24.告白
よろしくお願いします。
「よし!」
エシルから楽し気なそんな声が出たのは、フライパンの上でひっくり返した生地が理想の色だったからだ。
「この程よい焦げ目が食欲をそそる! どら焼きは、やっぱり色よね」
程よい色に焼きあがったどら焼きの皮が、作業台に所狭しと並べられていく。生クリームも確かめるようにかき混ぜて、「うん、固さもばっちり」と泡だて器を置いた。
完全に独り言になっているように見えるけど、エシルは会話をしているつもりだ。ただ、会話の相手であるソフィアに無視をされているだけだ。
皮の間にあんこと生クリームを挟むと、「生どら焼き完成!」とわざとらしく陽気に言ってソフィアの前に置いた。
普段は淑女の微笑みを崩さないソフィアが、不機嫌全開でわざとらしく目を逸らしている。
前に置かれた生どら焼きに手を出す気配はない。さすがソフィア。食べ物にはつられない。
「味見、しませんか?」
「……」
「なら、差し入れに追加だな」
エシルが下げようとした皿から、ソフィアは生どら焼きを取った。
「味見はしてあげますけど、怒っているのは変わりませんよ!」
生どら焼きを一口食べたソフィアは、顔が緩まないように必死だ。
「エシル様の危機感のなさには、悔しいけれど慣れてきました」
「……そう、ですか?」
気の抜けたエシルの返事に、ソフィアの右眉がきゅっと上がった。
「理解していないと思うので、はっきりと言います! それだけエシル様に振り回されていると言っています。嫌味です!」
「……今、理解しました」
ため息をついたソフィアに睨まれているエシルにも、それなりに言い分はある。あるけど、人と接してこなかったことは言い訳にもならない。最近は、それを痛感している。
「はっきり聞きます」
「お願いします……」
「『一回目』とはどういうことですか? 王妃の日記を教会が見つけたと言っているのに、エシル様に探せと言う。アイリーンの話はめちゃくちゃでした。ですが、エシル様は、理解していた」
「……理解、していますね……」
ソフィアがいつも通りに威圧的な態度を見せているかといえば、違う。そう見えるよう虚勢を張っているだけで、実際は不安で一杯な目を何とか逸らさずにエシルに向けている。
エシルが秘密を抱えていることには、気が付いていた。ソフィアが自分の秘密を話せば、エシルも離してくれると思ったが、そうはならなかった。だから、思い切って真正面から聞いた。
自分がエシルにとって隠している秘密を話してもらえる相手なのか? ソフィアにとっては大きな賭けだ。
その緊張感は、エシルにも伝わった。
死に戻りという、非現実的な話を信じてもらえるかは分からない。頭がおかしいと距離を置かれるかもしれないけど、真実を伝えることをエシルは選んだ。
「……死に戻り、ですか? にわかに信じられません」
その言葉で暗闇に落ちた気持ちになるのは、ソフィアなら信じてくれるという気持ちがあったからだ。
初めてできた友達を失う辛さは、色鮮やかだった毎日が一瞬で色褪せてセピア色になってしまったようだ。
「ですが、非常に納得もできます」続けて言われた言葉に、エシルはうつむいていた顔を上げた。
「わたくしの思っていたエシル様と、今のエシル様の相違を考えれば、信じるしかないですね」
「……えっ? そんなにあっさり?」
「あっさりとは失礼ですよ。様々な事実関係や、エシル様が嘘をつけないことを検討した結果、導き出した答えです!」
ソフィアはそう言うが、驚きはあってもエシルを疑る気持ちは全くなかった。ちゃんと話してもらえた喜びで、今のソフィアはご機嫌だ。
「エシル様を殺した相手は気になりますね」
「だから、復讐とか考えてません。そこに労力使いたくないんです」
「わたくしであれば、必ずやり返します。絶対に許しません! でもまぁ、エシル様の意見を尊重します。でも、犯人は見つけ出す必要があります」
「私の意見、全然尊重されていませんよね?」
「尊重したから復讐は諦めましたけど、今回は殺されないように対策を取る必要があります」
「自分で言って悲しくなりますけど、私に死んで欲しい人って多いんですよね……」
国王、教会、コクタール家、聖騎士、貴族、国民……。王家や教会に捏造された『邪悪な闇の精霊の愛し子』のおかげで、エシルを殺すかもしれないリストは一枚や二枚では収まらない。
「私を殺そうとした聖騎士が、一回目に私を殺した可能性が高いと思いません? もう、この件は解決ですね!」
適当に話を終わらせようとするエシルに、ソフィアは舌打ちでもするように息を吐いた。
「エシル様を殺した剣はレイピア。聖騎士の剣とは大違いです。もっと真面目に考えてください。エシル様の命がかかっているのですよ?」
「そうは言ってもね。目に入る人全員を警戒してたら、やってられませんよ」
ソフィアの言うことはもちろん正しいが、エシルの言うことも理解できる。
「教会が一番怪しいですね。聖騎士の件で分かるように、人を操ることに長けていますから。となると……」ソフィアが様子を窺うようにエシルを見た。今更、何が言いにくいというのだ?
「エシル様が死んだことを知っている、アイリーンが怪しいです」
「えっ?」
「エシル様は精霊樹の森で殺されたのですよね?」
エシルはうなずく。そして、気づいた。
精霊樹の森に入れるのは、従者か従者候補かネイビルだけだ。出入口は一つで、必ず聖騎士が立っている。
刺された時の重みや影の感じからして、相手は男性ではない。
「聖騎士のアイリーンへの心酔っぷりは、言うまでもありません。彼女が門を通せと言えば、職務なんて放棄するでしょうね」
ソフィアの言う通りだ。
だけど、なぜ?
「アイリーン様は……、犯人を見つけて復讐すべきだと言っていました。何も言わなければ、私は犯人を捜さないのに、どうしてわざわざそんなことを?」
「それが教会の罠なのか? 良心の呵責なのか? わたくしには、分かりません。ですが、二人きりで会うのは危険です」
「でも……、死に戻りですよ?」
「アイリーンが、自分も死に戻ったと言いましたか?」
「…………」
アイリーンは自分が死に戻ったとは、言っていない。
「言っていませんね。となると、エシル様の死に戻りに巻き込まれた可能性が高いです」
エシルは、誰が自分を殺してもおかしくないと思っていた。国王だって、コクタール家だって、もちろん教会だってそうだ。
誰に殺されてもおかしくないから、あまり現実味がなかったのかもしれない。だから、怖くなかった。
アイリーンに殺された。
たったそれだけのことで、あの死の瞬間が蘇る。
「……ちゃんと、確かめたい」
青い顔でそう言ったエシルの手を取ると、ソフィアは「一人は駄目です。わたくしが必ず一緒に立ち会います。いいですね!」と言って握る手に力が入った。
ソフィアとすれば、できればエシル抜きでアイリーンに確認したいところだが……。それではエシルが納得しない。
犯人のことなんて、ついさっきまで全く興味がなかったのに。気になった瞬間から、この通りだ。興味あるなしの落差が激しすぎる。
「死に戻りなんて話は、オランジーヌ家でも聞いたことがありません。長い歴史の中で初めてなのですから、精霊樹だって簡単なことではないはずです。それでも死に戻らせたのなら、何かエシル様にさせたいことがあるのでは?」
がばっと上がったエシルの顔は、心底面倒くさそうに歪んでいた……。
「エシル様、もう少し、物事に興味を持った方がいいのでは?」
「やりたくないことは、できるだけやりたくないですね」
「それでは済まないことが、ほとんどですよ?」
「知っていますよ? 罪をなすりつけられたり、国の敵にさせられたりしていますからね」
エシルだって、望んで興味を持たなくなったわけじゃない。
生まれた時から存在を消され、何一つ与えられなかった。諦めることだけを覚えたエシルに、何かに興味を持つなんて選択肢は初めからなかった。
ダンスールのおかげで、これでも多少はよくなったのだ。
「今の関心ごとは、王妃の日記です。ちょっと探してみようと思っています」
読んでいただき、ありがとうございました。