だ。その顔が、花畑に向けられた。
「だが……、この美しい景色を失いたくは、ないな……」と言って振り返ったオリバーは、花畑が似合う優し気な笑顔だ。なのに、絶対的な強い意志が感じられた。
「だとすると、教会にとっては大問題です。ガレイット公爵が国王になれば、ドースノットからの報酬は手に入らないし、国内の甘い汁も吸えなくなる」
「教会は大きくなりすぎた。残しておいても、害にしかならない」
「教会も同じように考えています。最近は本気で、ガレイット公爵を暗殺するつもりです」
「ちょっと、待って! 王族の暗殺を企てるだけで極刑だよ? 教会は、そんな危険な橋を渡るつもりなの?」
アイリーンは言いにくそうに口ごもると、申し訳なさそうに眉を下げてエシルを見た。
「……罪は、エシルさんになすりつけるつもりです」
仲間ができて、エシルは浮かれていたのかもしれない。ちょっと考えれば想定内のことなのに、まさか自分が争いに巻き込まれるとは考えていなかった。
「ドースノットからの報酬を手に入れ、憎い闇の精霊の愛し子も始末できるって腹か。どうする、エシル嬢は?」
「……どうするって、断固拒否します!」
「どうやって拒否する? 相手は卑劣な手を使ってくるぞ」
「そう言われても……。どんな手か分からないのに、対応できませんよね……。とりあえず、お披露目会は病欠しようかと思います」
「他国の目の前で宣言できるからね。何か仕掛けるなら、お披露目会だろうね。でも、残念だけど、愛し子の欠席は認められない。それに、単独行動は、難癖をつけて罪をなすりつけられやすい。衆人の目の中にいる方がマシだと思うよ」
お披露目会は、エシルにとって生死を分ける山場になりそうだ……。
「お披露目会が危険なのは、ガレイット公爵も同じよね?」アイリーンの囁き声も、オリバーは聞き逃さない。
「そうだね。教会からも、ドースノットからも、実の兄や甥からも狙われている……」
笑いながら頭をかいてそう言えてしまうところを、凄いと見るか、能天気と見るか意見が分かれるところだ。
「国王は、どうしてガレイット公爵を帰国させたのでしょうか?」
エシルがそう聞くと、オリバーはへらりと笑って「私という危険因子を殺すためだろうね」と言った。
「……分かっていて、帰国したんですか……?」
「エシル嬢には前にも言ったよね? 里心だよ」
「この国に思い入れがない私には、理解できません。命の方が大事です」
アイリーンもうなずいている。
「自分が何者なのか不確かなまま外国で死ぬか。故郷でオリバー・ガレイットとして死ぬか。って、暗い話になってるね。この話は、もうやめておこうか」
もうやめようと言っているのにらアイリーンは別ネタをぶっ込んできた。
「公爵とエシルさんとは別の意味で、王太子も生きるか死ぬかですよね?」
確かにその通りだ。
レオンハルト・ノーラフィットヤーが王の器なのかを、周辺諸国が目を光らせ始めた。
お披露目会では、参加した要人がその目でジャッジする。
「国内はこの状態だし、四年前の婚約破棄のことだってある。王太子が巻き返すには、相当な力を見せつける必要がある」
「力があればね……」エシルの呟きに、「二人共、辛辣だな」とオリバーは噴き出した。
笑っているオリバーに、やっぱりアイリーンは辛辣だ。
「王太子が苦労しているのは、ガレイット公爵の存在も大きいですよね? 比べられたら、どうにも太刀打ちできないもの」
「帰国させたことを、後悔しているでしょうね……」と、エシルも続く。
「だからこそ余計に、国王親子は、ガレイット公爵を始末するべきだと考えているのでは?」
エシルが慌ててアイリーンの口を押さえたところで、遅い。
「生まれながらの邪魔者だからね……」と言ったオリバーはエシルを見た。
「……生まれながらに家族に疎まれる気持ちは分かりますけど、私はたかだか伯爵家です。王家の苦しみまでは理解できないですよ」
「そうかなぁ? エシル嬢は、王家や教会からも苦しめられたでしょう? お披露目会に限らず、命を狙われている」
アイリーンがエシルの腕をギュッと掴んだ。青ざめた顔で、うつむいている。その姿からは、さっきまでの威勢のよさは消えていた。
何に怯えているのか察したエシルは、アイリーンの冷たくなった手に自分の手を重ねた。
オリバーとエシル。生まれながらに家族に疎まれ苦しめられ、命を狙われている二人だが、決定的な違いがある。
エシルには、一度、死んだ経験があることだ。
「エシルさんのことは、絶対に殺させません!」そうすることが、アイリーンの罪滅ぼしなのだ。
「私のことも、同じように守って欲しいけど?」
オリバーの冗談なんて、アイリーンの耳には入るわけがない。
言ってしまって恥ずかしくなったのか「そろそろ私は戻ります!」と、赤い顔を隠して足早にガゼボをあとにした。
慌てた様子のアイリーンの後ろ姿を見送っていると、オリバーが隣に座った。
ふっと笑うと、「随分と懐かれたな」とアイリーンが去った方向を指さした。
「慌てて帰ったけど、エシル嬢を守るための何かをしに戻ったみたいだよね? 仲良しなのはいいことだけど、アイリーンがやっていることはとんでもなく危険だ。分かっている? 教会は裏切りを決して許さないよ?」
「だから、洗脳なんてするんですかね? 自分たちの操り人形にしてしまえば楽だから……。全てを奪ってしまうことに、罪悪感とかはないんですかね?」
「そんなものを持ち合わせている人間は、人を操ろうなんて思わない。人も国も世界も、自分の思う通りに動くのが楽しくてたまらないんだよ」
「でも! 洗脳が解けたアイリーンのように、想定外のことだってあります」
「だから、アイリーンは危険なんだよ。思い描く未来を乱す存在がいるのであれば、私なら、全力で叩き潰すからね」
穏やかな表情、穏やかな口調、口元には笑みさえたたえているのに、エシルは恐怖で震えだしそうだ。何とか深呼吸をして、身体を両手で押さえつけた。
「怖がらせてしまったか……。だが、アイリーンが危険なことは事実だ」
「……アイリーンほど知名度も人気も高い愛し子を、そう簡単に切り捨てられますか?」
「スペアはいくらでもいるが……、『選定の儀』の最中に切り捨てるのは難しいだろうな」
ホッと息を吐きかけたエシルに、オリバーは「だから、怖いんだよ」と険しい顔を向けた。
「基本教会は、歯向かう者は消す。消せないのなら、再教育しかない。それも、徹底したやつだ」
オリバーの表情が嫌悪で翳る。吐き捨てた言葉の冷たさに、エシルはぶわりと汗が噴き出した。
「……また、洗脳するって、ことですか?」
オリバーは眉間に皺を寄せると、少し首をひねった。
「洗脳は、長期間に渡って利用する価値があるからこそする手間だ。残りの『選定の儀』を乗り切るだけなら、教会はアイリーンを壊しにかかるだろうね」
「……壊すって……?」
「廃人だな。洗脳できなくても、ただ立っていればいい。『選定の儀』が終われば、貴族の玩具か娼館かってところだな」
「そんな……」
ソフィアが言っていたことと同じだが、彼女がいかにオブラートに包んでくれていたのかが、今分かった。
「まぁ、アイリーンは、その覚悟を持っているはずだよ。エシル嬢が同じかは分からないけどね?」
オリバーの冷たい視線を見返せるほど、エシルの覚悟は固くない。
「ものすごく覚悟のない甘い考えなのでしょうが、自分のせいで誰かが傷つくのは嫌です……」
「ものすごく世の中をなめた考えだね。それは、痛い目を見るよ?」
チクリと痛くても、オリバーが言うことが正しい。
「まぁ、そもそも自分が何かをしたくて人を集めたわけじゃないから、仕方がないか……」と言って、オリバーはため息をついた。
「でも、そんなエシル嬢だから、アイリーンもソフィアもネイビルも、集まってしまったんだろうな。不思議だよね?」
エシルは答えることができなかった……。
読んでいただき、ありがとうございました。