第6話 剣術勝負の公示
ゼファーの執事室で、息子のジースが怒りに満ちた声で言った。「お父様、どういうことなんですか?剣術勝負で私と団長が決闘するなんて!」彼の怒りの声が部屋中に響きわたった。
ゼファーは、手元にある羽ペンを操りながら、落ち着いた眼差しでジースを見つめて言った。「ジース、お前はジェノイド家の後継ぎだ。そして、将来はアルテミス様と結婚し、王族になる男だ。この決闘で、お前がクレアに勝てば、団長の地位とアルテミス様との結婚が約束されている。それにはアルテミス様の承認も得ている。」ジースは驚いた表情で「アルテミス様が公認の決闘なんですか?」と再度確認した。
「当然だ。こんな大きな事、一人で決められるわけないだろ。」とゼファーは少し怒り気味に言った。「しかし...」ジースの声は震えていた。「団長の剣技に私が敵う訳がありません。」彼のその言葉には、明らかな恐怖と不安が込められていた。まるでクレアの剣が目の前に迫っているかのように、彼の手はわずかに震えていた。
ゼファーはジースを見つめ、苦笑いを浮かべた。「心配するな。剣術ではお前が負けても、知力ではジェノイド家が勝っている。とにかく、お前は早く任務に戻れ」と、ゼファーはジースに厳しく言った。
ジースは父の言葉に対して、不安と困惑で眼差しが揺れた。自分が何としてでも勝たなければならないという決意はあったが、自分とクレアの間にある明らかな実力差と、ゼファーの言葉の真意を理解する程いまは気力が足りなかった。「は、はい、お父様。失礼します。」と、ジースは自信のない声で部屋を出た。
その後、ゼファーは掲示板用の紙にペンを走らせ始めた。彼が書き上げた告知は、「団長の座を賭けて、1番隊隊長とクレアが剣術勝負。ジースは団長の座を手に入れられるか?」と書かれていた。そしてゼファーは「よし、これで決まりだな。あ?クレアに連絡するのを忘れていた。でも、街中の掲示板に書かれたら気づくだろう。」と、何か企んでいるかのような顔で呟いた。そして、その告知はクレアに連絡する前に、エステリアの街中にある掲示板に貼られた。
国民たちは掲示板の告知を見て息を呑んだ。「団長の座をかけた勝負だって?」「なんてことだ!」「何故、決闘なの?」と驚愕の声があちこちから湧き上がる。市場や商店街は一瞬で静まり返ったが、すぐにざわめきが起き、皆が互いに戸惑いを顔に浮かべた。もちろん、この決闘の背後にゼファーとアルテミスの約束があることは国民には知られていなかった。
一方、アルテミスは城の外に出ようとしていた。彼女はジースとの剣術勝負のことをクレアに伝えるつもりだった。前回見つかって止められたことを思い出し、アルテミスは城壁から外に出ようとしていた。しかし、門番の兵士はアルテミスを見つけ、「アルテミス様、何をなさってるんですか?そこから降りてください、危ないですよ。」と声をかけてきた。「ちょっと、城下町へ」とアルテミスが言うと、「門はこっちですよ。普通に城の門から出てください。」と門番はアルテミスに対して驚くほど冷静に対応した。アルテミスは不思議そうに「え?今日は止めないの?」と尋ねると、「はい、止めません。アルテミス様が城下町へ行くというのなら、それには何か理由があると信じておりますから。」と門番は堂々と言った。
「そうなの?ありがとう」とアルテミスは少し苦笑いを浮かべて頷き、城門をくぐって石畳の街路へと足を踏み出した。彼女の目指す先は、クレアの家でもあるパン工房だった。小さな身体を全力で動かし、街路を駆け抜けるアルテミス。彼女の駆けるたびに周囲の空気が一変し、人々は驚きの声を上げた。「あれ?」「アルテミス様?」という囁きの声が交差する。普段は堅苦しい表情で城内にいるアルテミスが、こうして街路を駆け抜ける姿は、風を切って飛ぶ小鳥のようだった。
彼女の姿を目にした町の人々は、驚きとともに笑顔を見せ、彼女の駆ける姿を見守っていた。それは、まるでエステリア王国の平和を象徴するかのようだった。彼女の姿への注目と驚きは一つの波となって広がり、その波がざわめきとともに街中に広がっていった。
「クレア、いる?」アルテミスがクレアの実家であるパン工房を訪れたものの、クレアの姿は見当たらなかった。代わりにリネルがクロワッサンを食べながらコーヒーを飲んでいた。クロワッサンが喉に詰まるほどリネルは驚いた。「ア、アルテミス様!?」と声を上げ、コーヒーカップを落としそうになる。驚きと尊敬、そしてわずかな困惑で彼の目は大きく広がり、何度もアルテミスを見た。
「団長なら、月に1回の剣の手入れのため、鍛冶屋に行っていますよ」とリネルが答えると、扉が開き、クレアが帰ってきた。アルテミスはクレアを見るなり、「あ、クレア!実は」と剣術勝負のことを伝えようとしたが、クレアはすでに察知していた。「これですか?」と言って掲示板に貼られていた紙を取り出し、アルテミスに見せた。「これは一体何ですか?なぜ、私がジースと決闘しなければならないんですか?」クレアはわずかに怒りをにじませながら言ったが、すぐに深く息を吸って小さなため息をついた。「もしかして、ゼファー様と何か変な約束でもしたんですか?」と彼女は直感的に推測した。
「なんでわかるの?」とアルテミスは不思議そうにクレアを見つめた。「ジースはゼファー様の息子。私は護衛騎士団の団長で、ジースの上司ですから、何か関連性があると感じるのは当然では?」とクレアは苦笑いしながら言った。
その時、パン工房の奥からクレアの父親、ポールが出てきた。「おあ、アルテミス様!こんなところで何を?」彼はアルテミスを見つけると、慌ててエプロンを外し、コーヒーポットとカップを手に取った。「突然のご訪問、失礼します。すぐにコーヒーを淹れますから」とポールはにっこり笑いながらコーヒーを淹れ始めた。
香ばしいコーヒーが運ばれてきて、アルテミスの前に静かに置かれた。「どうぞ、アルテミス様」とポールがにっこりと笑いながら言うと、アルテミスはコーヒーカップを手に取り、「ありがとう、ポールさん」と軽く頷いた。その一連の動きは、王族の威厳を保ちつつも、彼女自身の素直さを感じさせ、場の雰囲気を一層和やかにした。
その間に、リネルはクレアが持ち帰った掲示板の紙を見て、「ジースのやつ、団長志望なんですね?へー」と軽く笑みを浮かべながら言った。するとクレアは「ゼファー様の意向でジースを団長にしたいというのであれば、そうすればいい。騎士団の人事は国が決めるのだから、決闘で決着をつけなくても私は素直に譲りますよ。」とクレアは呆れ口調で言った。すると、リネルは「じゃあ、団長と一番隊の隊長が交替で、自分の上司がジースで、団長が部下に?ハハハ」と少し皮肉っぽく笑った。
「真剣に取り合ってください!」とアルテミスが突然声を上げた。彼女の顔には普段見せない厳しい表情が浮かんでいた。クレアとリネルは驚いて彼女を見つめた。「これはただの地位争いではないのです。この勝負は、護衛騎士団がアスタル公国の軍に編成されるかどうかを決める決着でもあるのです。」と彼女は力強く言葉を強調した。
そんな彼女の言葉にポールは「え、どういうことですか?」と驚きの表情を見せた。そして、クレアは心の中で(あー、また口を滑らせてしまった)とつぶやき、アルテミスの発言に「アルテミス様...」とため息をつきながらつぶやいた。「その話、まだ公にはなっていないですよ。」彼女の声は、普段の落ち着いたものから一転、少し残念そうに響いた。アルテミスは彼女の反応に気づき、顔を赤らめながら「そ、それは...」と言葉を詰まらせた。
ポールは少し困った表情を見せながら、クレアとアルテミスを交互に見つめた。彼は2人の表情や会話から何か大事な事情があることを察した。「まあ、まあ、アルテミス様。」と彼は優しくまとめるように言った。そして、アルテミスは「クレア、とにかく勝って!」と何か必死のように言った。
しかし、クレアは少し残念そうに「ただ、たった今、剣を鍛冶屋に出してしまったばかりで、決闘と言っても」と言うと、アルテミスは「決闘は刃のついてない訓練用の剣で行います。」とすぐに返答した。するとリネルは「なら、全力で挑んでも大丈夫ですね、団長!」と何か安心と喜びを込めた表情でクレアを見つめて言った。
「どういう意味だ!」とクレアが尋ねると、リネルはにっこりと笑いながら、「それは団長が一番よく知ってるはずですよ。私は毎朝の団長の稽古相手ですから!」と笑顔で返答した。それから、少し緊張感を帯びた話が続きつつも、楽しい笑い声で場が包まれていき、雰囲気は少しずつ和やかになっていった。そんな中、クレアは少し呆れながら、「仕方がない」と小さくつぶやき、張り紙に目を向けた。