19.新事実?
よろしくお願いします。
厨房の作業台にある椅子に座ったソフィアは、今日もピンク色のドレスを着ている。
ついでに言うと、あの大号泣以来、毎日離宮に通ってきている。エシルの作ったダイエット料理を食べるためだ。頼まれた時は、エシルだって当然お断りをした。が、理由が王太子を諦めるためと言われてしまうと、散々暴言を吐いたエシルとすれば無下に断れなかった。
元々エシルは料理が好きだ。誰かのために作るのは楽しいし、食事は一人で食べるよりも二人の方がいい。それに何より、ソフィアと一緒にいるのは苦痛ではない。むしろ楽しい。今となっては、一緒にご飯を食べるのを楽しみにしているのはエシルの方かもしれない。
「オリバー様が引きずられていくところを、わたくしも見たかったですわ!」
「そうですか? なんか、家畜が売られに行くような? 何とも言えない切ない顔でしたけど……」
「家畜……?」と絶句したソフィアは、淑女の彼女らしくない笑い声をあげた。
「それこそ、見たかったです! 二人の立場が、昔とは逆転ですもの!」
「昔は、ガレイット公爵が優位だったのですか?」
昨日は完全にネイビル優位だった。身体もネイビルの方が大きいし、逆転の想像ができない。
「年齢が五歳離れていますからね。オリバー様が国を出られた時の年齢が二十歳。ネイビル様は十五歳。身体もオリバー様の方が大きくて、ネイビル様はいつも後をついて歩いていました」
ソフィアは昔を思い出して、「あれは、カルガモの親子でしたね」くすくすと笑っている。
「……あれ? その時、ソフィア様は……」
「六歳ですよ? 何か?」
「いえ……何も、ないです………」
あり得ないほど上から目線の六歳児だけど、ソフィアならそうなのだろう。随分と偉そうな、すました六歳児が想像できる。
「ということは、王太子はその時十歳ですか」
作業台の上に置かれたソフィアの手が、ぴたりと止まった。何の意図もなく言ったことだが、重要な意味があったようだ……。
思いがけず急に緊迫してしまった空気に、エシルは頭に手を置いて声にならない悲鳴をあげた。何か地雷を踏んだらしい……。
長くゆっくりと息を吐き出したソフィアが、覚悟を決めたように口を開いた。覚悟ができていないエシルが止める間もなく、話し出す。
「精霊樹から従者候補が告げられることなく、レオ様は十歳を迎えました。次期国王が『従者を娶れない王太子』なら、それは別にレオ様である必要はない。オリバー様だって構わないのです」
その辺のところが、エシルにはよく分からない……。
「精霊樹としては、国王の血筋にこだわりはないってことですか? 王家や二大公爵家以外の人が王になっても構わない?」
「精霊樹が決めるのは従者だけです。国王は誰がなっても構わない、はずです」
「はず……?」
ソフィアにしては、はっきりしない言い方だ。
「……精霊樹は国王を選びませんが、気に入らなければ従者に言葉を与えないかもしれません……」
「……それって……」
二十年以上、精霊樹が無言を貫いたのは、国王を認めていなかったから?
「……だったら……、さっさと国王を変えたくなりますね。どうして変えなかったんだろう?」
「精霊樹が従者に言葉を与えない花を咲かせない。そんなことは今まで一度もありませんでした。それが従者のせいなのか、国王のせいなのか、他の要因なのか。前例も情報も不足していて、判断のしようがなかったのです」
「悠長にそんなことを言っていられるのは、余裕がある人だけですよ。普通は、可能性があるならそれに賭けます。国王が信頼に値する人なら、話は別ですが……」
「エシル様の言いたいことは分かります。あの国王なら、すぐにでも変えるべきでした。でも、できなかった」
当時六歳とは思えない、まるで全てを見てきたような口ぶりだ。いや……ソフィアなら、六歳だろうとしっかり見ていてもおかしくない。
「『従者を娶れない王太子』が確定した十三年前、レオ様とオリバー様二人の命が狙われました。それも一度や二度ではありません。お互いを推す勢力がぶつかり合っていましたし、教会や、当時勢いを増していたチャービス家が関わったという話もありました。あわや内戦もあり得る状況にまでなり、父は日に日に痩せて顔色が悪くなっていきました」
「……それは、そうでしょうね……」
表では、王太子と王弟の間に入って二つの勢力を宥める。裏では、二つの勢力の動向を探り、潰し、利用する。大忙しだったはずだ。
「オリバー様の方が優勢でした。ですが、元より国王なんて望んでいない方です。死と隣り合わせの毎日や、家族と争うことにいい加減うんざりしたのでしょう。あっさりと身を引いて国から出られたのです」
「国と世界をつなぐために、外交官の任に就いたのでは……ないですね」
「外交官なんて、オリバー様を追い出したと思われたくない国王が後付けした役職です。本当に外交官なら、十三年も自国に帰ってこれないはずがない」
「ガレイット公爵も言っていました。国には一生戻れないと思っていたって」
「国に戻れば殺される。それが分かっていれば、帰れません」
「……ガレイット公爵は、里心には勝てなくて帰国したと言っていました。どうして、命を懸けてでも帰ろうと思ったのでしょうか?」
「普通は帰らないでしょうね。ですが、今回は王命です。逆らうことで火種を作りたくなかったでしょうし、王妃が死んだのも帰国を決めた一因でしょうね」
「王妃の死で、帰国を決めます?」
ソフィアは「それが何か?」と言う顔をしているが、エシルには一因と言われる理由が思いつかない。
「王妃が死んだから、帰国? それだけ聞けば、王妃がガレイット公爵を殺そうとしていたみたいですよ」
「王妃だけではありませんが、オリバー様の命を最も狙ったのは王妃です。オランジーヌ家が調べたので、間違いありません」
胸を張ってそう言われても、エシルは驚きで一杯だ。他の情報は入りそうもないのに、ソフィアは「十三年前にレオ様が狙われたのも、王妃による見せかけでした。オリバー様だけ狙われると、王家が非難される。だから、レオ様も狙われていると思わせたかったというわけです」と簡単に言う。
ちょっと、待って欲しい!
王妃は役立たずの従者として、虐げられていたのでは? その王妃が、自分の息子も狙われたと裏工作までしてオリバーを殺そうとした?
混乱するエシルの頭に思いついたのは「親心」だ。自分は一度も受けたことがないから分からないが、自分の息子を王にしたいと母なら思うのかもしれない。行き過ぎだけど……。
だが、役立たずとはいえ、王妃は従者だ。そんなことが、できるだろうか? それこそ、本末転倒だ。
精霊樹の代理人ともいえる従者は、その力と引き換えに厳しい誓約を課せられる。
従者としての力を私利私欲に使うなんて従者に相応しくない行動をすれば、精霊樹より罰せられる。罰を受けるのは自分だけはなく、従者に近しい者全てだ。
過去にあったのだ。自分たちに都合よく、精霊樹の言葉と偽ろうと計画した従者がいた。精霊樹の怒りを買い、一族郎党が謎の死を遂げた。王妃の親族だけでなく、国王も息子も全員だ。まだ幼い王弟が王位を継いだのは有名な話だ。
「殺人なんて! 精霊樹との誓約に違反します!」
「オリバー様暗殺の件に関して、オランジーヌ家は、誓約は関係ないと思っています」
あっけないほど簡単に否定された。
「誓約に関係するのは、従者の仕事に関わることです。精霊樹が『オリバーを殺せ』と言ったと、王妃が偽ったのなら誓約違反です。ですが、オリバー様暗殺には精霊樹は関係していません」
「確かに、そうですけど……。でも、従者ですよ? 精霊樹に選ばれた人が暗殺なんかするのは、誓約に違反しませんか? 従者とは、それほどまでに清廉さを求められるのでは?」
「……エシル様の言いたいことは分かりますが。わたくしたち四人の中に、そんな人はいますか?」
いない!
嘘偽りなく正しい人なんて、この世にそうそういない。
あの精霊樹の対になる人だからと、エシルは勝手に理想を押し付けていたようだ。王妃のことも勝手に勘違いしていたし、気をつけないといけない。
「現実はこんなものです。長きに渡って人間を見てきた精霊樹なら、それは分かっていると思いますよ?」
「精霊樹も妥協しているなんて……、世知辛い……」
急に現実を見せられたショックで、エシルは頭を抱えた。だが、話は世知辛いくらいでは終わらない。
「精霊樹が王妃に従者としての力を与えなかったのは、誓約違反による罰だと考えられませんか?」
バチンと音がしそうなくらい、色々なものがつながった。勢いよく顔を上げた先では、ソフィアが涼しい顔をしている。
「十分に考えられる! さっきの『精霊樹が国王を認めないから力を与えなかった』より、断然しっくりきます。むしろ、今までどうして気づかなかったのだろう? 不思議」
「王家としたらもちろん、国としても隠したいことです」
「……それって、オランジーヌ家が情報操作をしたってことですか?」
エシルの苛立った声に、ソフィアは「それは、違います」とはっきり否定した。
「逆です。隠すのではなく、暴き出したいのです。オランジーヌ家は、王妃の誓約違反を疑っています。その証拠を探して、二十年以上ずっと追っているのです」
話が急展開なせいで、エシルの全身に鳥肌が立つ。ゾッとする不快感が足元から這い上がってきた。
「それって……従者になってすぐに、王妃は精霊樹との誓約を破ったってことですか?」
「そういうことになりますね」
「王妃は従者の力を与えられない罰を受けたけど、国王や王太子は普通に元気ですよね」
「そうでしょうか?」そう言ったソフィアの顔に翳が差した。
国王も王太子も、何か罰を受けたとは思えない。
王座から引きずりおろされそうになっても、エシルに罪をなすりつけて難を逃れた。
精霊樹から罰を受けたのは、エシルだと言われる方が納得できるぐらいだ。あとは、王家のせいで明日も見通せなくなった国民だろうか――
「精霊樹は、国全体に罰を与えたということ?」
従者に言葉を与えず、花も咲かせない。国は乱れ、国民は不安を募らせる。その怒りは王家に向いた。国は、どうしようもないほど、どん底だ……。
「王妃のしたことは、相当罪が重いことになるよね?」
エシルは動揺しっぱなしなのに対し、ソフィアは冷静だ。取り乱すことなく、エシルを真実に導こうとしているようにも見える。
「ソフィア様は、知っているんですよね? 従者の力を使って、王妃は一体、何をした……?」
「何をしたのかは、分かっていません。ただ、王妃は、とても権力欲の強い人でした」
「従者の力が使えずに周りから責められ、離宮に移り住んだ儚い人かと思っていたけど……。ソフィア様の言う通りの人みたいですね」
「従者という大きな権力を手にした王妃に、誰もが手を焼いたそうです。オリバー様を殺そうといたのも、その一つです。その結果、この離宮に閉じ込められた」
「だから、牢獄、か……」
離宮に、住む人を思いやる気持ちが感じられないのも納得だ。
従者を守るためなのかと思っていた窓の鉄格子も、出入り口が一つしかないことも、従者を閉じ込めるためだった……。
「王妃がレオ様のためにオリバー様を狙った。エシル様は、そうお考えですか?」
「……違うの?」
声が裏返るほどの衝撃だ。それ以外どんな理由で狙うというのだ?
「王妃がオリバー様を狙い始めたのは、レオ様が生まれる前。従者になってすぐです」
「……どうして?」
「それが分からないから、私がここにいるのです」
「えっ?」
にっこりと笑顔を返されたって、エシルの疑問は何一つ解決しない。
「オランジーヌ家は、そこに王妃の誓約違反があると考えています。それを探るために、わたくしは城に来ました」
「……嘘でしょう?」
嘘なんかじゃないことは、ソフィアの顔を見れば分かる。
「国はもう荒れ放題だというのに、教会やチャービス家やらがさらに食い荒らそうとしている。それが精霊樹による罰ならば、罰せられた理由を知る必要があります」
「……そうなのかもしれないけど。それはソフィア様がする必要があるかな? 危険だよね?」
「それがオランジーヌ家の仕事です」
そうきっぱりと言ったソフィアの表情は、言葉ほど晴れていない。
オランジーヌ家は酷い、そして狡い。そんなのは、ソフィアの顔を見れば明らかだ。
「諜報活動? とかやっているんだよね? 国のためにご苦労様ですって思うけど……。オランジーヌ公爵が、この件をソフィア様に任せたのは、ちょっと思惑が違うよね?」
「女の方が情報戦に秀でている場合もあります。母も社交は怠らず、常に臨戦態勢です」
「いやいや、女だから危険なことはしないとかじゃないよ。ソフィア様の任務は、国を救うことになるかもしれない。でも、公爵の目的はそれだけじゃないというか、それじゃないよね?」
黙ってしまったことが、ソフィアだって気づいているのだと言っている。
このことを知ってほしくて、こんな機密事項の話をエシルにしたのだと言っているようなものだ。
「王家を探ることで、ソフィア様が王太子に幻滅すればいいと思ったんだよね? それが無理でも、自分たちの罪を暴いたソフィア様を、王太子が憎むように仕向けたかったんだよね?」
「……父なりに、私のことを思ってです」
「そうだよね、親心だよ。オランジーヌ公爵の気持ち、私も分かるよ」
ソフィアの真っ白な顔が青白くなっていく。
ここからの手のひら返し? そう思うが、仕方がない部分もある。
ソフィアの恋は、恋というより病気だ。可哀相で頼りない王太子には自分がいないとダメなんだと思い込む恐ろしい奇病だ。父親がショック療法を決行する気持ちも分かる。
「頭の切れる大切な娘が、あんな王太子に恋するなんて、普通は思わない。恋しちゃったんなら、一秒でも早く正気に戻れって思う。ソフィア様には申し訳ないけど、私だって、それは仕方がないことだと思う」
「……仕方、ない、ですか……?」
ソフィアはショックで顔を引きつらせた。エシルなら分かってくれると思っていただけに、余計につらい……。
「愛する娘の目を覚まそうという親心は理解できる。できるけど……、公爵のやり方は駄目です! 許せません!」
エシルが作業台を勢いよく叩いた音につられて、エシルの顔も上がってくる。
「そうなのです! 父の思惑を知り、わたくしはやる気が失せたというか、自分を見失いました」
「このままではどっちに転んだって、ソフィア様は傷つきます。ソフィア様のことだから、一生引きずる傷になりかねない!」
これはさすがに口にはできないけど、一生の引きずる傷が、あの王太子だなんて……。我に返った時に、恥ずかしくて死ねる大事件だ。
「わたくしの恋心が消えたとは言えません。ですが、レオ様の隣に立つことは諦めました。わたくを試すようなことをしなくても、わたくしはオランジーヌ家の人間として、しっかりと役目を果たすことを父に証明します!」
ソフィアの決意をエシルは拍手で称えた。
だが、この言葉を鵜呑みにしてしまったことを、エシルは酷く後悔するのだ……。
読んでいただき、ありがとうございました。