25.建国史の秘密
よろしくお願いします。
エシルが王妃の部屋に入るのは、初めてのことではない。
離宮を使うことになった際に、ネイビルに一通り案内してもらった。あの時の衝撃は、多分一生忘れない。
ネイビルに「ここが王妃の部屋だ。見る必要はないが、どうする?」と聞かれ、エシルは「見ます!」と即答した。あの時は、王妃の部屋に期待していた。
どんな期待かといえば、エシルはこの離宮で暮らそうと思っていたのだ。
王妃は離宮で死んだのに?
エシルは全然気にならない。コクタール家で与えられたあばら家だって、前に住んでいた人はそこで死んだ。だからって、何の害もなかった。まぁ、建物自体は隙間風だらけで害だったが……。
とにかく、あの派手で眠りを妨げる部屋より、離宮の方がましだと、その時までエシルは思っていた。
ネイビルがドアを開けて驚いた。
エシルたちに与えられた客間と比べると、四分の一以下だから驚いたのではない。部屋の狭さもボロさも慣れっこだ。今更文句なんて言うはずがない。
「だから、見る必要はないと言っただろう?」ドアを開けたことを、ネイビルも後悔している様子だった。
六畳ほどの部屋には、一人掛けのソファーとベッドと鏡台と文机と本棚しかない。これが王妃の部屋か? と思うほど、何もないシンプルな部屋だった。
だが、普通の部屋じゃない。
「……泥棒? 泥棒が、入ったんじゃ、ないですか?」
顔をひきつらせたエシルがそう言うと、ネイビルは「泥棒も入ったかもしれないが、この惨状を作ったのは家探しだ」と何事もない顔で言った。
エシルだって「家探し? これが?」とは思ったが、聞いたら面倒そうなので止めた。
いわくありげな建物だけど、王城の厨房を間借りして冷たい目にさらされながら料理するより全然いい。離宮に住むのは諦めて、ここでは料理に専念しよう! エシルはすぐに切り替えた。
「元々が散々家探しされた酷い状態だと聞いていましたが、想像以上ですね。コソ泥が余計に荒らしたのかしら?」
「コソ泥が入る前にこの部屋を見てるけど、大差ないと思います」
「そう、ですか……」とため息みたいな声を出したソフィアには、もう日記を探す気は失せている。
まぁ、仕方がない。この部屋を見て、探し物をしようとは、そうそう思えない。探し尽くされているというか、荒らし尽くされているというか、部屋というより廃墟だ。
鏡台も文机も、引き出しは引き抜かれ、中身は空っぽだ。
ベッドと一人掛けのソファーは、マットレスや座面に何か隠されていないか剣で切り刻まれ、そこら中から綿やら何やらが飛び出している。
床には元々は絨毯が敷いてあったらしい引っぺがした跡がある。
壁にある蜘蛛の巣は、捜索には関係ない。
問題の本棚だって、本棚と呼んでいいのか分からない。本は全部外に放り出されているし、床に転がっている。
「国王によって離宮が閉められる前に、それこそ離宮を解体するかのように捜索が行われたと聞いていましたが……」
「ここまでして、見つからなかった……」
狭く物の少ない部屋を、二人は見渡した。
ボロボロの家具は、よく見れば豪華だけど、この部屋では明らかに浮いている。
「安宿に……、無理して豪華な家具を置いてしまった。って感じですね?」
「……同意するしかないですね。王妃が受ける待遇ではありません」
鏡台に化粧品などはないが、手鏡やくしは置いてある。ちなみに、鏡は外されている。文机にはノートや手紙の類はないが、空っぽのレターケースはそのまま残っていた。
「アイリーンの言うことを信じるのは癪ですが、まず最初は本棚ですね……」
本棚の前に立った二人は、さてどうしたものか? という顔だ。
横倒しになった本棚は、側面にはひびが入りほとんど外れている。本棚の背面に当たるの部分は穴だらけだ……。
本棚といっても、それほど大きくはない。並んでいたであろう本も三十冊程度だ。外函に入っていた本も全て出されて、本の中に細工がないかは確認済みだ。
この状態だけ見れば、何も隠されていないと結論付けたくなる……。
「探すも何も、と言いたくなります……」
「本当にね……。ダンスールはよく『木を隠すなら森の中』って言っていたから、本棚ならと思ったけど……」
「本の中に日記が隠されていることもない。外函の中身が日記になってすり替わっていることもない。困りましたね……」
「私たちが思いつく隠し方なんて、既に確認済みですね……」
「ヒントはアイリーンの言っていた『普通に考えれば不自然だ』ですけれど、さっぱり意味が分かりません」
これにはエシルも、うなずくしかない。
一回目では教会が見つけ出したというアイリーンの話は、嘘ではないはずだ。『普通に考えれば不自然だ』という話も、その通りなのだろう。でも、分からない……。
「不自然な点を探してみますか? 何かあります?」
「この部屋で、不自然じゃない点を探すのが難しいかと思います」
荒れ放題の部屋を見回して、「その通りですね」とエシルも同意した。
「本棚よりも、この珍しい柄のレターケースに目が行ってしまうくらいですね」
レターケースの蓋を開けたソフィアは、空っぽの中身をエシルに見せてくれた。
エシルはどこか懐かしい柄の蓋の方が気になるが、今はそれどころではない。とりあえず、本棚だ。
「不自然……か。十五年もすごしたわりに、本が少ないですね。離宮には図書室もないから、本がこれだけでは暇が潰せませんよね?」
「ここは牢獄ですからね。監視ついでに、本は定期的に入れ替えられていたそうです」
「なるほど……。となると、隠すのは無理?」
「そういうことに、なりますね……」
二人は目を合わせる気にもなれず、散らばった本に視線を落とした……。
本棚に細工はない。本も定期的に入れ替えられ、長時間手元に置かれていない。これでどうやって本棚に日記を隠すというのだ? 本を見る目にも、恨みがこもる。
「……本が入れ替えられていなかったというわりに、この大きな外函だけは随分と古いものに見えます」
本棚と同じ色をしたこげ茶色の皮張りの外函は、艶のある飴色になっているし皮がはがれている部分もある。エシルは倒れていた外函を持ち上げたが、手触り滑らかな上質な皮だけあって重い。
「同じように古い皮の本が三冊ありますね」
ソフィアが本を入れると、隙間なくぴったりとはまった。皮の感じも、外函と本とが全く同じものだと分かる。
「建国史が三冊……? さすがに王妃に古本ということはないでしょうから、この建国史だけは入れ替えられなかったんですかね?」
エシルの言葉にソフィアは驚いた顔をした。
「贅を尽くしたオリジナルの建国史を作ることは、貴族の子女の嗜みです」
「へぇ……」
貴族なら誰でも知っていることだし、令嬢なら誰もが作るものだ。だが、コクタール家で冷遇されていたエシルが知るはずがない。
国の前身が精霊の国であったこと、精霊に護られし国であることが、ノーラフィットヤー国の誇りだ。それが綴られた壮大な建国史は、物語にもなり子供の頃から国民の誰しもが語り聞いて育つ。
ほとんど触りしか知らないエシルは、異例中の異例だ。
貴族は一人一冊自分の建国史を持つのが当たり前で、令嬢はその自分の建国史を嫁ぎ先にも持っていく。
人と同じものでは満足できない。そんな令嬢が、美しく装丁した建国史を作った。それが、貴族の令嬢がオリジナルの建国史を作ることになった始まりだ。
令嬢とは競い合うものだ。
表紙に宝石を埋め込む者、挿絵を画家に頼む者、と令嬢たちはエスカレートしていく。そうなると遂に、建国について研究して、物語とは別の本を作る者まで出てきた。それがいつの間にか当たり前になってしまうと……。
建国史の中身が、娘の優秀さを物語る。建国史の装飾が、娘がいかに家族に大切にされているかを表すという話になってくる。恐ろしく愚かな考えだが、この国らしい。
とにかく、王妃の嫁入り道具である建国史は、ずっと王妃のそばにあった唯一のものだ。
「一番怪しいのが、この建国史か」
エシルがそういう前から三冊並んだ建国史を見るソフィアの目は、訝しそうにどんどん細くなっていく。
「わたくしも建国史を持っております」
「オランジーヌ家の建国史ですか……。それはもう、派手そう…………」
「オランジーヌ家は見た目の派手さなんかより、中身が重要と考える家です!」
ぴしゃりとそう言われてしまったエシルは、首をすくめた。
「わたくしは著名な歴史学者と共に、国の成り立ちについて研究を重ねたました。建国史というより、建国にまつわる歴史書です。そこら辺のおとぎ話とは、次元が違います!」
「はい!」
ソフィアの剣幕に、エシルの背筋も伸びる。
「わたくしの完璧な建国史だって、全四巻です」
「はい……?」
「建国にまつわる史実は、曖昧でかつうやむや。作為的に抜け落ちていると思われることも多く、推測するにも情報が足りません。だからこそ、国にとって都合よく解釈された物語が作られた。わたくしはそう思っております」
「は、い……?」
「普通の令嬢では、建国史を掘り下げられません。通り一遍のおとぎ話になるのは、そういう事情があるからです!」
「はいぃぃ…………」
「建国史について誰よりも調べ尽くしたわたくしが、何を言いたいか分かりますか?」
「……はぁぁいぃぃぃ……?」
「ただの令嬢のおとぎ話が三巻になるなんて、あり得ないのです!」
興奮したソフィアはすぐに冷静さを取り戻し、本の内容が確かなものなのか確認すると言って読み始めてしまった。
ソフィアはおとぎ話風情で三冊なんて解せないと、むきになっている。
エシルからすれば、そんなに怒ることなのかと呆れてしまう。が、建国史についてはソフィアなりに思うところがありすぎるようで、とても口出しできない。
読み終えるのを待っているしかないエシルは、やることがなく暇だ。とりあえず、手元にある外函を調べてみることにした。
内側も外側も全面皮張りの箱みたいなものだ。皮を張る前の木枠も太い木が使われているらしく、ずっしりと重い。これで本が三冊入ったら、女性の腕では持ち上がらない。
それくらいしか感想が言えない、ただのこげ茶色の皮張りの外函だ。これ以上、調べようがない。
ソフィアは何かぶつぶつ呟いているが、納得のいく内容じゃないことは眉間の皺が深まっていくのを見れば分かる。
エシルは気になっていたレターケースを手に取った。
箱本体は何でもない木でできている。蓋だけが、様々な模様や色の木を組み合わせて作られている。
何か見覚えがある気がする。どこの見たのだろう? 思い出せない。模様の一つを押すと、カタリと音がした……。
何かを思い出しそうで、胸がぞわぞわする。
ちょっと座って落ち着きたくて椅子を探すが、この部屋で座れる唯一の椅子はソフィアが使っている。
部屋を見回して座れそうなものを探しても、ベッドも一人掛けのソファーも中身が飛び出す無残な状態で座れない。絨毯を引っぺがした床は、ところどころに接着剤が残ってべとべとしていて座る気がしない。
座る場所が、本当にない。
目に入ったのが、さっきまで穴が開くほどに見つめていた建国史の外函だ。
分厚い木で作られた外函は頑丈だ。エシル一人座ったくらいで壊れる作りではない。それでも一応強度のことを考えて、エシルは外函の背面に座るよう床に置き直した。
思っていたよりも座面が低かったようで、勢いよくおしりがドスンと箱に落ちてしまった。
バキン。
何かが割れる鈍い音だ。
何か、そう、何かが割れた。それが自分のお尻の下だとは、エシルは思いたくない。でも、エシルのお尻はしっかりと箱にハマっている……。
これが一人だったらなかったことにするのに、しっかりとソフィアの視線を感じて血の気が引いていく……。
「ちょっと、エシル様! 確かにここにある物は、ほとんどが壊れています。だからといって、壊していいことにはなりませんよ?」
ソフィアの呆れ顔が痛い。
エシルだって、まさかこの頑丈な外函が壊れるなんて思わなかった。エシルの身長は平均より高いが、体重は平均より軽い。それで壊れるなんて、この外函の木は腐っていたのだと思いたい。
ハマったお尻を抜いてみれば、見事に真ん中に亀裂が入ったようにへこんでいる。木に対して皮は立派だったようで、破れてはいない。
外函をひっくり返して中を見ると、中の皮は剝がれてぶら下がってしまった。割れた木がむき出しだ。
「あれ?」
割れた木が、思っていたより薄い。それに上下二枚重なっていているようだ。
外函の中に片足を突っ込んだエシルは、亀裂が入った木の隙間に手を入れて力任せに引き剥がした。
「何をしているのですか! 物を壊すのが楽しいなんて、子供のすることですよ!」
驚いたソフィアが立ち上がったが、今のエシルにそれを聞いている余裕はない。
外函の他の部分の木と比べて背面の木は極端に薄く、エシルの力であっけなく破り取ることができた。
やっぱり背面の部分は薄板二枚が重なっていて、その間に空間があった。その空間に隠されていたのが、こげ茶色の皮のカバーがついた日記帳だ。
建国史を外函を改めて見ると、本に対して奥行きが少し深い。
これが、『普通に考えればおかしい』ということなのだろうか? それとも、ソフィアでもないのに、建国史が三冊あることなのだろうか?
どちらにしろ、日記は見つかった。
読んでいただき、ありがとうございました。




