33.教会の秘密
よろしくお願いします。
ネイビルの執務室に入ってきたアイリーンは、ソファーに座るエシルの顔を見るなり舌打ちをした。すぐに体を回転させて出ていこうとするが、扉の前にネイビルが立っていて叶わない。
「『選定の儀』のことで話があると言われたから来たんです! 話がないなら帰ります! さっさとどいて下さい!」
アイリーンはわめくが、ネイビルは一向に気にせず冷たく見下ろすだけだ。
「騙したのは申し訳ないと思ってる。ごめんなさい。でも、こうでもしないと、アイリーンとは話せないでしょう? だからネイビル様に手伝ってもらったの」
本当はソフィアに手伝ってもらう予定だった。だが、呼び出し相手がソフィアでは、無視される可能性がある。そう思ってネイビルに変えた。
背中を向けたままで動かなかったアイリーンの肩が揺れると、冷たく乾いた笑い声が執務室に響いた。
ゆっくりと振り返ったアイリーンの顔には、憎しみなのか蔑みなのか分からない歪な笑顔が張り付いている。
「自分では何もできないから、泣きついたってわけね。権力者にとりいって、自分も偉くなったって勘違いしちゃった?」
ネイビルの眉がピクリと動いたが、エシルが首を横に振って止めた。
「私が勘違いしていれば、話をしてくれるの?」
エシルは選択肢を間違えた……。
激昂したアイリーンは「馬鹿にしないで!」と、エシルに向かって飛んできた。高く振り上げた右手を、エシルの頬めがけて振り下ろせない。ネイビルに腕を掴まれたからだ。
腕を振りほどいたアイリーンは、殺気のこもった目でネイビルを睨んだ。が、突然何を思ったのか、にやりと口角を上げてエシルを見下ろした。
「私に仲良しごっこを見せつけたかった? ちゃんと見ました。もういいですか?」
「そんな理由で来てもらったんじゃない」
嫌味の応酬への面倒臭さが、エシルの態度と声に出てしまった。
アイリーンの目が、余計に釣り上がる。
「大体、なに、その髪型は! 私へのあてつけ?」
「当てつけではないよ。アイリーンの言葉で、私の中でも色々と吹っ切れたの。髪は、切りたいから切った」
「全然似合ってない! 前の方がお似合いよ?」
「周りの目は気にしないことにしたから、切ったの。誰に何を言われても、私はこれでいい」
「自己欺瞞! 偽善者! そういうのが、一番気持ち悪くて嫌い! 正しいことをしたと気持ちよくなっているのは、自分だけだって分からないの!」
「なら、自己欺瞞と偽善者の話をしよう」
分厚い板のテーブルを力強く叩いて、エシルは立ち上がった。
目を逸らすアイリーンが、一歩後ろに後退する。エシルはそれを逃さずに、アイリーンとの距離を詰めていく。
「自己欺瞞はアイリーンもだよね?」
この前までは分厚い前髪に隠れていた赤錆色の目が、はっきりとアイリーンをとらえて近づいてくる。
エシルの力強い一歩に比べると、アイリーンの後退は足を引きずっているだけだ。距離なんてあっという間に詰まってしまう。
アイリーンは虚勢を張っていないと、全てをさらけ出してしまいそうで怖い。エシルに縋りついてしまいそうな自分を恐れている。
必至に踏ん張っているアイリーンの前に、顎のラインで髪を揺らしたエシルが軽やかに歩いてくる。
「髪もだけど、精神的にも色々吹っ切れた。私が前に進む後押しをしてくれたのは、アイリーンだよ。ソフィア様は、そのことを悔しがっていたよ」
「はぁ? 何を言って……」
「一回目の私は、友達がいなくて知らなかったけど。友達って、困ったときに頼ってもいいみたい。だから、私はアイリーンに頼ってもらいたい」
「……バッカじゃないの……?」
言葉とは裏腹に、消え入りそうな声だ。
うつむいて黙ってしまったアイリーンの顔を、耳からこぼれたプラチナブロンドが覆う。窓から差し込む光に輝くその髪は本当に美しくて、女神に例えられるのがよく分かる。
震える女神の足元に、ぽたぽたと雫が落ちる。
また友達を泣かせてしまった……。
天を仰ぐ気分のエシルに対して、アイリーンは浮き立つような気持ちだ。
自分がエシルに影響を与えた。そう思うと、真っ暗だったアイリーンの目の前にわずかな光が差す。
エシルがぶち抜いてくれた光のおかげで、いつもみたいに底なし沼に沈んでいくような恐怖もなく、身体も軽い。
「今の私は、自由が怖い。怖くて、怖くて、自分を偽って耐えている。……一回目の私は、自分を偽っていることさえ、教会によって忘れさせられた」
「……」
苦しんでいることも、憤っていたことも伝わってくる。でも、具体的なことは、全く分からない。そんなエシルの気持ちに気づいたのか、アイリーンは言い直した。
「一回目の私は、教会に洗脳されていた。自分の意志なんてなく、あいつらの言うことだけが正しくて、自分の全てで、疑問なんて持たなかった」
ソフィアに聞いていた以上の事実が、アイリーンの口から飛び出してきた。
エシルは、言葉なんてない。言われたことが嘘だなんて思わないけど、簡単に「そうなんだ」と受け入れられない。ただただ呆然と突っ立っているだけだ。
「洗脳が教会の常套手段なんだよ。孤児を助けたふりをして、自分達にとって都合のいい操り人形にする」
アイリーンは表情を変えることなく、ありふれた世間話でも話しているようだ。そのギャップが恐ろしくて、エシルは青ざめていく。
「普通は信じられないよね……。でもね、教会では当たり前なんだよ」
教会の孤児院には、表向きとは違う場所が一つ存在する。
容姿に秀でた子や、能力の高い子供が集められるその場所では、暴力なんて当たり前だ。大人の言うことを聞かなければ食事ももらえないし、睡眠も与えられない。生きるためには隷属するしかないと、死ぬまで分からされるのだ。
逃げる体力も考える力も奪われ、教会の役に立つ人間になる選択肢を選ぶように誘導される。教会にとって正しい答えを選択すれば、褒められ食事や睡眠を与えられる。そうじゃなければ、未来が訪れない恐怖を植え付けられる。 そうやって役に立つ人形になるように育てられるのだ。
できあがった人形は、ある者は貴族の玩具となり、ある者は間者となり、ある者は愛し子となる。
洗脳されているアイリーンにとって、シスターの言葉は絶対だ。偽りだなんて、考える余地はない。
『闇の精霊は、自身を倒せる唯一の力である光の精霊を恐れている。だから闇の精霊とその愛し子は、必ず教会を襲ってくる。そうなれば弱い者から殺される。孤児院の子供はまず生き残れない。どうする、アイリーン。お前なら、何ができる?」
剣を手にしたシスターは、アイリーンに決断を迫った。
「私は……、突き出された剣を、迷いなく取った」
震えるアイリーンの手に、エシルはそっと自分の両手を重ねた。それでも震えは止まらない。
エシルを殺した感触や、血に染まる自分を忘れたことはない。人を殺したのに、教会のために大義を成したと歓喜に震える自分を……アイリーンは忘れたことはない。
「エシルさんが地面に崩れ落ちて、動かなくなった。赤い血だけが、泉に向かって流れていった。それを見ていたら、一年前に戻った」
「私もそんな感じだったな……。死んだと思ったら、『わぁっ、眩しい!』ってなった」
アイリーンは目を閉じて首を振った。
「いつもは頭の中で絶え間なくシスターの声が響いていたのに、静かだった。心の中の声も自分の言葉で、自分で考えないと答えがない。不思議に思っていたら、一回目の自分に対して怒りがわいた。そんなもんじゃないな。吐き気がするほどの嫌悪感だった。それに、殺したはずのエシルさんがいた……」
洗脳が解けたことで、手にした自由。それを上回る後悔と恐怖。
エシルが死に戻っていても、アイリーンが殺した事実は消えないのだ。
二人きりの部屋は静かだ。
入り口の前で立っているには、アイリーンの顔色が悪すぎる。「ソファーに座ろうか?」エシルが歩き出すと、アイリーンもついてきた。
「前にも言ったけど、殺されたことに対する怒りはなかった。誰に殺されたとしても、それは変わらないと思っていた。でも、違った」
座るなりエシルがそう切り出すと、アイリーンは怯えた目を伏せた。
「教会は許せない! アイリーンを道具として扱い、苦しめている。教会はぶっ潰されるべきよ!」
「えっ?」
自分にぶつけられると思った怒りが、別方向に飛んで行った。
顔を上げたアイリーンが、より呆然とする言葉が続く。
「どうして私は殺されたんだろう? しかも、あのタイミングで」
自分が殺した相手から同情されたかったわけではない。エシルに受け入れてもらえたから、真実を話した。その卑怯さを責められたかったわけでもない。
ないけれど、アイリーンが全く予想しなかった方向に話が進んでいる。
「一回目の私は、『選定の儀』が終われば辺境のどこかに閉じ込められた。ただ息をしているだけで死んだも同然の私を、わざわざ殺す必要がある? しかも『選定の儀』が終わる前日に……」
顎に手を置いたエシルは真剣だ。
殺したのはアイリーンなのに、自分の意志がなかったせいでエシルの疑問に答える知識がない。
「シスターには、ドースノット国からの指示だと言われました……」
エシルの眉間の皺が、ぐっと深くなる。
「それも、おかしい話だよ」
「そう言われても……。操り人形だった私には、何がおかしいのか分からない」
「ドースノットが望むのは、国の混乱と王家の破滅なの。私を殺したら、王家の罪を隠ぺいすることになる。ドースノットにとって、何の得もない」
「なら……、なぜ?」
「それが分からないね……」
「教会は、確かに腐っている。幹部は金儲けのことしか考えていない。でも、闇の精霊の愛し子を殺すことに関しては、本気だった」
金儲けのために作った組織かと思いきや、闇の精霊の愛し子に対する憎しみは本物らしい。
人に精霊は見えない。なのに教会は、闇の精霊だけを恨み攻撃し続けてきた。それにも何か意味があるのかもしれない。
「なるほど……。でも教会が単独で動いたにしても、わざわざ『選定の儀』が終わる前日に? しかも、教会の象徴でもある愛し子に、殺させるかな?」
「エシル様に対する悪意は、教会からずっと与えられていたけど……。殺すように指示されたのは、突然だった。洗脳されている私でも、驚いたくらい」
「うーん。分からないけど……。教会にも、何かあったのかもしれない?」
「分からないことだらけだけど、教会のことは調べてみる」
そうすれば今回エシルが殺される可能性は低くなる。とは、アイリーンは言えない。口から出てくるのは、「教会をぶっ潰すには必要だから」だ。
自分の前に出された右手を見て、アイリーンは前を見上げた。ニコニコと微笑むエシルの顔からは、何も分からない。
「私たちは、協力できるってことだよね?」と言って、エシルは更に右手を突き出してくる。その強引な右手を、アイリーンは取ることができない。
「……それは、そうなんだけど……。ソフィアやネイビルを頼ることには、抵抗がある」
「頼るんじゃないよ。協力!」
「協力って、あの二人に何を?」
「ネイビル様もソフィア様も国を守ろうとしている。教会の内情を知れることは、大きいよ。それに、教会がぶっ潰れてくれれば嬉しい。そのためなら、協力を惜しまないよ」
「ふぅん……」と何だか納得いかない顔をしたアイリーンは、右手をぶらつかせた。
「……エシルさんは、私やあの二人に協力して得るものはあるの?」
「ダンスールを助けてもらったよ」
「それだけ? その恩は、もう十分返したんじゃない?」
「……うーん。何だろう? 恩を返せているのだとしても、最後まで見届けたいかな?」
「どうして? 危険じゃない?」
「危険かどうかって話になると、何をしていてもしていなくても、私は危険だと思う」
これにはアイリーンも反論できない。エシルを狙っているのは、教会だけではない。なにせ、国を滅ぼすと言われる悪しき存在にさせられているのだから……。
「まぁ一回目の私だったら、絶対に関わらなかった。正直、この国がどうなろうと知ったことじゃないもの。だから、やっぱり、友達だからかな? 困ったときに助けたいでしょう?」
「はは、バカみたい……」と言ったアイリーンの声に棘はない。自分だってエシルを助けたいと思うことに、明確な理由はないのだ。
「二人だけじゃなく、もちろんアイリーンも同じだよ。ただ、私だと力不足だから、強力な二人がいた方が教会をぶっ潰せる!」
エシルのアピールに、アイリーンは声を出して笑った。
「エシルさんがそう言うのなら、使えるものは使い尽くしてあげる」
「そうだよ! 一人で頑張らなくて大丈夫! 自分の安全が第一だよ? 無理は禁物だからね!」
「当然です。やばいと思ったら、三人を売ってでも私は逃げる」
プイっと横を向くあたり、照れて強がっているのが丸わかりだ。さすがツンデレとかまってちゃんの融合体。
読んでいただき、ありがとうございました。