フラミンゴレディーとカルーアミルク
今夜もバーは盛況。ただし私の前のカウンター席にはいつものように、どなたもお座りになられません。
皆さんご存知なのです。ここが特別な席だということを。
そこへいつの間にか女性のお客様が着いておられました。ブロンドヘアの、憂鬱な表情をされた、しかし大変に美しいお客様です。
「バーテンダーさん、私を騙した男が憎いの」
私のほうは見ずに、ひとりごとのようにそう仰って、カウンターの上のメニューをご覧になってらっしゃいます。
「そうですか。では、フローズンマルガリータでもシェイクいたしましょうか?」
私の言葉に、ようやくお客様がお顔を上げられました。私を見つめる瞳はターコイズのようなブルーでした。その瞳で『それ、どんなお酒?』と訊かれます。
「フローズンマルガリータのカクテル言葉は『元気を出してください』です。お節介でしょうか?」
そこへ唐突に──
「それより彼女にはフラミンゴレディーを、僕の奢りで」
女性のお客様の横から、男性の声がしました。
「カクテル言葉は『魅惑』だ。彼女にぴったりだろう?」
それはとても女性におモテになりそうな紳士がそこにいらっしゃいました。その男性のお客様は人懐っこいスマイルでやって来られると、礼儀正しく、それでいて適度な馴れ馴れしさも混じえて女性のお客様に話しかけられます。
「失礼。隣の席、待ち人の先約がありますか?」
女性は少し臆病な表情を一瞬、見せられましたが、すぐに微笑まれ、無言で『どうぞ』というジェスチャーをなさいました。
「ここへはお一人でよく来られるんですか?」
男性のお客様の言葉に、私は思わず吹き出しかけます。なんとか堪え、ご注文のフラミンゴレディーをシェイクしはじめました。
女性のお客様は笑う気もなさそうに、彼の質問に答えられました。
「あなた、このお店のこの席のことを何も知らないのね?」
「うーん?」
男性のお客様はほんとうにご存知ないようでした。
「どういう席なのかな?」
「死者の専用席なの」
女性のお客様が口憚ることなく、答えられます。
「悲しい死に方をした人が、あの世に行く前に慰めを拾って行く場所なのよ」
「すると君は幽霊ということになるな?」
「そうよ」
「フラミンゴレディーでございます」
私がカウンターの上に差し出した泡立つフラミンゴ色のカクテルを、女性のお客様は手に取られると、それを口の前で止められて、仰いました。
「私、男に騙されて、殺されたの」
「そうか……」
男性のお客様のお顔に、後悔のような色が浮かぶのを、私は認めました。
「それは……すまなかったね。男ってのは悪い生き物だ」
「そちらのお客様はご注文は?」
気まずそうになりそうだったお二人の間に割って入るように、私は男性のお客様に訊ねます。
「僕は……」
男性のお客様は目を泳がせました。
「カクテル言葉が『馬鹿野郎』みたいなの、何かあるかな」
「ございません」
ジョークにあかるく笑ってお答えしました。
「私、奢らせてもらってもいい?」
女性のお客様が言い出されます。
「カルーアミルクはお嫌い?」
「たまには甘いお酒もいいかな。いただくよ」
私がカルーアミルクを作ってお出しすると、お二人はグラスを重ね合われます。
「これから天国に行く君に、乾杯」
「私を癒やしてくれる優しい紳士に最後にお会いできた幸せに、乾杯」
「ところでカルーアミルクのカクテル言葉は何?」
男性のお客様が私に訊ねられましたので、お答えしました。
「『いたずら好き』とか『臆病』となっております」
「僕にぴったりだな」
自嘲されるように、紳士はお笑いになります。
「僕はね、結婚詐欺師だった。それで女性の恨みを買い、ナイフでめった突きにされて殺された」
彼が上着のスーツをめくると、白いワイシャツの腹部には、赤黒い血の痕が無数についていました。
「怖かったよ。僕はほんとうは、女性のことがとても怖かった。だからけっして本気になんかならず、嘘で固めてた」
「信じてくれてよかったのに」
女性のお客様が、彼を優しく撫でる声で、仰います。
「女は男を癒やすものなのよ」
「君は僕を許してくれるかい?」
「貴方は私にもう一度、信じさせてくれる?」
「もっと早く君と出会えればよかった」
「遅くはないわ。私たち、やり直しましょう」
「僕はジョン。君は?」
「メアリーよ」
「なんて平凡で素敵な名前だ」
「あなたもね。とても安心しちゃう」
白い煙となり、天へ昇っていくお二人を、お辞儀をしながら私は見送りました。
ジョンが天国に行けることを私は確信しておりました。
甘いカクテルの好きなお客様に、悪い人はいませんからね。