20.嵌められたネイビル
よろしくお願いします。
「少し興奮してしまいました。カモミールティーをいただけますか?」
いつもの通りガラスのティーカップで出すと、ソフィアが「前も思いましたけど、珍しいティーカップですよね」と言ってまじまじと見ている。
「ハーブティーを飲むときは、いつもこれなので……」
「紅茶の種類は産地によって色々ありますけど、カモミールティーは初めて飲みました。エシル様から出てくるものは、見たことがないものばかりで驚かされます」
「……長いこと僻地で引きこもっていた私にとっては、これが普通なんですよね」
エシルからすれば、ソフィアのような貴族の生活の方が珍しい。
「ガレイット公爵からも、同じようなことを言われましたよ」
「オリバー様が? 何と仰っていたのですか?」
「アサス商会が珍しい商品を扱う仕入先を探しているから、気をつけろ。的なことでしたね」
「……アサス商会が、ですか」と言ったソフィアは少し考え込んでいたが、個人的なのかオランジーヌ家としてなのかは分からない。
エシルは、知らない方がよさそうだ。それよりも、気になることがある。
「国王は……、なぜ今になって、ガレイット公爵に帰国を促したのでしょうか?」
「謎です」そう言ったソフィアは、カモミールティーを飲んだ。
「父にも何の相談もなかったそうです。おかげで大慌てで警備の手配をしていますが、『選定の儀』の最中ということもあり人手が足りません。ネイビル様をつけようとすると、国王の邪魔が入ると聞いています」
「……それって……、明らかに、ガレイット公爵の暗殺を狙ってませんか?」
次期国王として従者を娶るべきなのは、オリバーだ。そう主張する者は今も多いし、当のオリバーが帰って来たとなれば余計に勢いづく。真っ暗な闇の中を前に進めているのかも分からない国民にとって、オリバーは数少ない光だ。
だからこそ王家は、その光が輝く前に潰してしまいたいと思うはずだ。
「オリバー様が、命の危険にさらされているのは間違いないです」
「そうでしょうね……。国王はいくつ暗殺計画をたてているんでしょうね?」
「少し、考えてみてください。今オリバー様が殺されれば、犯人が国王だと思わない人はいません! 国民は王家に牙をむくでしょう。いくら国王でも、ここまであからさまに自分が不利な計画をするとは考えにくいと思いませんか?」
「確かに。でも、それならなぜ、わざわざ王命で呼びつけたのですか?」
「分からないから、謎なのです。国王は誰かに操られている可能性もあります」
誰かとは、教会やチャービス家だ。扱いやすい国王や王太子と違って、オリバーは厄介だ。もし彼が王になってしまうと、教会やチャービス家の国を乗っ取る計画は破綻してしまう。
「すぐ目の前に答えがありそうなのに、深い霧に覆われてしまった感じですっきりしませんね」
「そうなのです。やたら、ネイビル様を自分の側に置きたがるのも意味が分かりません」
「ガレイット公爵の警備を手薄にしたいからではないのですか?」
首を横に振ったソフィアは「ちょっと様子が違います」と、ぐっと眉を下げた。
「これも謎なのですが、国王は、自分たちの身に危険が迫っていると思っています」
「それは……、とっても謎です」
「そうなのです。それも含めて謎だらけで、父も兄もみんなが頭を抱えています」
怯えを隠そうとキーキーと吠える国王の姿が、すぐに思い浮かぶ。さぞ迷惑なことだろう。同情しかない。
「そこで、相談なのですが……」
上目遣いでソフィアに見上げられて、エシルはひやりと身震いした。この状況だ。どんな相談なのか、怖い。
「お父様は、あれで実は甘党です。エシル様の作ったお菓子を食べさせてあげたいのですが、お願いできますか?」
「……えっ? そんなことですか。もちろんいいですよ」
いい意味で予想を裏切られた。
あの『怪物』と呼ばれるオランジーヌ公爵が甘党とは……。一体どんな顔でスイーツを食べているのだろう? いや……、想像したらちょっと怖くなったので、止めておこう。
「そう言えば、今朝、ネイビル様がとても忙しそうでした。毎日夕方に差し入れを届けることになっているんですけど、今日は執務室にいないから補佐の方に渡すように言われているんですよ。国王と一緒にいるんですね」
元々の強面を苛立たせているネイビルを想像して、エシルは笑いが止まらない。
「それは疲れているだろうから、甘いものも一緒に入れておこう。オランジーヌ公爵の分も一緒に作りますね」
今日渡せるとは思わなかったのだろう。ソフィアは嬉しそうだ。
娘にたいそうな試練を与える父親だけど、それでも家族仲がいいのだろう。ソフィアが頑張るのも、父親に認めて欲しいからだ。エシルにはちょっと分からない関係性だ。
「差し入れをエシル様から受け取れないなんて、今日のネイビル様は荒れていますね。国王もネイビル様と一緒にいる方が、命が危ないかもしれないわ」
ソフィアは意味ありげな顔を向けてくるが、エシルには効かない。
「ネイビル様も部下の皆さんも、私の料理を気に入ってくれているんです。多めに作っているんですけどね、取り合いみたいなんですよ。ほら、ネイビル様の周りの方って、皆さん大きいじゃないですか」
エシルにとって恋愛は小説の中だけで、現実ではないことを忘れていた。
「それにしても、国王も国王だと思います。ネイビル様に対して、今更よく『命を守ってくれ』なんて言えますよ。わたくしの感覚では、考えられません!」
「えっ? 王様だから、普通に言えるのでは?」
顔を見合わせた二人は、同じ方向に首を傾げた。完全に話が行違っている。ということは、エシルの情報不足なのだろう。
「ネイビル様が王家に嵌められたことは、エシル様も、ご存じですよね?」
「……全くご存じじゃありませんでした! 何ですか、それ! 教えてください!」
ネイビルも……エシルと同じように王家に嵌められていた。驚きしかない。
ソフィアの話は、驚きと怒りの連続だった。
聖騎士として魔獣討伐に明け暮れ、英雄と呼ばれていたネイビル。
国王も「さすがブールート家、精霊樹の守護者だ」と、もてはやした。が、それは感謝の気持ちではなく、ネイビルを利用していたに過ぎない。
役立たずの従者や自分に対してあふれ出した国民の不満を、国王はネイビル活躍で相殺していたのだ。
王太子の婚約破棄によって、国内の不満も国外の非難もネイビルの活躍だけでは抑え込めなくなった。
国王親子に対する怒りはとどまることはなく、増していく一方だ。それだけでは収まらず、新しい従者はオリバーに嫁がせて、国王と王太子を失脚させようとする動きが激しくなっていく。中には、国外から計画に協力する者まで現れ始めた。
国王も王太子も、再び追い詰められた。
『邪悪な闇の精霊の愛し子』に、罪を肩代わりさせるだけでは足りなくなっていた。それだけでは自分たちの立場は守れない。このままでは、何もかも全てを失ってしまう。
だから、今度はネイビルを利用することにした。
魔獣討伐にはなくてはならない英雄となっていたネイビルに、聖騎士を辞して王太子の側近になるように命じたのだ。
唯一完全体の魔獣を屠れる英雄として国民の期待を背負ってきたネイビルに、国王は聖騎士の職を捨てさせた。そうやって、魔獣討伐から逃げ出した腰抜けというレッテルを貼りつけた。
その上で、二大公爵家であるブールート家当主が、王家に下ったように思わせた。
国民の誰もが、「国王の愚かな命令なんて、ネイビル様ならはねつける」そう信じて疑わなかった。だがネイビルは、国民の信頼を裏切って、王命を受け入れてしまった。
予想外に信頼を踏みにじられ、自分たちの安全が保たれなくなった国民は、怒りを爆発させた。ネイビルを「二大公爵家の責任から逃げ出し、魔獣討伐からも逃げ出した腰抜け」と罵り、怒りのはけ口にした。
今度もまた、王家への反感を別の人間に背負わせることに成功した。国王の目論見通りだ。
始めは笑いが止まらなかった国王だったが、結局は自分の首を絞めることになった。
ネイビルが抜けた後の魔獣討伐が、立ち行かなくなったのだ。
元々ネイビルが一人で魔獣を倒し、周りは援護というスタイルだった。エースが抜けて援護だけで上手くいくはずがない。
度重なる討伐で、聖騎士の心には穴が空いていく。そんな聖騎士たちの心の穴を埋めたのが、教会だ。
聖騎士と国民の支持を手に入れた教会が、自分たちの寝首を掻くほどになったと国王が気づいても、もう遅い。
「何ですか、それは? 何かあるとは思いましたけど、またもそんなに下衆い思惑が!」
「国王なんて、下衆の塊です」
これがソフィアの言葉か? とエシルは二度見した。
「ですが、ネイビル様もなぜ王命なんかに従ったのでしょう。正気の沙汰とは思えません。国民や聖騎士が裏切られたと思うのも、当然です」
ソフィアの怒りに、なぜかエシルの胸が痛む。
「あの……、私は……、ネイビル様は、精霊樹や国民を裏切ったとみせかけている。そう思います……」
「何のためにですか?」ソフィアの声は冷たくて、エシルのなけなしの勇気も凍り付きそうだ。
だが、ここで引き下がれない。
「きっと、何か考えがあってのことだと思います!」
「……どんな考えですか?」
「それは分かりません。でも、精霊樹や国を守るためなのは間違いないです!」
ソフィアの冷たい視線が刺さるが、もちろんエシルも逸らさずに見返す。
「ネイビル様は聖騎士から散々責められた時も、怒りもせず不満も言わずに受け入れていました」
「魔獣討伐やブールート家の責務から逃げ出したことが、事実だからじゃないですか?」
「そんなはずない! ネイビル様の目は、諦めていません。『精霊樹の守護者』として国を守ろうとしています。そんな人が逃げ出すとは思えません!」
諦めた目なら、エシルは自分の目を嫌って程よく見てきた。だから、分かる。
「エシル様がそう言うのなら、わたくしも信じます」
絶対にソフィアだって、エシルと同じように思っていた顔だ。
「私を試しましたね……」
恨みをこめた目で睨んでも、ソフィアはくすくす笑っている。
「試したなんて、人聞きが悪いです。エシル様はネイビル様に興味がないのかと思っていたのですが、ホッとしました」
「前にも言いましたが、色々と助けてもらっているんです。興味がないなんて言ってられません」
国王の脅迫もダンスールを助けてもらったことも、ソフィアには話してある。というか、知っていた。
「だからですよ。ただの恩人だから、適当に信じておこうってケースもあり得ます」
「ちょっと、私を馬鹿にしすぎじゃないですか!」
「そうでしょうか? でしたら、エシル様は人や物事に興味がある方だと?」
「……人と、その物事によります……」
つい最近までダンスール以外には興味がなかった……。どうでもよかった……。
「そうですよね」と言う、ソフィアの笑顔が痛い……。
読んでいただき、ありがとうございました。




