18.王弟の花畑
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
エシルはガゼボに一つしかない出入口にいて、ガレイット公爵はガゼボの奥から飛び出してきた。
ということは……エシルがガゼボに入った時には既に、ガレイット公爵は薄暗いガゼボの奥に先にいたことになる。それに気づかずに、勝手に同じ空間に入り込み、勝手に盗み見を始めた女。それがエシルだ……。
「まずい……」
呟いたエシルの前に、ガレイット公爵の黒いブーツが止まった。これは、逃げられない……。エシルも腹を括って顔を上げた。
同じ灰色でも王太子とは似ていない。一見優しそうだが、腹の内を見せない老獪さが見え隠れしている。間違いなく、一筋縄ではいかないタイプだ。
警戒心全開なエシルに「せっかくベンチがあるのだから、座ろうか?」と言ったガレイット公爵は、ガゼボの奥にあるベンチを指さした。花畑を見るために作られたガゼボには、長いベンチが緩いU字を描くように伸びているだけだ。並んで座るしかない……。
トホホと聞こえてきそうな笑顔を浮かべつつ、エシルは何とか取り繕ってうなずいた。
「『トホホ』って感じかな? エシル嬢は、顔に出てしまうんだね」
「…………」
ちっとも取り繕えて、いなかった……。
「そんな『しでかした』みたいな顔しなくても大丈夫。意地悪なんてしない。エシル嬢と少し話がしたいだけだ」
なぜ? という疑問は、さすがにのみ込む。顔には出たと思うが……。
朗らかな笑顔で「オリバー・ガレイットだよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」と軽く言われても、薄っぺらさは感じない。同じ王族でも、国王親子とはえらい違いだ。
包み込むような雰囲気の中に、上に立つ者の風格が感じられる。親しみやすい王弟として国民の人気が高いのも納得だ。
「ガレイット公爵にご挨拶――」
令嬢らしい挨拶をしようとしたのに、「堅苦しいのは嫌いなんだ」と止められてしまった。たれ目の優しい笑顔なのに、圧がある……。
「……エシル……です」
様子をうかがっていたエシルは、注意がないことにホッと胸をなでおろす。
ただの木のベンチが玉座に見えるくらい優雅なオリバーは、遠い過去でも見るように花畑を見つめている。
「この場所は、私の避難場所だった」
過去を懐かしむ声で、「ここに座って、飽きることなく花と空を見ていた」と笑った。
「なるほど」と何度もうなずいたエシルは、「色々と腑に落ちました」と感心して花畑と青空を見た。
こんな誰も来ない場所に花畑やガゼボがあるのも、このガゼボが花畑より低い場所にあるのも、不思議だなとエシルは一回目から思っていた。まさかガレイット公爵のためとは思わなかったけど、王城の敷地でこの規模なら王族のためであるのが当然だ。
この場所があることで救われたエシルとしては、感謝の気持ちでいっぱいだ。
「淡い色彩の花や葉と高い青空を見ていると、嫌なことが身体から抜けていきます」
「そうだろう? ここは特別な場所だ。景色は綺麗だし、人も来ない。この分かりにくいガゼボは、隠れるにはもってこいだ」
「人が寄り付かない場所にあるのに、手入れはしっかりとされているのも不思議だったんです。ガレイット公爵のために作られたのなら納得です」
オリバーは灰色の目を細めてエシルを見た。
「……城に来て間もないのに、そこまで分かるんだ……」
疑るような態度にドキリとはしたが、……一年間この景色に癒されていました、とは言えない。
「ここにある花は、精霊樹のところから移植したんだ。だから、精霊樹が引き合わせてくれたのかしれない」
「そうですね! マリアベル様とアイリーン様もいましたし」
「あの二人は違うよ」
ぴしゃりと否定されてしまい、慌てたエシルはオリバーを見上げた。
オリバーの笑顔は相変わらず朗らかなのに、何かが違う……。
「あの二人がここにいたのは、エシル嬢とは理由が違う」
断言の理由が分からず、エシルはとりあえず曖昧に笑うしかできない。
「アイリーン嬢は、エシル嬢を追ってここに来たんだよ。マリアベル嬢は、アイリーン嬢についてきたんだろうね」
「…………」
なぜ?
「なんでかな? アイリーン嬢はエシル嬢に用事があったんだと思うけど、見当がつかないって顔だね。それより、何で私にバレているんだって感じかな? 言うまでもないと思うけど、全部顔とか態度に出てしまっているんだよね~。エシル嬢は嘘がつけないタイプだね」
「…………」
「あははは、そうだね。私は平気で嘘がつけるタイプだよ」
ここまで心が読まれてしまえば、エシルは両手で顔を隠すしかない。
だから、気づけなかった。「じゃなきゃ今まで生きてないからね!」と言ったオリバーの顔が、全く笑っていなかったことに……。
オリバーと兄である国王は、十歳年が離れている。
それだけ年齢差があれば、普通は王位継承争いにはならない。ましてや兄王子が八歳の時に、次代の従者候補も告げられていたのだからなおさらだ。
それなのにオリバーを次期国王に推す声が大きかったのは、兄弟の能力の差が誰の目から見ても明らかだったからだ。
兄王子が短絡的で享楽的だったのに対して、オリバーは優秀で慎み深かった。権力を笠に威張り散らす兄王子にうんざりしていた貴族や国民が、親しみやすく朗らかなオリバーに心動かされるのは当然の流れだ。
不幸なのは、オリバーは王位なんて望んでいなかったことだ。さっさと臣下に下り、兄王を支える存在になりたいと思っていた。だが、周囲がそれを許さない。
この場所は城の居心地の悪さから逃げ出したオリバーの避難場所だが、最初はまだらに雑草が生えているだけで何もなかった。幼いオリバーに同情した者たちが、彼の要望に応えて今の状態になった。
オリバーが一番に望んだことは、関係がぎくしゃくしてしまった兄や両親と、この場所で仲良く空を見上げることだったが……。そんな簡単なことでさえ、周囲を巻き込んだ権力争いのせいで叶わない。それどころか、オリバーだけが孤立していく……。
それも兄王子が従者を娶って落ち着いたと思われたのに、肝心の従者に精霊樹が言葉を与えないことで事態は変わった。
次の国王は、オリバーにするべきだという声が再び高まっていく。
それは王太子となるレオンハルトが生まれた後も変わらなかった。王太子が十歳を過ぎてしまうと、耳が痛くなるほど声高に叫ばれるようになった。
役立たずの従者親子が王位に就くことに、国民が拒否反応を抱き始めたのもこの頃だ。
従者が変わらないのなら、せめて国王だけは変えたい。王太子ではなくオリバーが国王になり、オリバーの子供が次期国王として従者を娶って国を治めて欲しい。
オリバーの気持ちなんて置いてけぼりで、周囲だけが熱くなっていった。
噂に惑わされ弟を恐れ憎む兄やその取り巻き。都合のいいことを言ってオリバーから甘い汁を吸おうとする貴族。事態を重く受け止めてオリバーの存在を持て余す両親。その全てがオリバーの苦痛になった。
そんなオリバーが国を離れたのは、十三年前だ。
「下らない権力闘争ほど、みっともないものはない」
オリバーほど、この言葉に重みがある人物はいない。
「いつの時代も『選定の儀』は、令嬢同士の争いは絶えない。だが、今回は行き過ぎている」
「今回は、色々と異例の事態です。皆さん、色々あります」
一年間も王太子妃争奪戦の渦中にいたエシルだ。二度目となれば、慣れたものだ。
「初日から散々な目にあわされていると聞いたけど、エシル嬢は随分と落ち着いているんだね」
「騒いでも、怯えても、相手につけ込まれるだけですからね」
「その気持ち、よく分かるな」
オリバーは親近感を持ってくれたようだが、一回目の話をしてしまいそうでエシルは実に居心地が悪い。
「すまない。初対面でお家騒動の話をされても困るね……」
身体を縮こまらせてすまなそうに見上げられるのは、もっと困る……。なんて言えるはずもなく、エシルは曖昧に笑うしかできない。そうやって話を流そうとしたのに、オリバーは気づいてくれない……。いや、エシルの顔色を読んで話を進めているくらいだ。これはわざと話題を変えないのだ。
「王家の欲も悪意も困ったものだな?」
「……」
「振り回される、私たちの身にもなって欲しいと思わないか?」
「…………」
オリバーはわざと、空気を読まない。
花畑が枯れるような毒のこもったため息がエシルから漏れ出ようが、全く意に介さない。
困ったもの? こっちの身にもなってくれ? エシルはオリバーにだって同じことを言いたい!
「今回だって、私は呼びつけられたんだ。出て行けと言ったり、戻って来いと言ったり、本当に勝手だよ。そう思わないか?」
「………………私からは、何とも……」
エシルは半目だ……。
国王の悪口を初対面の弟に言うはずがない。
頑ななエシルを見てくすりと笑ったオリバーが、「あの二人にあれだけのことをされたんだから、いくらでも文句を吐き出すべきだと思うけど」と囁く。
十三年も国を離れていたのに、オリバーは何でも知っているようだ。王弟なら当然と思いながらも、エシルの背筋は冷たくなった
「もちろん命令に従わないことも考えたけどね。一生戻れないと思っていた故郷に十三年ぶりに立てる。そう思うと、里心が勝ってしまったよ」
花畑を眺めるオリバー表情は、優しくて悲しい。灰色の目には、様々な感情が入り乱れている。穏やかなのに陰りがある表情を見せるオリバーは、割り切れないものをたくさん抱えているのだ。
「帰ってきて最初に見たい場所が、いつも逃げ込んでいた場所なのも情けない話だな」
「……私は王城の中で、この場所が一番好きです!」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
目をひくような花も装飾も何もない。ただ可憐な野の花が青い空に向かって咲き、風に揺れている。
ありふれた光景が、非日常になってしまう人生もある。この穏やかな景色を求める気持ちは、エシルにもよくわかる。
テーブルの上に両肘を置いて組んだ手の上に顔を乗せたオリバーは、エシルを見上げてにっこりと微笑んだ。
まるで平民のような白いシャツに黒いパンツの軽装なのに、綺麗な顔と高貴なオーラにエシルの目は潰されそうだ。
身体を起こしたオリバーは、悪戯でもするような仕草で指をさす。さされたのは、二人の間にあるエシルのカゴだ。
「カゴの中から甘い匂いがする」
「あぁ、おやつが入っていて……」
オリバーの顔が、子供のように期待で輝いている。三十三歳には思えない……。
「あの! もったいぶるわけではないのですが、一般受けするおやつではないですよ? むしろ、不快にさせるかもしれません」
おやつの説明とは思えない話に、オリバーは首を傾げたが「構わない!」とはっきりと言った。
カゴから出てきたのは、ダンスールが差し入れてくれた茶色いかりんとうだ。
かりんとうを初めて見たエシルは、動物の糞にしか思えなかった。そんなものをオリバーに出して不敬にならないかが心配だったが、オリバーの反応は意外だった。
「かりんとうだ! 久しぶりに見るな。……うん、美味い!」
嬉しそうに躊躇うことなく手で取ると、やっぱり躊躇うことなく口に入れた。
動物の糞や木の枝に間違えられるかりんとうが、あっさりと受け入れられた。それにももちろん驚くが、オリバーがかりんとうを知っていることの方がエシルを驚かせた。
「かりんとうは、とても珍しいよね。世界中を回っていると、結構色々なものに出会うものだよ。あぁ、どうして分かったかって? 口を開けたまま、かりんとうと私の顔を何度も交互に見比べていたよ。それを見れば、エシル嬢が何を考えているかなんて私じゃなくても分かるよ」
ここまでくれば、もう顔を隠すのもばかばかしい。
「本当に珍しいものだから、マリアベル嬢には知られない方がいい」
「マリアベル様、ですか?」
無類のかりんとう好きなのだろうか?
派手なマリアベルと、地味なかりんとう。どうも結びつかない。一本のかりんとうを見つめるエシルの目が寄っていく。
「欲しいものは何でも手に入ると言われるアサス商会だけど、どうしても扱えない商品があるんだ」
「……それが、かりんとう、ですか?」
「まぁ、かりんとうも含まれるかな? 世界中どこを探しても滅多に見ることができない珍しいものがある」
「あぁ、王城に飾られている絵とか諸々ですね……」
エシルは本気で言ったのに、オリバーはお腹を抱えて笑い出してしまった。
「違うよ! あれは趣味が悪いだけ!」
ネイビルもそうだが、あっさりと言えてしまう人たちが、エシルは羨ましい。
「もっとさ、普通じゃ考えつかないような道具とかなんだ。このカゴも、その人たちの手にかかると材料も形も全く別で便利なものに変わるんだ。見たことあるんじゃない?」
オリバーから探るような目を向けられても、そんなカゴを見たことがないエシルの首を傾げる角度が深くなる。「ふぅん」と興味を失った顔のオリバーは、「こういう珍しいものを持っていることがバレると、アサス商会が押しかけてくるから気を付けて」と言った。
「アサス商会でも、扱えないものがあるなんて驚きです。誰もが頼みに行くものかと思っていました」
「どうせ、マリアベル嬢の話でしょう? 鵜呑みにしたら駄目だよ」
まぁ、その通りなのだが……。エシルはオリバーの表情が気になった。急に冷たい目になったのは、さっきのマリアベルの言動が影響しているのだろうか? まぁ、王弟とすれば、とても見過ごせるものではなかったのだろう。
「アサス商会が勢力を伸ばしてきたのは、十年くらい前からなんだよ。ただの小さな商店にすぎなかったのに、世にも珍しい商品を扱えたことで急激に力をつけたんだ。でも、仕入れ相手を怒らせたんだろうね? あっという間にアサス商会から、その珍しい商品は消えた。諦めきれないアサス商会は、今でも伝手を探しているって話だよ」
最後のかりんとうを口に放り込んだオリバーを、大きな大きな影が覆う……。
オリバーの真正面に立った影の主は、「随分とのんきですね?」と険のある低い声だ。オリバーは面倒くさそうに、ため息を吐いた。
「オリバー様は、どうしてこんなところにいらっしゃるのでしょうか?」
ネイビルは相変わらず無表情だけど、身体中から怒りを感じた。その証拠に、言うことが辛辣だ。
「三十歳を過ぎたいい大人が、言いつけを守れないとは思いませんでした」
「ネイビル、その言い方はないぞ」
「そうでしょうか? ご自分がなぜ国に戻るように指示されたのか、分かっていますか?」
何だろう? ネイビルが一回り大きくなったように思える。圧だろうか? オリバーだって、苦笑いだ。
「心配してくれるのはありがたいが、自分の身は自分で守れる」
「送り込まれた暗殺者が一人とは限りません。誰かを巻き添えにする可能性もあります」
ネイビルがちらりとエシルを見ると、オリバーは息を吐いて両手で顔を覆った。
「分かった。お前の監視下に戻るよ」
力なく立ち上がったオリバーは、「怖い話を聞かせてしまい、申し訳なかった」とエシルに済まなそうに笑いかけた。
だが、この程度の話でビビるエシルではない。身の危険という点では同じだし、なにせ一度死んでいる。
「大丈夫です。私も似たような環境ですから。命は大事にしましょうね!」
何の憂いもなくにっこりと微笑むエシルの前に、オリバーは呆然と立ち尽くした。それも一瞬で、すぐにネイビルに引きずられていった。
読んでいただき、ありがとうございました。