宝島
幼い少年は眠っている。
いや、正しくは横になっている。
眼を閉じてはいるが、意識は覚醒している。
暗い瞼の裏に、暖かい春のような夢を描く。
其処は噂に聞く宝島だ。
深い緑と鮮やかな緑の植物が生い茂り、青い海原が遥か水平線で融ける。
目映い光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、全身が火照るように熱い。
鳥が歌ってくれている。
木々が踊ってくれている。
ああ、なんて宝島。
明るいね。暖かいね。
笑顔が溢れる。
後ろで見守ってくれている父を振り返って――
■□■
そこで眼を開けた。
少年は布団から体を起こす。隙間からすうっと抜け目なく冷気が滑り込んで、小さく震えた。
眼を開けたけれど、視界は閉ざしていた時と変わらず暗いままだ。すっかり日が暮れたようだ。
外から、聞き慣れた足音とリズムが近付いて来る。
とんとんとん。とんとんとん。
少年はこの音が聞こえたから、眼を開けたのだ。
暗闇の一か所が光で四角く切り取られて、父親の顔が覗いた。
「起きてたのか」
「お父さんが帰ってきたから起きたんだ」
父は四角形を再び閉ざして、ライターの火を点けた。ジュースの缶で作ったアルコールランプに火を移す。微々たるものだがほんのりと暖かくなって、部屋も照らされた。
三畳半ほどの薄い板張りの部屋だ。少年だけが立ち上がれるほどの高さしかない。隙間も多く、寒風がぴゅうぴゅうと吹き込んでくる。少年の横に、父は胡坐をかいて座った。
少年は大きく身を乗り出す。
「宝島は見つかった?」
「ごめんな、今日も見つからなかったんだ」
父が首を横に振って、少年はがっくりと肩を落とす。
「そっかあ。ざんねん」
「でも、収穫はあったぞ」
「ホント!?」
父はポケットを探って、取り出した物を掌にのせて少年に見せた。
「ほら、メダルだ。たくさんあるだろ?」
「わあ、すごい! いちにぃさんしぃ……、十枚もある!」
それはキラキラと輝いたり輝かなかったり、色んな種類のあるメダルだった。少年は部屋の端っこに置いてあった透明な瓶に手を伸ばす。中にはメダルが五十枚ほど詰まっていた。
瓶の口を父に向ける。
「はい!」
「お前が入れていいぞ」
「やったあ!」
メダルを受け取って、一枚一枚、少年は楽しそうにメダルを瓶に落としていく。
ちゃん。ちゃん。ちゃん。甲高い音が鳴る。
全て入れ終えてから、ランプの火に瓶をかざした。
「ねえ、もうこれだけあれば宝島に渡れるかな?」
「いいやいいや、まだまだ足りないぞ。宝島への渡し船をやってる海賊たちはすっごく欲張りなんだ。そうだなあ、お前一人だったら渡れるかもな」
「ええー、そんなあ」
「どうする? お前だけでも先に行くか?」
少年は強く首を横に振った。
「いい。お父さんと一緒に行く」
父は微笑んで、少年の頭をぐしぐしと撫でた。
少年は心地良さげに眼を細めた。
「ねえ、もっとお話聞かせて!」
「良いけど、横になりながらな」
「僕だいじょうぶだよお……う、ゴホッゴホッ!」
「ほら、言わんこっちゃない」
父は少年の背を何度も何度もさする。
激しい咳が収まって、少年は促されるまま布団に入った。
肩までしっかりと布団を羽織って、少年は傍らに座る父を見上げる。
「お父さん」
「なんだ?」
ランプで炎がちらちらと燃えている。
「宝島なら、僕もお外でいっっっっっぱい、遊べるんだよね?」
「……ああ」
吹き込んだ風がか細い火を揺らした。
「宝島には、海があるんだよね? 海ってとっても大きいんでしょ?」
「ああ。すっごいぞ」
父親の大きな影がグルグルと蠢いた。
「宝島には、暗いことも寒いこともないんだよね?」
「ああ。とっても明るくて暖かいんだ」
ああ、なんて宝島。
太陽や、大海原が見てみたい。
お花や、小鳥とお話がしたい。
はやく、はやく行ってみたい。
「ぜったいに行こうね」
「……ああ。絶対に行けるさ」
父がアルコールランプに蓋を被せて、明かりがふっと消える。
少年の意識も、同時に途切れた。
■□■
深海をたゆたうような意識。
水面へと浮上していく覚醒。
なにか、声が聞こえた。
「……お父さん?」
父がこちらを振り返る気配がする。暗闇で何も見えないけれど、父の手に頭を撫でられて、寝起きの気だるさが心地良さに変わった。温かい布団に鼻先を擦りつける。
ふと、鼓膜が揺れる。
「お父さん。外から音が聞こえない?」
手の動きが、一瞬止まった。
どうしたんだろう、と思っていると、ぐっと強い力で両肩が掴まれた。とても強い力だ。父の顔がとても近くにあるように感じる。
父の声は、囁くように小さな声だった。
「いいか。聞いて驚け。今、宝島が見つかったんだ」
「ホント!?」
「しーっ! 静かに。外に海賊がいるんだ。これからお父さんが宝島へ渡してくれるようにお願いをしてくるから。お前は静かに、このまま待っているんだぞ」
ぶんぶんと何度も頷く。見えなくても父は解かったようで、頭を一撫でして、父は扉を開けて外へ出て行った。
ああ、宝島! 心臓の鼓動がうるさい。どっくんどっくん。すごい強さで鳴っている。
まさかこんなに急に見つかるなんて!
『……だ。……の用……』
外の音に耳を澄ませようにも、耳の裏でもどっくんどっくんうるさくて、聞こえやしない。
ああ、海ってどんなものだろう!
太陽ってどれだけ眩しいのだろう!
もうすぐ外をいっぱいに走れるんだ!
『……止め……! 頼む…………めてくれ!』
だんだんと、部屋が鳴った。
いや、僕が鳴っているのかもしれない。
ぐらぐらと、部屋が揺れた。
いや、僕が揺れているのかもしれない。
興奮しすぎて解からないや。
布団をつかむ手に力が入る。
思わず口元が弛んでしまう。
だって、もう眼を閉じなくても!
だって、横になっていなくても!
宝島に行けるんだ!
『――やめろおおおッ!』
ぱっと、視界がオレンジ色に染まった。
いつものアルコールランプの火の、何倍も何倍も明るくて暖かい炎だ。それが辺りを包み始める。
憧れの瞳で、周囲を見回す。
あんなに暗かったのに。
もう暗くない。
あんなに寒かったのに。
もう寒くない。
オレンジの炎の中に、緑色や青色が浮かび上がる。
夢のよう。
夢のよう。
ああ、ついに――僕は、宝島に着いたんだね。
オレンジが膨らんで、僕の体を温かく包みこんだ。
もう、寂しくないよ。
end