13.お嬢様の属性は?
本日三話目の投稿です。
よろしくお願いします。
ダンスールという自分の名前が聞き慣れなかった俺には、前世の記憶がある。
俺の前世は、日本という国で普通に暮らしていた。見た目も学歴も普通。普通に大学を卒業して、普通に働いていた。趣味は家庭菜園に料理にⅮIYだ。あとキャンプも嗜む程度。
子供は娘が二人いて、嫁に送り出したときはホッとしたような寂しいような複雑な心境になった。まぁ、嫁いだっていうのに「お母さ〜ん」と実家に入り浸るものだから、奥さんと一緒に孫の面倒を見ながら、普通だけど幸せな一生を終えた。
そんな俺が異世界転生したと気づいたのは、多分生まれた時からだと思う。
まず、普通の爺さんだった俺が「異世界転生」なんて言葉を、なぜ知っているのか? 孫がアニメや小説で見ていたからだ。
男子高生でも女子高生でもない俺が異世界転生? とは思ったが、しちゃったものは仕方がない。
こうもあっさりと受け入れられたのには理由がある。
俺が生まれた村のおかげだ。
「テンセイシャ」という村の名前で分かると思うが、この村に暮らす多くの人が異世界転生や異世界転移した人たちばかりだった。
おかげで子供らしさを演じる必要もないし、前世で使っていたものも手に入る。過去を振り返る仲間にも事欠かない。なかなか快適な暮らしだった。
そんな暮らしを手放そうと思ったのは、俺の前世が普通だったからかもしれない。
前世の俺は普通を楽しんだし、幸せだった。だが、せっかく異世界転生したのだから、アニメみたいに冒険をしないと孫に顔向けできないと思ってしまった。
村には前世の物を作り出せたり、よくわからんスキルを持っていたりする、いわゆるチート能力者が少数いた。
俺はもちろん、前世の記憶があるだけのただの人だ。冒険者になろうとか勇者になろうとか、そんな大それたことは考えていない。俺の思う冒険は、暮らしやすいけどぬるま湯のこの村を出ることだった。
村を出た俺は、いくつかの職を転々とした。
前世では多趣味だったこともあり、どんな職場でも結構重宝された。
離れたはずの村が、面倒見がよかったこともありがたかった。この世界では手に入らない道具や材料を簡単に用意してくれるし、俺みたいに出て行った奴がいろいろ情報をくれる。
俺は異世界生活を結構楽しんでいたと思う。
そんな俺は、孫が見ていたアニメによくあった貴族の生活とやらを少し覗いてみたくなった。
ちょうどよく紹介してもらったのが、とんでもなく美形揃いだというコクタール家だ。
異世界に美形はつきものだ。アニメのような美形を見ておくのもいいだろうという、どうしようもない理由が俺の人生を変える転機になった。
コクタール家は、一言でいうと胡散臭い家だった。
まぁ確かに、孫のアニメも真っ青な美形一家だった。だが、胡散臭い。おまけに使用人も感じが悪くて、家の空気がヘドロのように澱んでいた。
前世から結構辛抱強い性格だったけど、この職場を辞めるのは早いだろうと思った。そんな矢先に知ったのが、エシル様の存在だ。
エシル様は当時六歳。
今時平民だってこんなひどい所には住まねぇよっていう家に、たった一人でいた。
まだ六歳だっていうのに、ろくに食事も与えられず、隙間風吹く家で薄着の服しか持っていない。伯爵家の令嬢のはずなのに、使用人から肉体的にも精神的にも暴力を振るわれていた。
恐ろしいことに、家族からは緩やかに死んでいくことを望まれていた。
俺が虐待だ! と叫んだところで、児童相談所はないし、駆け込む市役所もない。助けたいなら、俺が何とかするしかない。
そう思っても、手を差し伸べるのはなかなか勇気がいる。
誰にとっても厄介者でしかないエシル様に、何かすれば俺も一緒に消されかねない。実際にエシル様を助けたせいで、クビにされ再就職も邪魔された人が二人いたという話も俺をビビらせた。ちょっと冒険するつもりが、とんでもない大冒険というか、ゲームオーバーにつながりかねない。
勇者とは違う普通の心しか持たない俺にできることは、誰もいない時にこっそり食べ物を差し入れるくらいだ。
当然喜んでもらえると思って焼いたホットケーキは、あっさり突き返された。
「いりません!」
「……そんなに腹をすかせた顔して、何言ってるんだよ! ここ数日何も食べていないだろう?」
「何か食べたと知られたら大変です……。私のことは、放っておいて。早く出て行って!」
エシル様はそう言って、俺に痩せ細った背中を向けた。
素直じゃないませたガキに腹を立てた俺は、そのままボロ小屋を出て行った。でも、あの長い前髪の中から見えた赤い目が、俺の頭から消えない。
六歳のくせに全てを諦めてしまった、光のないあの目が……。
だから、エシル様のことを同僚に聞いたんだ。
「おい、お前! この家であの子の話なんかするなよ! クビになりたいのか?」
「確かに可哀相な子だとは思うけど、仕方がない。生かしてもらえるだけ幸せだ」
「見ない振りをしなさい。仏心を出したせいで痛い目にあった使用人もいるの。あの子だって、それが自分のせいだと分かっている。放っておけば近寄ってこないわ」
生意気だと思った態度は、俺のことを考えてのことだった。
六歳の子供に、俺は助けられた。二十五歳の俺は、エシル様を助けられないのか?
「あの子は国を滅ぼすような特別な力を秘めているのか?」
俺がそう聞くと、同僚からは中二病を見るような生温かい目が向けられた。
俺が教えられたエシル様の事情は、どうしようもなく理不尽で不可抗力としか言いようがなかった。
金髪碧眼の家に、突然変異で黒髪赤錆色の目の子供が生まれた悲劇。
両親と違う色をエシル様が望んだわけじゃない。それなのに、コクタール夫人は半狂乱で生まれたばかりのエシル様を床に叩きつけた。すんでのところで医者がキャッチして事なきを得たが、その医者は即解雇された。
夫人の美意識では耐えられない色な上に、夫からも世間からも不貞を疑われる。夫人のプライドは傷つけられた。
確かに夫婦と異なる色だが、エシル様は旦那様にそっくりだ。旦那様を筆頭に不貞を疑う者などいないが、心が壊れた夫人にそんなことは見えていない。
夫人は家付き娘で、旦那様は婿だ。コクタール家の使用人は夫人を子供の頃から支えてきた者が多く、夫人の美しさに心酔している。彼らが守るべきは夫人の心であって、夫人の娘ではない。それは家族にも同じことがいえた。
エシル様は虐げられるために生まれてきたとしか思えない。
何が悲しいって、エシル様がそれを受け入れてしまっていることだ。
エシル様なりに家族の一員になろうと、もがいていた時はあったそうだ。でも、エシル様は、諦めてしまった。
エシル様はまだ子供で、いくらでもわがままが許されるはずだ。それなのにエシル様には、諦める以外の選択肢がなかった。
あの光のない目は、こうやって作られた。
俺の異世界転生者魂に火がついたのは、この時だ。
この世界の常識にとらわれない俺なら、エシル様を助けられる。そう思った俺は、エシル様の世話係に立候補した。
自分の娘であるエシル様のことを本気で異物と思い込んでしまった旦那様は、いい顔をはしなかった。
本気でエシル様の野垂れ死にを狙っていたのだろう。クズだ。
だから俺は言ってやった。
「コクタール家がエシル様を冷遇しているのは、社交界だけではなく平民の間でも有名な話です。これでエシル様が死のうものなら、コクタール家の虐待が明るみに出るでしょうね。コクタール家の後釜を狙う輩には、格好の餌です!」
あの時の旦那様の焦った顔には、本気で呆れ果てた。
実の娘をあれだけ虐げ、さらし者にしといて、その事実に気づいていないなんて狂っているとしか思えない。
そう、狂っていたんだ。コクタール家は、完全に狂っていた。
「私の伝手がありますので、国境の人里離れた小さな村に連れていきます。夫人もエシル様を目にすることがなくなれば、体調も気鬱もすぐに回復されるでしょう。対外的にも病弱な娘を療養させていると格好がつきます」
夫人の名前を出すと、旦那様はすぐに飛びついてきた。
後は狂った家から、エシル様を連れ出すだけだ。
エシル様は賢く素直な子で、緩やかに迫る死から俺に助け出されたのだとすぐに理解した。あんな環境にいたのに、すぐに「ありがとうございます」と、使用人にすぎない俺に頭を下げた。そして……。
「わたしはこの通り陰気で、何の役にも立ちません。親切なあなたの足をこれ以上引っ張りたくありません。近くの修道院に連れて行って下さい」
心の底から申し訳なさそうに、エシル様はそう言った。
六歳の子供の頼み事か?
俺も、俺の子供も、俺の孫も、六歳の頃は無敵だった。怪獣にだってヒーローにだってアイドルにだってなれると信じていた。目の前には、無限の可能性が広がっていた。
子供が自分の可能性に気づけるように、色々な経験をさせてやるのが親だろう?
あのクソ親はエシル様の可能性を奪うだけでなく、根深い劣等感まで植え付けた。どうしてこんな酷いことができる?
何もできない自分が、悔しい。悔しくて仕方がない。だから俺が、エシル様の笑顔を取り戻すんだと決めた。
もちろん修道院なんて却下だ。テンセイシャ村の近くで、俺たちは一緒に暮らし始めた。
俺たちの生活は順調であって、全く順調ではなかった。
エシル様はわがままを言わず、穏やかだ。俺がこれをしてみようと言えば、すぐにやるし覚えも早い。でも、俺が何も言わなければ、ずっと静かに座っている。
笑顔と言えば、俺の顔色を窺って否定も肯定もせずに曖昧に微笑むだけ。あの家で生きていくための処世術だとすぐに分かった。
何度も言うけど六歳だ。六歳児が人の顔色を窺う時は、何か買って欲しいものがある時か、しでかした時限定だ。少なくとも俺や、俺の子供や、俺の孫はそうだった。
でも、エシル様は違う。エシル様に欲しいものなんてないんだ……。
エシル様は穏やかで、空気を読んで、賢くて、働き者で、手がかからない。
たまに遊びに来るテンセイシャ村の奴は「うちの癇癪持ちとは大違い。羨ましいわ」と言うけど、違うんだ。
本当のエシル様は優しいだけでなく、すこぶる強いはずだ。
じゃなきゃコクタール家の過酷の状況で、心を壊すことなく生き抜くなんてできない。
今のエシル様は、諦めているだけなんだ。
家族に愛してもらうこと、家族に笑いかけてもらうこと、家族に話しかけてもらうこと、家族に触れてもらうこと、家族に目を向けてもらうこと、家族を不快にさせないこと、家族の足を引っ張らないこと――
全部、諦めたんだ。
希望は消え去ったのに、植え込まれた劣等感は残り続ける。
家族に迷惑をかける自分は、生まれてくるべきではなかったと自分を否定する。
自分は何もできないから、せめて俺の迷惑にならないようにと必死になっている。
その必死さが俺に好かれようと一生懸命役に立つことをアピールするとかだったら救いがある。だが、エシル様は自分が好かれるなんて微塵も思っていない。
炎天下の下で、俺はエシル様に帽子をかぶせた。
「紫外線は大敵です。今はよくても、大人になるとシミになる」
「……しみ?」
エシル様は分かっていないけど、別にいい。シミにならないよう、俺がしっかりとケアする。
「どの夏野菜も美味そうだ。エシル様が作った畑ですから、エシル様が収穫して好きなだけ食べてください」
「好きなだけ?」
「そうです。エシル様が耕して、種をまいて、水をやって育てた野菜です。エシル様の物に決まっています」
エシル様は真っ赤に熟れたトマトを取ると、骨ばった小さな両掌に大切そうに乗せた。
「トマトが食べたい。ダンスールが作ってくれた、トマトリゾット……」
エシル様からの初めてのお願いだった。俺は喜びを隠しきれず、「一緒に作りましょう!」と飛び上がった。
「エシル様、お汁粉です。熱いですから、気を付けて! この白いのは餅です。喉に詰まらせると大変だから、よく噛んで」
「……おしる、こ? 泥水じゃなくて……?」
青ざめたエシル様が、俺の顔色を窺った。
一緒に暮らして十か月。エシル様から緊張は抜けていないけど、最近は椅子に座っていることより畑の手入れや家事をやるようになっていた。もちろん、俺の顔色を窺ってじゃなく自主的にだ。
それが一瞬で崩れ去りそうな顔をエシル様がするから、俺は焦った。だが、勝手に自己完結したエシル様は一人で暴走する。
「……大丈夫。泥水飲むの、慣れてるから」
ギュッと目を閉じてお汁粉をすすったエシル様は、案の定熱さでむせた。
「熱いって言っただろう! ほら、水飲んで!」
エシル様は熱くて涙目なのに、「甘い! 美味しい!」と俺を見上げた。
「泥水なんか食わせるわけないだろう?」
俺が頭をポンポンと撫でると、エシル様は驚いた顔をして自分の頭を指さす。
「これ、叩いてるの? ちょっと力が足りないみたいだけど?」
俺は「何で叩くんだよ?」と出かかった言葉を呑み込んだ。エシル様が暴力を振るわれるのに、理由なんかない。あの家ではそれが当たり前で、エシル様にとっては全部が自分のせいなんだ。
いい年して泣きそうになった俺は、潤んだ目を隠すためにエシル様を抱きしめた。
「エシル様、俺はエシル様が大好きですよ」
「……好き? どうしよう……。私とダンスールでは年が離れすぎていると思うの」
「……」
一瞬何の話をしているのか分からなかったけど、テンセイシャ村の奴からもらったシンデレラとか白雪姫とかの本をエシル様が読んでいたのを思い出す。
現在エシル様の知る「好き」は一つだけで、結婚と直結している。
「好きは一つじゃないんですよ。エシル様が読んだ本のように恋の好きもあれば、仲良くなった友達に感じる好きもある。一緒仕事をする仲間も感じることもある。仲良くなりたいとか、助けたいとか、見ていたいとか、一緒にいたいとか、もっと欲しいとか、好きにも色々あるんですよ」
「……お汁粉、好き。それも?」
「それも好きです。エシル様の場合は周りに興味がなさすぎるので、食べ物からというのもありだな」
「人間なら、きっとダンスールが好きだよ。仲良くなりたいし、私でできるなら助けたいし、料理をしているところを見ていたいし、一緒にいたいし、お汁粉はもっと欲しい。全部当てはまるから、好きだよね?」
俺はもっと力をこめてエシル様を抱きしめた。
「エシル様が大好きです。エシル様の幸せを、誰よりも楽しみにしています!」
涙が止まらなくなった俺を頭を、エシル様の小さな手が撫でてくれる。
「なるほど! こういうこと?」
そう言って子供らしい笑顔を見せてくれたエシル様に、俺は号泣した。
「……大人としては不本意ですが、こういうことです……」
素直なエシル様は、その日からたくさんの好きを見つけ、笑うようになった。
テンセイシャ村の人間とも話ができるようになり、新しいことに興味を持った。
この世界の勉強だけでなく、前世の知識も教えた。エシル様が時に興味を持ったのが料理と日本語だ。
テンセイシャ村との連絡は、秘密もあるので日本語で書かれた手紙でやり取りする。それを見たエシル様が、自ら「覚えたい」と言った。
生まれてからずっと、あれだけ酷い目にあわされてきたんだ。エシル様がそう簡単に変われるはずがない。
それでもガリガリだった心も身体も、順調に成長していた。
俺以外の人間に対して興味が薄いのは気になるが、それもこの国から抜け出してコクタールの名を捨てれば変わると思っていた。
だが、それは叶わなかった……。
あれだけ不幸な生い立ちを背負わさせておいて、今度は闇の精霊の愛し子だと? 挙句の果てに、国王が自分の罪をなすりつけるだと? はぁっ? 俺を人質にして脅迫? こんなひどい状況で、どうして俺にチート能力がない。この国ごとぶっ壊してやりたいのに!
エシル様を連れて逃げることも考えたけど、俺のことを心配するエシル様は決して首を縦に振らない。
タイムリミットが迫る中、光を得たエシル様の目が、あの全てを諦めた目に戻った。
エシル様に笑ってほしい。幸せになってほしい。なのに、うまくいかない。
俺なんかより自分を大切にして欲しいと言えば、同じ言葉が返ってくる。
俺たちはお互いを大切にするあまり、身動きが取れなくなっていたんだ。
コクタール家で絶望していた俺が、今はブールート家の応接室で当主であるネイビルと対面している。
今まで出会った人間の中で一番大きく、一番怖い顔をした男がエシル様からだという手紙をくれた。
手紙の内容は、なかなかだった……。
死に戻った?
異世界転生者の俺だってビックリだ。
エシル様は一度目の一年間で大分メンタルをやられたらしい。だが、二回目は戦うつもりだ。戦って必ず俺を助けると書いてある。
そうだ! エシル様は、本来そういう人だ。芯が強く我慢強いが、内に激しいものを秘めている。
エシル様に火をつけたのが、この目の前の男かと思うと、娘を嫁にやる時と同じ気分になった。
「エシルは貴方に国外に出て欲しいそうだ。それが一番安全――」
「絶対に嫌です!」
「コクタール家のゆるゆる警備なんて、貴方ならわけもなかったはずだ。それなのに残っていた理由は、エシルの安全のため」
「エシル様が戦うと決めたなら、微力ながら俺だって協力します。これでも顔は広い」
俺がこう言うことを、ネイビルは分かっていたのだと思う。全く顔色を変えることなくうなずいた。
「ここは俺の屋敷だ。王家も教会も絶対に手を出させないから安心してくれ。何か希望はあるか?」
「エシル様は料理が好きなんです! 城でエシル様が料理をできる環境を作ってください。材料や道具は俺が準備します!」
これは予想外だったらしく、ネイビルは驚いたと思う。顔は変わらないけど、「……分かった」と言うまでにはちょっと間があった。
そうと決まれば、テンセイシャ村に手紙を出して諸々色々準備を始めないといけない。
読んでいただき、ありがとうございました。