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22.面倒な朝

本日一話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 一回目の『選定の儀』で、エシルは殺された。

 結末としては最悪だ。だけど、日常としては、平和だった。今なら、そう思える。

 マリアベルや貴族や王城の使用人たちから、散々嫌味や嫌がらせは受けた。でも、そんなのはエシルにとっては、よくあることでしかない。相手が満足するまで我慢していれば、それで終わるのだ。後は王城の書庫かガゼボで、一人でのんびりと過ごせた。


 それが今は、どうだろう?

 殺されかけたり、襲われかけたり、忙しい。一回目はダンスール以外は興味がなかったのに、今は知りたいと思えることもある。

 自分がこんなにも物事に興味が持てるのだと、エシル自身が驚くほどだ。そんな自分も、毎日も悪くない。そう思えるのは、どうしてだろう?


 その答えを、エシルは分かっているようで、分かろうとしていないのかもしれない。とりあえずはダンスールに手紙で相談することにして。今のところは料理ができるからだな、と思うことにした。


 エシルは料理が好きだ、とても楽しい。自分が作った料理を食べて喜んでもらえるのは、もっと嬉しい。

 ソフィアのダイエットメニュ―に、ネイビルやオランジーヌ公爵への差し入れ。差し入れは本人だけでなく、部下の分も作るので結構な量になる。ちょっとした料理人だ。

 振舞う相手が増えると大変で、とにかく時間が大切だ。

 だから、できるだけ面倒事は避けたい……。


「あーぁ……」

 思わず漏れた落胆の声は、廊下の奥に向けられた。

 外に出るために必ず通る通路の曲がり角で、壁に身を寄せてこっそり前を確認する。何度見たって見間違いにはならない。間違いなく、今日もマリアベルが立っている……。


 離宮での料理が日課になったエシルは、毎日同じ時間に離宮に向かう。ダンスールからの食材が届く時間が決まっていて、それまでに掃除や下準備を終えておきたいからだ。

 計画的な行動が待ち伏せにはもってこいとは、面倒事を引き寄せるとは、気づかなかった……。


 令嬢の生活リズムからすると、エシルの朝は結構早い。

 コルセットきつきつのドレスを着て、髪も化粧も完璧。そんな状態で毎朝待ち伏せをするには、エシル以上の早起きが必要だ。


 そこまでして、マリアベルは何をしたいのか?

 エシルに声をかけて欲しいのだ……。

 エシルのことを嫌っているはずなのに……。自分の欲求を満たすために、マリアベルは不都合な事実は忘れるらしい。実に面倒くさい。

 エシルには時間がないし、嫌な思いをすると分かっていて話したいわけがない。最低限のあいさつで無視をしていれば、マリアベルは早々に諦めると思った。なのに、毎日毎日、エシルの通り道に立ち続ける。最近では歯ぎしりでも聞こえてきそうに苛立っていて、本当に困る。


 憂鬱な顔で目礼して通り過ぎようとしたエシルに、ついに痺れを切らしたマリアベルが声をかけてきた。


「あら、何かしら? 私に頼みたいことがあるのよね?」

「?……」


 エシルが先に話しかけた体でくるとは……、敵は上手だ。

 予想外の状況に唖然とするエシルを畳みかけてくるのも、上級者ゆえの技なのだろうか?


「色々な人に不思議な料理を振舞っているみたいだけど、一番食べさせたい相手は、私よね? 私に気に入られれば、アサス商会の目に留まったことと同じだもの!」


 マリアベルは手を叩かんばかりにはしゃいでるが、エシルの気持ちはみるみる冷めて凍り付いた。

 助けを求めて周りを見ても、北側の廊下は薄暗く長い。臙脂色の絨毯が伸びた奥は暗く、人の気配が全くない。


 エシルの料理は、城内で静かに評判を呼んでいた。

 ダンスール厳選の珍しい材料を使用した珍しい料理で、しかも美味しい。食べられる人が限られていることも、人々の欲求を刺激してしまった。

 料理を喜んでもらえるのは嬉しいけど、この状況は非常に面倒くさい。


 自分に声がかからないはずがない。待ってやったのに、何をしている。畏れ多くて声がかけられないみたいだから、仕方なく自分から声をかけてやった。マリアベルの頭の中は、こんな感じだ。

 期待溢れる瞳に向かって、ため息をつきたいところだが、エシルは必死に堪えた。でも、希望通りの答えを出す気はない。


「申し訳ないのですが、商売にするつもりはありません」

「まぁ、貴方も一応は貴族ですものね。従者候補に選ばれたわけだし、働くのは体裁が悪いかもしれないわね。店を出さないような料理でも、特別に食べてあげるわ」

「……舌の肥えたマリアベル様のお口に合う料理ではありませんので……」

「ソフィア様もブールート様も食べているのでしょう?」

「えっ! あぁ、一応……、そうですね……」

「落ち目の二大公爵家が食べていて、私が食べていないなんておかしいわ。貴方も『王太子妃に手料理を食べてもらったことがある』と言いたいでしょう?」


 おかしい。話が全然通じない。これだけ断っているのに、どうして伝わらない? なんて思うのが間違っているのだ。エシルは諦めた。

 残念ながら相手が悪い。マリアベルが自分に都合の悪い話を聞き入れるはずがない。波風立てずに断ることはできないのだ。


「気持ちよく一緒に食事を楽しめる人にしか、料理を振舞うつもりはありません」

「私のことね」

 無理だとは思っていたけれど。絶対に違うと、できれば察して欲しかった……。


「申し訳ないのですが、マリアベル様に私の手料理をお出しすることはないですね」

 申し訳ないという気持ちよりも、こんなことまで言わせるな! という気持ちの方が強い。


 身体を強張らせ、ミルクティー色の瞳を怒りで震わせるマリアベル。足癖の悪い彼女らしく足を踏み鳴らすが、分厚い絨毯に吸収された。

 それで余計に怒りが増したのか、怒りのこもった目でエシルを睨みつけた。

「……覚えておきなさい!」

 愛くるしいマリアベルの顔に似合わない、お腹に響く重低音だ。


 そう吐き捨てた後も、怒りが収まらないのかエシルに恨むのこもった目を向け続けている。

 これ以上無駄な時間を取られたくないと思っていると、マリアベルはプイっと顔を背けてエシルの進行方向とは逆に歩き出した。

 長く真っ直ぐな廊下を進んでいくマリアベルが黒い闇に紛れても、エシルは暗い廊下を見つめているしかできなかった。



 最悪の気分で城から抜け出したというのに、一難去ってまた一難とはこのことだ……。エシルは離宮の入り口で天を仰いだ。


 離宮は牢獄だ。快適さや便利さなんてものは全く考えられていない。王妃を閉じ込めるために、出入口は一つしかない。

 そのたった一つの出入口の前には、大きな木が離宮を呑み込むようにそびえ立っている。精霊樹ほどの大きさはないが、二階建ての離宮よりは高い。植えられた場所も悪く、南側のど真ん中で太陽の光を完璧に遮っている。


 正面からだと木しか見えず、離宮があることを見落とすかもしれない。

 その木があると何が困るかというと、離宮の様子をうかがうにも侵入するにも、これほど条件を満たすものはない。


 大木の前には、ガーデニングのセオリー通り低木が植えてある。不自然に揺れるそのシルバーリーフを見て、エシルはため息を堪えられない。

 シルバーリーフの隙間から、プラチナブロンドがのぞいている。保護色になると思っているのだとしたら、大きな間違いだと訂正してあげたい。


 離宮の様子をうかがっているアイリーンは、エシルが遅れて来たことに気づいていない。いつもはエシルが離宮に入った後に、この場所から中を窺っているのだろう。だからなのか、アイリーンは全く背後に気を配っていない。鍵もなければ門番もいない、形ばかりの門を通り抜けるエシルに気づくのが遅すぎた。

 揺れるシルバーリーフの間から、アメジストの瞳が見開かれたのがばっちり見えてしまった……。


 どうしたらいいのか、エシルは自分の行動を決めかねていた。

 気づかないふりで中に入るか、声をかけるか……。

 普通に考えれば後者だけど、できれはアイリーンには関わりたくない。教会との関係もあるけど、エシルの本能がアイリーンには関わりたくないと言っている。


 エシルは自身の本能を優先させた。


「…………」

 エシルがこれだけ気をつかって入り口に向かっているのに、アイリーンは気配も視線も隠さない……。

自分の立場が分かっているか! と説教したくなるほどだ。

 その気持ちを堪えて、エシルは鍵穴に集中した。なのに、なのに……、ぱきっと枝を踏む音が、静かで薄暗いエントランスに響いた……。


 アイリーンの痛恨のミス! こんなまさかは、あっていいはずがない!

 エシルは舌打ちを堪えた。鍵穴に集中するあまり、何も聞こえなかった! そう思い込むことにした。鍵穴から目を離してはならない! と自分に言い聞かせ、木の方は絶対に見ないと心に誓った。


 嫌な汗の噴き出す手で、エシルは無事に扉を開いた。これでやっと、この意味不明な緊張感から解放される……。

 中に入ったら、今日は絶対に鍵を閉めよう。そう思って、離宮の中に右足を踏み入れた。


「……あっ!」

 何をどう思ったのか、アイリーンが声を上げた……。


 どうしてこのタイミングで? 相手を引き留める声が出せる? エシルは戸惑いよりも怒りが強い。

 腹が立って、鍵を握る手にも力がこもる。


 ここまでくれば何かの罠だ。前に二歩進んで離宮に入り、扉を閉めて鍵をかける。そうすれば、エシルには束の間であっても平穏が待っている。

 分かっているのに、その二歩が進めない。


 やけくそで木の陰に目をやれば、アイリーンと目が合った。

 できれば隠れるなり目を逸らすなりしてほしいけど、アイリーンにその意思がなければ仕方がない。


「……何か、用ですか? また私に呪われたとか意味不明な文句なら、受け付けませんよ?」


 シルバーリーフをかき分けて出てきたアイリーンは、勢いよく石畳のアプローチに飛び出してきた。髪や服に銀色の葉をつけたままで……。


「エシル様に、呪いの力がないのは知っています!」


 その割には、思いっきりエシルがアイリーンを呪ったことになっている。


「私にも、光の精霊の力なんてない!」


 衝撃波ともいえるアイリーンの言葉が、エシルの脳内に響いた。

 紫色の目は怖いくらい大きく見開かれて、瞬き一つしない。

 プラチナブロンドが、首の動きに合わせて左右に揺れる。

 その全てスローモーションで見える。

 エシルには、まるで時が止まったように感じられた。


 息が苦しすぎて、カハッという音が遠くから聞こえた。その音が自分の口から出た音だと気づいた時には、エシルは必死で息を吸い込んだ。

 衝撃のあまり、息をするのを忘れていた。酸素を取り込んで落ち着くと、今度は急に恐ろしくなった。

こんな話が外に漏れたら、アイリーンはただでは済まない。

 慌てて周りを見回して、自分以外に聞いている人がいないことを確認する。ホッとしたはずなのに、人を一人背負っているみたいに身体が重い……。


 とにかく人に聞かれたら、アイリーンの命に関わる。

 エシルはアイリーンの細い腕を掴むと、扉の中に引きずり込んだ。


読んでいただき、ありがとうございました。

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