3品目─ウォーキングキノコのスープ
きゅるるるる~……。
マトマの街にある森型ダンジョン『迷いの森 初級者周回用』一階層。
そこで私、新米冒険者ミチはいつものように餓えていた。
「どうして……おなかって空くんだろう……」
そんな哲学的なことを考えながら、斜めがけカバンの中を探る。
「これだけかぁ……」
中に入っているのは黒パンが1つ。
干し肉もあったが、道中で食べ尽くしてしまった。
ここは迷いの森。
新米冒険者用のコースとはいえ、全体的に薄暗く、さらに道は様々な木々が折り重なって複雑怪奇。
だから私が遭難三日目になるのも仕方ないことなのだ。
「地図に載ってるセーフエリアがあそこにあったから、次は……」
地図とにらめっこしつつ、薄っすら霧のかかる森の道を確認する。
方向は間違っていない。道も舗装されている。これなら帰れそうだ。
「……はぁ、良かった~」
安心したのもつかの間。
私のお腹は「ぐぅ~」と非難の声を上げてくる。
わかってる。私のお腹。私だってご飯が食べたい。
「この状態で、三時間……」
ダンジョンを抜けるには三時間ほど歩く必要があった。
道中にはセーフエリアが二つほどあるが、ご飯が常備されているわけではない。
行けなくもない。
行けなくもないのだが、身体が悲鳴を上げている。
それはそうだ。丸一日、ほぼ何も食べていないのだから。
せめて果物でもあればいいが、ここは普通の森ではない。
ダンジョン内に果物が自生することもあるが、残念ながらこの森はそうではない。
黒パンはあるが、これは基本的に保存食なので硬い。
スープに浸さないとろくに食べることもできないのだ。
「……うぅ」
水はある。
セーフエリアに入って、お湯を沸かし、それに浸せば……。
それしかない。
三時間空腹で歩くか、お湯に浸しただけのパンを食べるか。
「食べずにまた道に迷ったら、今度こそ本当にもう……」
空腹時の私は、心が折れやすい。
ちょっとでも地図にない道に入ってしまったら、もうおしまいだ。
たぶん倒れる。
そうなるぐらいなら、たとえ味気なくても、美味しくなくても、お湯に浸した黒パンを食べるしか……。
私が覚悟を決めたそのときだった。
ぽて、ぽて、ぽて。
目の前を、気の抜けるような足音とともに何かが駆けていく。
特徴的な黒い笠を持ち、くすんだ白い石突部分から、2本の足が生えている。
『ウォーキングキノコ』
名前どおりのキノコ型のモンスター。
もちろん……美味しい。
「シャー!!」
私は蛇のような声を出して駆け出す。
腰からナイフを取り出し、ウォーキングキノコに襲い掛かった。
「……ッ?!」
ビョンッ!
びっくりして飛び上がるウォーキングキノコ。
ちょっとカワイイ。そんなことを言っている場合じゃない。
ウォーキングキノコは必死に逃げようとするが、遅い。
この種族は鈍足だ。なぜならウォーキングなので。
「……ッ!!」
ウォーキングキノコが威嚇態勢を取る。
しかしそのときにはもう、私のナイフが彼?彼女?を真っ二つにしていた。
「ごめん!」
あえなく二つに分かれたウォーキングキノコを、私は両脇に抱える。
人間の子供ほどのサイズだが、体重は軽い。
若干、笠のほうが重いので運ぶときは笠に近いところを持つのがベターだ。
「……やった! やった!」
私は先ほどの疲労感を忘れ、ウキウキでセーフエリアまでの道をスキップした。
歩きなら20分かかる道のりを5分で踏破した。
なぜそんなにって、もちろんウォーキングキノコが美味しいからだ。
早く食べたいからだ。
「こんにちは! 誰もいませんね? いても失礼します!」
私はほとんど突撃のような形で巨木の洞に似たセーフエリアに入った。
そして焚火のあとを見つけ、そこの前を陣取る。
「おなか空いた、おなか空いた、おなか空いたー!」
私の行動は早かった。
まずは簡易コンロの上にアイテムボックスから取り出した鍋を置く。
そこにたっぷり水を注ぎ、ポーチから取り出した燃料キューブを下にセット。ナイフと火打石で火を点ける。
次にアイテムボックスからまな板を引っ張り出して、ウォーキングキノコの調理に取り掛かる。
ウォーキングキノコの最大の特徴としては、その笠の下に巨大な毒袋を有していることだった。
普段は集団で行動するモンスターで、敵が接近したときは代表のキノコがまず毒をまき散らす。
効果としては嘔吐に下痢、発熱、手足の痺れなどなかなかにえげつない。
なので基本的に毒を放出させる前に倒す実力がなければ、ウォーキングキノコに手を出してはいけない。
けれども例外もあって、それはウォーキングキノコが単独行動しているときだ。
そのときばかりは新米冒険者でも狩れるお手頃なモンスターとなる。
ウォーキングキノコは捨てる場所がほぼないので、取引価格もそこそこ良いのだが、今はお金よりも食事だ。栄養だ。美味さだ。
「よい、しょ」
私は毒袋を処理して、魔術師組合産の危険物袋に入れた。
毒袋は需要もあるし、食べられないので持って帰って売ることにする。
毒袋が処理出来たら、まな板に乗るサイズにカットしていく。
まな板に乗らない分は一旦、カバンの上などに載せておく。若干不衛生だが仕方ない。
このセーフエリアにはテーブルがないのだ。
「小刻みに~トントントン~」
自分の口ずさむリズムに合わせてキノコをさらにカットしていく。
ウォーキングキノコ自体は小さめとはいえ、食材にすると一人用鍋には多い。
なので小さく刻んだキノコを鍋に入るだけ入れて、そのまま煮る。
残りのキノコも同じようにカットできるだけして、これまた魔術師組合産の保存パックに詰めていく。
合計10袋も使ったが、なんとか収まってくれた。
それらを再びアイテムボックスに戻すと、手に覚えのないアイテムが触れる。
「ん? あッ……!!」
小さい塊だったが、岩塩だった。
片づけ忘れていたものが残っていたのだ。
「ありがとう冒険の神様!」
私は冒険の神、エニダに祈りつつ、さっそく岩塩をナイフで削る。
ピンクがかった塩が鍋にキラキラと落ちていく様子は、この世の何よりも美しい光景に思えた。
「じゅる……はっ……」
お腹が空きすぎて変なテンションになっていることに気づき、私はよだれを腕で拭う。
そして待つこと10分。
「ほわぁ……」
ついにウォーキングキノコのスープが完成したのだった。
私は鍋に顔を近づけ、手にしたスプーンで中身をかき回した。
温かな湯気とともに、キノコの出汁が良い匂いが立ち昇る。
ぐきゅうぅ~。
わかってる。わかってるよぉ、お腹ちゃん。
食べよう。火傷に気を付けて食事にしよう。
私は早く早くと急かすお腹をなだめつつ、スープをスプーンで一掬いする。
ふー、ふー、と冷まして口に運んだ。
「……あぁ」
涙が出た。
ただのお湯を黄金のスープに変えるキノコの出汁。
なんて美味しいんだろう。
「はふ、はう……ずず、ず……」
私は食べた。品も何もない。
ただ、スープを口に運んだ。
ただキノコを入れただけのスープが、空腹も手伝ってあまりにも美味しかった。
「パン、パンも……」
カバンに入っていた黒パンを取り出し、スープに浸す。
出汁を吸ったパンはすぐに柔らかくふやけ、私はそれを口に運ぶ。
「……はぁ」
言葉にならない美味さだった。
たまらずため息が出る。黒パンってこんなに美味しかったっけ?
私はスープとスープに浸した黒パンを交互に食べ続ける。
身体が喜んでいるのがわかる。
手足に活力がみなぎってくるのがわかる。
私は生きている。
新米冒険者用のダンジョンで迷子になって死にそうになっていたけれど、私は生きている。
ご飯が美味しくて、私は幸せだ。
「んぐ、ん、ん……」
鍋が冷めるのを待ってから、中身が空になるまで飲み干した。
「ぷはー」
冷えて、三時間の行程に躊躇いを覚える身体はもうどこにもなかった。
私の身体は芯まで温まり、活力がみなぎっている。
今ならなんだってできる。
お家にだって帰れる。
「ぃよし!」
見事に復活した私は立ち上がる。
片づけをしてから、意気揚々とセーフエリアを出る。
「……え?」
ウォーキングキノコのおかげで力が戻ったことだし、敬意を払って歩いて帰るか。
なんて思っていた私は自分の目を疑った。
目の前にウォーキングキノコがいたのだ。
それも大量に。
「な、なんで……?」
私が食べた子を探しに来たのだろうか。
いや、そんな能力を有しているとは聞かない。
いやいや待てよ。ウォーキングキノコの大移動?
確かそんなことが稀にあると聞いたことがあるような。
私の食べた子がたまたま群れの先頭ではぐれて、そして今、本隊が到着したのだとしたら……。
「──ッ!!」
「ヤバイッ!!」
ウォーキングキノコたちが一斉に身体を震わせる。
毒袋から毒を放出する合図だ。
さらにまずいのは、鈍足なウォーキングキノコも走るときがあるということだ。
それはキノコが群れているとき、目の前に敵とみなした相手がいる場合だ。
「ひゃああああ!」
そして私は逃げて逃げて逃げまくった。
ウォーキングキノコに、走って追いかけられながら。
「ウォーキングキノコなら歩けよぉぉぉぉぉッ!」
そんなことを、叫びながら──。
ー・ー・ー・ー 今日の食材 ー・ー・ー・ー
・ウォーキングキノコ 適量
・水 鍋たっぷり
・岩塩 適量
・黒パン 1つ