15.ソフィアの初恋
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
ソフィアは赤ん坊のように泣き尽くして放心状態だ。
こんな時にかける言葉なんて見つからない。自分にできることはないか考えて、エシルはお茶を淹れることにした。
ソフィアの前に、透明なガラスのティーカップに入れられたお茶が、ソフィアの前に置かれた。立ち上る温かい湯気と不思議な香りに誘われ、恐る恐る見慣れないティーカップを掴むと、泣きはらした目で一口飲んでホッと息を吐く。
「初めて飲む味だけど、何だか落ち着く気がするわ」
「カモミールティーです。リラックス効果があります」
「今のわたくしには、ぴったりね……」
作法を捨てて両手でカップを持ったソフィアは、初めてのカモミールティーの香りを楽しんでいる。
「……興味があるからって、何でも聞いていいわけではないです。本当に、ごめんなさい」
身を縮こめて頭を下げるエシルがおかしくて、ソフィアは「あんなに泣いたのは、生まれて初めて」と言ってクスリと笑った。
「私こそ子供のように泣いてしまって、ごめんなさい」
「ずっと……、辛かったのですか? ……あっ――」
「……もう一度言いますけど、今更口をふさいでも遅いです」
本日二度目の言葉に、エシルは喉の奥に力をこめた。効果があるかは分からないが……。
ソフィアは「落ち着きました」と言ってカップを置くと、スッと目を細めた。
「二大公爵家と王家の関係は歪です」
それはエシルがとても気になっていたことで、聞きたいことも知りたいことも多い。でも、たった今反省したばかりの身としては、言葉を呑み込んでうなずくしかない。
「エシル様に言われると、びっくりはしますけど、なぜだか腹は立たないです。だから、ちゃんと話がしたいです」
そう言われてホッとしたのも束の間。「不思議ですよね? 他の方でしたら、完膚なきまでに叩きのめすのに……」と物騒なことを言われた。
叩きのめされてうなだれる自分を想像して、エシルは苦笑する。目が合ったソフィアも同じような顔をして笑うから、不思議と一緒に笑い合っていた。
「エシル様からは、二大公爵家と王家はどう見えていますか?」
「普通なら王家を支えるのが公爵家ですが、どう考えても違いますよね。国を動かしているのが二大公爵家で、王家は飾りです。精霊樹を護り、魔獣から国を護るブールート家が「武」なら、国の政治を司るオランジーヌ家は「智」です。王家は……? 国の顔が「屑」ではあんまりなので、「暇」? いや、「遊」ですかね?」
声を出して笑うソフィアは「辛辣ね」と、笑いすぎて出た涙を拭った。
「王家と二大公爵家という歪んだ関係は、建国時にできたものです。王家を見張るために、二大公爵家はできたのです……」
目を伏せてゆっくりと首を横に振るソフィアに、「どうして?」と聞くことは躊躇われた。エシルが知るべきことではないと思えた。
この国で当たり前に語られる話と、ソフィアの話は違いすぎる。
この国の誰もが知る建国史には、二大公爵家と王家が協力し合って外国の侵略から精霊樹を守ったと書かれている。だから当然、二大公爵家と王家は、お互いに重責を分け合う対等な関係なのだと誰もが思っていた。歪でも、信頼関係を基にバランスを取り合っていると誰もが思っていた。
だが、違った。
信頼関係とは別の、むしろ逆の何かでお互いを縛り合っている……。
「それは……、今まで当たり前だと思っていたものに、実は真っ黒な裏がある。そういうことですよね?」
「例えば?」
「……例えば、ですか?」
まさか例を挙げさせられるとは、エシルも思っていなかった。
ソフィアの初恋の話から思いつくものといえば……、どうしたって限られてしまう。
王家と二大公爵家。この微妙な力関係を保たせるために、いくつかの暗黙のルールが存在する。その最も大きなものが婚姻関係だ。
二大公爵家には王家の血を入れない。逆もまたしかりで、王家も二大公爵家の血は入れない。もちろん二大公爵家同志にも、お互いの血は入れない。
血縁関係を持ってしまうと、独立した関係が崩れるからだ。それを防ぐために、お互いに良い距離感と緊張感を保ってきた。
「二大公爵家と王家が婚姻関係を結ばないのは、国の未来を思ってバランスを乱さないためだと思っていました。でも、違うということですか?」
「精霊樹と国を守ることが二大公爵家の責務です。もちろん国の未来を思っていますが、そこにいたるまでの過程が、エシル様の考えとは根本的に違うのでしょうね」
二大公爵家とエシルを一緒にするなと言われた気がして、「過程って、手段が違うと言うことですか?」とムッとした声が出た。しかし、「王家に対する考え方が違います」と言われ、エシルは勝手に熱くなった自分を恥じた。
「婚姻によって相手に肩入れして政治が馴れ合いになり、国が乱れることを防ぐ。エシル様の言いたいのはこういうことですよね?」
「そうです!」
「婚姻によって相手に肩入れして王家への監視が甘くなり、国が乱れることを防ぐ。二大公爵家は、これを恐れています」
……確かに、王家に対する考え方が根本的に違う。
二大公爵家と王家は仲間というエシルの考えに対して、ソフィアの考えは二大公爵家と王家は敵対していると言っているようなものだ。
「……えっと……。私は色々と勘違いしているみたいですね……」
「当然です。建国以来、そうなるように情報操作してきたのはオランジーヌ家ですから」
「……はぁ……」
間の抜けた声が出るのも仕方がない。
犯人が誰か言わないままに、謎解きだけが進んでいく感じだ。もやもやするけど、犯人を聞いてしまえば抜け出せない気がして怖い。
エシルがすべきことは、ダンスールを無事に国外に逃がすことだけだ。余計なことに首を突っ込んでいる場合ではないはずだ。
「二大公爵家から愛し子が選ばれたのは初めてだからって、『オランジーヌ家は国を乗っ取ろうとしている』なんて噂が立つのがおかしいのです。王家との婚姻を一番望んでいないのが、オランジーヌ家なのですから」
国が乱れたことで国民の精霊樹への信仰心が失われつつある今回の『選定の儀』は、いつも通りにはいかない。
王家によって『邪悪な闇の精霊の愛し子』が作り出されたこともあり、国民が愛し子に向ける目はいつも以上に厳しい。
そんなところに王家と婚姻関係を結ばないはずのソフィアが愛し子に選ばれた。オランジーヌ家を邪魔に思う勢力からすれば、引きずりおろす絶好の機会だ。
オランジーヌ家としては「やましいことなど何もない」と笑い飛ばしたいが、そうもいかない……。
ソフィアが王太子に恋をしている事実がある限り、二大公爵家と王家は婚姻を結ばないという慣例を破るつもりだと言われれば否定はできない。
「オランジーヌ家は、国のために全てを犠牲にしてきました。そのオランジーヌ家の努力と誇りを踏みにじったのが、わたくしです。レオ様への恋心なんて捨ててしまえばいいのに、できない。それどころか、レオ様の隣に立てると期待する自分がいる」
いつもの堂々としたソフィアはいない。怯える目で自分を責める、見たことのないソフィアがいた。
かける言葉が見つかるはずもなく、ただただ静かな厨房に「わたくしがレオ様と初めてお会いしたのは、八歳の時です」と声が響いた。
「八歳になる貴族の子供が集められる、王家主催のお茶会でした。レオ様は十二歳。『従者を娶れない王太子』と後ろ指を指されても、笑顔を絶やさない強い方だと思いました」
精霊樹と違って、従者には老いも寿命もある。従者が交代するのは当然の話だ。
精霊樹の声を聴くだけなら体力はあまり関係ないが、魔獣討伐はそうはいかない。高齢従者では、劣悪な環境である魔獣討伐には耐えられない。
その辺を精霊樹が配慮していたのか分からないが、次代の従者候補の名は次代の王が十歳になるまでに告げられる。もし告げられることなく十歳を過ぎてしまった場合、その王太子は従者を娶ることはできない。
稀に『従者を娶れない王太子』はいたが、五百年の中で二人だけだ。十歳までに従者候補が告げられるのが当たり前だし、レオンハルトの母は役立たずの従者だ。国中が従者の交代を切望していた。
レオンハルトが八歳になる頃には、周囲が目に見えて焦りだした。だが、次代の従者の名は告げられない。最初は従者だけに向けられていた怒りも、十歳が近づく頃にはレオンハルトにも向けられるようになった。
レオンハルトが十歳を迎えても、精霊樹からは何の言葉も与えられなかった。国が怒りと落胆に沈んだレオンハルト十歳の誕生祝は、それはそれは暗く辛いものだった。
「お茶会は、婚約者が決まらないレオ様のお見合いの場でもありました。『従者にならないで済むなら、魔獣討伐に行かずに王妃になれるのだから楽よ』なんて無責任なことを言っている令嬢もいました。そんな令嬢たちにも笑顔を絶やさないレオ様です。遠く離れた場所に一人で座るわたくしにも声をかけてくださいました」
「……ちなみに、なんて?」
「『その淡いピンク色のドレスは、ソフィア嬢によく似合うね』です」
エシルは何も言わなかったが、「うわぁ、きっざぁ」と顔に出ていた。それを見たソフィアは、可笑しそうに笑った。
「さすがにわたくしも動揺して、殿下の白いシャツに紅茶をこぼしてしまったんです。らしくない粗相に焦るわたくしを、レオ様は笑顔で許してくださいました。それだけでなく、オランジーヌ家の一員として完璧を求めるわたくしに「完璧じゃなくていい」と言ってくださったんです」
できるだけ無表情を装ったため、声がおろそかになった。エシルからは「はぁ……」と気の抜けた息しか出ていない。
「……エシル様が言いたいことは分かりますが……。人が恋に落ちるのなんて、そんな小難しいことじゃないと思います」
ソフィアの言う通りなのかもしれないが、恋どころかダンスール以外には好意を持ったことのないエシルにはよく分からない。
エシルはいたたまれず「さてさて、空気を、入れ替えようかな」と棒読みで、近くの窓を開けに逃げた。
窓の外は鬱蒼とした雑木林が広がっていて、薄暗く湿った土の匂いがする。
王城の窓からの景色は、美しい眺望が計算されている。なのに、ここは鉄格子越しに薄暗い雑木林しか見えない。
青い空も見えず、奥に進むほど薄暗さばかりが増していく。
「悲しい場所……」
勝手に口からこぼれた声だったけど、ソフィアも気持ちは同じだ。
「王妃は亡くなるまでの十五年を、この離宮ですごしました。その間に陛下がここを訪れたことは、一度もなかった。レオ様にいたっては、離宮に近づくことも禁じられていました」
「従者を娶れたから国王になれたのに、随分と勝手ですね」
国王の身勝手さに腹を立てるエシルに対して、ソフィアの表情に動きはない。むしろ否定的にさえ見える。
「……王妃が、エシル様の気持ちに相応しい人だったらよかったのですが……」
目を伏せてしまったソフィアからは、言葉の意味は汲み取れない。だけど、エシルに見えているものは、また真実とは異なるのかもしれない。
「王妃はたまたま精霊樹から言葉を与えられなかった。その心労を慮った国王が離宮を建てて周囲の目から守った。そう思っていたのに、実際は国王が役立たずの従者を離宮に押し込めただけだった。エシル様には、そんな話が見えているのでしょうね」
馬鹿にされているわけではない。それは「現実は、汚い……」と暗く澱んだソフィアの声を聞けば分かる。
「王妃が何をしてでも隠したかった秘密と、国王が目に映したくない現実が、この離宮にはそのまま閉じ込められています」
前髪の奥にある目をじっとのぞき込まれて、エシルは背筋がぞわりとして鳥肌が立った。
読んでいただき、ありがとうございました。