29.拗れた仲間意識
よろしくお願いします。
アイリーンは、花畑からエシルに視線を移した。笑顔だったが、目の奥が全く笑っていない。それどころか、獣が狙いを定めたような鈍い光がある。未だに質問の答えに迷っているエシルは、それに気づいていない。
「精霊樹が、エシル様を死に戻らせたんですね……」
急に話が変わった。エシルはそのことをおかしいと思うより、ソフィアが言っていたことがポンと頭に思い浮かんだ。
「アイリーン様は?」
「はい?」
「アイリーン様も、死に戻ったのよね?」
「えっ?」
「いや、ソフィア様がね、二人同時に同じタイミングで死ぬっておかしいって言っていてね。でも、死に戻るほどなんだから、それくらいのことがあってもおかしくないわよね?」
視点が泳いでいたアイリーンの目が、ソフィアの名前が出た瞬間にスッと細められた。
エシルが違和感を感じていると、いつもとは違う生暖かい風が薄暗いガゼボの中に吹き込んできた。むっとする熱さが、二人にまとわりつく。
「きっと、精霊樹にとって、エシル様は特別な存在なんだろうね」
「……どこが?」と白けた声が出るのも仕方がない。
エシルが手にできるもの、手にしているもの。それはもともと限られていて少ない。それでもエシルは、日々を満足して生きていた。
闇の精霊の愛し子に選ばれるまでは……。
「闇の精霊の愛し子なんかに選ばれたせいで、私は全てを失った。その上、『邪悪な闇の精霊の愛し子』と呼ばれて、国中から敵認定までされている。精霊樹が本当に私を特別に思っているのなら、愛し子なんかに選ばず、そっとしておいて欲しかったなぁ」
コクタール家の名を捨てて、国から出たかった。
そうすれば、真っ黒な髪も赤錆色の目も受け入れられる気がした。陰気で家族から存在を消された自分を、一からやり直せると思った。
それを邪魔したのが、精霊樹だ。
「私が特別な存在? 私からすれば、精霊樹の嫌がらせとしか思えないけどな」
「でも……! 精霊樹が死に戻らせたんだから。エシル様にしかできないことが、あるんだよ」
「それ、ソフィア様も同じことを言っていたけど……、例えそうだとしても、面倒なことはやりたくない」
必死にエシルに訴えかけていたアイリーンだったが、「ソフィア」と聞いた瞬間に気が削げてしまった。澄んだ目を輝かせていたのに、一瞬で細められた。二回も同じことが続けば、鈍感なエシルにだって分かる。
アイリーンはソフィアと張り合っているようだ……。
「ソフィア様と、何かあったの?」
エシルの直球にアイリーンは動きを止めたが、すぐに嫌悪感丸出しで「エシル様はどうして仲良くなったのですか?」と聞いてきた。
どうしてと言われて、思いつくことは一つ。
「ソフィア様がグイグイと押しかけてきたからかな?」
信じられないと眉間に皺を寄せたアイリーンが、「……あの人が?」と呟いた。
「あのプライドが高く傲慢なソフィア様が、です。私もビックリした。毎日来るから、それなりに会話もする。そしたら……」
「そしたら?」
「話をするのも、一緒にいるのも楽しかった」
「あの人と? ありえない! あんな人を見下した人」
「私もソフィア様のことを、そう思っていた。勘違いしていた。話をしてみないと、分からないものなのね。アイリーン様も一度、エシル様と話してみるといいよ」
「…………」
黙り込んでしまったアイリーンは、ガゼボの薄暗さに同化したみたいだ。瞳まで何か濁って見える。その仄暗い儚さが、心配になる。
強い風が吹き、草花を仰け反らせるように揺らした。アイリーンのプラチナブロンドも、エシルの黒髪も風になびく。
光に輝くプラチナブロンドと、景色を汚す黒髪が並んで視界に入る。
エシルはギュッと自分の黒髪を握った。見比べなくても暗く陰気なのは分かっているのに、比較対象があればなおさらだ。
「今のエシル様は、一回目では考えられないほど楽しそうでよく笑っている」
「そんなこと……あるか」
自分でも自覚があるだけに、指摘されると恥ずかしい。
「アイリーン様も、とても感情が表に出ているよね? 何も映さない目をした冷たい人形みたいな印象は消えて、感情豊かな十七歳だよ!」
良かれと思って言ったのに、とんでもない地雷を踏みぬいたらしい。アイリーンの美しい顔が、これ以上ないほどに歪んでいく。
「エシル様は、ソフィアたちと笑い合って前に進んでる……」
「確かに、そう、かな? 今は毎日を無駄にすごしている感じはしないかな?」
好きな料理をしたり、ソフィアとご飯を食べたり、ネイビルたちに差し入れを喜んでもらえたり、ダンスールに手紙を書いたり。そんな毎日を思うと、エシルの顔は自然と笑顔になる。
「私は過去に囚われて、抜け出そうともがくので精一杯なのに」アイリーンの呟きは小さすぎて、エシルには聞こえない。
「死に戻ったのは、私とエシル様だけなのに……。隣にいるのは、どうして私じゃないの?」
薄暗いガゼボに響く声が虚しい。エシルもどう受け止めればいいのか分からず、眉が上がったまま固まっている。
それが余計にアイリーンを苛立たせてしまう。
「一回目では、エシル様だって私と同じ目をしていたじゃない!」
「……同じ? アイリーン様の宝石みたいな紫色の目と、この陰気な赤錆色が?」
「色なんて関係ない! 抗えない現実を受け入れて諦めた目だよ!」
「あぁ、それなら確かに」エシルはうなずいた。
「……なのに、今のエシル様は諦めていない。希望を持っている。どうして? ずるい!」
ぽっかーんだ。
何がずるいのかは分からないが、エシルは自分に羨ましがられる要素があるなんて思ったことがなかった。天地がひっくり返った気分だ。とにかく頭が真っ白で、どうしてアイリーンがそんな発言をしたのかまで頭が回らない。
ただひたすら呆然としているエシルだが、アイリーンの目には馬鹿にされているように映った。だから「何か言ったらどうなの!」と声を荒げた。
その声と気迫で、エシルもやっと我に返れた。でも、何かと言われても……。さっぱり頭が動いていないエシルは、何を言うのが正解なのか分からない。
「……アイリーン様は、狂った教会を正すために戦っていますよね?」
「エシル様と違い、私は教会に復讐するのよ!」
強気のアイリーンにエシルはホッとした。
「アイリーン様は美しく聡明です。国民や聖騎士の希望です。アイリーン様なら、必ず教会を正せます。たから、私なんかと比べる必要はないです!」
エシルが本気でそう思っているのは分かる。でも、アイリーンが欲しいのは、そんな言葉でも作り物の笑顔でもない。
ソフィアやネイビルに向ける笑顔が欲しかったのだ。
一回目からアイリーンがエシルに執着していたのかと言えば、違う。むしろ、視界に入れたくないと思っていた。一回目のエシルのことは、可哀相だけど意気地なしのダメな人だと思っていたからだ。
なのに……、死に戻ってみたら、自分も可哀相だけど意気地なしのダメな人なのだと気づいてしまった。
エシルの死に戻りに巻き込まれた結果、呪いが解けたみたいに頭がすっきりした。
今の自分なら、エシルを助けてあげられる。可哀相だけど意気地なしのダメなエシルを理解できるのは自分だけだ。だから、エシルも自分を助けてくれるはずだ。アイリーンはそう思った……。
現実は違った。
アイリーンが助けてあげるはずだったエシルは、気づけば別の仲間と笑い合っていた。そして、いつの間にか可哀相で意気地なしのダメな人じゃなくなっていた。
助けが必要なのはアイリーンの方で、アイリーンだけがいつまでも可哀相だけど意気地なしのダメな人のままだ。アイリーンだけが、いつまでも動き出せない。
一番助けを求めてはいけないエシルだけが頼りだなんて、そんな情けないことは絶対に言えない。
だからって、とんでもないことを言ったものだ……。
「私は教会を潰す。一人でするのは大変だから、エシル様に手伝わせる。王妃の日記のことを教えてあげたのだから、ちゃんと恩は返してよね」
エシルを睨んでそう言い終えたアイリーンは、フンっと鼻息荒く目を逸らした。
傲慢としか言いようのない態度だけど、アイリーンからは後悔が垂れ流れている。
エシルは思った。
完全に、ツンデレとかまってちゃんの融合体だ。と……。
普通なら腹を立てる場面だけど、ダンスールの教えによって知識のあるエシルは違う。
傷ついたアイリーンが、なぜかエシルに助けを求めている。そして、エシルに助けを求めることに後ろめたさを感じている。
複雑すぎる心を抱えたアイリーンのことを助けたい。そう思ったエシルは、自分の中の最善の策を取った。
「私では力不足すぎて、役に立てない。ブールート様やソフィア様に話をしてみない? 教会と戦うのなら、一人でも仲間が多い方がいいよ」
「……どうして、ソフィアやネイビルなの?」
「えっ? だって、二人には、私と違って力もあるし情報力もある。とても頼りになるから、アイリーン様のことも助けてくれる!」
「なにそれ……」そう吐き捨てたアイリーンの顔は、泣いているのか激怒しているのか分からない。
会話は楽しいキャッチボールにならなかった……。
まず、エシルの投げた球は暴走球だったようだ。アイリーンはそれを、とんでもない方向に打ち返した……。
アイリーンの冷たい微笑が、エシルに襲い掛かる。
「エシル様には、一回目の性格の方がお似合いだよ。そうやって上から目線で人に干渉するのは、陰気な人には似合わない!」
相手の弱点を突いて追い詰めるのは、一回目のアイリーンの得意技だ。厳しく教え込まれたおかげで、相手のコンプレックスを見つけるのも早いとよく褒められた。
容姿がコンプレックスなエシルとなら、美しいアイリーンは非常に相性がいい。
「危機感のないエシル様のことだから、王家の次は二大公爵家に利用されているんじゃない?」
「二人はそういう人じゃない」
「相手は二大公爵家だよ? 優先するのは国であって、エシル様じゃない」
「まぁ、それはそうだけど。理不尽なことをする人たちで――」
「エシル様!」
「!……」
赤錆色の両目を覆い尽くすほど伸びたエシルの厚い前髪を、アイリーンは掴んだ。
「隠し続けて錆びついたこの目で、一体どんな現実が見えるというの?」
「…………」
「地味で陰気なエシル様にお似合いなのは、『邪悪な闇の精霊の愛し子』でしょう? 誰もが貴方が教会に倒されるのを心待ちにしている! 貴方が望まれている役割は、それだけだよ!」
久しぶりにさらされた赤錆色の目で真っ直ぐにアイリーンを見つめたエシルは、「分かっているよ」と穏やかだけどはっきりと答えた。
「そんなことは分かっている。でもね、望まれた役割を果たしてやる気持ちはない。もう、自分を犠牲にするのはやめたの」
「ソフィアとネイビルが、それを助けてくれると?」
「『人が一人でできることは限られている。周りと協力して臨むべきことも多い』ネイビル様にそう言われたわ」
「だから、二人を利用して助けてもらうってわけ?」
アイリーンは、軽蔑しきった顔で笑っていた。
「最初は協力が何なのか分からなくて、私もそう思った。でもね、相手に押し付けたり、一方的に助けてもらうことが協力じゃないって教えてもらった。目的に向かって一緒に力を合わせることが、悪いことだとは思わない」
「そんなこと言って! 一人では何もできないから、二人に取り入ったのでしょう!」
アイリーンが言うことは、全部エシルが一度は考えたことだ。
違うと言い切れる自信がまだないから、何といえばいいのかが分からない。
「……そう、だね。私が一人では何もできないのは、一回目で思い知った。二人に取り入ったつもりはないけど、そういうことになるのかな?」
「結局エシル様は、一回目と同じ。可哀相だけど意気地なしのダメな人のままね!」
アイリーンが投げつけるように離した前髪が、エシルの顔に当たって視界がまた暗くなった。怒っているのか困っているのか分からないアイリーンの顔も、乱れた前髪越しにしか見えない。
「よく分からないけど、変わっていないとダメなの? 私はダンスールが守れるなら、別に可哀相だけど意気地なしのダメな人でいいけど?」
「……強がっても駄目だよ。そんな情けない人間でいたいわけない!」
「そう言われても、生まれてからずっとダメな人間だから。他人からどう思われているかなんて、今更気にしないよ」
怒るでもなく、悲しむでもなく、強がるわけでもない。エシルは自分の中の事実を言っただけだ。
「何言ってんの? そんなダメ人間に協力する奴がいるわけない! ソフィアやネイビルだって、力なきものを利用して甘い蜜を吸い上げるだけ寄生虫だよ!」
「そういう人がいるのは知っている。でも、あの二人が私を利用するとは思えない。みんなが同じという――」
エシルの眉間に突き刺さるように、アイリーンの人差し指が向けらえた。
「この目は、本当に錆びついている! 何も見えていないことに、気づいてない!」
「アイリーン様が傷だらけなのは、分かるよ。助けて欲しいんだよね?」
視界から人差し指が消えると、ドンと鈍い痛みが肩に与えられた。背中が固い背もたれに激突して、エシルの視界が揺れる。それでようやく、自分が突き飛ばされたのが分かった。
揺れる視線の先には、にやりと笑っているのか泣いているのか分からないアイリーンがいる。
「傷だらけの私を助けてくれると言うの? 貴方を殺した私を?」
瞬きを繰り返すエシルに、アイリーンが「そんなことじゃ、今度はあの二人に殺される」と吐き捨てた。
呆然とするエシルを残して、アイリーンはガゼボから走り去った。
アイリーンが消えた後も、エシルは視線を動かせない。アイリーンがいたはずの場所を、ずっと見ている。
どうやら、一回目にエシルを殺したのはアイリーンらしい……。
でも、エシルにとってそんなことはどうでもよかった。 自分の罪を告白するときの、あの苦しくて縋るようなアイリーンの顔が頭から離れない。
「……失敗したなぁ、他に言い方あったよね……。どうしよう?」
錆びついた目を、エシルは無心で目をこすった。錆が取れれば、やり直せる気がした。必死にこする右手が止められた。掴まれた腕の先を見ると、垂れ目と一緒に眉も下がったオリバーが立っている。
「会う度に、ろくな目にあっていないね?」
ものすごい同情の目をエシルに向けた。
読んでいただき、ありがとうございました。