27.本当の建国史
よろしくお願いします。
ノーラフィットヤー国は、大きな大陸の端っこに位置している。が、島と言っても過言ではないくらい、大陸と面している部分は少ない。
大陸との細いつながりは、暗く深い森だ。
その森には魔物が棲むと信じられていて、昼間でも鬱蒼と先の見えない闇が広がっていた。そのため「闇の森」と呼ばれ、人間は恐れ近寄ることもできなかった。そのおかげで近隣諸国とは全く関わりがなく、別世界だと思われていたくらいだ。
だから周囲で国の奪い合いが激しくなっていても、精霊たちには全く関係のないことだった。
そんな精霊の国に一番最初に迷い込んだ人間は、子供だった。
戦争で親と家と故郷を失い、傷つき飢えた憐れな子供。
他人のもの欲しさに命を落とす愚かな人間になんて相手にしていない精霊王も、戦争の被害者である子供を見捨てることはできなかった。温かい食事と服を与え、安心して眠れる場所を提供した。
日に日に周辺の戦争が激化してくると、子供以外も闇の森に逃げ込むようになった。
闇に包まれた魔物が棲む森よりも、陽の当たる住み慣れた大地の方が恐ろしい。そう思えるほどに戦争は激しさを増していて、どこに行っても血の匂いでむせ返るほどだ。
気づけば、森に逃げ込んできた人間の数は、村一つ作れるくらいになっていた。
愚かな人間は、精霊の国の秩序を乱す。そうなれば、精霊王も目をつぶってはいられない。人間を国から追い出そうとしたが、人間だってやっと得た安息の地から「はいそうですか」とは出ていかない。
『王族や貴族の言いなりになって命を捨てるなんてご免だ。一生懸命働いて、ここで家族と共に暮らしたい。精霊に迷惑はかけないから、少しだけ土地を貸して欲しい』と、戦争に巻き込まれ利用され傷ついた人間たちは、精霊王に頼み込んだ。
人間をこの国から追い出したら、彼らの行く先は焼け野原の上で殺し合いを続けている戦地だ。彼らが戦争の被害者であることを知っているだけに、精霊王夫妻も精霊達も「出ていけ」とは言えない。
精霊王は闇の森に人間が暮らす場所を作って、精霊と人間が関わらずに暮らせるようにした。
そうやって精霊王の命の源ともいえる闇の森は、人間が生きていくために切り拓いていった。暗く深い森のほとんどが失われる頃、精霊王の命が尽きた。
その頃には、精霊の数よりも人の数の方が多くなっていた。人にも見えていた精霊の姿は、精霊王の死と共に人の目には映らなくなった。
精霊王の命が尽きると、次なる王が誕生する。だが、いつの間にか精霊の国とは言えなくなった地に、次の精霊王は現れなかった……。
それは、精霊の国が滅びたことを意味する。
精霊王の妻は、夫の死と精霊の国が失われたことを悲しんだ。悲しみのあまり、一か月もの間、国には雨が降り注いだ。
大地を押し流すほどの雨を降らせた妻は、変わり果てた大地を前に愕然とした。夫が愛し守ってきたものを、自分が奪った。それに気づき自らが精霊樹となって、大地に根を張り、今度は自分が国を護ることで精霊王の意志を引き継ぐことを決めた。
精霊樹の加護で平穏を取り戻したノーラフィットヤ―国だったが、その豊かさを妬む人間は後を絶たない。
その中でも力をつけていた隣国が、何度も国を奪いに来た。侵略者が求めたものは国ではない。周囲の国からは預言者であり魔法使いだと恐れ崇められていた精霊樹だ。
だが何度挑んでも毎回、精霊樹に返り討ちにされてしまう。腹を立てた隣国の王は、手に入らないのなら精霊樹を切り倒そうと密かに計画した。
それを阻止したのが、王家と二大公爵家だ。
隣国を危険視していたオランジーヌ家の祖先が、事前に彼らの動向を掴み、進行を足止めしながらブールート家の祖先に精霊樹の危機を伝えた。ブールート家の祖先は精霊樹と共に戦い、隣国を退け精霊樹と国を守った。
その二つの家を指揮し協力したのが、王家の祖先だ。
「精霊樹と国を守ったことで英雄となった三家が協力して、ノーラフィットヤー国を治めることになった。これが建国史の内容ですよね?」
エシルが知ることを、まずおさらいした。
世間の話と大きなずれはないはずだが、ダンスールもエシルもこの国に興味がない。何か取りこぼしはあるかもしれない。
「その内容が、この国で一般的に語られている話です。でも、事実は違います。実際は、王家は活躍していません。何もしていないのです」
無表情でソフィアはそう言い切った。ネイビルも当然という顔をしている。
「普通に世に出回っている話は、ありもしない物語ということですか? 事実ではないという意味ですか?」
「いいえ。ほぼ事実です。王家に関すること以外は」
ソフィアの言葉の意味を考えれば、王家の祖先は協力も指揮もしていないことになる。
エシルは頭が痛くなってきた。王家が何もしていないというのなら、この現状はどう説明できる? この国の歴史は、どうなるのだ?
「王家の祖先は何もしていない? ならなぜ、国王なの?」
頭を抱えたエシルに、ネイビルは「何もしていなかったわけではない」と言った。
その言葉にエシルはホッとした。
二人の英雄がいるというのに、何もしていない人が国王だなんて、どう考えたってありえない。あるとすれば、裏で何かよからぬことが起きている場合だけだ。
エシルの安堵とは逆に、ソフィアは「まぁ、『何もしていない』は、事実とは異なりますね」と顔を歪めた。
「ブールート家とオランジーヌ家の祖先が隣国と戦う最中、王家の祖先は盗みを働いていました」
「…………えっ?」
どんな冗談? そう言ってエシルは笑おうとしたが、顔が引きつるだけで上手くできない。なのに、ネイビルもソフィアは、当然という涼しい顔だ。
静かで落ち着いた執務室の中で、エシルだけが意味が分からず混乱している。
「いやいやいや、待って!」
机に手をついて立ち上がるエシルを、二人は何を言わずに見上げている。この程度の動揺は織り込み済みということだろう。
「盗人? 泥棒? どっちでもいいけど、犯罪者が国の統治者? どう考えても、おかしいでしょう! コソ泥が国王なってたら、まともな国なんて一つもなくなるよ」
エシルの叫び声が、静かな部屋に響いて床に落ちる。
「エシル様の言う通りです。でも、盗んだものが悪かったのです」
「そうだな。国からすればとんでもないものが盗まれた。王家からすれば、値千金の秘宝を盗んだってところか」
冷静な二人にとっては勝手知ったる話だとしても、エシルは違う。
机に拳を振り下ろして、「説明不足!」と叫ぶのも仕方のないことだ。
泥棒が取ったのは、精霊樹の実だ。
数百年に一度とも、数十年に一度とも様々に言い伝えられているが、精霊樹は不定期に実を成す。
成人男性の頭より少し大きめなオレンジ色の実は、「万能薬になる」とも「不老不死の効果がある」とも言われている。
「人間が勝手に言い出しただけで、実際はそんな効果は全くない」
「えっ!」
「実は、精霊樹の邪心や毒気の塊だ」
「それは……。食べても害しかなさそうですね……」
そう呟いたエシルに、ネイビルは淡々と事実を告げる。
「精霊と人は別々に暮らすべきで、本来なら共存しない。交わるべきではないものが交わったのだから、歪みが生じる。精霊樹が持つ、人間に対する怒りもその一つだ。怒りや呆れや苛立ちを実として生み落とし、精霊樹の根の張った大地で浄化して消し去る。それを繰り返してきた」
「それって……。精霊樹がノーラフィットヤー国を護ってくれているのは、精霊王のためであって、人間には感情を浄化しないといけないほど愛想をつかしているってことですよね?」
いつもより苦々しい顔をしたネイビルが、「そういうことになるな」とうなずいた。
そうなのだろうとは思ってはいたが、ネイビルの肯定はエシルを驚かせる。
「『精霊に護られし国』なんて言っているから、てっきり精霊樹に愛されているのかと勘違いしていました……」
「国内にも、国外にも、そう思わせているのです」とソフィアが言うと、ネイビルが続いた。
「こんな現実が世間に知れれば、国は終わりだ。それを隠すために曖昧な建国史と『精霊樹に護られし国』といううたい文句をごり押ししている」
「曖昧な建国史? うたい文句……?」
受け入れがたい事実に動揺が収まらないエシルにソフィアがとどめを刺す。
「あろうことか精霊樹から盗みを働いた子孫が、代々国王だなんて知られるわけにはいきませんからね」
精霊樹と国の関係は、エシルが思っていたものとは逆といってもいいくらい全く違った……。
エシルは思う。
……この国、本当にまずいのでは?
「色々驚いていますけど、泥棒が国王になる理由は説明されていないですよね? 盗んだ実が関係していると言われても、全然想像がつきません」
パニック状態なエシルに、ネイビルは「実は朽ちているので、種だな。災厄の種だ」とわざわざ訂正してくれた。
「精霊樹の種は、邪心の塊だ。使い方次第で、世界を滅ぼせる」
「種が……?」
世界を滅ぼせる種……? 自分の知る種を思い浮かべ、やっぱりエシルは想像もできない。
「種が世界を滅ぼすって……、本当ですか? 私も『国を滅ぼす存在だ』と言われていますけど、全然無理ですよ?」
「種がいかに危険か教えてくれたのは、精霊樹だ。ブールート家の初代が声を聴いた」
「……!」
声も出せずに驚くエシルに、ソフィアが補足してくれる。
「ブールート家には、初代が記した手記が残っています。その中に、初代が精霊樹の声を聴いたことが書かれています。まぁ、一番最初の従者ということでしょうね」
目を見開いたエシルに、「わたくしの建国史にだって書けなかった事実です」とソフィアは胸を張った。
ブールート家は精霊樹の守護者に選ばれた。言葉を与えられたのも、納得できる。
だが……。精霊樹がブールート家当主に教えてくれたなら、種をいかようにも回収できたはずだ。どうして種が王家の手元に残るのだろうか?
「『その種を持っていると呪われる。そう精霊樹が言っている』とか言って、種を回収できなかったのですか?」
ネイビルがエシルから視線を逸らすので、見かねたソフィアが気まずそうに「手記によるとですが……」と話し始めた。
「ブールート家の初代は、素直な方だったようで……」
素直……。思わずネイビルを見てしまった上に、前髪に隠れていても分かるくらい目が合った。気まずくて、エシルは足元に視線を落とした。
「我が家の記録には、『ブールート家の初代は武芸に秀でているが、交渉事が苦手』とあります」
「はぁ……。それで?」
はっきりしない答えにエシルが顔を上げると、ソフィアが気まずそうに眉を下げた。
「『種には世界を滅ぼす力がある』と泥棒に言ってしまったのです。まぁ、昔は何でも顔に出てしまう上に、口にも出してしまったようですわね?」
「この失敗があったから、当主は感情が顔に現れないよう訓練されるようになった」
ネイビルの無表情は、過去の過ちの代償ということだ。この顔しか見ていないエシルには、かつては何でも顔に出てしまう素直な一族だったということの方が衝撃だ。
「オランジーヌ家の祖先は『精霊樹の下に戻り浄化されることを拒んだ災厄の種は、邪な心が共鳴した泥棒を持ち主に選んだ』と残しています。ブールート家当主の性格だけではなく、種の力も影響したのでしょう」
「……なるほど。で、最強の後ろ盾を得た泥棒が、自分の有利に交渉を進め、国王の座を手にした。ってことですね?」
「ブールート家、最大の過ちだが、その通りだ……」
ネイビルがそこまで凹むとは、エシルも思っていなかった。その過去の過ちがあったからこそ、ブールート家は精霊樹に忠誠を誓っていることを知った。
「これは絶対に、外には漏らせないですね」
「ノーラフィットヤー国は『精霊に護られし国』を鼻にかけていると言われ、近隣諸国からはよく思われていません……」
「戦争を仕掛け、ノーラフィットヤー国を滅ぼし、種を手に入れる。そうすれば、周辺諸国を恐怖で支配できる。そう思う国は多いでしょうね……」
そう言ったエシルの喉は、緊張でひりひりと乾いていた。無理やりにつばを飲み込む音が、沈黙の中に響いた。
普通に考えれば、そんな物騒なものは精霊樹に返して浄化してもらうのが最善に決まっている。
そんな恐ろしいものが存在していることが恐怖だ。それを盾に王位を強請り取るとか、周辺諸国を世界を屈服させようとか考える奴の気が知れない。
……とは、言い切れない。自分の欲望の忠実な人間は、世の中に少なくないのだ。
「多くの国に同じことが言えますが、特にドースノット国にこの話が漏れれば、すぐにでもこの国を潰しに来るでしょう」
「だからこそ、チャービス家には知られたくないな」
「なぜ急に、チャービス家の名前が?」
「チャービス家には、教会ともドースノットともつながっていると噂がある」
「えっ? 王太子妃になって、国を乗っ取るつもりじゃないのですか?」
国が潰されたら、チャービス家で支配できなくなる。それでは意味がないのでは?
そう考えることが、一年間何も見てこなかった証だ。エシルは、そう思い知る。
「チャービス家にとっては、国だって商品の一つでしかありません」
あまりにも冷たいソフィアの声に、エシルは身を震わせて「商品……?」と繰り返した。
「商品価値が高ければ、国の実権を握って骨の髄まで搾り取る。商品価値が低ければ、教会やドースノットに売り渡す。ということです」
「はぁ……、確かに、商品ですね。商人、えげつないです……」
「アサス商会は、えげつない。扱っているのは、綺麗なものばかりじゃないからな。戦争だって大歓迎だ」
ぞっとして、エシルの背中を冷たい汗が滑り落ちた。
この国は、エシルの想像以上に危機的状況だったらしい。
魔獣や瘴気に汚染されているとか、精霊樹への信仰心が教会に乗っ取られそうだとか、王妃が精霊樹との誓約を破ったとか、そんなことを言っている場合ではない。
何から手をつければいいのか分からないほどに、問題が山積みだ。
ネイビルの手がテーブルに置かれた日記に伸びる。
王妃の日記を見つけたことも、その日記について話し合うために集まったことも、エシルは完全に忘れていた。それくらい、驚くことの連続だ。
「王妃はこの日記を、外函に細工をした場所に隠していた。それなのに、書いたページを破ってわざわざ別の場所に隠すだろうか?」
破られたページを開いてネイビルが「腑に落ちない……」と言うと、ソフィアはすぐに同意した。
「手元に残すには、内容が危険すぎます。普通に考えれば、燃やすなりちぎって捨てるなりして証拠を隠滅するでしょうね」
エシルは、王妃の趣味とは思えないレターケースを手に取った。
王妃の部屋は粗末だが、家具は高級品だった。ペンなどの小物も同じで、元からの持ち物なのか高価で派手な印象だった。
その中で、このレターケースだけが、明らかに浮いていた。
見れば見るほど、かつてダンスールにプレゼントされたものとよく似ているし、仕掛けだって同じだ。エシルの秘密箱は細工をいじくりまわしすぎて壊れてしまったが、レターケースは綺麗なままだ。だが、決して新しいものではない。
エシルは地味なレターケースを、ネイビルの前に置いた。
「お手数ですが、ダンスールに渡してもらえませんか? ダンスールなら、この秘密箱について分かることがあるかもしれません」
「日記を破った別の誰かがいる。そうであった場合、その誰かがこの秘密箱に隠したのなら、入手経路は重要だな」
ネイビルが自分の意図をくんでくれて、エシルはホッとした。
「こうなってくると『精霊樹との誓約違反の証拠が離宮にある』という噂の出どころも気になりますわね」
「日記を破ったのも、噂を流したのも、同じ誰かの可能性が高いな」
「誰かには、どんな狙いがあったんですかね?」
破られたページを見つめ、三人は黙り込んでしまった。
ぞくりとする不吉な影が、静まり返る部屋にいつまでも残っているようだ。
読んでいただき、ありがとうございました。