祟りの形
「それにしても、祟りはどこにあるんだ」
太郎は俺にそう尋ねた。
「よく考えたら、祟りを恐れるなら、それ相応の被害がなきゃおかしいだろう。菅原道真の落雷火災みたいに」
「もちろんある、主犯は、もちろんその子々孫々まで祟られたという実績があるから恐れられているんだ」
俺はまず最初に即位した孝徳天皇を示した。
「この人が非業の最期を遂げたことは徳の字天皇な時点で明らかだ。そして、その息子有間皇子も適当な冤罪で首をくくらされた。政治的には中大兄皇子にいびり倒された結果の憤死なんだよな」
「でも、それって祟りなのか? 単に中大兄皇子がひどいだけじゃねえの」
「次に即位した斉明天皇。践祚の最初の例と言われている。まあ、この人の前には天皇は死亡退位が普通で生前退位した最初の天皇でもあるわけだ」
「結構最初が多いな」
「そうだな。この女性は卑弥呼のような巫女的女王だったという説がある。いわゆる神憑りみたいな。雨ごいをしたってエピソードがあったな、生前はともかく死後鬼が出たという、後蓑を被った男というエピソードがある。蓑を被った男というのは当時の幽霊の典型な姿な、俺たちが白い着物に三角頭巾みたいなイメージに近いんだ」
「それはちょっと祟りっぽいな」
「それで、天智天皇、白村江の戦いでぼろ負けしてます。危うく日本滅ぼしかけました」
「シャレにならんな」
「まあ、その後、史実では病死ということになっていたが。陰では暗殺されたという説もある。犯人は大海人皇子こと天武天皇」
「そんな話あるのか?」
「ある、ある日山に入った天智天皇はそれきり姿を見せず、靴だけが発見されたという伝説がな」
「犯人は?」
ここで俺は豆知識を披露する。
「天智天皇だが、この天智という言葉にはある意味がある。殷の紂王の宝玉という意味さ、そして天武天皇は、周の武王からとったとされている。殷の紂王を殺したのは誰だ?」
「そりゃ、武王……」
日本書紀は天武天皇の命で編纂されたという。王様の耳はロバの耳、こんなところで罪を自白しているというわけか。
「そして次に起こったのが壬申の乱。大海人皇子は天智天皇の息子大友の皇子と戦いそれを討ち果たした。大友の皇子は有馬の皇子のように首をくくられた。自殺という形だが実際は絞首刑だったはずだ」
「これって」
「そう、共犯者同士で殺し合いが始まった。武力で権力を得た連中は共食いをする。テロリズムの語源はフランス革命のテリーラだそうだが、最終的に革命家も結構ギロチンの餌食になってるな」
「でも、これって祟りか?」
「少なくとも、当時の人間からすればこれは完全に祟りだと思ったんだ、そういう歴史史観を持った俺達にはそう見えなくてもリアルタイムで見ていた当時の人間にはな」
そんなもんかなあ、太郎は眉根を寄せている。
「天武天皇の死後、天智天皇の娘、のちの持統天皇は自分の息子を帝位に着けるためほかの女の息子を殺しまくった、しかし自分の息子が若くして病死した結果、天武天皇の血族はほぼ滅んだ、天武天皇の血族は祟りに負けた穢れた血族とみなされた」




