35.エシルの役割
よろしくお願いします。
「『精霊樹がそう言っていた』って何ですか? 王妃から聞いたってことですか? どうしてそんな大事な話を忘れるんですかっ!」
ソフィアの怒りは相当だ。
さっきまで別世界の住人だったとは思えない勢いで立ち上がり、テーブルを飛び越しそうにネイビルににじり寄っている。ネイビルは表情こそ無表情だが、身体は大分後退気味だ。
「……ブールート家の初代も精霊樹の声を聴いたんだ。俺が聞いたって、おかしくないだろう?」
「原理としては、そうかもしれませんけど……。一般的な常識は、精霊樹の声を聴くのは従者のみですよね?」
「まぁ、そうだな……」と言う声が、ソフィアの圧に負けて、歯切れが悪い。
「ネイビル様が精霊樹の声を聴いているなんて、誰が思いますか? きちんと話をするべきでした」
「それは反省している。初代があまりにも簡単に重大な秘密を暴露しただろう? 同じ轍は踏みたくないと必死になっていたら、話すタイミングを失った」
「その気持ちは理解できなくもないですが、タイミングならいくらでもありましたよね?」
「エシルが死に戻りを告白してくれた時に、俺も秘密を話したつもりになっていた」
「それにしたって、遅い! しかも、話していない! これは、初代と変わらないミスですよ! 振り回されるわたくしたちの身になってください!」
「すまなかった……」
あまりにもあっけなくネイビルが謝るので、ソフィアもこれ以上は責められない。
「精霊樹は、何と言ったのですか?」ため息混じりだ。
「『種は、この国の滅びを望んでいる。それを止められるのは、闇の精霊の愛し子だけ。お前は、闇の精霊の愛し子を助けるのです』と。そう言われた。」
「……それだけ、ですか?」
「それだけだ」
「具体的な方法とかは?」
「何も言っていなかった」
そんなこと、ある? とネイビルを責めたところで、どうしようもない。精霊樹の声は会話ではない。聞こえてくるだけだ。精霊樹がそれしか言っていないのなら、人間はどうしようもない。
何をすればいいのか言われていないことには、ネイビルも困っていたはずだ。強面の眉が下がっているのを見れば分かる。
「何をすればいいのか、俺が策を見つけてから話をしようと思っていた。見つからないまま、時間だけが過ぎてしまった……」
ソフィアの顰めた顔が恐ろしい……。舌打ちが聞こえた気がする。
「精霊樹の声は、いつ頃聞いたのですか?」
「『選定の儀』が始まる一年前だ」
「それって……。ネイビル様が聖騎士を辞めて、王太子の側近になったのと同じですよね?」
「国王に打診されたのと、精霊樹の声を聴いたのは同じタイミングだった」
ソフィアから大きなため息と共に、「だったらなおさら、言うべきでした!」と低音が漏れる。ものすごく怒っているようだが、呆れ顔と納得顔が同居した不思議な顔だ。
「ネイビル様がどうして王命に従ったのか。オランジーヌ家でも『何かある』と思いながらも不思議でしたし、腹立たしく思ってもいました。ちゃんと言ってくれればよかったと思います!」
「その通りだな。申し訳なかった」
大きな体を折って頭を下げるネイビルに、ソフィアはまたため息をつき、なぜかエシルを見た。
「ネイビル様の考えたことは分かります。エシル様を守ろうとしたのですね?」
無言は肯定だ。だが、エシルには全く意味が分からない。聞きたいけれど、二人の話には入っていけない壁をエシルは感じていた。
「ノーラフィットヤー国の破滅を望む者にとっては、エシル様は邪魔です。エシル様を悪者にしておきたい者にとっては、エシル様が国の救世主だなんて知られたら身の破滅です」
「……なるほど」
「何も考えていない者は、自分たちの仕打ちなんて忘れて、エシル様に縋り利を得ようとするでしょうね」
「……それは、困りますね」
絶対に嫌だ。
「自分が『腰抜け』『裏切り者』と罵られても、エシル様の安全を優先したのは分かります。ですが、オランジーヌ家を甘く見ないで欲しいですわ! 秘密を漏らすなんて、愚かな真似はしません!」
「オランジーヌ家を甘く見たわけではない。俺の行動に意味があると察してくれると信じていた。実際、オランジーヌ家はそれまでと変わらず俺と接してくれたしな」
「ネイビル様が裏切るなんて思っていませんが、何があったのかと随分やきもきしたのです! 調査だってしました。精霊樹の声だったなんて、いくら調べたって分かるはずがありません!」
「ブールート家からこれ以上秘密を流出させるわけにはいかない。という気持ちが先走ったところもある」
ぷりぷりと怒るソフィアに、向かいに座っているネイビルが腰を上げた。
「あっ!」とエシルが声を出してしまったのは、ネイビルがソフィアの頭をポンポンとすると思ったからだ。実際は、座り直しただけだったが……。
「どうしました? エシル様」
そう言われても、理由なんて口にできるはずがない。うつむいたエシルは、首を振って真っ赤な顔を隠すだけだ。
二大公爵家としての二人の会話にもやもやした上に、焼きもち? エシルにはもう、自分の気持ちが謎だ。
ただ、聞いておきたいことはある。
「精霊樹の言葉があったから、私のことを助けてくれたのですか?」
「まぁ、そうだな」
あっさりとしたネイビルの声が、脳といわず心といわずエシルの全身に染み込んでいく。
ものすごく不快な重い球でも呑み込んでしまったようで、その重さに引っ張られて地の底まで堕ちていくような気分だ。
そんなエシルとネイビルを交互に見て、ソフィアは天井を見上げた。そのまま呆れ顔をネイビルに向ける。
「何度も言いますけど! そんな態度では、意中の令嬢の心は射止められませんよ!」
ネイビルはぴしりと固まったが、エシルは全く話を聞いていない。
「エシル様もそう思いますよね?」と言われても、何のことだか分からない。
ノロノロと前を向き、ネイビルと目が合っても、なぜか胸が痛い。こんなことは初めてで、謎でしかない。
何もできない人間じゃないと、ネイビルに言われたのが嬉しかった。仲間として、共に協力しようと言ってもらえたのが嬉しかった。
でも、それは、精霊樹の言葉があったからこそだと思うと、悲しい。いや、苛立つのかもしれない。かなり。
心を鎮めるために、この話はいったん忘れよう。エシルの自己防衛本能が、そう指示を出す。
「一回目では、ネイビル様と私には接点が全くありませんでした」
「……どうすれば災厄の種を止められるのかネイビル様が策を見つけられないまま、エシル様は殺されてしまった。ってところでしょうね? となれば、精霊樹もエシル様を死に戻らせるしかないですね!」
ソフィアの言い方には棘がある上に、「役立たず!」と口の中で呟いてネイビルを睨んだ。
「なるほど。二回目でネイビル様が助けてくださったのは、精霊樹の意向が働いているのですね……」
自分で言いながら、胸が痛い。
ネイビルの表情も、誰が見ても分かるぐらい重い。「それは違う!」と言いたいところだが、全く影響がないとも言い切れない。
「最初に声をかけたのは、城から抜け出そうとするのを注意するためだった。精霊樹の意向というより、俺の職務だ」
「なるほど。職務ですか……」
よく分からないが、精霊樹の力と言われるよりはいいのだろうか?
エシルが悩む隣で、ソフィアは頭を抱えている。
「ネイビル様は、エシル様に特別親切に見えますけど、それは全て職務というわけですね!」
「誰がそんなことを言った? そんなはずないだろう」
また二人の言い争いが始まった。
新参者のエシルでは、二人の話には入れない。参加できないことで悲しい気持ちになるのは、今日はもう耐えられそうにない。
「ちょっと疲れたので、部屋で休みますね」
返事を待たずに部屋を出ていくエシル見て、二人の言い合いも収まった。
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