第二章-12
ユリはそう言うとポケットから小瓶を取り出し、蓋を開けるとその匂いを寝ているチグサに嗅がせた。
「はっ!」
チグサはその匂いによって一瞬にして目覚め、周囲を確認する。
そして、正面にショウがいることに気が付いた。
「……俺を誘拐したのはお前か。どんくさ男。久しぶりじゃねぇか」
ショウは体中に懐かしい記憶が蘇った。
当時、仕事が遅かった自分に、チグサが付けたあだ名がどんくさ男。
どんな時でもこう呼ぶため、いつしか自分はその程度の仕事しかできないと逆に思い込むようになった。
もう百年も経って、そんな古い傷、すでに癒えたと思っていた。
だが、会って、一言話すだけで、当時の記憶がすべて蘇り、以前我慢していた感情が再起する。
「その呼び名、久しぶりだ。チグサ」
「おいおい、ため口で呼び捨てか? こんなところに閉じこもって礼儀も忘れちまったのか?」
「お前に払うべき礼儀などない」
ショウはほほに赤みがさす。
明らかに興奮しはじめている。
「フン。お前は理解力も弱かったものなぁ。おさるさんみたいだった。懐かしいぜ」
立ち上がってぶん殴ろうとしたショウをランが肩に手を置いて抑えた。
「ショウ、落ち着いて。聞きたいことを聞くのよ。それ以外はすべて戯言だからね」
ランがそう言うとチグサの視線はランに移った。
「あ? どんくさ男の連れてる女がどんな奴かと思ったが、ずいぶんと陰気そうな女だな?
こんなやつしか好いてくれないなんて、お前、可哀そうっ……!」
ショウは立ち上がってついにチグサを殴っていた。
「俺を馬鹿にするのは構わない。だが、ランを馬鹿にするのは許さない」
だが、チグサは口に溜まった血を吐きながら言う。
「相手が縛り上げられた状態でしか殴れないんなら、どんくさ男は卑怯だな」
再度殴ろうとしたショウを、今度はランが止める。
「ショウ、怒ってくれてありがとう。でも、別にいいの。それより、聞くべきことを聞いて」
ランの目を覗き込んだショウは、ランが少しだけ怒っている事に、気が付いていた。
だが、そんなランが落ち着けと言っている。
ショウはとにかく聞きたいことだけ聞いて終わらせようと考えた。
「お前に聞きたいことは一つだけだ。
当時、あの職場でチームをまとめる立場にいた時も、今と同じように悪口ばかりだった。
お前のその口調にはどんな狙いがあるんだ?
その口調でチームがまとまると思ってたのか?」
チグサは怪訝そうに眉を顰める。
「悪口? 何を言ってんだ。
こうやって、言いたいことを言うことで、相手も言いたいことを言える関係になるんだろうが。
うわべだけの綺麗な会話をしたところで、コミュニケーションなんて取れるわけないだろうが」
ショウは絶句した。これまでずっとただのストレス発散だと思っていた行為にも、相手の論理の中では善意の行為だったと言うこと。
そして、その善意は一切うれしくない行為であったと言う認識の違いに。
「おどろいてるな? ま、どんくさ男には俺が何を考えているかなんてわかるわけもないだろうが」
チグサが縛られながらも、顔だけでショウを見下す。
「ふふふふ、ははははははははは!」
ショウは笑い出した。ショウはチグサの言葉で気が付いたのだった。
こいつはチームマネジメントを一切分かっていない、単なる馬鹿であることに。
確かに悪口によって垣根がなくなると言う側面はあるかもしれない。
だが、それはチームメンバーをよく観察し使うべき言葉であっただろう。
少なくとも、あの職場は十人以上いたのに誰も口を利かなくなり、シンとした中、チグサの暴言だけが響いていた。
そんな状態になっていることすら気づけないやつが、よくチームマネジメントをする立場にいたものだ。
「そうだな。僕に、お前が何を考えていたかなんて、わかるわけないんだ。
だって、何も考えてないんだから! はははは!」
ショウの笑いはとても乾いていた。
ランが心配になってショウの手を握ると、ショウは大丈夫だからとランに手のひらを見せる。
「ははは、馬鹿みたいだ。僕はずっと考え続けていたのに。
その結果、何も考えていない馬鹿だったなんて」
チグサが眉を顰める。
「は? 馬鹿とはなんだ。あのチームはクソだった。
どれだけ、俺がしりぬぐいしてやったと思う?
入ってくる奴の大半がミスばかりで、めちゃくちゃだった」
「お前がそうしたんだ」
「は?」
「お前がそう言うチームにしたんだ。
責任から目を背けてチームのせいにするな。
お前がよいチームを作らなきゃいけない立場にいたんだからな」
「何言ってんだ。
だから、俺があいつらに発破をかけるためにも、常に部屋の中で声を出し続けていたんじゃないか」
「至天の案内人さん。もう結構です」
ショウはチグサから目をそらすと、ユリ達にそう声をかけた。ユリは頷くとチグサの前に立つ。
「なんだよ。まだ、俺の話は終わってねぇ。
あのどんくさ男、何にもわかってないみたいだから、きちんと物事って奴を教えてやらねぇといけないんだ」
「いや。お前から教わることなんてない。
お前は周囲の見えない自己満足馬鹿ということが、横から聞いていた私ですら分かった」
「お前も何もわかってないな。
というか、お前ら至天の案内人なんだよな?」
「そうだけど?」
ユリはチグサの急速睡眠用の薬液が入った小瓶を取り出しつつ、認めた。チグサの顔がゆがむ。




