25品目 緊急依頼とエルの覚悟
「ひぇ~、これはホーンラビットよりもすごいね」
ミチが平原型ダンジョン『アッセロード』を見渡して言った。
普段は野生動物がチラホラ見える程度の平原を、今は大量のコボルトが占領していた。
コボルトは犬面をした人間の子ども程度の大きさの魔物だが、ゴブリンよりも知恵が回るので厄介だ。
縄張り意識も強く、武器を使うこともできる。
一匹、一匹はそこまでではない。
しかしホーンラビットと同じで、群れになるとその強さは何倍にも跳ね上がる。
「何匹いるんすかね……」
「50匹以上はいそうだね」
エルの言葉にマリュが返す。
コボルトの50匹はホーンラビットの200匹ぐらいだと思ったほうがいい。
しかも武器を持って立ち回る亜人種。
「これでも小規模だっていうんだから嫌になるね」
「露骨にテンションが低いね、ミチ」
「そりゃあ……ね」
ゴブリン同様、コボルトも食べられない。
無理をすれば食べられなくもないが、あんまり美味しくないのだ。
「でも、ちゃんと討伐しないとね」
平原型ダンジョン『アッセロード』にコボルトが大量発生したのは二日前だ。
それまでは近くの森林型ダンジョンに身を隠していたようで、何かのきっかけで一気に人里に近づいてきたらしい。
大規模──300匹以上──クラスの討伐には、ベテランの中でもランクがかなり上のパーティーやソロ冒険者が向かったという。
中規模──100匹以上──クラスの討伐には、ベテランには及ばないがそれでも場数を踏んだ冒険者たちが対応している。
そして10匹以上からなる小規模の相手をするため、ミチたちは森林型ダンジョン『ダースウッド』から帰ってすぐ、ここ『アッセロード』へと召集された。
現場ではすでに多数の冒険者パーティーが、コボルトたち相手に奮闘している剣戟の音が聞こえる。
ミチとマリュもすぐにショートソードとラウンドシールド、ロングソードを構えて、こちらに気づいて向かってくるコボルトたちの相手をすることになった。
「ガルウアアアッ!」
「うりゃああっ!」
ミチはコボルトの錆びた剣を盾で受け止め、腹を斬って首を斬る。
「グルルウウッ!」
「ハァアアアッ!」
マリュは豪快にロングソードを横薙ぎして、コボルトが持っていた斧の柄ごと首を斬り落とした。
強い。
と、エルは思った。
二人は自分たちをまだまだ新米だというが、エルの目にはもう充分普通の冒険者に映った。
コボルトは多少の連携も取れるが、ミチとマリュの動きにはついてこれない。
また、鍛錬してきた二人とは膂力も違う。
ミチとマリュは50匹以上いるコボルトの群れ相手に、互角以上の立ち回りを見せていた。
「ハァアアアッ!」
「おりゃあああ!」
「グルァアアッ!?」
「ギャインッ!?」
「ギャワァッ?!」
次々にコボルトたちが斬り伏せられていく。
まだまだ数は多いが、ほとんど勝負は決まったようなものだった。
(アタシも、いつかああいう風になれるんすかね……)
エルはその目まぐるしい戦いを追いながら、心の中で思う。
生物を殺せないという自分の弱点。
そしてそもそも、冒険者として生きるための戦闘能力。
欠けているものはあまりにも多い。
(やっぱり戦うことは考えずに、解体士兼アイテム持ちとして……)
自分に対する疑いは、自信の消失へとつながっていく。
昨日はあれほどやれると思ったのに、今は万が一のためにとナイフを握った手が震える。
解体士としての自分の能力には自負がある。
けれども、冒険者としては。
自信の、最後のひと搾りが零れ落ちそうになる。
そのときだった。
ドンッ!と、エルの背後で地面を強く叩く音がした。
「……え?」
驚き振り返ると、そこには湾曲した巨大な角を備えた、牛型の魔物──ストロングブルがいた。
「なんで……」
声がかすれる。
平原型ダンジョンなのだから当然、コボルト以外の魔物もいる。
けれども今は大量発生の影響で、他のモンスターはなりを潜めているのではなかったのか。
「グヴゥーッ!!」
ストロングブルはすでに臨戦態勢だった。
「あっ、あっ……」
エルは腰を抜かしそうになりながらも、頭部を低くして角を向けたストロングブルの直線上から転げるようにして離れる。
直後、ストロングブルがエルの真横を猛進していった。
間一髪だった。
あと少し避けるのが遅れていたら、衣類かリュックを角に引っ掛けられて吹っ飛ばされているところだった。
「グブーッ!」
しかし、幸運はそこまでだった。
獲物を捉えられなかったストロングブルが急旋回して立ち止まる。
そして再び地面に前足をドンッと叩きつけ、尻もちをついているエルに狙いを定める。
「くっ、あ、わ……」
立ち上がろうとするが足に力が入らない。
エルは握りしめていたナイフをなんとか前に突きつけようとするが、手が震えて、それすら上手くできなかった。
「グヴーッ!!」
ストロングブルが再度突進してくる。
体勢を崩した獲物を狩ることなど、捕食者にとっては容易いことだった。
「危ないっ!!」
しかし、エルはストロングブルの角に突き刺される直前、声とともに横から体当たりされて地面を転がった。
「ガッ……!?」
「ミチさん!!?」
エルを突き飛ばしてストロングブルの前に出たのはミチだった。
ストロングブルの角ではなく額に当たるように入れ替わり、ラウンドシールドを構えて真正面からぶつかった。
だが当然ストロングブルの本気の突進を完全に受け止められるはずもなく、ミチは衝撃で吹っ飛んで平原を転がる。
「……ッ!」
ドンッ、と三度ストロングブルが前足を打ちおとす。
狙いはエルから、すぐには起き上がれないミチへと代わっている。
「ミチ!」
「ミチさん!」
マリュはコボルトの相手で助けられない。
他の冒険者たちはこの場にはいない。
ミチを助けられるものは、ここにはいない。
「ダメ! そんなのダメっす!」
いや、一人だけいる。
助けられる可能性を持つ者がたった一人。
「こんなのダメっす!」
エルはリュックを捨て、ミチのショートソードを拾い上げて駆ける。
そして、ストロングブルと倒れたミチの間に立った。
「だ、だめ……逃げて、エルちゃん……」
「エル!?」
「に、に、逃げないっす!」
怖い。怖い。怖い。
モンスターの殺気を浴びることも、もしかしたら生き物の命を奪うことも。
けれど、でも、それでも。
逃げたくない。逃げることはできない。
だって!
仲間を、大切な人たちを失うことのほうがもっと怖い。
「グヴーッ!」
「わああああああああああ!!!!」
怒りと殺気を搭載して突進してくるストロングブル。
エルも剣を振り上げて“走った”。
そして──。
「ぎゃうっ!!?」
エルは吹っ飛ばされた。
平原を何度もバウンドし、転がって草と土を身体にまとわりつかせて、ようやく止まった。
「エルッ!」
「エルちゃん……!」
「…………あ、あれ?」
一瞬だけ意識を失っていたらしい。
声で意識を取り戻したエルのそばに、ミチとマリュがいた。
「み、ミチさん……マリュさん……あ、あいつは……?」
マリュに支えられて身体を起こしたエルに、ミチが前方を指さす。
「あ……」
するとそこには、額にショートソードを突き刺し、横倒しになったストロングブルがいた。
「エルちゃんが、倒したんだよ」
「アタシ、が……」
手のひらにジンと残る感覚があった。
額に剣が深く突き刺さった感触。そして、生き物を殺したんだという実感。
「怖かっただろうに。よく頑張った」
マリュがエルの背中をさする。
「ありがとう、エルちゃん」
「あ、アタシこそ……ミチさんに助けてもらわなかったら……」
エルの目から、自然と涙がこぼれていた。
己の中に巣食っていた恐怖に、打ち勝つことができた涙だった。
そしてそれは、一人の少女が、冒険者への第一歩を踏み出した瞬間だった。
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ではまた次回のグルメシで。