10.仲間
本日二話目の投稿です。
「呪った振りだけで、呪っていません!」
「知っている。愛し子に特別な力はない」
「だったら――」
と言いかけたエシルの前で、ネイビルが「あの芝居は見事だった」とこらえ切れず吹き出した。
冷酷な強面が笑い出すなんて、レア中のレアだ。だが、今のエシルにそんなことを考えている余裕はない。
「あの時はあいつに分からせてやろうと必死だったんです!」
全身真っ赤で涙目のエシルは、無表情を崩したネイビルに掴みかかる勢いだ。
「エシルの捨て身の攻撃のおかげで、あいつは自分が盲目的に信じていたものが偽りだと分からされた」
「それが何だって言うのですか……」
あの必死な時でさえ、エシルの中に羞恥はあった。今それを持ち出されれば、恥ずかしすぎて泣きたくもなる。
「エシルは自分が何もできないと思っているが、そんなことはない。実際に、自分を殺そうとした聖騎士崩れを一人撃退している」
「…………」
呆れてものも言えないというのは、こういうことだ。そんな視線を感じたのだろう。ネイビルは先手を打ってくる。
「俺が肩を外しても、あいつは自分が信じるものを疑わなかった。あいつの目を覚まさせたのは、間違いなくエシルなんだ。そんなエシルだからこそ、俺は一緒に協力していきたい」
「どうにも褒められている気がしません……」
「どうしてだ? あれだけの武勇伝は、聖騎士だってそうそう持てないぞ」
「……私に武勇伝は不要です。ネイビル様だって、馬鹿な三文芝居だと思っているじゃないですか!」
半泣きというか真っ赤な顔でほぼ泣いているエシルは、ネイビルの言葉が信じられない。いつも無表情ないビルが笑っているのも、少なからず影響している。
「どんな力を持てば、エシルは自分に自信が持てるんだ?」
「自信、ですか? 急すぎて答えに困りますが、ネイビル様みたいに一人で何でも解決できれば……ですかね?」
両腕を組んでうなずくエシルに、ネイビルは「俺は一人で解決なんてしていない」と言う。
「俺は生まれながらにして、ブールート家という大きな力を持っている。そういうものに頼っているのは、一人でなんて言えないだろう?」
そうなのだろうか?
エシルが判断に困っていると、ネイビルは「権力に頼っている点では王太子と変わらない」と言いたくなさそうに教えてくれた。
「確かに王太子は、周りに丸投げで自分では何一つやっていないです。ですが、ネイビル様と比べるのはいかがなものかと……?」
「そうだな。あれと比べられるのは俺も嫌だ。言いたいのはエシルは自己評価が低すぎて、俺を含めた周りの人間を過大評価しすぎているということだ」
そんな話は初耳で、驚きだ。エシルはそんな風に考えたことはなかった。
「さっきも言ったが、一人でできることは限られる。何かを成し遂げる時は、仲間との協力が必要だ」
「さっきより理解できた気がしますが、やっぱり私は力不足かと……」
「俺が仲間に求めることは、信頼だ」
「信頼、ですか? この国を滅ぼすと言われている私には遠い言葉ですね」
「自分を過小評価しすぎるのは気になるが、エシルは誠実だ。誠実さは聖騎士にとって、最も大切なことだ」
「……聖騎士じゃ、ないです……」
自分の言葉に満足してうなずくネイビルに、エシルの声は小さすぎて届かない……。
「それにエシルがこの国を滅ぼす存在だというのなら、俺は魔獣討伐から逃げ出した腰抜けだ」
噂は信じても意味がないということだが、ネイビルを引き合いに出してさらっと言われてしまうのは反応に困る。
「……ネイビル様が聖騎士を辞めて王太子の側近になったのは、一年前ですよね?」
「そうだ。二大公爵家の責務を捨てて、王命なんかに従った。俺は王家の犬になったわけだ」
事実と言うか世間の噂を述べているだけなのか、ネイビル流の冗談なのか……。相変わらず反応に困るけど、エシルが確信できることもある。
「ネイビル様は腰抜けではないし、ブールート家の責務も捨てていない。きっと精霊樹のために、そう見せておく必要があるのですよね?」
ネイビルは何も言わないが、左頬の傷がピクリと上がった。
「今はまだ言えないが、俺にはなすべきことがある。それにはエシルの協力が必要だ。協力してくれるか?」
正直、エシルの身体は縮こまった。本当に自分にできることがあるのか、足を引っ張るだけではないかと怖い。それでもこの状況で協力を拒むことなど、エシルにはできない。聖騎士にはなれないけれど、ネイビルの言葉を信じてエシルはうなずいた。
「これで俺とエシルは仲間だ。『選定の儀』が終わった後、エシルが自由でいられるよう俺も協力する」
「ダンスールを助けていただけるだけで、十分です! お気持ちだけ頂戴します!」
エシルが丁重にお断りすると、ネイビルの唇が子供のようにすぼめられた。のは、見間違いかもしれない……。
「真の聖騎士はお互いを裏切らず、正しいことを貫き通す」
「……私は真どころか、聖騎士ではありま――」
「俺たちは仲間だ。仲間のために力を尽くすのは当然だ」
聖騎士の任から離れて一年。よほど聖騎士が恋しいのか、ネイビルはエシルの話を聞く気がない。
「エシルのたった一つの願いも叶えたい。教えてくれ」
熱意のある声のわりにいつもの無表情な顔が近づいてきて、エシルは動揺してよろけた。そのままお尻からドスンと、ソファーに倒れてしまう。話を待っているネイビルを見上げて、エシルからため息とともに笑顔が漏れた。
まさか、あの強面で笑わないネイビルがこんなにも話しやすいとは、意外過ぎた。
いつになくエシルの心は軽いし、ネイビルに仲間だと言われるのは純粋に嬉しい。これがダンスールの言う「ちょろい」ってことなのだとしても、エシルは自分を許すことにした。
エシルが「大した願いじゃないですよ?」と言うと、ネイビルはうなずいて向かいのソファーに座った。
「十八歳になって成人したら、ダンスールと共に国を出る予定でした。新しい場所でコクタール家に縛られることなく、新しい人生を始める日を指折り数えて待っていたんです」
だが、その希望はあっけなく砕け散った。
あと一月で十八歳の誕生日を迎えるという時に、エシルは精霊の愛し子に選ばれてしまったのだ……。
ノーラフィットヤ―国にとって従者が最重要人物なように、精霊の愛し子だって貴重な存在だ。
国に精霊がいることの証となる愛し子は、「精霊に護られし国」と他国へアピールすることに欠かせない。そんな愛し子を、国が手放すはずがない。
例え従者に選ばれなくても、精霊の愛し子が国外に出ることは許されない。
従者に選ばれなかった愛し子は、普通は国内の有力な貴族と結婚させられる。とはいっても『邪悪な闇の精霊の愛し子』であるエシルは、嫁の貰い手なんてない。国を滅ぼさないよう、辺境の地に閉じ込められる未来が待っているだけだ。
「成人まで待ったのは、法律のせいか?」というネイビルの問いかけに、エシルはうなずいた。
ノーラフィットヤー国では、成人するまで子供に対する権利は全て親にある。成人前に家出をしたとなれば、ダンスールは誘拐犯として告発されてしまう。
成人まで待ったのは、ダンスールに迷惑をかけたくなかったからだ。
「美しさが全てのコクタール家は、自分たちへの醜聞を最も恐れ嫌っています。『出がらし令嬢に逃げられた』なんて笑い者にされることは、外聞を気にするコクタール家には絶対に許せないことです」
不要なエシルを殺さずに生かしてきたのは、自分たちの美しい経歴にこれ以上汚い染みを作りたくなかったからだ。
「結局はそれ以上の醜聞を、コクタール家に負わせることになりましたけどね」
エシル目を伏せると、ネイビルはフンっと鼻息で一蹴した。
「無知だから醜聞だと思うのだ。そんな愚かな輩は、捨て置けばいい」
あまりにも激しく真っ直ぐな態度に、エシルはもう笑うしかない。
「そうですね、本当にもう捨てます」と微笑むエシルの頭を、ネイビルはまたポンポンと撫でた。
頭を撫でるのは、聖騎士同士では当たり前の行為なんだろうな。エシルがそう勘違いしていることは、今のところ誰も知らない。
「精霊樹も本当に罪なことをする……」
精霊樹馬鹿のネイビルから批判的な言葉が出るとは驚いた。が、エシルも同じ気持ちだ。
三年前に精霊樹より愛し子の名が告げられたことは、良くも悪くも国内外において多大な影響をもたらした。
この五百年の間に一度も現れなかった闇の精霊の愛し子となったエシルを筆頭に、この騒動に巻き込まれ運命を変えられてしまった者は少なくない。
何が酷いって、従者候補が告げられた時期がありえなかった……。
普通は王太子が十歳になるまでに、精霊樹より次代の従者候補である愛し子の名が告げられる。過去五百年の中で、既に婚約者がいる王太子に対して従者候補が告げられたことは一度だってなかった。
それだけでも国は大騒動なのに、王太子の他に未婚の王弟がいることが国民の期待を刺激した。おかげで要らぬ陰謀が渦巻き、王家はますます追い込まれた。
「王妃は精神的に参っていたと聞いていたが、まさか突然死ぬとは思わなかった……」
予想外だった王妃の死に国民は歓喜したが、自分たちを苦しめ続けた諸悪の根源がいなくなった喜びは長くは続かなかった。
理由は簡単だ。自分たちの不満や怒りや不安をぶつける相手がいなくなったことに、国民は気づいたのだ。
日々魔獣に怯え、明日の食べ物がないことに絶望し、毎日身近な人が死んでいく。そんな悲惨な日常を作り出したのが、役立たずの従者である王妃だった。
憎悪の対象を失った国民は、すぐに新たな標的を見つけた。憎き王妃の家族である国王と王太子だ。すると、この機会に王家ごと排除するべきだと、反国王派の貴族も立ち上がった。まるで誰かに操られるように、押さえつけられてきた怒りが城に向かって動き出した。
大きな渦となった怒りや絶望を押さえつける力は王家にはない。だからといって逃げ出して権力の座を手放したくもない。
なら、どうすればいい?
国王と王太子が行きついたのは、身代わりを立てることだった。自分たちと王妃が被害者となり、王家への怒りを別の人間に向けさせたのだ。
まるで神の啓示のように、選ばれた従者候補の中には、既に教会によって評判を貶められた闇の精霊の愛し子がいた。
国中に渦巻く不穏な空気。その真っ黒で得体のしれない恐怖を体現した存在が、闇の精霊の愛し子だ。見た目も陰気なエシルほどおあつらえ向きの人物はいない。
王家はこう囁くだけでいい。
従者が精霊樹に言葉を伝えてもらえず、花も咲かせてもらえなかったのは、『邪悪な闇の精霊の愛し子』の呪いのせいだ。
『邪悪な闇の精霊の愛し子』は王妃を散々苦しめた挙句、己が従者となるために殺したのだ。
魔獣の発生がここまで増えたのは、『邪悪な闇の精霊の愛し子』が呼び寄せたからだ。
これで分かっただろう? 国を乱し、国民を恐怖に陥れたのは、『邪悪な闇の精霊の愛し子』だ。恨むべきは、『邪悪な闇の精霊の愛し子』なんだ!
王家の作りだした『邪悪な闇の精霊の愛し子』にルーメ教が便乗したことも、国民の怒りがエシルに向けられることにつながった。
そうやって王家からも、教会からも、国民からも、エシルは悪人に仕立て上げられた。
「三年前のことは、王家のやりたいようにさせた二大公爵家の罪は大きい。王家と同罪だ。国民の暴動を防ぐために、自分達への批判を回避するために、二大公爵家だって王家に便乗してエシルを利用した」
「まぁそうですね。知っています」
ここで「二大公爵家は直接な関与はしていません」なんて言えるほど、エシルの心は広くない。ネイビルの言う通り、王家の暴走を知っていながら黙ってエシルを利用したのだから同罪だ。
だからといって、今更怒るほどのことでもない。未来を諦めたエシルには、もうどうでもいいことなのだ。
読んでいただき、ありがとうございました。