17.従者候補の日常
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
一回目の『選定の儀』では、エシルは引きこもりだった。決まった時間に精霊樹のところに行く以外は、書庫かこの場所でのんびりと読書か昼寝をしていた。
二回目になって一日の大半を離宮で過ごしているけど、のんびりしたくなる時もある。今日はそんな気分の日だった。
エシルのお気に入りの場所は、城から離れている。食料を求めて野山を駆け回ったエシルならともかく、歩くのを好まない令嬢や忙しい文官が来る場所ではない。一人になれる絶好の場所だ。
人が来ることを想定していない場所のはずなのに、可憐な優しい色の小花が一面に咲き心休まる自然が広がっている。その上、ガゼボまである。花畑より一段下がった場所にあるガゼボは、少し薄暗いが秘密基地みたいで昼寝にはもってこいだ。
一回目は丸一年間通ったけど、一度も誰にも会うことがなかった。エシルにとっては安心のおひとり様スポットだ。
鼻歌交じりに一つしかないガゼボの出入口に到着するなり、目の前の花畑から偉そうな声が聞こえてきた。
「持つ者が持たざる者に与えるって、当たり前のことよ。困っている人がいたら、施してあげればいいのよ。それをしない貴族や、ためらう人間がいることが、信じられないわ! そう思わない?」
マリアベルだと気づいた瞬間に、エシルはガゼボに逃げ込んで身をかがめた。見つかったらキャンキャンと吠えられて面倒だという自己防衛本能だ。
この場から離れるには花畑を通る必要があり、絶対にマリアベルに見つかる。穏便にすごすには、話が終わるまでガゼボに隠れる一択だ。
「何でここに来るかな……」
そんな言葉が、ため息とともに漏れ出た。
怖いもの見たさで、こそこそと手すりの間から顔を出す。花畑に立っているのは、灰色のフリルが多用された青いドレスと、シンプルな紺色のワンピースだ。
青いドレスを着た小柄なマリアベルが、長身のアイリーンを下から気分よさそうにまくし立てている。
「ない人には、あげればいい。簡単なことよ? 私は困っている人を助けているのよ。そんな善人である私が、王太子妃に相応しいわ! 貴方も、そう思うでしょう!」
ミルクティー色の瞳を輝かせたマリアベルは、肯定以外の答えがあるなんて思っていない。マリアベルを否定するのは、ソフィアだけだ。
「貴方だって、お金をもらえれば助かるし嬉しいに決まっている」
当然のようにそう言われたアイリーンは、目を細めて苛立った顔を背けた。明らかにマリアベルの存在を拒否しているのに、ビックリすることにマリアベルは気づけない。
「施す側の私から忠告してあげる。施しを受けたら感謝するべきよ。もらっておいて、何もしてもらっていないと不満ばかり言うのはおかしいわ! 施しが欲しいなら、もっと私を敬って喜ばせるべきね」
マリアベルの精神力はすごい。
アイリーンがこれ以上ない軽蔑の冷え切った目で見下ろしているのに、全く気が付く様子がない。
ガゼボに隠れているエシルだってドン引きだが、マリアベルが何が言いたいのかは分かった。
マリアベルはありあまる財力から施しをしている。目的が人気取りだとしても、国が疲弊している今、それ自体はありがたいことだ。
だが……、マリアベルは国の状況や問題には全く目もくれず、派手なパフォーマンスとして施しを与える。それでは飢えた民に行きつく前に、貴族や有力者に搾取されてお終いだ。
そんな現実の前では、マリアベルへのありがたみなど消えてなくなる。それどころか国の闇を知らないマリアベルの天真爛漫な態度に苛立ちを募らせる者が増え、彼女の行動を疑問視したり反発する声の方が大きくなっていた。
「自分を褒めてくれる人がいなくなったから、私にその役をさせたいの?」
アイリーンの凍えるほどの薄ら笑いを前にしても、マリアベルは動じず「孤児が私と行動を共にできることを喜ぶべきよ」と言ってのけた。ついでに「もしかして、お金の無心かしら? まぁ、用立ててあげてもいいけど」とまで言い出した。
あまりにも相手を見下した発言に、盗み聞きしているエシルの冷汗が止まらない。
アイリーンはといえば、塩対応どころか苛立ちを全く隠していない。それに加えて、不愉快さと面倒くささが全開だ。
色とりどりの小花が咲く花畑は、本来なら儚げなアイリーンにピッタリなはずなのに……。その真ん中で、腕を組んでマリアベルを冷たく見下ろしている姿は異様だ。十七歳の持つ迫力ではない……。
青く白い雲が浮かんでいるはずの空が、真っ黒な雲に稲妻が走っているように見える……。
「で、結局、何が言いたいの?」
ゆっくりと言い聞かせるようなアイリーンの重低音は、ただでは終わらない予感しかしない。
「『現実を知らないマリアベル様は、王太子妃に相応しいです!』って言ってあげれば満足? それならもういいでしょう? 私も暇じゃないんで!」
あまりにも包み隠さないアイリーンの言葉に、マリアベルは目を見張ったまま動けないでいる。もちろん、エシルも……。
一回目のアイリーンなら、反論なんてせずに黙っていただろう。それは怯えや忖度などではなく、相手にも言葉にも興味がないからだ。あの凍えるほど冷たい目が自分ではないどこか別の場所を見ているのが分かれば、マリアベルだって黙って引き下がるしかなくなる。
エシルの知るアイリーンは、笑いもせず、怒りもせず、無表情。感情が現れることはなく、ただ静かに佇んでいる。精巧な人形のような印象だ。
そのアイリーンが、とても面倒くさそうで、すごく腹を立てていて、たいそう相手を小ばかにした、そんな顔をしている。感情が表に出すぎだ……。
予想外の状況についていけないエシルは、ガゼボの壁に寄りかかりながらずるずると地面に崩れ落ちた。
目の前で起きていることが、エシルには現実だと思えない。
「どうしてみんな、私に『現実を知らない』って言うの? 平民だって最初は私に媚びていたのに、急に悪口を言ってくるし……。おかしいじゃない!」
マリアベルは靴やドレスが土にまみれるのも気にせず、花畑を踏み荒らし始めた。それを冷たい目で見ていたアイリーンは、「その話に私は関係ないんで」と吐き捨てるようにぶった切った。
「瀕死のこの国が何とかもっているのは、チャービス家のおかげなのよ!」
初めて正しいことを言ったマリアベルに、アイリーンは「で?」と眉を上げた。
「この私が王太子妃になってあげて、終わりかけたこの国を助けてあげるって言っているのよ! 国をあげて私に感謝するべきよ!」
マリアベルにとっては、国の未来もおままごと変わらない。本人はそれが分からず、腰に手を当て堂々と胸を張っている。
アイリーンは駄々っ子にお仕置きを用意したような、恐ろしい顔で見返した。
「だったら、チャービス家の有り余るお金で、国に圧力をかければ? 『このお金が欲しいなら、私を敬いなさい』って言えばいい。いつも言っているのだから、簡単でしょう?」
穏便に帰っていただく方法を考える気持ちは、アイリーンにはない。手加減が一切ない。極悪な険悪さが黒い靄となって、目に見えるようだ。
「チャービス家は自分達のためにお金を使っているのではないわ! 可哀相な人に施してあげているのよ!」
マリアベルの怒りを一身に受けたはずのアイリーンは、「ふぅん」とどこ吹く風で相手にしていない。それはもちろん、相手を煽るだけで……。
「なによ! 教会にもたくさんお金を寄付してあげているのよ! 貴方だって私に感謝しなさいよ! 孤児である貴方は、施される側の人間じゃない! そんな人に口答えされるなんて心外だわ!」
あまりにも考えなしの酷すぎる発言に、壁を掴むエシルの手にも力が入る。
「まぁ! 恵まれない教会に寄付してくれて、ありがとうございます!」
にっこりと微笑んで頭を下げたアイリーン……。
あの得体のしれない笑顔を見て、どうしてマリアベルが気をよくできるのか理解できない。うすら寒くてぞくりとする身体を、エシルは両手で抱きしめているのに…………。
アイリーンは腰をかがめると、知的で美しい顔をマリアベルの目の前に突き出した。その行為だけでも柄の悪さは十分なのに、わざとらしくにたりと品のない笑顔でくすくすと笑ってみせる。さすがのマリアベルも、一歩引いて言葉もない。
「でも、教会の人間はクズだから、誰もあんたに感謝しないよ? 馬鹿な金持ちが自己満足で喜んでるって笑うだけ。だとしても、いいよね? 持つ者が持たざる者に与えるのは当たり前なんだもんね? 善人であるマリアベル様だもの。相手に感謝の言葉や従属なんて期待してないよね?」
ミルクティー色の目を見開いて、頬を真っ赤に染め、歯ぎしりが聞こえそうなほどに奥歯を噛みしめたマリアベル。しかし、それだけで終わるはずもなく、右拳を振り上げた。
さすがにまずいと立ち上がりかけたエシル視界に、男性用のブーツが入り込んだ。あれ? と思う暇もない。右手が振り下ろされるのは一瞬だ。男の足でも間に合う距離ではない。
エシルは落ちていた木の枝を掴むと、ガゼボの手すりをガンガンと叩いた。
人気のない場所で急に金属音が鳴れば誰だって驚く。二人がガゼボの方を見ると、男が猛スピードで走って来るのだから、さすがにマリアベルも拳を振り下ろせない。
二人の前に立った男は、低く威厳があるのにどこか間の抜けた声で言った。
「ここにある花はね、精霊樹の庭から移植させてもらったんだよ。そんな場所で愛し子が喧嘩なんて、よくないなぁ」
ガゼボから突然現れたのは、王家の色と言われる灰色の髪に灰色の目の美丈夫だ。ネイビルより年上だし、ネイビルほどではないが鍛えられたと分かる身体をしている。
髪は耳の上で切りそろえられ、少し垂れた目は優しそうだが今は厳しさも感じられる。
王家の色を持っているのに、国王でも王太子でもない。花畑に立つ男性を見て、エシルはなけなしの記憶をたどる。
王弟だ。
既に臣籍降下して、外交官のように世界各地を転々と回っているはずだ。一回目の『選定の儀』では姿を現さなかった王弟が、なぜ?
「確かに従者は王太子妃になる。だけど、従者を決めるのは、精霊樹だ」
わきまえろ。とは言わなかったけど、エシルにはそう聞こえた。マリアベルも分かったのだろう。地面を睨みつけた身体は、屈辱で強張っている。
「……用事がありますので、失礼しますわ!」
マリアベルはそう言うと、小柄とは思えない力強さで花を踏み荒らして去った。
一応被害者と言えるアイリーンに声をかけるのかと思いきや、王弟は何も言わずに微笑んでいるだけだ。
暫く沈黙が続くと、アイリーンはガゼボに未練がありそうな視線を向けた。が、王弟が間に入り、視界を遮った。ほんの一瞬だけアイリーンが王弟を見上げると、意味ありげににっこりと微笑まれた。
むっとした顔を隠すように、アイリーンは無言のまま一礼だけして花畑を後にした。
それを見ていたエシルは「おいおい、二人共……。王弟であるガレイット公爵に挨拶もなしですか?」と冷汗をかいたが、「いや、待て。私もだ」と気づいて血の気が引いていく。
読んでいただき、ありがとうございました。