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21.コソ泥

本日2話目の投稿です。

よろしくお願いします。

「これは、何ですか?」

「豚しゃぶです」

「痩せたいのに、お肉を食べていいのですか?」

「細かいことは分かりませんが、ダンスールは『糖質が抑えられるからいい』と言っていました。あと『ちょっと痩せたからって、食生活を元に戻したら終わりなのよ』というのがダンスールの友人アリスの口癖でした。程よく食べて、継続することが重要なんです。運動も忘れないでください」

「わたくしもオランジーヌ家の人間です。有事の際には遅れを取らぬよう、しっかりと身体はできています」

 エシルがつい疑う目を向けると、ソフィアは「ちゃんと動けます!」と力強く反論した。


 ソフィアとのこのやり取りにも慣れた今日この頃。本日も離宮の厨房では、作業台で向き合った二人が一緒にお昼ご飯を食べている。


「そのお箸というカトラリーは、何度見ても使える気がしません」

「そうですか? 慣れてしまえば楽ですよ」

 ソフィアは無言で首を横に振った。


 二人しかいない離宮は、今日も静かだ。

 ちなみに王妃の亡霊は、一度も現れていない。二人以外で離宮に来るのは、ネイビルかネイビルの部下が食材なんかを運んでくるくらいだ。

 ソフィアから「国王はネイビル様に離宮の様子をしつこく聞いているようです」と聞いているが、国王が突然現れることもない。

 かつての牢獄だ。不気味なところは多々あるが、多少のことは気にしないエシルは、すこぶる快適に過ごしている。


「そうだ、エシル様」

「はい」

 視線がぶつかり合うと、二階から何かが倒れたような大きな音がした。


 二人の視線が天井に向けられる。物音が続いたのは、厨房の真上だ。

 離宮とは名ばかりの牢獄には、二階は物置と王妃の部屋しかない。厨房の真上にあるのは、王妃の部屋だ。もちろん建物内には、二人以外はいないはずだった。


 ソフィアは既に、二階に上がる階段に向かって走り出している。振り向いた顔が険しいと思う暇もなく、「今すぐネイビル様のところに行ってください」と厨房から飛び出した。


 ソフィアを追いかけたいのに、エシルの足はガタガタと震えて動かない。

 一度目で殺された。二度目で殺されかけた。あの光景が頭に浮かぶ。息が乱れ、緊張で乾いた喉がひりひりと痛い。

 でも、これが生きている証拠だ。エシルは生きている。それに、一人じゃない。


 両手に荷物を抱えたエシルが決死の覚悟で厨房から出るのと、階段から黒い塊が転がり落ちてくるのは同時だった。

 ズダダダダというものすごい音と、「逃がしませんよ!」というソフィアの怒鳴り声が重なった。


 階段を転げ落ちたはずの黒い塊は、流れるように着地すると玄関に向かった。侵入者は玄関扉を開けて一目散に逃げ出すつもりだったが、厨房の入り口に立つエシルを見つけた。

 侵入者は目元以外は頭も含めて黒い布で覆われている。口元なんて全く見えないのに、エシルにはニヤリと笑ったように見えた。


 侵入者が急に進路を厨房へと変えたのは、エシルを標的にしたからだ。

 自分が獲物にされたのだと理解できているのに、エシルは呆然と厨房の入り口に立ったまま動けない。自分に向かってくる、黒づくめの男を見ているしかできない。


「エシル様!」


 焦ったソフィアの金切り声が、吹き抜けの玄関に響く。侵入者の手元が、何かきらりと光ったのがエシルにも見えた。右手に握られた細長い何かがエシルに迫る。


 立ち尽くしていたエシルの右腕から、侵入者に向かって何かが飛んだ。何か球体のようなものだ。それは見事侵入者の顔面に当たり、ぐちゃりとまとわりつくようなねっとりとした音がした。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 叫んだのは、黒ずくめの侵入者だ。


 顔を覆う布や上半身には、黄土色のペースト状の何かがべっとりとついて染み込んでいく。


 黒い布で顔を覆っているのは、当然顔を隠すためだ。普通に考えれば、本人自ら顔の布を外すなんてことはしない。だが、男はこらえきれずに顔を覆う布を外した。

 さすがにこれはまずいと思ったのか、侵入者は両手で顔を隠した。握っていたナイフでエシルを襲う気は、もう失せている。


「コレイの実は甘くて美味しいのだけど、腐るとものすごい刺激臭を発生するの。その強烈な臭さは一週間は消えないから、逃げたってすぐに見つかるわ」


 刺激臭で染みる目を開けられずに、侵入者はよろよろと玄関の方へ後ずさる。その膝めがけて、エシルは両手で重石を放り投げた。

 見事に右膝に命中すると、鈍い音がした。男の動きが一瞬止まる。「うぐっ」という呻き声をあげ、男は足を引きずりながら玄関から飛び出していった。


 ペタンと床に座り込んだエシルに、ソフィアがかけた言葉がおかしい。

「くっさい! 何この臭い! 本当に食べ物ですか?」

 あまりの臭さに涙目になっているソフィアを見て、エシルは笑ってしまった。


「ちょっと、エシル様! 笑っている場合ではないですよ! 玄関の鍵ですが、ちゃんと閉めましたか?」

「……忘れたかも」

「前も、言いましたよね? 危険ですと!」


 ソフィアは仁王立ちで、エシルを見下ろしている。


「ネイビル様のところに逃げるように言いましたよね?」

「……言われました……」


 両手を組んで睨まれるだけで、もう十分ソフィアからの罰は受けた気がする。


「怖くて身体が動かなかったのと……」

「……と?」


 低い声で繰り返すのは止めて欲しい。とても怖い。


「私が逃げたら、ソフィア様は頑張って時間稼ぎするのかな? と思いまして」

「エシル様が逃げる時間くらい、わたくしだって作れます!」

「やっぱり……。私を逃すために、自分が囮になるつもりだったんですね」


 王城からそれほど離れていないとはいえ、離宮は人の寄り付かない場所だ。エシルがネイビルどころか、人のいる場所までたどり着くには時間が必要だ。


「ソフィア様に、危険なことはして欲しくないです」

「自分のしたことは? エシル様のしたことだって、十分危険です! 腐った実が運よく当たったからよかったけど、そうでなければ今頃どうなっていたか!」

「昔から的あては得意なので、自信がありました!」

「そういうことじゃないのよ!」


 さっきから怒鳴りっぱなしのソフィアは、真っ青な顔で床に座り込んだ。


「こんな臭さが充満する中で興奮するからですよ。窓開をけて、コレイの実を片付けてきます。ソフィア様は厨房で休んでいてください。臭いが入りますから、扉は開けないでくださいね」


 ぐったりとするソフィアを厨房に引きずって、エシルは片付けに向かう。


「ソフィア様」

「……何ですか?」

「私のために身体を張って助けてくださって、ありがとうございます」


 エシルのはにかんだ笑顔が、閉まる扉で遮られた。


 ソフィアはため息をつくと、「これだから、エシル様は嫌なのよ……」と呟いて作業台に突っ伏した。

 頬が緩むのを必死に抑えたソフィアの顔は、真っ赤に染まっていた。



 くっさいコレイの実の片づけを終えたエシルが厨房に戻ると、ソフィアが窓から城を眺めていた。


「随分と回復しましたね? ハーブティーでも、飲みます?」

「……この臭さを上書きできる、匂いが強烈なものがいいです」

「あの臭いが鼻にしみ付いたのですね。災難です……」

 ソフィアは何か言いたげに顔を上げたが、臭さが優ったらしくぐったりとうつむいた。


 厨房の中がハーブの爽やかな香りに変わると、玄関から悲鳴が聞こえた。

 一瞬、侵入者が戻ってきたのかと身構えたが、聞き慣れたネイビルの声だった。

 思いっきり顔をしかめて「玄関が異臭――」と言いかけたネイビルを遮って、ソフィアは鬼気迫る顔で立ち上がった。

「ちょっと、早くその扉を閉めてください!」とソフィアが叫ぶと、扉はすぐに閉められた。


「賊は捕まったのですか?」

「オランジーヌ家が手を貸してくれたので、楽ができたと聞いている」

「あれだけ臭ければ、誰だって臭いを辿れます」


 二人の間で、淡々と話は進んでいく。

 侵入者が早速捕まったということは、離宮は見張られていたのだ。じゃなきゃ、こんなすぐにネイビルも来ない。


「荒らされたのは、王妃の部屋だけだな」

「そうです。と言っても、とっくの昔に捜索の限りを尽くされている場所です。元から荒れ放題ですから、どこを荒らされたかは分かりません」

「賊は何も持っていなかった。まぁ、あれだけ捜索されたのに何も出てこなかった部屋だ。何もなかったのだろうな」


 二人の中では当たり前に話が進んでいくが、エシルには疑問ばかりだ。

 ここまで関わってしまえば、「興味がない」なんて言っていられない。何が起きているのか、ちゃんと知りたい。


「勝手に二人で話を終わらせないでください。説明を求めます」

 二人の会話に割り込むように、エシルは右手を突き上げた。


 ハーブティーのカップを置いたソフィアが、ほうっと息をついた。多少はしみついた臭いも和らいだはずだ。


「王妃様は精霊樹との誓約違反をした可能性が非常に高いと話しましたよね?」

「聞きました」

「その秘密に関わる何かが、王妃様の部屋に隠されている。そう、言われているのです。でもまぁ、誰も何も見つけてませんけどね」


 ソフィアはもう一度ハーブティーのカップを持ち上げて匂いをかいだ。

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