2品目‐デミミノタウロス
きゅるるるる~。
緊張感に欠ける音が響いた。
そう、私こと新米冒険者ミチのお腹の音だ。
「……ブモ?」
目の前にいるモンスター、デミミノタウロスも困惑の表情を浮かべる。
いや、そんなこと言ったって仕方ないじゃない。お腹空いたんだもの!
とはいえ、私はデミミノタウロスが生息するその名も「デミノのダンジョン」で戦闘の真っ最中だ。
相手にストップをかけて、のんきにご飯を食べる余裕なんてない。
というか、この戦闘が終わらないとまともなご飯にありつけない。
なぜならこれから食べようとしているのは──。
「ぶもぉぉぉぉっ!!」
この小さな二足歩行の半人半牛、デミミノタウロスなのだから。
「てりゃあああああ!」
私はものすごい気合の声とともに駆けだす。
自分の半分ほどしかないデミミノタウロスに向かって。
「ぶもぉぉおっ!?」
「よし! 刺さった!」
突き出したショートソードが見事、デミミノタウロスの眉間に刺さった──のだが。
「ちょっ、なんで止まらないのっ!?」
「ぶもっ、ぶ、もぉおっ……」
「あぎゃっ!」
デミミノタウロスはショートソードが突き刺さったまま、惰性で突っ込んできた。
惰性とはいえ、その威力はかなりのもので、私はあえなく吹っ飛ばされてしまうのだった。
「……いたた」
なんとか起き上がり、怪我した箇所がないか確認してから、倒れたデミミノタウロスに近づく。
「…………」
ショートソードの柄を軽く蹴ってみたが、反応はない。
どうやら今度こそ倒れてくれたようだ。
「……はぁ~」
私は大きく息を吐く。
今回の依頼はデミミノタウロスの討伐。
比較的難度の低い依頼であるとはいえ、一人で戦うのは初めてだったので、気づかないうちに相当緊張していたようだ。
さて、それはそれとして討伐した証拠を確保しなければ。
人型のモンスターの討伐証拠といえば、もっぱら耳だ。
私は他のデミミノタウロスがやってくる前に急いで耳を切り取り、アイテムバッグから取り出した保存布で巻き、再びバッグに戻す。
安心、安全の魔術師組合産の保存布なので、これでバッグの中でも腐らずにすむ。
もともとアイテムボックスの内部は食べ物の保存に適しているのだが、それでもむき身の耳をそのまま入れるのは気分がいいものではない。
「いよぃ、しょー!」
気を取り直して、私はデミミノタウロスの脚を掴んで、引きずりながら運んでいく。
成人女性の半分ほどの体躯だが、筋肉が詰まっているからけっこう重い。
「誰かいませんかー? 誰もいませんねー?」
私は手近なセーフエリアに入ると、新鮮な水の湧く泉があることも確認し、「ヨシ」とうなづく。
水がないと、これからやる解体作業に持ち出しの水が必要になるのだ。
帰りを考えると、水は節約したい。
「さて、それじゃあやりますか」
セーフエリアの端に設置された解体用の石台にデミミノタウロスを運ぶ。
デミノのダンジョンは生息するモンスターのほぼすべてがデミミノタウロスなので、こういった設備が整っている。
先人の冒険者には感謝感謝だ。
ポーチから解体専用のスキナーナイフを取り出して、手早くデミミノタウロスの身体に刃を入れていく。
最初の実践こそ手間取ってかなりの肉や皮を無駄にしたけど、今は手慣れたものだ。
それでも熟練冒険者たちの魔法みたいな手際にはまだまだ遠く及ばないが……。
……。
…………。
………………。
「ふー……」
少し時間はかかってしまったが、解体が無事に完了した。
やはり小さいので本家ミノタウロスに比べると可食部位は少ない。けれど、新米冒険者はそんな贅沢を言える立場ではない。
そしてけっこういいお金になるので、全部食べられるわけでもないのがまた辛いところだ。
「んっんっん~」
私は解体したお肉や石台、私自身についた血や汚れを水で洗い流す。
お肉は一部を残して保存布で巻き、アイテムボックスに放り込む。
デミミノタウロスの素材目当てでもあったので、ボックスにはあまりアイテムを入れてこなかった。それでもギュウギュウだ。
「……牛だけに……」
ポツリとつぶやいた自分の言葉に頭を抱える。
その昔、こんなことを口走る大人にだけはなるまいと思っていたのに。
「いや、うん。一人だし。誰も聞いてないし」
血抜きをして、乾燥させるため石台に置いたままにしているデミミノタウロスの頭部と目が合う。
なんだか憐れまれている気がした。
ムカつくけど無視する。
「気を取り直してっと……」
大抵のセーフエリアには先人の冒険者たちが残した石造りの簡易的なコンロがあるので、それを使わせてもらう。
アイテムバッグに唯一持ってきたフライパンをコンロに置いて、下に燃料キューブを差し込む。火打石とナイフで火を点けて、表面が温まるのを待つ。
その間にデミミノタウロスの脂を小さく切って、頃合いを見てフライパンに放り入れる。
ナイフの刃先で脂の塊をつついて溶かしながら、肉の塊を薄く切っていく。今回食べるのはタンとロースだ。冒険者の間ではミノタウロスの肉と区別するため、デミタン、デミロースと呼ばれる。
ぐ~。
まだ焼いてないのに、赤い肉を見ただけで腹が鳴り、よだれが口の中に溜まる。
とはいえ生のまま食べる勇気はないので、塩と胡椒を軽く振りかけてフライパンに落とした。
ジュウッ──と美味そうな音が弾ける。
脂がいくつか飛び、肉が焼けていく。
香ばしい匂いがセーフエリアに充満し、ますます食欲をそそられる。
「焼肉、火加減、気をつけろ~♪ すぐに焦げるぞ、気をつけろ~♪」
私は馴染みの料理屋にいる店員ちゃんの真似をしながら歌う。
お腹もぐーぐー合いの手を入れてくれる。
まあまあ待ちたまえよ。あと少し、あと少しだから。
私は肉をひっくり返しつつ、ポーチの一つから塩と和えたネギを入れた瓶を取り出し、タンに振りかけた。
そしてもう一つのポーチから木製の水筒を取り出す。
これにはお肉用のタレが入っている。安価ではないがこの依頼のためにわざわざ買ってきたのだ。
木製なので日持ちはしないが、一回分の食事には十分耐えうる量を持ってきた。
「おっとと、こぼれないように~」
水筒の蓋にタレを注ぎ、お箸を握った。
私の目にはお肉たちが「食べて~、食べごろだよ~」などと言っているのが聞こえる。もちろん幻聴だ。
「まずは~……君に決めた!」
私は香ばしく焼けたロースを一枚掴んで、タレにくぐらせる。
それから熱さも気にせず、口の中へ突っ込んだ。
「はふ、もぐ……おい……しぃいいい!」
舌に乗った瞬間、噛んだ瞬間、喉を滑っていく瞬間。
そのどれもが最高だった。
美味しすぎて涙が出そうになる。
どうしてここにお米がないのか。東方の国からやってきた侍さんに分けてもらえばよかったと今さら後悔する。
なんで分けてもらわなかったのかって?
だって、手持ちが少なかったんだもの!
と、まあ後悔してても仕方がない。
目の前にはお米を抜きにしても美味しいお肉があるのだ。
私は続いて、ネギ塩を乗せたタンを丸めて掴み、口へ運ぶ。
「……くぅ~!」
これまた絶品だった。
美味しすぎてたまらず箸を握りしめてしまう。
ミノタウロスに比べればやや味は落ちると言われているが、新米冒険者にとってはデミタンもデミロースも格別に美味いのだ。
というか焼いた新鮮な肉というだけで美味しい。
さらに自分の手で仕留め、捌き、討伐依頼を成功させて食べるときの快感はもうやみつきだ。
……もちろん私は新米なので、そんなに言うほどデミミノタウロスを倒したことはないのだけど。
いや、もっと正直に言うと単独で倒したのは初だし、解体とかもベテランさんたちについていって、やらせてもらった経験があるからできるだけなのだけど。
とにかく、それはそれとして肉は美味いのだ。
「…………」
しばらく、私は肉を食べ──がっついた。
それはもう餓えた狼みたいに。
実際、デミミノタウロスを探してダンジョンをさまよっていたので餓えていた。
だからギルドに卸そうと思っていた肉をほんの少し、さらに追加で食べてしまったのも、仕方ないことなのだ。
少し……うん、少しだけのはずだった。
半分以上が私の胃袋に納品されたのは、なぜだろう。
謎は深まるばかりだ。
「ふー……ごちそうさまでした」
私は空になったフライパンを眺め、膨れたお腹をさすった。
「いやぁ、食べた食べた」
タレを入れていた水筒は空になり、ネギ塩の瓶もすっからかんだ。
私はちらっと石台のデミミノタウロスの頭部を見る。
「君、すごく美味しかったよ。ごちそうさま」
手を合わせてお礼を言っておく。
次もまたよろしくお願いします、と彼らにとっては不吉な一言を添えて。
「さて」
私は泉から汲んできた水を沸騰させたあと、フライパンに注ぐ。
水筒や瓶にもお湯を少量注ぎ、軽く回す。
フライパンから余分なお湯を捨て、ポーチから取り出した清潔な布で汚れをふき取る。
水筒や瓶はギュッと絞った布で何回かに分けて拭く。
油系は固まると落とすのに苦労するので、早めの作業が重要だ。
残ったお湯は、適温になっていたので茶葉を入れたカップに注いだ。
食器や道具を片づけているうちに煮だされた紅茶を啜り、セーフエリアでまったり食休みする。
美味しい食事のあとの、この気だるい時間が好きだ。
「……よし!」
私は勢いをつけて立ち上がった。
カップを軽く洗ったあと、片づけをしてバッグを斜めに掛ける。
そしてデミミノタウロスの頭部に余った布を巻きつけ、アイテムボックスに押し込み、セーフエリアを後にする。
「あぁ、この依頼、また受けたいなー」
帰り道、私はそんなことを考える。
この依頼の難点は予約制で中級冒険者にも人気なことだ。
だから新米冒険者には依頼がなかなか回って来ない。
せめて月に一度、回ってきてくれたらなー。
だが贅沢は言えない。
一つの冒険者グループがデミミノタウロスの巣「デミノのダンジョン」を独占しないための予約制なのだ。
次回はいつになるだろうか。
今度はあの部位を──。
私はいろんなことを妄想しながら、足取り軽く帰途へ着くのだった。
ー・ー・ー・ー 今日の食材 ー・ー・ー・ー
・デミミノタウロスの肉 二十人前
・タレ お好み
・ネギ塩 お好み